滞在最終日、帰京、閑話
「少し、お話よろしいですか」
それは夏祭りの最中のこと。すれ違った総士がそんな言葉と共に二人を人通りの少ない参道の隅の方へと誘い出した。
「明日の出発前に、お二人に見ていただきたいものがあります」
総士の表情はいつものように真剣そのものであったが、同時にどこか柔らかい雰囲気も纏っているように山下には見えた。少し浮かれている……とも形容できる。
そうして森次と山下は、正午過ぎを予定する本土への出発より少しばかり早い時間にアルヴィスへと入ることになった。
アルヴィスで待っていた総士に案内されたのは、滑走路からほど近くの倉庫であった。
「加藤司令からいただいた物の中身を確認しました。目録は事前に真壁司令に送られていたらしく……」
総士がキーロックを操作すると、倉庫の扉が厳かな音を立てながらゆっくりと開いた。同時に倉庫内部の照明が一斉に灯る。
扉から一番近いコンテナのドアが開いていた。このコンテナが一緒に島に運ばれてきた荷物なのだろう、色に見覚えがある。総士に促されるまま森次と山下がコンテナの中身を覗き込むと、金属製の直方体が並んでいた。その形にどことなく見覚えがあり、山下はしばし考えてから「あっ」と声を上げた。
「本棚?」
「はい。図書館の足しになればに、と、この島に無い書籍を大量に寄贈いただきました」
総士は目の端を緩めながら、手にしていたライトでコンテナの中を照らした。コンテナの中には、図書館で見るような書架が凡そ十近く並んでいる。
「目録を確認したところ、非常に幅広いジャンルが取り揃えられていました」
総士は懐から小さな端末を取り出すと、その画面を森次と山下に見せた。それは加藤から竜宮島に宛てた寄贈品の目録であった。
「加藤司令には既に通信でお礼を伝えていますが、持って来てくださった貴方がたにも伝えなければと」
加藤からすれば森次の竜宮島行きに便乗したような形なのだろう、と山下は勝手に想像する。加藤もこの島のことはそれなりに気に入っていたようだった。こうする機会を伺っていたのかもしれない。
「用意したのは司令だ、少なくとも私は何も関与していない」
「司令からしたら渡りに船ではあったのかもね……てか、皆城が昨日浮かれてたのってもしかしてコレ?」
揶揄うように尋ねてみる。総士が同年代の子供達と比べて読書を好む姿はよく見ていた。しかし山下にそれを言われた総士は怪訝そうに眉をひそめた。
「確かに僕が目録を確認したのは昨日ですが……浮かれてなどいません」
「あー……無自覚か……」
こういうところも森次さんと皆城ちょっと似てるよなあ、と改めて思う山下だった。勿論、本人達の前では口が裂けても言えないのだが。そこにこれ以上触れるのも野暮だろうと山下は話題を転換した。
「でも、プレゼントが本かあ……ウチの司令っぽいな」
「僕らが加藤司令と過ごしたのは短い時間でしたが……この島のことを考えてくださったからこそのものだと、選書から理解しました」
「あれで優しいからね、あの人」
「ええ。加藤司令だけではない、加藤機関やJUDAの方々には常々良くしていただいている。この恩はいずれお返ししたいと考えています、まだ時間は掛かると思いますが……」
「……であれば」
ぽつり、と。山下と総士の会話を黙って聞いていた森次が呟くように口を開いた。
「成人式の写真でも送れば、喜ぶだろう」
その言葉に虚を突かれたように総士が目を見開く。だがすぐに「分かりました」と相貌を崩した。
「僕らが成人式を迎える暁には、そうさせていただきます」
そうして、倉庫を後にする。
帰りの飛行機──と言っても行きで乗って来た輸送機だが──に乗ろうと滑走路に出ると、アルヴィスの制服を着た子供達が立っていた。子供達に見送られ、二人は飛行機に乗り込む。
飛行機の窓の外が太平洋の海原ばかりになった頃、山下は森次に尋ねた。
「あの成人式の写真って、森次さんも見たいってコトっスよね?」
眼下に広がる海原を見ていた森次はちらりと山下を見て、すぐに窓の外へ視線を戻した。
「短い期間ではあるが、彼らを預かっていたからな」
「じゃ、僕は猶更成人式の写真森次さんに送らなきゃっスね」
「……わざわざ写真も見せたいのならそうしろ」
森次の口ぶりは少し呆れたようだったが、山下は意に介さず「それじゃ、絶対送りますね」と満面の笑顔で答えた。
◆◆◆
空港で森次と山下を出迎えたのは、菅原マサキであった。
群衆に溶け込むカジュアルスーツに身を包んでいるマサキは森次の顔を一目見て、「そうか」と口角を上げて頷いた。
「少しは頭が冷えたようだな」
「お陰様で」
森次の返答にマサキは「ならば良い」と頷いて、すぐに踵を返した。二人はその後に続く。
車に乗ってしまえば、空港からJUDA本社──実質的な加藤機関の地上拠点までは三十分と掛からない。駐車場に停めてあったマサキの車の後部座席に乗り込むと、「ああそうだ」とマサキはダッシュボードを開けて茶封筒を取り出したかと思うと、運転席から振り向いてそれを山下に手渡した。
「加藤司令からだ。山下は明日から四日間休暇を取れと」
「はあ?!」
山下が慌てて封筒の中身を確認すると、そこには折りたたまれたA4の紙が一枚。「辞令」という見出しと共に、山下に明日の日付から丸四日間の休暇を命じる旨が書き記されていた。
「何スかコレ?!」
「お前が森次について行っていた間も職務扱いで時給は発生しているんだ、自分からの志願だったとは言え盆の期間に未成年を拘束していたようなものだろう。一般企業で言う代休か振替休日だと思って受け取っておけ」
「拘束なんてされてないスけどボク!」
マサキは騒ぐ山下も意に介せず、車を発進させる。
「文句なら隣の男に言うんだな」
「えっ」
山下が隣の森次を見ると、森次は山下にちらりと視線をやってから「そうだ」と頷いた。
「昨日の夜にお前の休暇を司令に申請したのだが、受理が早いので正直驚いている」
「な、なんでボクに休暇なんて」
「……私としても思うところはあったからな」
森次は窓の外に視線をやりながら、淡々と答えた。
「……たとえお前と私の双方が望んでいたとしても、大人であり上司である私がこれ以上の長い期間は自分の都合でお前を拘束しておけなかった。私には、お前と同じだけの休暇を与えることでしか報いることが出来ない。お前が受理してくれなければ困るのだが。少しは羽を伸ばしておけ」
「も、森次さん……」
そこまで僕のことを考えてくれたなんて!と、山下は感激に潤んだ目を森次に向ける。森次は薄く微笑むと、いつもそうしているように山下の頭を撫でた。
そんな後部座席のやり取りを聞いていたマサキがアクセルを踏みながら溜息を一つ吐き出したのだが、それはカーラジオから流れるニュースに掻き消され、後部座席には届かなかった。
◆◆◆
森次と山下を社員寮で降ろし、マサキはそのまま東京湾沿岸に停泊しているシャングリラへと足を向けた。
「森次と山下を送り届けて参りました」
マサキの報告に、艦橋の艦長席に座ってタブレットに目を向けていた加藤は顔を上げると「ご苦労」と口の端を上げた。
「少しは分かったか、私があの二人を休ませようと思っていた理由が」
「そうですね、日頃ほとんどストレスを顔に出さない割にガス抜き後は随分顔つきが変わる辺り似た者同士であるなと」
マサキの返答にハハ、と加藤は声を上げて笑った。
「よく見ているじゃないか」
「手が掛かる奴らだと」
外見こそ森次とそう変わらないが、見た目に反して相当な年月を生きているマサキは中島宗美を除く旧JUDA特務室の面々をまだ子供のようなものだと思っている節がある。マサキを幼い頃から知る加藤はそれを少しだけ愉快に思いつつ、マサキの感想に頷く。
「そうだな、山下はストレスコントロールが上手いのでまだ良い。森次は耐久値が高すぎてそもそもストレスの類に全く気付かない恐れがあるので、山下や桐山が適度に面倒を見てやらねばならない。二人とも石神の教え子達の中では優等生だが、それでも若くはあるからな」
「……そうですね、山下はともかく森次は老成しているのでそれを失念していました」
「さて、森次の方は私にはまだ年齢相応の青年に見えるが。老成しているのはむしろ山下の方だよ」
加藤はどこかしみじみと呟いてから、指先でタブレットを叩いた。
「あいつらに持たせた荷物はちゃんと竜宮島に届いたようだ、竜宮島から連絡が来た。お前にも準備で面倒を掛けたな」
「いえ、面倒とは」
「楽しかったか?」
「は……」
加藤の質問に虚を突かれたのか、マサキは口を小さく開いて固まる。しかしすぐに表情を和らげた。
「そうですね、思いの外。しかしどうせ荷物を持たせるのですから、森次にさせてやれば良かったのでは? とは」
「そこはなんだ、適材適所というやつさ……まあ森次にやらせたいとは考えたが、桐山に反対されてな。気持ちは分かるがいよいよ寝なくなる、と」
「……桐山も随分過保護ですね」
「だから手が掛かるんだよ、森次は。今回のバカンスで少しマシになればいいが……まあ、詳しいことは本人達に聞いてみるさ。お前ももう下がって良い」
加藤の言葉に、マサキは一礼してブリッジから立ち去った。
加藤はまたタブレットに視線を落としたが、自分に宛てたメッセージが届いている事に気付く。差出人は想像通りだったので、面会を申し入れるそのメッセージにすぐに承諾の返事をする。
それからおよそ三十分後、艦橋のドアが開いた。
「失礼します」
「ああ、お帰り」
艦橋に入って来たのは森次であった。つい先ほどまで休暇の真っ只中であったことなど微塵も匂わせず、全身きっちりとスーツを着込んでいる。 今日までは休暇扱いなのだから明日でも良いだろうに、帰って来て早々に挨拶だけしに来るというのは律儀と言うべきか。
「どうだった、バカンスは」
マサキの言った通りに森次の顔色は随分健康的なものに見えた。加藤は満足げに頷きながらも一応尋ねる。
「お陰様で、健康的な生活というものを思い出しました」
淡々とした森次の答えに加藤はにやりと唇の端を上げた。
「であれば良かった」
「忘れぬよう努めます」
「頼むぞ、お前が不調だと他の連中のパフォーマンスにも支障が出る。これを機に休むことを覚えろ」
「……そうですね。この度は休む機会をいただき感謝しています」
頭を下げる森次に、加藤はひらひらと手を振った。
「言い出したのは桐山だ、後で桐山にも礼を言いに行って来い」
「そのつもりです」
「それで、お前の悩みは解消されたか?」
「……」
加藤の言葉に、森次は小さく黙り込む。自分の抱える悩みが見透かされているとまでは思っていなかったのかもしれない。加藤としても山下達から直接森次が抱えているそれについて何か聞いたわけではない。ただ日頃の森次や山下達の様子を見たことで、何か森次には重大な悩みがあってしかもそれは石神絡みなのだろうと想像しただけだ。加藤は何も言わずに森次の言葉を待った。
やがて森次はゆっくりと口を開く。
「完全に解消された、と言い難くはありますが、私の中の指針は定まりました。今後も向き合い続けるしかないと考えています。……そうするだけの機会と期待をあの二人から与えられた以上、応えるつもりです」
「そうか。友人は大事にしろよ」
「そのつもりです」
その言葉には確かな芯が通っていて、表情も随分晴れやかだった。道明寺の言う憑き物が落ちた、とはこういう顔のことを言うのだろう……と加藤は頷く。
この少しだけ手の掛かる男にとって既に亡き石神の存在が如何に大きいか。生者である自分は石神の後継者としてどのように石神と向き合うべきか。そして、傍で支える山下と桐山の存在がどれほど重要か。それらを明確に自覚したのだろうと加藤は想像する。
「いい顔になったな」
加藤の言葉に森次は不思議そうにゆっくりと目を瞬かせた。
「……菅原さんと同じようなことを言いますね」
「桐山だって似たようなことを言うだろうさ」
今のお前を見れば石神も安心するだろう、とは心の内に留めておくことにした。この件についてこれ以上私から話すことはない、と加藤は会話を切り上げる。
「もうお前も私への用事は済んだだろう、今日いっぱいは休暇扱いなのだから荷解きを終えたら休んでおけ。まだ日は沈んでいないぞ」
「そうさせていただきます」
森次は一礼して、艦橋を立ち去った。
艦橋のセキュリティロックが閉まったことを確認して、加藤は一つ息をつく。そして、心底愉快そうにこう呟いたのだった。
「お前の後継者は立派にやっているよ、石神」