【ちあふゆ】ストレンジ・ワンルーム_3「認識」

の続きです。
SS完結前に書き始めたので公式の二人の進路と齟齬があります。

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 冬沢が千秋の部屋から姿を消してから凡そ二週間が経とうとしていた。
 
 いや、姿を消したと言えば語弊がある。
 冬沢は千秋の家での居候状態をやめて自宅に戻ったのだった。
 ことの発端となった例の舞台はは初日まで一週間を切り、一週間ぶりに覗いたSNS(千秋自身は日頃はマネージャーにアカウント管理を任せている)では稽古は順調に進んでいること、チケットはまだ若干数残っていることが、いかにも冬沢が好きそうなシンプルな文章で告知されていた。最後に<スタッフ>の単語付きで。
 そう、あるべき場所にあるべき在り方で収まっただけ。結局のところ千秋が住んでいる部屋は男二人で生活するには狭いワンルームでしかなく、冬沢は一人の時間が無いと死んでしまうような人間なのだ。そんな組み合わせだというのにどういうわけか数ヶ月一緒に暮らす事にはなったが、どうしたって不自然な生活だったのだ……

 などと。
 簡単に納得できるほど、千秋は物分りのいい性格でも諦めの早い性格でもなかった。

「……はあーっ……」
 午後十時。 
 千秋は自宅のソファに身を投げ出しながらショートメッセージアプリのトーク画面を開き、深々とため息を吐き出した。
 「亮」とのトークで毎日のようにこちらから送っている短いメッセージにはただ、既読のマークだけが付いている。それが約二十行強連なっている。いわゆる既読無視。
 冬沢からの既読無視など今に始まったことではない。当たり前の事ですらある。千秋としてはそれは別に責めるポイントではない。返事くらい寄越せよと一度だけ言ってみたことはあるが、
 ──既読マークが付くのだから読んだことは伝わる、それでいいだろう。
 などとすげなく返されるのみであった。
 冬沢の中ではそういう理屈で世界は回っているし、目上の人間や仕事上の付き合いならまだしも今になって千秋相手にわざわざ返信を寄越すような真似をするとは思えない。
 だが今回ばかりは千秋にも言い分はあった。
 ──いや、せめてさ。
 ──せめて質問には返信寄越せよ。
 午後十時。ソファの座面にスマホを落として、天井を仰ぐ。
 連日送信しているメッセージは、何かあったのか、とか、ちゃんと飯食ってんのかとか、そう言った質問が大多数であった。冬沢はそういった質問にも、既読マークを付けるのみであった。
 流石の冬沢も、千秋が質問を送れば返信くらいはする(質問に答えるかどうかは別問題である)。これまではそうだったのだ。だが、最近の冬沢はそれすらしなくなった。
 詰まるところ完全に黙殺されている。避けられている。
 千秋の部屋にあった冬沢の私物は全て綺麗に持って帰られ、冬沢がここにいた痕跡はと言えばあの時残してったメモと生活費、それらが入っていた封筒のみが残されていた。
 どうにかして冬沢を追い掛けて追及するべきか、とも考えた。だが、いなくなる前夜の冬沢の様子がどこかおかしかったことを思い出すと、それはなんだか躊躇われた。しかしどうしても冬沢に何かあったのではないかと気になってしまい、結果千秋は毎日のように冬沢に向けて短いメッセージを送り続けているのであった。
 こういうところが冬沢本人から面と向かってストーカーだの粘着質だの鬱陶しいだの言われるのだ。自覚はある。
 それでも今更冬沢に意識を向けることをやめられるようなら、初めから冬沢を家に上げてあまつさえ住まわせたりなどしなかった。あの首輪を冬沢に掛けることだってしなかった。冬沢も、千秋がそれを断れるような性分ではないことを完全に理解している。理解しているからあんな真似をしていた。そんなのお互い承知の上で、あの奇妙な同居生活は成り立っていた。
 オレ一人で考えても答えは出ないよなあ、と千秋は考えた。
 だが誰かに相談するには状況が特殊すぎる。
 それこそ、自分達二人がどういう関係なのか昔からよく知っていて、冬沢の難儀な性格を熟知していて、それらを全て客観視出来るような人間でもない限りとてもこんな話は……
「……一人、いる……」

 ***

「……で、どうするのが正解なのかオレには分からない」
「なんで俺に聞くんですか?」
 やや価格帯高めの焼肉チェーン店。その個室席で、千秋は中学高校時代の後輩・南條聖と向かい合っていた。
 南條は若干濁った目つきのまま、トングでタンを引っ繰り返す。面倒くさい、という本音を隠そうともしない態度はいっそ清々しい。
「オレの知る限り亮と一番近い思考回路してるのがコウちゃんだからだよ」
「だからって俺的には先輩達の特殊性癖話に付き合わされる覚えはないっていうか」
「だから今日は全部オレが奢るって言ったんだよ」
「千秋さん、お人好しの善人が一周回って性格悪いとか言われたことありません?」
「は?」
「もういいです、肉に釣られた俺も警戒心が薄かったので。千秋さんに余分に貸しを作れるくらいには相談に乗ってあげます」
 これ見よがしに溜息をついてから、シーザーサラダを自分の取り皿に取り分ける南條。「オレも」と千秋が右手を出すとトングを渡された。
「いやあほんと、珍しく一緒の現場だなあとか思ってたらこんな案件で焼き肉奢られる羽目になるとは思いませんでしたけど」
 千秋としても、これは運のいい(南條からすれば不運以外の何でもない)偶然であった。少し前から決まっていたWeb用単発ドラマで、「自分達二人がどういう関係なのか昔からよく知っていて、冬沢の難儀な性格を熟知していて、それを全て客観視出来る」ほとんど唯一の人間である南條との共演が決まっていたのだ。
 撮影は1日丸ごとを使って無事に終了し、千秋は打ち上げの体で──勿論打ち上げの意味もあるのだが──南條を焼肉屋に連れて来ることに成功した。そうしてここ最近の己と冬沢の一切合財を、話せる範囲で打ち明けたのであった。話が進めば進むほどに南條の目は濁っていった。
「とりあえず俺の所感を言うとですけど。冬沢さんは多分、千秋さんから逃げたくなったんじゃないですかね」
「逃げ……」
 サラダを取り分ける手が止まる。
 確かに、冬沢はどこか逃げるようにしていなくなった、と思う。そして今も自分を避け続けているのは、自分から逃げているのだと言われれば腑に落ちる。
 だが。
「……なんで逃げるんだよ」
 その理由が千秋にはさっぱり分からなかった。
「さあ〜? 居たたまれなくなったとか、色々考えられるんじゃないですか」
「……あいつが今更オレの前で居たたまれなくなるとか、あるか……?」
 まあそうかもしれませんね、と南條は生暖かく笑いながら焼けた肉を自分の皿に乗せてまた生肉を網に並べていく。
 堂々と押し掛けてきて居候までして今更居たたまれないはないだろう。もっと前まで記憶を遡れば、高三の時のごたごたやら、冬沢が自分相手に感情を爆発させた事や理解不能な行動に出た事、成人してからは酒に酔った冬沢の面倒を千秋が見るのが当たり前になった事など、常人であればとうの昔に居たたまれなくなっているであろう状況は枚挙に暇がなかった。
 恐らくは甘えられているのだろうと千秋は思う。冬沢にその自覚があるのかどうかは知らないが。
「俺的には千秋さんのその謎の自信は割と尊敬に値すると思いますよ。ま、理由は一旦脇に置いておきましょう。大事なのは、じゃあ千秋さんの前から逃げた冬沢さんをどうするかって話になってくると思うので」
「はあ」
 南條はほどよく焼けたタンを自分の皿に移した。
 千秋は空になったサラダの器をテーブルの端に退けると、焼網の上にカルビを並べる。
「千秋さん的には、冬沢さんは放っておいて欲しいタイプか追い掛けて来て欲しいタイプか、どっちだと思います?」
「放っておいてくれって口では言うし追い掛けたら追い掛けたですげー不機嫌になるのにこっちから追い縋るくらい構わないともっと不機嫌になるタイプ」
「うわー、すごい理解度」
「……だから、メッセージだって送ってる」
「それが逆効果なんじゃないですかあ? 毎日は流石にしつこいでしょ」
「だからそのうちあいつの家に行ってみるつもりだ、それくらいしねえとオレの気が収まらねえ」
「そのうちっていつです?」
「あいつの次の舞台が終わったら」
「……ま、それくらいが妥当でしょうね」
 千秋とて、どういうつもりなのかと問い質したい気持ちはあるが冬沢の仕事を邪魔したいわけではない。舞台期間中の冬沢は常時集中状態とも言うべき張り詰めた空気を身に纏っている、プライベートな都合で下手にそれをつつくのは悪手でしかない。二週間の公演期間が終わるのを待つべきだろうと千秋は考えていた。ましてやそれが事の発端である舞台であるならば尚更。
「……千秋さん、一つ聞いてみたいことがあるんですけど」
「なに?」
「実は千秋さん、冬沢さんのこと束縛したいとか思ってたりしません?」
 南條からすれば何気ない質問だったのだろう。いかにも人畜無害そうな笑顔で、南條は空になりかけの烏龍茶のグラスを揺らしている。だが千秋は言葉を失った。電撃が走ったような心地であった。
 束縛。自分では思いもしなかった。だが言われてみれば、と過去約二ヶ月を振り返る。
 冬沢の首に首輪を掛けた時背筋に走ったぞくぞくとした感覚、食卓で一緒に手を合わせて同じ食事をしている時の充足感、白い首に巻き付いた黒い首輪を見る度に覚えていた支配欲は得も言われぬもので。冬沢が部屋からいなくなって、あの時は血の気が引いた思いがした。すぐに冬沢宛にメッセージを送った、何度も何度も。あまりに頑なに既読無視されるものだからむしろ元気であることが分かって安心はしたのだが。
 結局のところ自分は、本当の理由も言わずに押し掛けてきた冬沢を、理由なんて分からなくていいからあの小さな部屋に留めておきたかっただけなのかもしれない。自分の目と手の届く場所にいることが分かれば、必ず同じ部屋に帰ってくるのであれば、それで良かったのだ。そして恐らく、それを世間一般ではこう言う……独占欲、束縛願望と。
「……マジかよ。オレは亮を束縛したかったのか……⁉」
「うわー、聞かなきゃよかった」
 げんなりした顔をする南條をよそに、千秋は唖然としながら額に手を当てた。網の上のハラミは火の通りすぎですっかり固くなっていた。

 ***

 帰宅して軽くシャワーを浴びれば、髪にドライヤーを当てる頃には日付は変わっていた。冬沢が部屋にいた頃はなるべく早い帰宅を心掛けて食事を作るようにしていたが、冬沢がいなくなってからは外食で済ませることも増えてきた。一人暮らしを始めてから忘れていた、誰かと同じ食卓を囲んで手料理を食べるという感覚を冬沢が押し掛けてきたことで思い出した。だがそれをまた忘れかけている。おまけにそのせいでなんとなく料理をする気力も薄れている。これはよろしくない。事務所のプロフィールに「趣味:料理」と書いてしまっている、仕事のためにも料理を忘れるわけにはいかない。
 どっかの週末使って実家に帰ってみるか、なんて考えながら、風呂上がりの一杯でもと冷蔵庫を開ける。麦茶の入ったピッチャーを手に取り、グラスに麦茶を注ぐ。
 冷たい麦茶を体のうちに流し込んだことで火照った体が少しばかり落ち着き、千秋は一つ息を吐き出した。
 南條に話してみることで気が付いてしまった冬沢に対する束縛願望は、思いの外千秋に重く伸し掛かっていた。
 支配欲は確かにあった。あの首輪を見る度に背筋を走るぞくぞくした感覚がどういうものかも自覚していたのだ。なんなら、なんでこんな真似したのかはっきり言わずに出ていけると思うなよなんてことも考えていた。
 この部屋に縛り付けて、所有の証を身に付けて、いつまでもここにいればいいと。自分だけのものとしていつまでも。胸の奥底に灯ったその黒い炎はじりじりと千秋の心の奥底を舐め続けていた。その炎は有機物が炭に変わる工程のように、ゆっくりと時間をかけて千秋の心を変質させていく。そうして気が付いた時にはもう後戻り出来ないと悟る。
(そうか、オレはあいつをオレだけの物にしたかったんだ)
 気付いたところで何が出来る訳でもない。冬沢の心も体も全て、力づくでも自分の物にしたいと。その目に自分だけが映るようにしてしまいたいと。あの冬沢相手にそんなことは到底不可能だと自分が一番よく知っているくせに。
 それでも冬沢を自分だけの物にしたいという願望が消えてくれる訳ではなく、それは千秋の心の奥底に鎮座し続ける。
 本当に厄介で邪な願いを抱いてしまったものだ。自分の冬沢に対する執念深さが嫌になる。だが嫌になった程度でやめられるほど軽い思いでもない。
 どうすりゃいいんだ、と己の内面という現実から目を逸らしながら冷蔵庫の扉に貼っているホワイトボードに雑な手書きで記されている明日以降の予定を眺める。すっかり忘れていたが、明日はオフなのだった。
 掃除でもするか、と、やや乱雑になっている部屋を台所からちらりと見る。冬沢がいる間も勿論掃除はしていたが、ここのところは仕事が忙しくてあまり手を付けられていなかった。
 午前中は軽く部屋の掃除をして、午後は買い物にでも出かけよう。そうすれば少しの気分転換にはなる筈だ。
 そう己に言い聞かせ、千秋は眠りについた。ソファとベッドの間を隔てていたスクリーンが立っていない部屋はやけに広いな、なんて事を思いながら。
 翌日、千秋は就寝前に決めた通りに朝から部屋の掃除に取り掛かることにした。
 掃除に使う時間は半日程度のつもりなので、あまり大掛かりなことはしない。今日の天気は運良く快晴なものだから、クッションや布団のカバーなんかは洗濯してしまう。乱雑に散らばった物を元の場所に戻して、掃除機を掛けて。
 床に掃除機を掛けながら、部屋の隅に畳んだままのスクリーンを横目でちらりと見る。
 冬沢の出費で購入した物だが、部屋から出ていく時冬沢はこれを置いていった。高さは2メートル近い、これを持って出て行くには大きすぎるだろう。今となっては無用の長物だが、すっかり部屋に馴染んでしまったために処分するにもなんだか忍びないし、触れば部屋に居座っていた冬沢の姿を思い出すようで触るのもなんだか躊躇われた。
 それでも積もりかけた埃くらいは掃除機で吸ってしまおうと、一つ深呼吸してからスクリーンを開く。
 コトリ、と。物が落ちてフローリングに当たる音がした。
 足元を見ると、見慣れない物がそこにあった。
 それは畳まれた青いハンカチに見えた。畳まれたスクリーンの上に置いてあったか挟んであったかしたのだろう。不審に思いながら拾い上げると、ハンカチにしては重い。どうやら中に何か物を包んだ状態で畳まれているらしかった。
 恐る恐るハンカチを開くと、鈍い銀色の金属光沢が目に飛び込んできた。
 それは、鍵だった。紅色の革紐のストラップが付いた鍵はハンカチにくるまれ、まるでそこで千秋に見つけられるのを待っていたかのようだった。
 この部屋の鍵ではない、もちろんバイクの鍵でもない。
 千秋以外の誰かが置いていった鍵だ。生活スペースの奥深くに入り込んで、スクリーンを畳んでこの鍵をわざわざ置いていける人物など、ここ数ヶ月で一人しかいない。
 そして、それならこの鍵が何の鍵か、と考えれば思い浮かぶものは一つしかなかった。
「あいつ……」
 どくん、と一際強く心臓が大きく跳ねる。同時にどっと疲れがこみ上げてきて、思わずその場に座り込む。面倒くさいやつだとは思っていたが、ここまで回りくどいことをするか。回りくどいのに分かりやすい。ここに来い、ということだ。
 ここに行けば、冬沢が何をしたかったのか分かるのだろうか。求め続けていた答えがあるのだろうか。そして恐らく、冬沢が望んだ形での決着も。
「……分かった。乗ってやるよ」
 誘いに乗らない理由など、どこにもなかった。
 そっちがその気なら、こちらにも考えがある。
 千秋は、手の内の鍵を強く握り締めた。 

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4で完結します(予定)。