BESIDE THE LIGHTHOUSE 2

「BESIDE THE LIGHTHOUSE1」の後編となります。大変お待たせしました。
前編未読だと意味が分からないと思うので前編から先にお読みください。
前編→BESIDE THE LIGHTHOUSE 1

滞在二日目

 竜宮島滞在二日目、朝六時を過ぎた頃。
 山下が目を覚ますと、既に森次は起床して着替えていた――特務室制服のスーツに。
「森次さん、それ以外の服持ってないんスか?」
 寝起きの頭で思わず突っ込むと、森次が読んでいた本から顔を上げて心外と言わんばかりの目を向けてきた。
「そもそも出張だと言ってきたのはお前達だが」
「それはそうスけど……」
 尤も、それなりの長さの付き合いの中で森次が特務室制服以外の服を着ている場面などほとんど見たことがない。私服推奨と言われた場面でもこの人は制服を着ているのだ。
 とは言えよく見ればネクタイは締めていないしジャケットもハンガーに吊るしたまま。これから休暇という意識は一応あるようだ。
「一応聞いとけって桐山さんに言われてるんで聞きますケド。何時に起きました?」
「そう早くはない。せいぜい五時を過ぎた頃だ」
 早くはある。早瀬あたりが聞いたらドン引きしそうだな、と思いながらも、消灯が夜九時というあまりにも健康的な時間であることを鑑みて山下は頷いた。
「ちゃんと寝れているならヨシです」
 それから山下も身支度を整え(当然ながら私服である)、布団を畳み、七時を過ぎた頃に二人は連れ立って宿を出た。
 宿から『楽園』は歩いて十五分ほど掛かる。その間、朝から元気に道を走っている島の子供たちとすれ違った。
「朝早くから元気だなあ……」
 山下が呟くと、森次は「そうだな」と相槌を打ち、こう続けた。
「皆城から聞いたことがある。竜宮島の子供達は積極的に体を動かし身体能力を鍛えるよう無意識下に教育されており、現状その極致にいるのが真壁一騎だと」
「そういう話じゃないんスよね……」
 刷り込み教育の成果はあるのかもしれないが、それにしたって「元気な子供」であれば竜宮島出身でなかろうと朝七時台から走り回る気力は持っているものなのではないか、と幼い頃ろくに走ることも出来なかった山下は思うのだ。
 『楽園』に到着してみれば、既に一騎がテーブルの上に二人分の朝食を並べていた。白ご飯に味噌汁、焼鮭に小松菜のおひたしと和の朝食である。一騎が自宅で朝食として多めに作ったものを持ってきたらしい。「お代はあとでまとめてJUDAに請求するので」、と爽やかな笑顔で一騎は言う。
 和やかな朝食を終えると、三人は『楽園』から墓地に向けて出発した。
 竜宮島の墓地は、海を臨む高台の坂に沿うようにして階段状に設置されていた。
 春日井甲洋の墓は建てていないらしい。いつか帰って来る気がする、という、子供達の根拠のない確信を大人達が信じているのだという。
 日野家之墓、小楯家之墓と刻まれた墓にそれぞれ手を合わせ、ぽつぽつと思い出話をする。
 日野道生は年齢の近い日本人ということでよく森次に話しかけているところを山下は見ていたし、山下は山下で休憩時間に小楯衛も含めた何人かでよくアニメを見ていた。そんな思い出を三人で懐かしむ。そこに悲愴感はなく、ただ温かな時間への懐古と少しの寂しさがあった。
 そうして二人の墓参りを終えた時、一騎が切り出した。
「良かったら、翔子の墓にも手を合わせてやってくれませんか」
「翔子?」
 どこかで聞いたことのあるような名前に山下が聞き返す。森次はすぐに気が付いたようだった。
「マークゼクスのパイロットか」
「あ、春日井が言ってた……」
 山下もそれで合点がいった。羽佐間翔子。失われたファフナー・マークゼクスのパイロットであり、竜宮島を守るためにフェストゥムと共に消えた……ということだけ聞いている。
「はい。道明寺が劉備さん達の見送りで島に来た時、手を合わせてくれたんです。案外前の世界で会ってるかもしれないし、って」
「へえ、道明寺らしいじゃん」
「……我々も道明寺に倣うとしよう」
 そうして、羽佐間家之墓と刻まれた墓に手を合わせる。この羽佐間翔子という少女が実際どのような人物なのか、直接に顔を合わせたことがあるわけではないので山下も森次も知らない。だが、こうして死者に対して敬意を表することで彼女──彼女だけでなく日野道生や小楯衛も──の存在はこの島に刻まれ続けるのだろう。それに、前の世界で会っているかもしれない、という道明寺の発想はなかなか素敵だと山下は思った。
 墓参りを終えると、一騎は店の準備があるからと帰って行った。
 山下は「で、」と森次を見上げる。
「この後、何かしたいコトあったりします?」
「いいや、特にないな」
 森次の返答に、まあそりゃそうかと思いながら提案を挙げてみる。
「遠見から昨日聞いたんですケド。お祭りの灯篭、今日から鈴村神社で配るらしいです」
「……そうか」
 山下の言葉に応える森次の声は、いつもより少しだけ硬かった。
 鈴村神社に足を運んでみると、境内でお祭りの準備をしている大人たちに交じって子供たちが何か書類を手に話していたり設置されているテントで受付のようなものをやっているのが見て取れた。
「森次室長、それにサトル!」
 森次と山下に真っ先に気付いたのは、畳まれた状態の提灯の山を前に大人と何か話し合っていた羽佐間カノンだった。カノンは話していた大人に軽く断りを入れてから、二人の元へ走って来た。足元には犬のショコラも付いて来ている。一騎達もそうだったが、カノンも最後に会った時と比べると少し大人びて来たように見える。
「島には着いていると聞いていたが、もう来たのか」
「ああ、昨日の便で。変わりないようだな」
「久しぶり~カノン。ショコラも元気か? 忙しい時に来ちゃったな」
「気にしなくていい、この時期に来るのは二度目だろう。それに二人は、島にとって大事な友人だからな」
「灯篭を貰いに来たのだが」
「灯篭なら、あちらのテントで里奈と暉が材料を配っている。筆や墨汁はその隣のテントだ。すまない、私は手伝いがあるのでこれで」
 カノンはすぐに準備の手伝いに戻ってしまった。
 山下と森次は、カノンが指した方向にある灯篭のテントへと足を向ける。
「よーっす」「久しぶりだな、二人とも」
「はい……って、森次さん!?」
「あ、森次さんに山下さん、お久しぶりで~す」
 まず受付に座っていた暉がぎょっとしたように跳ね上がる。それから、テントの奥で灯篭の材料をセットにまとめていた里奈が立ち上がって挨拶を返した。
 山下達が最後に会った時の里奈は長い髪を三つ編みにしていたが、今やその長い髪をばっさり切ってショートカットにしていた。暉が童顔で小柄なこともあってか、二人とも成長してるのに遠目に見ると益々そっくりだな、と密かに山下は思う。
「灯篭貰いに来たんですか?」
「二つ貰えるか」
「!? は、はい!」
 森次の申し出に、暉は一瞬びくりと肩を震わせたが、慌てて里奈から受け取った灯籠の材料を二セット分差し出した。
「えっと、組み立ては大丈夫ですか?」
「以前来た時に」
「……そう、ですか」
 森次は少し決まりの悪い顔をしている暉のことは意に介せず、受け取った材料を手にくるりと踵を返した。山下は暉と里奈に手を振り、森次の後を付いていく。
「あんたまだ森次さんのこと怖がってんの?」
 一連のやり取りを見ていた里奈が呆れながら暉に声を掛けると、暉は少しだけむくれた顔をした。
「別にそんなんじゃないって。気配もなく急に来たからびっくりしただけだ」
「ホントにぃ?」
「ホントだって」
 言い合いのような二人の遣り取りを聴き留め、山下は横目で森次を見た。
「森次さんが暉のこと脅かしたのトラウマになっちゃってるじゃないすか」
「……? 脅かしたつもりなどないが」
「も〜、矢島の存在にもっと感謝したほうが良いっすよ」
 それから隣のテントで筆と墨汁を含めたいわゆる書道セットを借りて、宿に戻る。客室の前には、替えのタオルやアメニティがバスケットに入って置かれていた。
 ちゃぶ台の上に書道セットと一緒に貰った新聞紙を敷いて、下敷き、文鎮、硯をセッティングしていく。
「……書道セット、久々に見たなあ」
 山下が呟くと、森次も小さく肩を竦めた。
「私も、以前にここで灯篭を作った時以来だ」
 以前この島に来た時、森次はほとんど誰にも言うことなく、姉の灯篭を流していた。
 その時の記憶が新鮮にあるようで、森次は教科書通りの作法で筆を執る。そして半紙に『森次百合子』、と。丁寧に己の姉の名前を書き記して筆を置いた。
「お姉さんって、どんな人だったんですか?」
「……私にとっては親でもあった」
 森次には家族だけでなく親戚の類もいない、ということは長年の付き合いで山下も察している。天涯孤独と言って差し支えないのだろうが、本人がそれを気にしているのも見たことがない。
 だが思い出を語る森次は、半紙に書かれた姉の名前越しにどこか遠くを見るような目をしていた。
「よく叱られたのを覚えている」
「叱られた……ってコトは、昔の森次さんって結構やんちゃだったんスか?」
 意外に思って訪ねると、森次は小さく息を吐くように笑った。
「事あるごとに警察の厄介になるようなクソガキだった」
 思いがけない強い言葉に山下が驚いていると、森次は半紙を両手で手に取り、新聞紙の上に退けた。
「それでも見捨てずにいてくれた。そういう人だった」
「大事だったんスね、森次さんのこと」
「……そうかもしれないな」
 それから森次は、もう一枚の真新しい半紙を目の前に広げた。そうしてまた筆を手に取るが、白い半紙を前にそのまま動きを止める。
「……森次さん?」
 しばらく森次は動かなかった。山下に名を呼ばれ、止まっていた時間が動いたかのように森次は顔を上げる。そして筆を置いた。
「お前に書かせることも考えたが、それはお前達が望むところではない。そうだな?」
 唐突な問い掛けだったが、その意図するところはすぐに山下に伝わった。
「そうですね」
 森次の横顔を真っすぐに見て、山下は答える。
「少なくともボクは、森次さんがそこに石神社長の名前を書くべきだと思ってます」
「……そうか。そうだろうな」
 どこか自分に言い聞かせるように呟いた後、森次は立ち上がると客室の入口へと足を向けた。
「山下、少し付き合え」
 その言葉に山下は慌てて立ち上がると、森次の後を追いかける。
 宿を出た森次は迷うことなく島の中を歩いていき、やがて辿り着いたのは眼下に海を見下ろす小さな崖であった。崖と言っても高低差は五メートル程度。カノン達が作ったガイドブックには「島の子供たちに大人気の飛び込みスポット」と書かれていたような気がする。
 ……飛び込みスポット?
「山下、これを頼む」
「えっ」
 森次が差し出してきたのは、森次が先まで掛けていた眼鏡だった。
 慌てて両手で受け取った山下は、そのまま森次が崖の先端に向けて走り出すのを留める暇もなかった。
「えええ!?」
 森次が宙に身を躍らせ、その姿が視界から消える。山下が慌てて崖の端に走り寄ると、海面に小さな水しぶきが立ったのが見えた。
 山下は慌てて崖の下からほど近い浜辺へと走る。
 森次はしばらく浮上してこなかったが、やがて二十メートルほど沖の方で呼吸のために顔を上げたのが見えた。そのまま水しぶきをほとんど立てることなく更に泳ぎ続ける。
「ええ~……」
 突然の奇行に言葉も出ない山下であったが、ふと眼鏡のレンズ越しに海を泳ぐ森次を見る。森次の眼鏡に度は入っていないので、像が歪むこともなくただ視界に一枚透明な板が挟まるだけだ。
 ものの一分も経たずに森次は沖からUターンして山下のいる浜辺まで泳いで戻ってきた。全身ずぶ濡れでこちらに歩いてくる憧れの人を見て、山下はどっと疲れを覚えた。
「なんなんですか急に……」
 森次は全身から水を滴らせながら飄々と答える。
「そういえばしばらく泳いでいなかったなと思い出した」
「だからってそのまま海に飛び込みますかフツー!? どうやって帰る気なんすかここから!!」
「…………」
「ノープラン!?」
 森次は黙り込んでいる。流石の山下でも呆れ果てた。
「なんっで手ぶらのボクを連れて来たんスかタオルとか持たせれば良かったじゃないですか!」
「ふむ、言われてみるとその通りだな」
 どうやら本当に衝動的な行動だったらしい。しかしその表情は全身ずぶ濡れながら晴れやかなものだ。それを見た山下は何か小言を言う気も無くなってしまった。
「タオルなら今持って来ますけど、着替えあります……?」
「スーツは一セットの予備を、その他の着替えは三泊分余計に持って来ている」
「準備がいいなァ……」
 山下は呆れつつ、「これまだボクが持ってます?」と森次に眼鏡を見せる。まだ持っていろ、と森次が言うので山下はそれをシャツの胸ポケットにしまった。
「じゃあ今からタオル持って来るので、そこで大人しくしててくださいよ!」
 山下は走って宿に戻り、バスケットの中からバスタオルとフェイスタオルを一枚ずつ引っ掴んですぐ海岸に戻った。ファクターの足なら走って往復十分程度だ。
「ほら、タオル持ってきましたよー」
 岩に腰かけて水平線を眺めていた森次の頭から広げたバスタオルを掛けると、そのままガシガシと容赦なく髪を拭く。
 特務室の制服として作られたスーツはワイシャツも含めてセットで何十万とする特注品である。そんな値段になった最大の理由は特務室の過酷な任務及びファクター達のあまりにも高い身体能力に耐えられるよう特殊素材を用いて実現されたその機能性にある、という話だ。それでもこうして海中にいきなり飛び込まれたらファクターごとずぶ濡れになるのは当たり前なんだよな、と山下は森次の髪を拭きながら思う。
「何やってるんですかあ?」
 服越しではあるが体の方も拭いていると(これは流石に自分でやる、と森次が主張するのでタオルを渡した)、道路の方から聞き覚えの声がした。自転車に乗った真矢がこちらを見ていた。真矢は道端に自転車を留めて、海岸まで降りて来た。
「あー……水遊び?」
「水遊び……?」
 山下の回答に、真矢は怪訝そうな顔をする。まずは全身ずぶ濡れでタオルに包まれている森次を、それから全く濡れていない山下を順に見て、最後に何か得心したかのようにくすりと笑った。
「体動かしたらすっきりしますもんね」
「そうかもしれんな」
 生乾きの髪を風に揺らしながら森次が薄く笑った。なまじ顔立ちが整っているのでつい見惚れそうになるが、この人は今さっき無計画の飛び込みと海水浴を強行したばかりなんだぞ、と山下は慌てて気を引き締める。
「ほら森次さん、そろそろ宿帰って着替えますよ」
「あっ、流し場があっちにあるので、砂流したかったらどうぞ」
「……少し待っていろ」
 森次は岩から立ち上がると、真矢が指さした方へと歩いて行ってしまった。
「森次さん、昨日より元気そう」
「ん……まあね、ちょっとはすっきりしたみたい」
 困った人だよ、と苦笑していると、真矢はそんな山下を見てまた小さく笑った。
「UXにいた頃から思ってたんですけど山下さん、森次さんの部下っていうより家族みたい」
「ふぇっ」
 突拍子もない真矢の言葉に、声が裏返る。
「上司と部下なんだけど、お仕事じゃなくてもずっと一緒にいるのが昔から当たり前なんだろうなって……だから家族。そうでなきゃこんなめちゃくちゃなことしないですよ」
 そんなことないよ、と、流し場で靴の砂を流している森次を視界に捉えながら反射的に言いかけて。山下は言葉を飲み込んだ。
 共に過ごした時間はそう長くないが、この遠見真矢という少女の観察眼の鋭さが群を抜いていることはよく知っている。その彼女に家族と言われたこと、今ここに自分がいる理由、それらを思った時、山下の中で腑に落ちるものがあったのだ。
「……そうなのかも。森次さんがどう思ってるかは分かんないケドね」
「森次さんにとってもそうだと思いますよ」
「だといいなあ」
 森次からしてみれば血の繋がった家族がこの世に残っていないのだ。山下自らおいそれと森次の家族を自認出来たものではない。
 それでも、一緒にいて当たり前の存在を家族と呼ぶならば、それなりの年月を特務室で森次と共に過ごした山下にとっては違和感が無かった。
 靴の砂を流し終えた森次が戻ってきたので、真矢は踵を返した。
「それじゃあたしはこれで。今日の夜は『楽園』開いてるので、良かったら来てくださいね」
 真矢は手を振り、自転車に乗って風のように走り去ってしまった。
 山下と森次は宿に戻る。
 ちゃぶ台の上は宿を出た時のままに書道セットが広げてあり、半紙は真っ白だ。
 森次はシャワーを浴びるために着替えを持って脱衣所へ向かい、山下は畳の上で大の字になって天井を眺めた。自分達以外に誰も泊まっていないという宿の建物はひどく静かで、バスルームからシャワーの音が微かに聞こえてくる。次第に意識に眠気が霞のように掛かり始め、まぶたが重くなってきた。逆らうのも何だか億劫で逆らわずにまぶたを下ろし……
「山下」
 自分を呼ぶ声に意識はひと息に浮上した。
 乾いた服に着替えて髪も乾かし終えた森次が山下の顔を覗き込んでいた。
「あれ……寝ちゃってました?」
「せいぜい十分かそこらだ」
 森次はちゃぶ台の前に正座し、山下は目をこすりながら体を起こした。
「名前、書けそうッスか?」
 そう尋ねると、森次は「ああ……」と答えながらも、筆先の墨汁がすっかり乾いてしまっている筆を掲げて見せた。
「……筆を洗ってから出てくるべきだったな」
「あ、乾いちゃったか……」
 何とも間の悪い。
 結局その日は一つだけ灯籠を組み立て、石神の分は明日改めて作ることになった。筆は洗って、窓際で乾かしておく。
 いやはや締まらない、とその日の夕食を『楽園』で摂りながら森次は珍しくぼやいたのだった。