スパロボUXの森次と山下が竜宮島に行く話。隠しキャラ完全未解放状態での世界線です。
到着前
「来月なんだけど、皆城君が玲二から直接話を聞きたいってさ。スケジュールはどうとでもなると思うけど、どうだい? 僕の代わりに竜宮島出張」
ほんの数分前に東京に帰ってきたばかりの森次玲二専属秘書兼加藤機関八番隊隊長・桐山英治の言葉に、JUDAコーポレーション社長兼桐山重工社長兼加藤機関二番隊隊長・森次玲二は「そうか」と頷いた。
「構わんが」
「そう、それじゃ加藤司令には僕から話を通しておくから。日取りは僕の方で調整しておいていいかな?」
「ああ、お前に任せる」
そのまま森次は手にしていた書類に視線を落とす。二十分後のミーティングの資料だ。多忙を極める森次のスケジュールは常に分刻みで動いている。
桐山はそんな森次を見て少しだけ苦笑してから、「それじゃあ、次の五分前に迎えに来るから」と社長室を後にする。
そして社長室のすぐ隣りにある自身の執務室に向かいながら、懐から取り出した携帯端末のメッセージアプリを立ち上げる。
『成功』、とだけ短く記して送信すると、すぐさま既読マークが付き、続いて親指を立てているロボットのキャラクターのスタンプがトークルームに流れた。
『日取りの候補が出たらまた連絡するよ』
執務室に着席してからそう送ると、『よろしくっす』と返って来る。
それを見た桐山は僅かに逡巡した後、こう打ち込んだ。
『君の方は本当に大丈夫?お盆の時期になるよ』
『ぼくはどうとでもなるんで、お気になさらず』
トーク相手――山下サトルのそんな返事に、玲二に似ちゃってるのかなあ、と桐山は思わず溜息を吐いた。
◆◆◆
「働きすぎなんだよ、玲二は」
六月の半ば、JUDA本社からは二駅ほど離れた国道沿いの夜のファミリーレストランで桐山は溜め息とともにそう呟いた。
「それはボクも見てて思うッスけど……言ったところで止まる人じゃないからなァ……」
ドリンクバーのアイスコーヒーを飲みながら、山下は桐山に渡されたタブレットの画面を睨んだ。
そこには日々のスケジュールやメール送受信時刻や交通機関の利用状況その他諸々から割り出された森次の勤労状況のデータが映し出されている。
「……これ平均睡眠時間どう考えても三時間割ってますよね?UXにいた時より酷いッスよ」
「僕が寝た後もこっそり働いてるようだからね……」
「ファクターだからってそれは流石に……」
「僕も来期にはキリヤマに戻るつもりだ。ただJUDAと加藤機関だけになったところで玲二の仕事量が三分の二になるわけではないだろう、あいつの性格を考えればまた仕事を勝手に増やすだけだ。加藤機関としての仕事量は司令がコントロールしてくれているけれど……」
「JUDAのためならどんな無理でもしますよ、森次さんは。かと言ってボクや桐山さんに出来ることにも限度があるし……」
山下は悔しげに眉間にシワを寄せる。
森次の腹心の部下として加藤機関二番隊の任務の多くを担っている山下としては、JUDA本社経営という自分にはなかなか立ち入れない部分で森次が多大な負担を背負っていることをずっと気にしていたのだった。
桐山はそんな山下の様子を見て、安堵と確信の滲んだ笑顔を浮かべた。
「そこで君に相談なんだけど、どうにかして玲二を無理にでも休ませる日を作りたい。再来月にでも」
桐山の言葉に、山下は顔を上げた。
「再来月……でいいんスか?」
「ああ。お盆の期間に入れば多少は仕事量も落ち着くし、僕の方でもコントロール出来ると思う。君にも手伝って欲しい」
「フ……言われなくとも」
閑散としたファミレスの片隅、二人はテーブル越しに固い握手を交わした。
「森次玲二のことが大好き」というその一点を共通項に結ばれた同盟であった。
◆◆◆
「というワケで今から森次さんには、竜宮島で三泊四日の強制バカンスを取得していただくッス」
「……成程」
竜宮島に向かうチャーター機の中、森次は向かい合って座る山下の言葉に一つ溜息を吐き出した。
「お前と英治が私に隠れて何かやっていることには気付いていたが、このためか」
「誰の目から見ても森次さんは働きすぎッス。僕と桐山さんだけじゃなくて、加藤司令や竜宮島の皆さんにも協力して貰いました」
「私だけでなくお前まで竜宮島にいては二番隊はどうなる」
「桐山さんに面倒見て貰ってますが、原則動かさない方向で司令と話付いてます」
「手際がいいな……」
呆れと感心を同時に滲ませながら、森次は山下に差し出された冊子を眺めた。その冊子には旅行ガイドの表紙を模した表紙が印刷されていた──『竜宮島の歩き方』、と。
「それ、カノン達が作ってくれたんスよ。せっかくバカンス目的で来るんならって」
「…………」
森次は黙って冊子をめくる。竜宮島の名所を旅行ガイド風に事細かに紹介したその冊子には、よく見覚えのある子供達の写真も載っていた。
「よく出来てるっすよね〜それ。あっそうそう、皆城が森次さんから直接話聞きたいっていうのは本当らしいんで、その時間だけはお仕事っすね。せいぜい半日あればいいって言ってましたけど、一応滞在初日で押さえてるんで。あとは竜宮島でゆっくりしましょ」
山下の説明を受けても森次はどこか釈然としない風である。するとタイミングよく森次のスーツの内ポケットの携帯端末が震えた。
森次は端末を取り出す。画面には「加藤司令」と表示されていた。
「……こちら森次」
『やあ森次。山下にも聞こえるように頼む』
森次は黙って通話をスピーカーに切り替え、シート備え付けの小さなテーブルに端末を置いた。
『そろそろ山下から説明は受けた頃だろう』
スピーカー越しの声に、森次は顔色一つ変えず返す。
「ええ、それはもう丁寧に」
『私としてもお前は少し働きすぎだ、この機会に竜宮島で心身を休めて来い。向こうには今回の礼で私からちょっとしたプレゼントを贈っている、船に積ませたので到着したら皆城総士にでも渡しておくがいい。真壁司令には話を通してある』
「……了解しました」
ちょっとした、で済むほど小さい荷物ではなかったような……と森次と山下はチャーター機に積み込まれていたコンテナを同時に思い出す。しかしやはり同時に、加藤司令基準のちょっとだしな……と気にしないことにした。
『それではな、素敵な休暇を』
通話は一方的に切れた。森次は端末をスーツの内ポケットにしまいつつ呟く。
「私より加藤司令の方が休暇は必要だろう」
「司令はあれで自分の休息はきっちり取ってるってマサキさんから聞いてますよ。森次さんは自分の休みも取ってないじゃないスか」
「……言うようになったな」
「ボクが何年森次さんの部下やってると思ってるんですか?」
山下はいたずらっぽく笑い、森次は目を伏せて僅かに口角を緩めた。山下も滅多に見ない、リラックスしている時の顔だ。
「ではお前達の言う通りに、本物のバカンスを堪能させてもらうとしよう」
「既にちょっと不安なんスけど……」
滞在一日目
「お待ちしておりました森次社長、山下さん」
竜宮島時刻、午前九時。チャーター機が降り立った剛瑠島――アルヴィスの滑走路で、皆城総士が待っていた。
「よっす、元気か?」
チャーター機から降りた山下がひらひらと手を振ると、総士は律儀に会釈した。
「お陰様で。ところで……」
総士はまず、森次と山下がスーツケースを持っていることを確認した。続いて、チャーター機――その実態は加藤機関保有の輸送機である――から降ろされている大型のコンテナを見た。
「あのコンテナは一体? 今回の便に輸入物資は含まれていないと聞いていますが」
「うちの司令からプレゼントだってさ。真壁司令に話は通したからとりあえず総士に渡しとけって」
「……承知しました。中身は後ほど確認させていただきます」
総士は怪訝な顔をしつつ、二人を先導して歩き始めた。
「二度手間となってしまい申し訳ありませんが、まずはアルヴィス内部経由で本島の宿……旅館に案内します。宿といっても食事は出せないので、食事はどこかで食べていただくか適宜出前という形になりますが」
「いいよ別に、てか旅館あるんだ」
「少し前に開業しました。ほとんどの客室は現在JUDAの研究チームの方々の長期滞在に使っているので、お二人は一番広い部屋を共同で使っていただく形になります」
「聞いている、構わん」
「研究チーム……そういえば何人か派遣してましたよね」
「ああ。今は全員帰省中だと聞いているが、五人派遣している」
三人は滑走路からアルヴィスの施設内部に降りて、入島手続きを済ませた後パーンツヴェックで本島の方へ向かう。
宿から最も近いというその出口は、市街地から少し離れた小さな木立の中に隠れるようにして存在していた。
地上に出ると、木と土と潮の香りが入り混じった風に鼻をくすぐられ、竜宮島に来たのだな、と病院の機械や都会のコンクリートに囲まれて育った山下は改めて実感する。
旧特務室メンバーの多くが竜宮島を気に入っており、今回のバカンスの行き先が竜宮島と聞いた時はたいそう羨ましがられたものだ。竜宮島と日本の行き来は往時よりやりやすくなったものの、島民以外が行き来するのはまだ少しハードルが高い。
十分ほど歩くと、宿は少し大きめの民家といった顔をして住宅エリアの高台に佇んでいた。
「入島手続き時に発行した客員証明カードがこの宿全体の鍵になります。僕はここで待っているので、客室の確認と荷物の整理をお願いします」
そう言って、総士が玄関扉横の壁を指差した。よく見ると非接触通信リーダーのマークが描いてある。森次がカードを翳すと、小さな電子音の後引き戸が自動で開いた。
宿に踏み入ると、受付カウンターと小さな談話スペースが目に飛び込んでくる。内装はこじんまりとした旅館といった風情だが受付は無人化されているらしく、自動チェックインマシンが置かれていた。
二人分のカードを翳すだけのチェックインを済ませ、指定された客室へと足を運ぶ。
畳敷きの広い客室の中心には小さなちゃぶ台が置かれ、逆さになった湯飲みや和菓子がお盆の上で客人を歓迎している。
「こうして見ると本当に普通の旅館っスね」
「……セキュリティや空調・水周りの設備は最新式のようだな」
「竜宮島らしいなァ」
お盆の隣には宿を利用する上での注意事項が書かれたリーフレットも置いてある。曰く、布団の用意は出来ないので自分でやってほしい、浴衣はどこの棚に入っている、冷蔵庫の中の飲み物は自由に飲んでいい、ゴミは館内の所定の位置に置いておけば回収される、設備に不具合が生じた際の連絡先。
二人で部屋の設備を軽く確認してから、森次が「少し待て」と大きなスーツケースを開いて少し皺の寄った紙袋を引っ張り出した。
中身の菓子折りを綺麗な紙袋に入れ替えてから、二人は客室を後にする。菓子折りの包み紙は石神前社長が贔屓にしていた和菓子屋のものだった。
宿の前では、変わらず総士が待っていた。
「待たせた」「お待たせー」
「お構いなく。それでは、改めてアルヴィスへ向かいます」
◆◆◆
アルヴィスに戻った彼らをミーティングルームで待っていたのは、アルヴィス総司令・真壁史彦だった。
挨拶と軽い近況報告の後、史彦が本題を切り出した。
「事前に連携させていただきました通りです。今回お話ししたいのは、ザルヴァートル・モデル、マークザイン及びマークニヒトの解体プランについても『そちら側』と協力出来ないかと」
「資料には目を通しました。技術者の追加派遣には協力させていただきますが……」
「やはり、ファフナーに対する理解がある方となると難しいですか」
「加藤機関にも籍を置いている牧かレイチェルの二択です。両方の派遣は難しいが、どちらか一人であれば現地派遣も可能と加藤司令が……」
話し合いは史彦と森次が主導で進んで行く。話が技術的側面に及ぶと総士が参加するが、やはりアルヴィス側の主導は史彦だ。
(やっぱ皆城の目的はこの話だけじゃないな)
出されたお茶を飲みつつ、山下は自分以外の面々の会話に耳を傾ける。
議事録は全てAIの自動書記が取っている。山下がたまに行うことと言えば、書記の明らかなミスを手で修正するくらいである。
(この後で本題が入ってくるのは桐山さんの話的に確定だけど、それを先に言わないのは相変わらずっつーか……森次さんもそういうトコあるしなあ)
UXに身を置いていた頃、いつだったかの道明寺の言葉を思い出す。
(『皆城と森次さんは似た者同士だから良くも悪くも波長が合ってる』って言ってたっけ……)
勿論、お互い自覚はないだろうだが。
一時間ほどの話し合いを経て、話がある程度固まった。
恐らくレイチェルを派遣することになるが未成年のため、加藤機関から保護者役を兼ねて牧以外の誰かをもう一名アルヴィスに出向させる……ということになるらしい。
それではこの後は牧・レイチェル両名の確認を取ってから……と、話がまとまったところで。
「JUDA社と森次社長には心より感謝しています。これまでも、今現在も」
史彦がそう言って深々と頭を下げた。
「石神前社長の代で築き上げた技術、研究成果……それらが不要に散逸することなく残されたことも、あなたがそれら全てを継承し、活用可能な状態を維持し続けていることも。それがどれほど子供達のためになっているか」
「その技術を生み出したのは、私ではありません。石神社長の代の、優秀な社員達による成果です。技術の保持も、私以上に尽力した者がいます」
森次は淡々とそう返す。どこか感謝されることを拒否しているように山下の目に映ったが、恐らく本気で己の手柄とは思っていないのだろう。
竜宮島派遣チームに最も適した人員の選定は石神が生前に行っていた、と山下は聞いている。そして森次の依頼で彼らを関連会社から大急ぎで呼び戻したのは前社長秘書の緒川である。
史彦もそれに気付いてか気付かずか、顔を上げると「技術だけではないのです」と首を横に振った。
「……遠見先生から聞いた話です。あなた方がいなければ、一騎の寿命はあと数年だったかもしれない。マークザインによって齎される同化現象は、それほどの物でした」
「…………」「えっ……」
森次が言葉を失い、何も言わないつもりでいた山下は思わず声を上げた。
「あなたからUXから引き続いてJUDA・アルヴィス間の技術提携の申し出があった時、驚きました。何せ子供達が島に帰ってくる前、当然まだJUDA社の再立ち上げも済んでいないであろう時でしたから。協力チームを早々に派遣いただき、共同での同化現象治療研究をあんなに早く再開できるとは思ってもいませんでした。お陰で非常に早いペースで研究成果を子供達の治療に活かせています」
「JUDA社の次期社長としてアルヴィスに直通回線を開いてほしい、と仰った時……」
黙って聞いていた総士が口を開いた。
「あなたがそうなるつもりであること自体、あの時は誰も知らなかったそうですね。桐山さんですらも」
JUDAを継ぐ、と森次が言い出した時のことを山下は思い出す。
UXの解散パーティを終えた翌日、竜宮島に帰るアルヴィスの面々を見送った直後だった。
当時の時点で旧特務室メンバーが加藤機関に身を置くことは決まっていた。そして加藤も森次に二番隊隊長を任せるつもりでいた。
既にキリヤマの社長を務めていた森次の仕事量が膨大になることは目に見えていたが、同時に山下だけでなく旧特務室メンバーがこう思ったのも事実なのだ。「JUDAに帰れる」、と。
そうしてその日のうちに加藤と森次の間でほんのひと言ふた言、「本気だな?」「無論です」と言葉が交わされ、森次はJUDA新社長に就任したのだった。
「……私は、私が為すべきコトをしたにすぎません」
「であれば、あなたの為すべきことによって、一騎をはじめとした子供達の未来は、我々がアーカディアンプロジェクトを発足した時に想定していたものよりずっと早く明るいものとなっているのです」
そう語る史彦は、アルヴィス総司令ではなく父親の顔をしていた。わが子の健康と成長を尊びその身に迫る脅威が退けられたことを喜ぶ、そんなどこにでもいる父親の顔だ。
「JUDA社を継ぐのがあなたであったことが、我々にとっての大きな救いとなった。全島民を代表して、改めて感謝申し上げます」
史彦が改めて頭を下げる。そして、総士もそれに続いた。
「僕からもお礼を言わせてください。……尽力に、心より感謝します」
◆◆◆
――僕は後から向かうので、お先に『楽園』に向かっていてください。
総士にそう言われてアルヴィスから出た二人は、海岸線沿いの道を歩いた。
「……JUDAを継ごうとは、石神社長が死んですぐに決めた。それどころでは無かったので、誰にも話していなかったが」
海の匂いを孕む風に吹かれながら、どこか独り言のように森次は語った。
「最初に話した相手が皆城なのはタイミングだ。同化治療にはスピードが必要だからな」
「まあ、それはそうなんで、ボクらにぎりぎりまで話してくれなかったのは今更何も言いませんよ。森次さんがJUDAを継いでくれたおかげで、ボクらは帰りたい場所に帰れてるんすから」
山下が言うと、森次は吐息のような小さな笑い声を漏らした。
「それがUXが解散して社員寮の自室に帰ってみれば、デスクの上に見覚えのないドライブが置いてある。中身を見たら、JUDA本社経営や全社システム再構築に必要なデータが一通り入っていて、その中に竜宮島派遣チームの人員候補リストが含まれていた。……まだ社長の掌で転がされているわけだ、私は」
森次は普段より少しだけ平静を欠いているように見えた。山下は思わず立ち止まり、森次のスーツの袖を握る。
「でも、JUDAを継ごうって決めたのは森次さん自身じゃないスか」
森次もまた、山下に袖を引かれて立ち止まる。
「そうでなきゃ真壁司令や皆城も言ってたくらいのスピードで動けないでしょ。森次さんがちゃんと自分で決めたから、一騎達の治療だって……!」
森次は、その言葉に微かに目を見開く。そして僅かに相貌を崩し、袖を掴まれている側の手を山下の頭に乗せた。
「……そうだな。社長に自分の死後は見えていなかった」
頭を撫でられて初めて、山下は自分が涙ぐんでいたことに気付いた。
「社長だって……そりゃ、森次さんに会社を継いでほしいとは思ってたかもしれないスけど。戦いが終わった後で森次さんが苦労しないようにとか……森次さんなら同化現象治療研究への協力を考えるだろうなとか……あったんじゃないスか、そういう親心みたいなのが……なんか……」
言葉はどんどん尻すぼみになっていく。森次が思いのほか長いこと頭を撫でてくるのだ。幼い頃から事あるごとに頭を撫でられてきたものの、この年になってからこうも長く撫でられるのは珍しいので山下は思わず声を挙げた。
「も、森次さん」
「ん……ああ、すまない」
森次は山下から手を離すと、すぐに視線を反らして歩き始めた。
やはり、今日の森次は少しだけ様子がおかしい。だがその理由はなんとなく分かっているし、だからこのバカンスに自分が同行しているのだろうと山下は思いながら森次の隣を歩く。
強制バカンスに山下の同行を求めた時の桐山の言葉を思い出す。『あいつの心を本当の意味で休ませることしか出来るのは多分君しかいない』、と。
部下として森次に信頼されているという自負はある。そして、ただの上司と部下としてだけ付き合うには、出会った時には若すぎた、あるいは幼すぎたくらいには付き合いが長い。
盲目的に尊敬するには欠点を知りすぎているが、それでも森次さんは世界一カッコいいと胸を張ることが出来る。
そんな森次を支えたいと思ってずっとやってきたのだから、森次にとって自分が少しだけでも弱みを見せられる相手になれているなら、それはきっと、喜ばしいことなのだ。
◆◆◆
森次が竜宮島本島の地図を頭に入れているお陰で、二人は迷うことなく喫茶『楽園』に到着した。
昼時を過ぎ始めていることもあり、店内は思いの外空いている。
森次が店のドアを開けると、「らっしゃーい!」と洒落た喫茶店に似合わぬ威勢のいい掛け声。アルヴィス戦闘部隊隊長の溝口だ。
「お、森次社長にUXの坊っちゃん。そうか今日からか」
溝口の声に、テーブルの上の食器を片付けていた真矢が顔を上げ、カウンターの中で鍋を見ていた一騎が振り向いた。
「森次さんに山下さん!お久しぶりです」
「二人とも、お久しぶりです」
「お久しぶりです溝口隊長。真壁と遠見も、変わりないようだな」
「皆さんお久しぶり〜元気そうじゃん」
最後に会ってから一年以上は経過しているためか、一騎も真矢も最後に会った時から少し背が伸びているように見える。
「こちらの席にどうぞー」
真矢に案内されたのは、壁際のボックス席だった。
「二人しかいないのにここでいいの?」
「大丈夫です。これから二人に会いたいって人たちが来るので」
「……?」
「とりあえず、注文いただきます」
「あ、えーっと……」
山下は森次にも見えるようメニューを卓上に広げる。ランチメニューのおすすめは一騎カレー、と書いてあるが……山下は森次を見た。
「森次さん、カレー苦手でしたよね」
「そうなんですか?」
「……辛みを感じないのでな。滅多に食べん」
「だったらこっちのあまあま甘口がおすすめです。辛さは全く無い、野菜をじっくり煮込んだカレーです。最初は美羽ちゃんにも食べられるように作ったんですけど、お姉ちゃんや近藤くん達にも好評だったのでメニュー化したんです」
「ふむ……ではその一騎カレーあまあま甘口のランチセット、アイスコーヒーで」
あまあま甘口、という可愛らしい単語が森次の口から発せられるギャップに若干くらくらしつつ、山下もメニューを指す。
「ボクは一騎カレー中辛のランチセットにアイスティーで」
「はーい。一騎カレーあまあま甘口ランチセットアイスコーヒー、一騎カレー中辛ランチセットアイスティーですね」
真矢が森次達のテーブルの注文を書き留め一騎に伝えたところで、また『楽園』のドアが開いた。
「こんちわー。そろそろ森次さん達来るって総士に聞いたんだけど……お、いたいた」
「お久しぶりです」
店の入口には剣司が、その隣には杖をついた咲良が立っていた。二人はそのまま空席に腰を下ろし、その後ろから続いてひょこりと芹が顔を出した。
「社長に山下さん、先月ぶりです……!」
芹は竜宮島出身だが、現在は東京都内のシズナやイズナと同じ高校に通学しながらレイチェルの勧めでJUDAでアルバイトをしている。
乙姫ちゃんが新しく生まれてくる時に少しでもお世話出来るようになりたいからその勉強も兼ねて、とのこと。
「おー芹。地元はどうだ?」
「お陰様で、ゆっくり過ごしてます……それとあの、森次社長」
「どうした」
「すみません、どうしても挨拶したいって言うからうちの親連れてきました……!」
「親?」
森次と山下が同時に聞き返したその時、空いたままの入り口から二人組の男女が店に入ってきた。
「あなたが森次社長ですね!娘から話は聞いています~」「いつも娘がお世話になっているようで……」「もう、お父さんお母さん……!」
森次は「島で見覚えのない若い男」という点であっという間に気付かれ、そしてあっという間に立上家に囲まれた。森次が立上家に捕まっている隙に、剣司と咲良の注文を取り終えた真矢が山下をつついた。
「……あの、山下さん」
「ん、何?」
山下が真矢の方を振り返ると、真矢は身を屈めて小声でこう尋ねてきた。
「森次さん、ちょっと疲れてます?」
「え?ああうん、基本的に働き詰めだから……」
真矢の観察力に内心舌を巻きながらも肯定すると、真矢は「そっか」と呟き、こう続けたのだった。
「……灯籠は明日から配るって里奈ちゃんが言ってたので、良かったら。鈴村神社です」
「……」
灯篭――その意味するところに気付いた山下が何か言う前に、溝口がカレーを持ってテーブルの前に現れた。
「ほれ、一騎カレーあまあま甘口と中辛に、セットのドリンクお待ち!」
「あっほら、お父さんもお母さんも!ご飯の邪魔になるから!」
真矢はすぐに一騎の方へと戻って行った。芹が立上夫妻を森次から引っ剥がし、森次と山下の前に大皿に乗ったカレーがドンと置かれる。
外見はごく普通の「家庭的なカレー」のように見える。
森次と山下は「いただきます」と手を合わせてから、スプーンでカレーを掬う。
「美味しい」
一口、口に運んだ山下は思わず声を上げた。ルーによくしみ込んだ肉と野菜の味をスパイスが引き立てており、小さくカットされた野菜や肉といった具材も柔らかく舌の上でほどけていく。
「一騎すげえじゃん」
「ありがとうございます」
「そういや二人は一騎カレー食べたことなかったんだっけ」
剣司が思い出したように言うと、手が空いたらしい一騎が厨房から出て来て会話の輪に加わった。
「ああ、俺がUXにいた間は厨房には立っていなかったし……未来の地球に皆が帰る時には振舞ったけど、森次さん達はいなかった」
「見送りに来てた道明寺くんはちゃっかり食べてたけどね」
「今更だけどなんか勿体ない気がするわよねえ、アスカさん達はここまで来てくれたけど、他の皆はずっと一騎といたのにこの味知らないの」
「刹那さん達なんてこれ食べないで外宇宙行っちまったしなあ」
「それは勿体ないなあ……美味しいのに」
「生きていればそのうち機会はあるさ」
子供たちが思い出話に花を咲かせ始める中、森次は淡々と(そしてスプーンを止めることなく)あまあま甘口一騎カレーを口に運んでいた。
一騎カレーを完食した森次と山下がデザートの一騎ケーキをセットドリンクとともに嗜み始めた頃、私服姿の総士がようやく店内に現れた。
「む……もう皆来ていたか。カノン達は……」
「カノン先輩達はお祭りの手伝いで、今日は難しいみたいです」
芹の言葉に「そうか」と総士は頷いた後、森次と山下の席へと向かってきた。そして二人のテーブルの前に立つと、小さな紙きれを森次に手渡した。
「森次社長、あなたにお会いしたいという人がいます。すぐに終わるそうなので、食事が終わったら山下さんも連れてこのポイントにお願いします」
「……?」
森次はメモを開くと、山下にも見せた。鉛筆で簡単な座標しか書かれていなかったが、それが以前にUXとアルヴィスが共通で使用していた座標コードであることはすぐに分かった。
「ここは確か……公園だったか」
「その通りです。とにかくここで待っているから、と」
確かにお渡ししました、と小さく会釈してから、総士はカウンター席のほうへと行ってしまった。
「いつもので大丈夫か?」「ああ、いつもので」と一騎と総士が言葉を交わすのを聞きつつ、山下は森次を見た。
「誰なんでしょうね?」
森次は少しだけ考えてから、口を開いた。
「……予想は出来なくもないが。会ってみないことには何も分からん」
二人は『楽園』での食事を終えると、総士に渡されたメモに書かれていたポイントへと向かう。
そこは森次が推測した通り、山間の小さな公園だった。ベンチにはポロシャツにジーパンを着て、顔にはサングラスを掛けた男が腰掛けている。そして男は森次達の姿を認めると、「やあ」と立ち上がった。
「『僕』ははじめましてになるから、こう挨拶させてもらうよ。はじめまして、森次隊長に山下隊員」
男はそう言って、サングラスをずらして人の良さそうな笑みを浮かべる目をのぞかせた。
その顔に大いに見覚えがあるので、山下は思わず「あーっ!」と声を上げた。
「推進派!」
「……この島に常駐している推進派か」
「その通り。ああ、山下隊員は僕がいるの知らないんだったっけ」
「加藤司令の方針で、加藤機関側でアナタの竜宮島常駐を知っているのは私と英治のみです」
「まあ、推進派がここにいても驚きはしないッスけど……ここ竜宮島だし」
桐山さん教えてくれば良かったのに、と内心思う山下だが、加藤司令の方針ということならば今回のように推進派が自分からコンタクトして来ない限りは知りようがない。
「うん、その通り。僕は地球連邦とこの島のブリッジ役ってトコロだ。この島の子供達が遺伝子操作されているっていう事実はあるし、大人達は大人達でこの島から出るのは健康面で難しい。だから僕が島に常駐した方が何かと、ね。バカンスは楽しんでるかい?」
「人並みには」
「その割に浮かない顔をしているようだけど」
「……何が言いたいので?」
「皆城くんから聞いたからさ。君達が一騎くんの件を聞いたって」
「……」
森次は何も言わない。推進派はそんな森次を見て、言葉を続けた。
「今更になって自分の輪郭が分からなくなっているから、感謝されたところでそれを受け取るべきは自分なのか分からない。違うかい?」
推進派がそれを指摘したことに山下は驚いた。
全く同じようなことを、出発前夜に桐山が言っていたのだ。桐山がそれを見抜くのは分かる。だが何故推進派が見抜いているのか。
「驚くようなことでもないよ」
山下の様子を見て、推進派は笑った。
「僕はこれでも知識と記憶を、城崎天児と過去存在したあるいは今存在している推進派の人数分だけ持っているからね。君のそれはありふれた……とはちょっと言えないが、まあ事実関係からの推論くらいは出来る。伊達に黒幕やってないからね」
恐ろしいことをさらりと言いながら、「で、」と推進派は森次を見た。
「僕はそれについてここであまり口を出す気はない。これは君が考えて、君が答えを出すべき問題だ。でも考え方のヒントを与えるくらいは出来る。加藤司令も君のコトは気にしているからね、だからここから先は僕のお節介と思って、聞き流してくれても構わない」
そして推進派は、静かに森次に問いかけた。
「君はどうしてJUDAを継ぎたいと思ったんだい、森次玲二?君にとってJUDAとは、石神邦生とは?しっかり考えてみるといい。そうするだけの時間の余裕が、今の君には与えられている。それに――」
推進派は今度は山下を見た。
「幸い、彼も同伴している。英治くんも分かっていて彼を同伴させているのだと思うけど」
全て見抜かれている――山下は推進派の観察眼に内心舌を巻いた。
何故山下が今回同伴するのか。それを桐山が山下に語ったのは、竜宮島行き前日の夜だった。
『自分の意思の所在が分からなくなることがある、って。あいつがさ』
君には話しておいた方がいいと思って言うよ、と前置きした上で、桐山は電話越しに山下にそう伝えたのだった。
『あいつ、基本的に自分のことは二の次だろう。自分以外の誰かのために生きてる。それがあいつにとっての正義だから』
桐山の見解は、違和感なく山下の腑に落ちた。そういった生き方をしている人だとは、長い付き合いの中でよく理解している。
『だからこそ、JUDAの社長業が少しだけ負担になって来ていると言うべきかな……自分の意思で決めてやっている筈のコトが、結局何か他の意思のようなものによって自分が動かされているだけじゃないかという感覚になるって。自分の意思で誰かのために身を尽くして生きるっていうあいつの在り方と、組織全体の最終意思決定を行うっていうポジションがあいつの中で嚙み合わなくなってしまっているんだと思う』
「えっと……」
桐山のその推理は一見飛躍していた。
だがこれが、そう考えている主体が森次玲二であること、そして彼のかつての上司が石神邦生前社長であるという前提を考慮すればあり得ない話ではないと山下は思う。
「森次さんは自分の意思でJUDAの社長をやっているハズなのに、JUDAそのものと石神前社長の存在が大きすぎて、それが本当に自分の意思なのか分からなくなってる、ってコトで合ってますか? それは結局自分の意思ではないんじゃないかって、思ってると」
『そういうコトになるかな』
「桐山さんは、そういう経験あるんですか?」
『あの頃の僕は父も顧みないワンマン社長だったから、言ってしまうと無いよ。だからほとんど、あいつから直接聞いた話からの推測』
苦笑いしながらも、桐山はこう続けた。
『玲二がああ考えてるのは、自分で決めるより他人の決定に身を委ねる方が、もしくは委ねてるってコトにした方がずっと楽だからだろうね』
「……結構厳しいコト言いますね」
『必要だったらあいつにも同じように言うさ。だけどあいつは石神前社長にしろ加藤司令にしろ、盲目的に従うようなコトは無かったし、これからもきっと無いだろ。僕が言いたいのはさ、あいつは自分に厳しすぎるから、結局自分は楽な方を選んでるだけだと錯覚してるんじゃないかって』
「自分に厳しすぎるがゆえの錯覚……っスか」
『山下くんは玲二について、自己認識がちょっと曖昧なトコロがあるって思ったことないかい?』
「自己認識……」
山下はしばし考え、
「部下に厳しいコト言う時たまに度を越えて怖いことに自覚がないってトコとか、ちょっと違うかもっスけど割れたマグカップの破片を掃除する時に手を切ったのに気付いてない時とか……?」
『ああうん、そういうの……二つ目の今もやってるんだ……』
「昔の話っスけど近いコトは今でも……」
『そっか……まあとにかく、あいつは時々自己認識が曖昧になるっていう自覚が一応あるから、自分の輪郭を確かなものにするため、必要以上に自分に厳しくしているところは正直ある。だけどその上で石神前社長への思いも強いから、自分の現状について正確に冷静に認識できずに錯覚を起こしてしまってるんだと思う』
「それで桐山さんが出した解決方法が、一度しっかり休ませる、ってコトですか」
『こういう時は一回素直に休んだ方がいいんだよ。竜宮島ならゆっくり出来るし、あいつの悩みを少しは軽く出来ると思ってる。皆城君が玲二と話したいっていうコトが、その鍵になってくれれば良いかな』
「てことは、仕事の話だけじゃないと」
『仕事の話ではあるけど、それだけじゃないね』
「へえ、皆城がねえ……」
少し意外ではあったが、現在JUDA・キリヤマの二社がアルヴィスと技術提携している事項のうち一つに同化治療研究が含まれることを思い出し、ならそういうこともあるかもしれないと納得した。
「でも、本当に同伴はボクでいいんスか? ボク一応あの人の部下っスよ。桐山さんかいっそ一人の方がちゃんと休めるんじゃ……」
『僕は玲二がいない間の加藤機関側の穴を埋めないと。それに僕は、あいつを一人にしたくない』
言葉尻に微かに慙愧の念を滲ませ、最後に『あとさ』と桐山はどこか諭すようにこう言ったのだった。
『あいつの心をちゃんと休ませることが出来るのは……多分、今は君だけなんだよ、山下君』
そう、そんなことがあったのだ。
まだ記憶も新鮮なその会話。
推進派に全てを見透かされているような薄気味悪さを覚えながらも、森次の状態に気付いている誰もが自分に何かを託そうとしているという事実に、山下は知らず知らずシャツの裾を握っていた。
「僕に言えるのはここまでだよ。後は自分自身で考えることだ。僕はアルヴィスに戻るから、君達はバカンスを楽しんでね」
推進派はそう言い残し、ひらひらと手を降って山奥へ消えていった。別れ際、山下に目配せしたのはきっと気の所為ではなかった。
「……山下」
推進派の姿が見えなくなった頃、森次に名を呼ばれ、山下は背筋を伸ばして森次を見た。森次は一つ深い息を吐き出してから、言った。
「英治の意図がようやく分かった。確かに、今の私にはお前が必要だ」
森次の言葉に喜びで思わず心臓が跳ねる。森次の部下としての自負は大いにあるが、こうして言葉で直接的に言われることは珍しかった。
「……手伝ってもらうぞ、山下」
その言いように、思わず山下は吹き出してしまった。
「手伝う、とかじゃないですよ。これはあくまでバカンスなんスから」
山下は、笑いながら森次の右手を取った。森次が僅かに目を見張るが、抵抗もなく、何も言ってこない。
「ボクはあくまで、ちょっと目を離したら仕事を始めてしまうあなたのお目付け役として来てます」
自分の手よりひと回り大きい、硬い大人の手。初めて会ったばかりの頃から、不器用に頭を撫でて安心させてくれた手。この手で不安を拭おうとしてくれるこの人も不安や恐怖を覚えるのだと気付いたのは、いったいいつのことだったか。
「だから森次さんは、いつも通りに思う存分ボクを可愛がってくれていいんスよ。対話で自分の輪郭が確かになるって言うなら、いくらでも話しましょうよ。そういう時間なら、今日から明々後日までたっぷりあります。それに、これまであなたとの対話を一番長くやってきたのは……少なくとも、部下の中ではボクだと思ってますから」
山下の言葉に、少しだけ森次の肩から力が抜けたように見えた。山下が笑うと、森次の目に宿る光はふっと柔らかくなった。
「……ああ、それは間違いないな」
◆◆◆
それから二人は、竜宮島を歩き回りながら、ぽつぽつと話をした。
最初はなんて事のない互いの昔話であったが、いつの間にか話題の中心は石神に移り、初めて石神に会った時のこと、特務室が正式に結成されてからのこと、特務室の人数が増えた頃のこと、特務室が解散してUXに正式に合流した時のこと、日常でされた些細ないたずら、貰ったもの、気が付けば思いつく限りの話をしていた。
空にオレンジ色が溶け込み始めた頃、海岸沿いの道で買い物袋を提げた一騎と鉢合わせた。
「森次さん山下さん、もう用は終わったんですか?」
「おう、終わったけど……一騎、あの人のこと知ってたわけ?」
「俺達は城崎のお父さんの顔は知っていますし、あの人も時々うちの店に来るので」
それからしばらく、家の方向へ向かう一騎と並んで世間話をしながら歩く。うちは今日ディナー営業やってないので、と夕飯に堂馬食堂を勧められた。
「そうだ。二人とも、衛や道生さんのお墓の場所知りませんよね」
一騎の家の近くだという坂まで差し掛かったころ、一騎がふと思い出したように呟いた。
「明日の朝早くか昼過ぎなら俺が案内出来ますけど、どうしますか?時間の都合が悪かったら、剣司にでも頼めば案内してくれると思いますけど」
「……そうだな、朝で頼む。問題ないか、山下?」
「問題ないッス」
「それじゃあ、朝の七時半に『楽園』にお願いします。朝ごはんを用意しておくので、食べてから行きましょう」
一騎と別れてから二人は堂馬食堂で夕食に味噌サバ定食を食べ――ここでも堂馬家からそれなりの歓待を受けた――、宿に戻った。
宿備え付けの風呂に入り、布団を敷いた頃の時刻はまだ夜の八時過ぎだった。
すっかり日は沈んで外は夜の帳が降りているが、山下からしても眠るにはまだ早い時間である。
「……そういえば、堂馬が竜宮島で放送するオリジナル番組を作ったらしいって言ってたな……」
布団の上で大の字になっていた山下はふと、数月か前に聞いた話を思い出した。
「……堂馬が?」
窓際の椅子に座って何か本を読んでいた森次が顔を上げた。
「あいつ早瀬軍団の集まりにたまに顔出すらしいんですけど……その時に言ってたって早瀬が……」
山下は起き上がり、旅館備え付けのテレビを付ける。
東京と比べるとチャンネル数は少ないが、基本的には日本で流れているものと同様のバラエティ番組やニュースが流れている。そしてあるチャンネルに切り替えた瞬間、明らかにそれまでの「テレビ局が作った」映像とは一線を画す映像が流れ始めた。
『このように軌道エレベーター及びオービタルリングは大規模な崩落から完全復旧、地球に住む我々の生活を支えるインフラとして現在も稼働し続けているわけですねえ!それでは実際どのような機能を果たしているのか……』
オービタルリングを下から撮影した写真……というフリー素材や図表を巧みに映しながら、よく聞き覚えのあるナレーションが軌道エレベーターの役割について説明している。だがその作りはテレビ局の作るもの程洗練されているわけではなく、あえて言うならば動画サイトに上がっている個人作の解説動画が近い。
しかし解説の精度はなかなか高いぞ、と山下は驚きながら番組を見続ける。森次も椅子から降りてテレビの前までやって来た。
『それではここで、オービタルリングにも詳しいAさんにお話を伺ってみましょう!』(やや不自然に編集でカットされたような音)『Aさん、よろしくお願いします!』
『ええと、よろしく、広登君。僕は少し前までオービタルリングに関わる仕事をしていて、現在は中東のほうで児童養護施設の運営に携わっています』
物は言いようだ。「オービタルリングに関わる仕事」が何を指すのかを察した森次と山下は顔を見合わせた。
オービタルリングにも詳しい人物・Aへのインタビューから、その功罪が広登なりの視点での考察を交えつつ語られていく。その視点はかなり公平なもので、山下は思わず唸りながら呟いた。
「広登のやつすげえな……ちゃんとアレルヤさんの連絡先握ってるんだ……」
「ベルジュ少尉を介した可能性はあるが……堂馬はいつからジャーナリスト志望になった?」
「うーん……歌手を諦めたとも聞いてないッスけど……」
先の堂馬食堂で、広登は今年の夏休みは日本をしっかり見たいので帰らないと宣言された、と堂馬一家からとても残念そうに告げられたことを思い出す。
「頑張ってるんだなあ、あいつ」
山下が呟くが、森次からの返答はない。真剣な目つきで番組を見ている。やがて番組が終わり、竜宮島のローカルニュースが流れ始める。だが森次はまだテレビから視線を外そうとはしなかった。
「……森次さん?」
山下が声を掛けると、森次が今気づいたというように振り向いた。また少しだけ、森次の肩に力が入っているように見える。
「ああ、すまない。どうした」
「ぼーっとしてましたよ」
「そうか、すまん」
「もう寝ます?」
「……そうだな」
森次は本をしまい、眠る前に水を一杯飲もうと冷蔵庫を開けた。
(思っていた以上の難題をボクは背負っているかもしれないぞ……)
と、山下は水を飲む森次の背中を見て思う。
自分の輪郭が分からない……推進派は、森次の状態をそう表現していた。そして桐山はそれを、石神の存在の大きさに加えて生まれつき痛覚がない事に起因していると考察していた。森次自身も、その自覚はある。
だが、それがこの三泊四日――少なくともそのうちの一日は既に消化されてしまった――で本当に解決出来るのか。
(ほんっと、桐山さんもボクにとんでもないコト任せてくれちゃって)
困った大人たちだよ、と思いながらも、不思議とそれがプレッシャーにはならなかった。
むしろ加藤機関への正式編入時、二番隊に来てほしいと森次から直々に言われた時を思い起こさせる、頼られることが嬉しいという思いすらあった。
(たくさん……たくさん話そう。ボクにだって、森次さんと話したいコトはたくさんあるんだから)
山下は布団に潜り込み、森次は「消すぞ」と告げてから部屋の電気を消した。
「おやすみなさい、森次さん」
「……ああ、お休み」
付き合いは長いけどこうやって同じ部屋で寝てお休みの挨拶をするのは初めてだな。山下はそんな事を思いながら目を閉じた。