glossed charm(再録)(和愁)

 愁と喋ってると、あ、キスしてえな、と思うことがたまにある。こいつが子猫ちゃんだったら唇キレイだねってソッコー口説いちゃうんだけどな、って。
 そういう時はだいたい前触れもなく、急に愁の唇に目が引き寄せられるのがきっかけだったりする。
 実際愁の唇の形は綺麗で、悔しいけど愁の顔の作りが綺麗なのもあって余計にそう見える。その癖自分の顔には無頓着だから唇がよくガサガサになってる。ミュージカル俳優になるんだったら唇のケアくらいしとけよ、って言いながら、少し高めだけど薬局でも買えるようなリップクリームをプレゼント用の包装もせずそのままあげた。その日は愁の16の誕生日で、入学式前だからちょうど良かったし、愁の家にいつもみたいに押し掛けて渡した。そしたら、愁にしては珍しく、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
 そう言えば誕生日プレゼントなんてあげたこともないし貰ったこともない。男同士でそんなのむず痒いし。だから愁はこんなリアクションなんだろうな、と思うと同時に、一気に体中がむず痒くなった。
 別にそういう意味じゃねーからな?!って言いでもしたら余計に変な顔されそうだから、とりあえず、お前は自分の顔に無頓着すぎなんだよ、と言ってみた。そしたら愁は合点が言ったように頷くと、それもそうか、と呟いた。
 役者にとっては顔も商売道具だしな。
 そうだけどそうじゃねえ。
 なんでそうじゃねえと思ったのかは、自分にも分からない。ただ、オレがあげたリップクリームはオレも気に入って使ってるやつだったし、これを付けた愁を見たいと思ったことは否定できない。
 愁はリップクリームの箱を開けて、物珍しそうにリップクリームの筒を眺めていた。ふたを開けて、底を回すとリップクリームが出てくることを発見し、なるほど……と呟いてから、オレを見た。
 これを、塗るのか?そうだけど。……唇に、そのまま?もういいオレがやってやるから。分かんねえから頼む。
 ぐい、と押し付けられて、しょうがねえな……と思いながらリップクリームをちょうど良い分だけ出してから少し愁と距離を詰めた。
動くなよー、と言いながらリップクリームの先を愁の唇に当てた。
 ゆっくりと、上唇からクリームを塗っていく。上唇を塗ったところで何かに気付いたのか、愁が唇を少し突き出してきた。僅かに細められた目も併せたその表情に、急に心臓が跳ねる。それを押し隠しながら下唇も塗り終わると、愁は不思議そうに口をぱくぱく動かし、唇に触れた。
 なんか、全然ちげーな。
 言いたいことは分かる。すげえだろ?って言いながらリップクリームの蓋を閉めて愁に渡すと、愁はこくりと頷いた。
 これ、どこに売ってる?
 僅かに艶を帯びた唇が動いた。急に目が離せなくなって、頭の中でドクドク脈打つ音がする。
 薬局の、男用化粧品コーナー。平静を装ってそう答えると、男用化粧品コーナーなんてあんのか、と驚かれた。
 その言葉に少しだけ冷静さが戻った。
 肌のケアくらいはちゃんとしろよな、俳優になんだぞ。
 そう言って愁の頬に手を伸ばしてむにむに動かしてやると、それもそうだな、とされるがままなくせに納得して頷く愁。
 オレの手に愁の頬が引っ張られ、一緒に唇の形が歪む。その様にまた何故か心臓が跳ねたような心地になり、オレは慌てて手を離した。
 愁はそんなオレの様子に気付くこともなく、リップクリームのケースを眺めている。気付かれないで良かった、今日のオレは多分、少し情緒が安定してない。
 愁の唇を見て綺麗な唇してるなって思うのは初めてじゃない。キスしたいって思ってもそれはこいつが男じゃなかったらって話だ。そのハズだ。おかしいだろ、愁の綺麗な唇が歪むのを見て興奮しかけるなんて。
 そっと深呼吸して、どうにか呼吸を整える。
 そうだ、メシ行こうぜ。
 まだ心臓が鳴っている自分を誤魔化すように言うと、そうだな、と愁が僅かに唇を上げて笑った。
 その唇はまだ艶めいていて、それを見るとやっぱり、心臓は勝手にうるさくなってしまうのだった。

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