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とある深夜のキッチンにて

FRIENDが転生して雨竜に引き取られてるパロです。
この話と同じ設定なので、よろしければそちらを先にお読みください。

◆◆◆

 深夜十一時、眠れない夜。
 保護者と言うべきか、養父と言うべきか。とにかく『今』の自分を引き取って養育している人間の方針で、普段は夜の九時にはベッドに入る。
 『前』の自分であれば二十四時間動き続けることも出来たであろうが、『今』の自分は肉体も精神も九歳の子供であり、そしてそんな自分を受け入れなければとうに精神は崩壊しているので、とにかく彼は自身のそんな状態を受け入れて生活していた。
 しかしそれでも、生まれついて持っている『前』の記憶が『今』に与える影響は大きく、『前』の記憶に苛まれて今日のような眠ろうとしても眠れない夜というものが度々訪れる。
 明日も学校がある。学校は隣町にあって、スクールバス乗り場までは歩いて十分、バスに乗ったら片道三十分かかる。朝六時半には起きて支度を始めなければ、バスの時間に間に合わない。早く寝なきゃ、と焦れば焦るほど眠気からは遠ざかり、『前』の思い出したくないことばかり思い出される。
 そうして、吐き気を堪え、ぎゅっと目を瞑り、体にきつく毛布を巻き付けてベッドの上で丸くなっているうちに、ふと、ユーゴーは思った。
(喉、乾いたな……)
 こっそり起きだして向かった先のキッチンには、先客がいた。
「……?」
「あ……」
 背の高い男が、カウンターにもたれながら大きな氷の入ったグラスを傾けていた。バズにはじいさんと呼ばれ、自分を引き取った男からは竜弦と呼ばれている、この屋敷の主。
 存在だけなら『前』の記憶にも知識としてあるが、直接会ったのはこの家に引き取られてからが初めてだ。向こうから話しかけて来ることがあまりないので言葉を交わした回数も少ない。今日の夕飯はこの男とバズを含めて三人の食卓だったが、食前と食後の言葉以外は一言も発しなかった。だが悪い人ではない、ということは漠然と感じる。
「何をしている、こんな時間に」
 夜更かしを咎める言葉ではあるが、叱るでも形式上聞いているでもなく、しかしそこにどのような感情があるのかは読み取りづらい声であった。
 ユーゴーはキッチンの入り口に立ったまま、おずおずと答える。
「眠れなくて……それで、喉が乾いて」
「……そこに座って待っていなさい」
 カウンター前にいくつか置いてある丸椅子を示しながら、竜弦はカウンターにグラスを置くと、コンロの前に立ちケトルで湯を沸かし始めた。ユーゴーは言われた通りに丸椅子に腰を下ろす。
 竜弦は湯が沸くのを待つ間に冷蔵庫を開けて、麦茶が作ってあるボトルを取り出した。そして小さなコップにその中身を注ぎユーゴーの前に置いた。
「喉が渇いているのだろう、先にこちらを飲んでおきなさい。今、温かい飲み物を用意している」
 コップの半分ほど、冷たい麦茶が入っていた。
 ユーゴーはそれを一息に飲んだ。冷たい液体が喉を通り、喉の渇きが少しマシになる。
 竜弦が温かい飲み物を用意している間、手持無沙汰なのでカウンターの上に置かれたグラスを眺める。よく見ると底の方に琥珀色の液体が沈んでいた。
(なんでこの人もこんな時間にお酒を飲んでいたんだろう)
 酒というものがどのようなものか、『前』の記憶で知ってはいる。しかし『前』の自分はあまり酒を飲まなかったので、竜弦の心理はよく分からなかった。
 やがて竜弦は、マグカップをユーゴーの前に置いた。
「カモミールティーを入れた。熱いので気を付けるように」
「ありがとう、ございます」
 マグカップは、いつもユーゴーが使っているものだった。マグカップを両手で包み込むように持つと、手のひらからじんわりと体の芯に熱が伝わる。
 ユーゴーがカモミールティーを一口飲んだのを見届けてから、カウンターを挟んで向かいに立つ竜弦が口を開いた。
「眠れないのは、いつから?」
 医者のような聞き方だな、と思うが、そもそもこの家の元の住人は父子揃って医者なのだった、と思い直す。
「時々……今日は、ちょっと長くて」
「雨竜には話しているのか」
「いいえ……いつもは、じっとしていれば、終わるので」
「……それは『前』に起因することか、それとも『今』か?」
「『前』です。『今』は、拍子抜けするくらい何もされませんから」
「…………」
 竜弦が黙り込んだ。何かまずいことを言っただろうか、とユーゴーは温かいお茶を飲みながら思う。カモミールの控えめな甘い香りが鼻をくすぐる。お茶自体も少しだけ甘く、砂糖が入っているようだ。
 しばらく竜弦は何も言わなかったが、やがて口を開いた。
「幸福な記憶を、たくさん作りなさい。私に言えるのは、それくらいだ」
 ぽつりと、どこか噛み締めるような言葉。この人も同じように眠れなくて苦しんだことがあるのだろうか、とユーゴーは首を傾げた。
「……あなたは今、幸せなんですか?」
「恐らく、人並みには」
「それであなたは、大丈夫になったんですか?」
 不躾な質問をしているという自覚はあったが、それを聞いてもこの人はきちんと答えてくれるだろうという不思議な確信があった。
「時々、大丈夫ではないな」
「幸せなのに、ですか」
「ああ。一度でも壊されてしまえば、幸福が零れていくものだから苦労する」
 そう言って、竜弦は自分のグラスを手に取ると中身を一気に呷った。
「……壊されたことが、あるんですね」
「君には、関係のないことだが……何度か壊されても人並みに幸せな生活を送れる可能性はある、という見本にはなるかもしれない。過去の不幸よりは、現在や未来の幸福を重視していた方が建設的で健康で、健全だ。そう自分に言い聞かせなければ立つこともままならなかったが……まあ、『大丈夫ではない』夜をやり過ごせば翌朝には何とか自力で立てるようになった」
 竜弦はそう言うと、ちらりとキッチンの入り口に視線をやった。だがすぐに視線を戻し、ユーゴーを見る。
「あいつが君達を引き取ったのは、君達には私のような無理をせずとも『大丈夫』であって欲しいとあいつが望んでいるからだ。あいつは、君達の幸福を望んでいる」
「……僕が幸福な記憶をたくさん作ることは、あの人の望みだからってことですか。あなた、あの人のこと以外はだいたいどうでもいいって思っているでしょう」
 それは『前』の記憶での情報から得た印象だった。しかしそれを言われた竜弦は「さて」と小さく肩をすくめた。
「あいつの存在にすがらねば生きていけなかった、とも言えるが。君はまだ昔の私よりよほど選択の自由がある。少なくともあいつは小児科医で、子供の心身のケアについては私などより専門的に学んでいる上に君達の事情については誰よりも詳しい。まずあいつの望む通りに、素直に不眠症状の相談でもすることだ。それが出来なければ自分の幸福の追求も不眠の改善もままならないと思うが」
 思いの外真っ向から正論を叩き返され、ユーゴーは口をつぐんだ。しかし嫌な感じはせず、むしろ『今』の自分が子供だからと言って手加減をしない竜弦の姿はほんの少し好ましく映った。
「あれの強さと正しさが堪えるというのであれば分からんでもないが……さて、いつまでそこで聞いているつもりだ」
 竜弦がキッチンの入り口に顔を向け、ユーゴーも同じ方を見た。
「いちいち意地が悪いな……」
 溜息を吐きながら姿を見せたのは、石田雨竜その人であった。今さっき仕事から帰ってきたらしく、表情に疲れが見える。しかしユーゴーの姿を認めるとその表情がふっと柔らかくなった。
「ただいま」
「……お帰りなさい」
 思わず視線を下げる。ユーゴーはこの男が苦手だった。
 嫌いというわけではない。ただ、この男と向き合うと、『前』の自分がこの男に対して抱いていた感情が呼び起こされて胸がざわつく。それは「劣等心」と呼ばれるものだと、『前』の知識で理解している。それゆえ目を合わせることも出来ない。そして同時に、それを許されているという事実が『今』の自分の胸を苛み、余計に向き合うのが苦しくなるのだった。
 思わずぎゅうと手の内のマグカップを握る。だが、マグカップに残る熱にふと心が和らいだような気がして、おずおずと顔を上げる。
 雨竜はグラスに水道水を注いで飲んでいた。「手術は」「なんとか」と竜弦と短いやり取りの後、雨竜はユーゴーを見た。
「明日は、学校休んでみるかい?ちょうど僕も明日は休みだし、風邪をひいたということにして」
「え……」
「こんな時間まで眠れないなら、明日無理やり学校に行っても辛いだろう。違う世界に行ったような気がして意外と気分転換になるものだよ、平日に学校を休むのは」
「え……ええ……」
 思いがけないずる休みの提案におろおろと竜弦を見る。竜弦は「なぜ私を見る」と素っ気ない。
「でもバズは、学校行くんですよね」
「そうだね……君が風邪をひいたのだから、一緒に住んでいる彼も念のため休ませるということは出来なくもないかな。先生も医者の判断にそう口を出せないだろうし。それは明日彼の意思をちゃんと聞いてからだね」
「……学校休んで、何するんですか……?」
「風邪をひいているってことにするから、家の中で出来ることなら何でも。ああでも、学校に嘘を言うが常習化してはいけないから、今回は特別だよ」
「休むなんて一言も言ってないですけど……?」
 この石田雨竜という男が『前』の記憶の中の姿の印象と比べれば随分マイペースな人間であることを、引き取られるまでの三か月、そして引き取られてからの約一か月でユーゴーは十分に思い知っていた。
 こちらが素の姿なのか、それとも時の流れの中で変化したものなのかは分からないが、この時々強引なまでのマイペースさの中にあの頑なな意思の片鱗が伺えるのも事実であった。
 そして、そのペースに乗せられるのはどうにも癪だという思いが、ユーゴーにはあった。それが『前』に由来するものなのか、『今』芽生えているものなのかは、ユーゴー自身にも分からなかった。
「その……僕のために言ってくれるのは、分かるんですけど。今の学校、楽しくなってきたので……風邪引いてないのに、休みたくないです」
 目を合わせることはまだ出来なかったが、それでも手の内でマグカップを握りながらはっきりと言う。
 雨竜は「そう」と微笑みながら頷いた。
「それじゃあ、他のことは、明日君が学校から帰ってきてから話そうか。もう眠れそうかい?」
 その言葉を聞いた途端にふっと肩の力が抜け、そして眠気がベールのようにふわりと意識を覆い始めた。
「はい……多分……」
「それじゃあ、お休み。カップは僕が片付けておくから」
「……お休みなさい」
 椅子から降りる。カウンター越しに竜弦を見て小さく一礼すると、竜弦はこれまた小さく頷きを返してきた。この人とは、近い内にもう少し話をしてみたいと思った。
 雨竜はと言えば、慈しみの籠もった目でキッチンから出て行くユーゴーを見ていた。
 こういう人だから『今』の自分も『前』の自分もこの人のことが苦手なのだろうとユーゴーは改めて思う。
 だが彼と向き合っている間は、少しだけ、いつも以上に自分の輪郭がはっきりする気がし始めていた。『前』の自分とはあまりにも遠いのに、図々しくも寄り添おうとしてくれている変な人。
 キッチンを出て改めて歯を磨いてから、またベッドに向かう。ふと、ベッドの隅に置かれている大きなぬいぐるみが目に入った。
 この家の住人として部屋に通された時には既に置いてあった、ユーゴーの両手でようやく抱えられるくらいの大きさをしたピンクのライオンのぬいぐるみ。
 テレビや動物園で見たライオンより弱そうな顔だが、ふわふわとした触り心地は悪くないと思う。
 そういえば今日はこの子に触ってなかったな、とユーゴーはぬいぐるみを手繰り寄せながらベッドに潜り込んだ。
 ぬいぐるみをぎゅうと抱きしめて、目を閉じる。何か温かなものに包まれているかのような心地になりながら、何も考えず眠気に身を任せた。

おまけ1

「……振られたな」
「結構本気の提案だったんだけど。明日寝坊したらその時は車で送って行くさ」
「どうなることかと思ったが……保護者の顔になったな」
「それはどうも。まだ課題は山のようにあるんだけど……霊圧が無い子の面倒を見るのは難しいな。あの子が抱えてる問題に気付くのに時間が掛かってしまった。あの子達のことも『彼ら』のことも、僕はまだ何も知らない。知っていかないといけないんだろうね」
「少なくともあの子は、『前』で同じ程度の年の頃に何かしらの虐待を受けている可能性が高い。難しいぞ」
「難しくても、向き合うと決めたのは僕だ」
「……そうか」
「あんたももう少しあの子達と話してあげろよ。やれば出来るんじゃないか」
「…………」
「小さい子の相手は一勇くんで少しは慣れたと思っていたんだけど」
「いったい何を見ていたんだお前は……」

おまけ2

「やあ、急に悪いね黒崎」
「別にいいけどよ……何の用だ?」
「コン君の体を借りたくて……」
「なんて?」
「(採寸メジャーを取り出す)」
「ああ良かったそういう……おーいコン!」
「おとーさん!コンちゃんいしだくんみてまどからにげちゃった!」
「はぁ?!今すぐ追え!!」
「いつ来ても騒がしいね君の家は」
「今回のはおめーが発端なんだよッ!!」

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このパロでユーゴーが竜弦にちょっと(あくまでちょっと)懐いてる理由の話でした。この設定でせめて雨竜視点・竜弦視点までは書きたくなってきたのでそのうち書くと思います。

とある朝に(FRIEND記憶持ち転生石田家養子化現パロ)

FRIENDが記憶持ちで転生してて雨竜に引き取られてる話です。

◆◆◆

 それは、オレがこの家に引き取られた最初の年のクリスマスの朝のこと。
 赤い包に金色のリボンが巻かれたその袋は、朝の七時過ぎに目を覚ました俺の枕元に置かれていた。
 箱を持って、オイなんだよコレってキッチンにいるそいつに聞いたら、そいつは鍋をかき混ぜながら平然とこう言いやがった。
「さあ、サンタクロースでも来たんじゃないかい?」
 余裕綽々の返答が少し気に食わなかったのでその場で包みを開けてやると、中にはオレが欲しかったバスケチームのレプリカユニフォームとバスケットボールが入っていた。
 思いがけない中身に思わず声をあげると、そいつは火を止めて俺を見た。
 生まれた時から持っていた記憶の中にある、遠くから見た時よりほんの少しだけ老けたそいつは、その時よりよほど穏やかな顔をしてこう言った。
「喜んでいたって伝えておくよ。ユーグラム君を起こしてきてくれるかい?朝食がもうすぐ出来るから」
「お、おう……」
 そいつに何か言おうという気がすっかり失せてしまい、オレは開けたばかりの包みを抱えたまま、オレと一緒に引き取られたヤツ……ユーゴーの部屋へ向かった。
「はよー。入るぜー」
 ガンガンとノックしてから部屋のドアを開けると、ユーゴーはもう起きていた。
 細っこいユーゴーにはデカすぎるように見えるベッドの真ん中に座り込んで何か四角い物を手にしている。
「……おはよ、バズ」
「おっさんが言ってたぜ、サンタが来たってよ」
「サンタって……」
 ユーゴーは呆れたような目でオレを見た。
「どうせ僕らが寝てる間に置いて行ったんだろ」
「そう言わずにさあ、サンタってことにしといてやれよ。あのおっさんセンスあるぜ」
「……確かに、そうかも」
 よく見るとユーゴーの周りには緑色の包み紙が畳んでおいてある。
「ユーゴーは何貰ったんだよ?」
「チェスセットみたい」
 手にしていたものをユーゴーが見せてくれた。木の箱の留め具をユーゴーが開けると、同じ木で出来たチェスの駒が中に納められている。
「へえ、カッコいいじゃん」
「……うん」
 そう頷いたユーゴーの目はいつもより少しだけ輝いているように見えて、オレはほとんど衝動的にユーゴーの手首を掴んだ。
「ほら、朝メシ行くぞ!」
「え、あっ」
 ユーゴーは少し驚いたようだったが大人しく付いてきた。二人分のプレゼントはベッドの上に投げ出したまま、このだだっ広い家の食堂に向かう。
「おら、ユーゴー連れて来たぜー」
 食堂に足を踏み入れると、四人しか住んでいない家には大きすぎるテーブルの上に朝メシが並びはじめていた。
「おはよう」
「……おはよう、ございます」
 テーブルに料理の乗った皿を並べながら挨拶してきたおっさんに、ユーゴーは少しだけ目を逸らしながら朝の挨拶を返した。
 ユーゴーはこのおっさん──オレ達を引き取って育てているこの男が苦手だ。嫌いとかじゃないって言ってるけど、引き取られてそろそろ半年になるのにまだ目を見て話すのが少し怖いようだ。
「顔は洗って来たかい?」
「僕はもう……」
「あ、オレまだ」
「早く洗っておいで。……ユーグラム君、少し手伝ってくれるかな?」
「は、はい」
 ユーゴーをおっさんと二人きりにするのは少し心配だったが、ユーゴーが素直に手伝いに応じたので大丈夫だろう。オレは急いで顔を洗いに行く。
 顔を洗い終えて食堂に戻る途中で、あいつとユーゴーの話し声が聞こえてきた。
「サンタクロースは来たかい?」
「はい、あの……ありがとう、ございました。嬉しかったです」
「……そう、サンタに伝えておくよ」
 返答はオレの時と変わらず余裕綽々なのに、「喜ばれて嬉しい」という気持ちが少しずつ声に滲み始めている。
 今のオレが生まれる前の俺の父上と母上も、俺に贈り物をした時こんな感じだったな……と、ふと思い出す。
 ほんと。血が繋がってないどころか、前のユーゴーとは殺し合いまでしたっていうのに、わざわざオレ達を引き取って我が子のように育てているのだから、変なヤツだ。
 こんなこと言ったらまた「記憶があるとしても今の君たちはまだ子供だろう」と平然と言われるだけだろうから、ちょっとムカつく。
 食堂に足を踏み入れると、おっさんとユーゴーはもうテーブルについていた。
 オレも定位置に座りながら、この家の住人が一人足りないことに気づく。
「あれ、じいさんは?」
 じいさんというのは、このおっさんの父親である。実際じいさんって程老けてるわけでもない……ていうか、おっさんよりちょっとだけ年上って言えば全然通りそうな見た目をしているが、他に呼び方も思いつかない。
「夜勤明けで寝てるよ。それとあいつのことじいさんって呼ぶのやめてやってくれないか、まだそんな歳でもないんだから」
「俺らの養父のアンタの父上なんだからどの道じいさんだろ」
「ほんっと口が回るな君は……」
 テーブルの上の料理はいつもの朝メシより少しだけ豪華で、毎朝食べるようなパンやフルーツヨーグルトの他に星の形に切られた野菜やツリーの形のマカロニが浮かんでいるトマトスープ、綺麗なオレンジ色をしたサーモン、昨日の夜も食べたローストビーフが乗ったサラダまである。
 オレやユーゴーの育った施設でもクリスマスの日の朝ごはんはいつもより少しだけ豪華だったが、施設のヒト達には悪いけどおっさんの作るメシの方が美味い。
 三人で手を合わせて、いただきますを言う。クリスマスであろうと、それはいつもと変わらない。
 ユーゴーもおっさんもじいさんも口数が多いほうではないので、食事の時間は施設にいた頃と比べたらとても静かだ。でも余所余所しさみたいなものは感じないから、多分オレはこの家での食卓が好きだし、ユーゴーも来たばかりの頃と比べれば表情も柔らかくなってきていると思う。
 オレやユーゴーがヨーグルトに手を付け始めた頃、おっさんが口を開いた。
「僕は今日は午後から仕事に行く。夜まで竜弦と君たちしかいないよ。夕食は冷蔵庫に作っておくから」
 竜弦というのは、じいさんの名前だ。なんでか知らないけど、おっさんは普段は実の父親であるはずのじいさんを名前で呼んでいる。
「りょーかい」
 ユーゴーもこくりと頷く。どういうわけか、ユーゴーはおっさんよりじいさんの方に懐いている。オレもじいさんのことはそんなに嫌いじゃない。オレらみたいなガキの相手がそんなに得意じゃないのが見え見えだけど、適度に放っておいてくれるし、まあヤなヤツじゃないからな。
「外に出るなら気を付けるんだよ、最近インフルエンザも流行っているようだから」
「はーい」
「あ、あの……」
 ユーゴーが珍しく朝メシ中に口を開いた。
「なんだい?」
「朝ごはん終わったら勝負、してください。あのチェスで。出来るところまででいいので」
 ユーゴーの申し出に、珍しいな、と驚く。ユーゴーからこうやっておっさんに何か頼んだり挑んだりとか、そういうところは滅多に見ない。おっさんも驚いたように目を見開いた。
「ああ、構わないけど……ルールは大丈夫かい?」
「『前』の時の記憶があるので」
 ユーゴーの言葉に一瞬だけおっさんの表情に陰りが見えたが、すぐに柔らかく笑ってその陰りは隠れてしまった。
「……それじゃあ僕と君たちで一局ずつ勝負しようか。君たちが僕に勝てたら、大晦日のディナーに希望のおかずを一品追加しよう。バズ君、チェスのルールは?」
 急にオレに話が振られたが、舐められたくない一心で返す。
「オレだってチェスくらい分かるし」
 施設にいた頃に将棋とかオセロだとかと一緒に少しやったことがあるが、コマの動かし方くらいは覚えている。
「それじゃあ僕は片付けてくるから、君たちは着替えたらチェスセットを持ってリビングにおいで」
 おっさんは立ち上がると、少しだけいたずらっぽく笑ってユーゴーを見た。
「僕はこの手のゲームには自信があるから、挑んで来るならそのつもりで来い」
「……大丈夫です、そのつもりなので」
 ユーゴーは真っすぐにおっさんの目を見詰め返した。今日のユーゴーはちょっといつもと違う。だがそんなユーゴーを見たおっさんは、嬉しそうな笑顔を浮かべただけだった。
 朝メシを終えて、洗面所で並んで歯を磨いてから二人で二階の部屋に戻る。
「なあユーゴー、どうしたんだよ。急におっさんに勝負挑むなんて」
「プレゼントは嬉しいけど、全部あの人の思い通りにするのも、ちょっとむかつくから」
「なんだそりゃ」
「分からないならいいよ」
 むかつくと言っている割に、ユーゴーの表情は明るく見えた。
「バズが貰ったのはバスケットボールなんだよね」
「おう、ブレイブファイアーズのやつ。今度1on1やろーぜ」
「うん、いいよ」
 ユーゴーの部屋に置きっぱなしにしていたオレの分のプレゼントを回収して部屋に持って行く。パジャマから着替える時、ボールと一緒に貰ったユニフォームを着るかどうかちょっと迷った。なんかはしゃいでるみたいで恥ずかしいような気はしたが、オレやユーゴーがプレゼントを喜んでいることに喜んでいるあのおっさんの表情がそう嫌なものでもなかったので、セーターの上に重ね着することにした。
 リビングに降りると、おっさんもユーゴーもまだ来ていなかった。
 リビングに飾られたクリスマスツリーは、オレとユーゴーが飾り付けたものだ。クリスマスツリーを飾るのは二十年ぶりだっておっさんが言っていた。
 アンタの家クリスマスやってたんだ、意外、とツリーを飾り付けながら言ったら、ちゃんとやるようになったのは僕が生まれてかららしいよ、と何てことはない風に返された。
 暖炉の上にはクリスマス期間限定で、変な顔をしたサンタとトナカイのスノードームと、赤い花(ポインセチアというらしい)の刺繍が入った写真立てが置かれている。スノードームはおっさんが昔友達に貰ったもので、刺繍はおっさんがガキの頃から家にあったものらしい。
 すぐにユーゴーがチェスセットを抱えて降りてきた。オレの着ているユニフォームをちらりと見て、ぼそりと呟く。
「バズってそういうところ単純だよね……」
「なんかわりーかよ!?」
「別に……」
 ユーゴーはテーブルの上にゆっくりとチェスセットを広げていく。盤上に綺麗に駒を並べ終わった頃、おっさんがリビングに入ってきた。
「ああ、準備してくれていたんだね」
 チェス盤を置いたテーブルを挟んで、ユーゴーとオレが座っているソファの反対側に小さい椅子を置いておっさんは腰を下ろした。長い脚を組んで、どこか余裕のある笑みを浮かべながらわざわざこのために持ってきたのであろうコインをオレたちに見せた。
「それじゃあ始めようか。先攻後攻はコイントスでいいかな」
「いいですよ」
 でもこのおっさん、オレらが負けてもどうせ食べたい物聞いてくるんだよな……と、コインを弾くおっさんを見てちらりと思ったが、ユーゴーの目が真剣だったので黙っていることにした。
 ユーゴーにとって大事なのはこの勝負そのものだってのは、分かり切ったことだから。
 それに、おっさんも楽しそうだし……こういう時間は居心地が良くて、オレも嫌いじゃないのだ。

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◆◆◆

設定

バズ

十歳前後。施設育ちで親は不明。風邪を拗らせて病院にかかった際雨竜に見つかってユーゴー共々引き取られた。前世の記憶はあるがそれが自分と完全なイコールとはあまり思っておらず、雨竜のことも最初は警戒していたが今は認めている(変な奴だとは思っている)。滅却師としての能力は持っていない。

ユーゴー

十歳前後。バズと同じ施設育ち。前世の記憶を自分と同一視している節があり、時折フラッシュバックを引き起こす。今度こそバズとちゃんと友達でいたい。雨竜のことは嫌いではないがちゃんと話すと前世のコンプレックスが刺激されるのでちょっと苦手。仲良くなりたいという意識はある。バズ同様滅却師としての能力は持っていない。

雨竜

アラサーの小児科医。バズとユーゴーを引き取る前はマンションで一人暮らしをしていたが、引き払って実家に戻った。バズ・ユーゴー共に前の存在とイコールとは全く思っておらず、一貫して「偶然彼らの記憶を持っているだけの普通の子供」として扱う。バズにおっさん呼ばわりされていることは特に気にしていない。

竜弦

アラフィフの院長。急に息子が実家に戻ってきたと思ったら前世が星十字騎士団の子供を二人も引き取ると言い出したので当然困惑したがまあ雨竜帰ってくるし……子供に罪はないし……と受け入れている。子供に怖がられがちという自覚があるので少し距離は置いているが二人のことは気にかけている。バズにじいさん呼ばわりされていることはちょっと気にしている。

◆◆◆

アニメのFRIEND回で強めに脳を焼かれたので書きました。私にできるのはもうはぴはぴ転生現パロを書くことしかねえ。

なんでユーゴーが竜弦にちょっと懐いてるのかとか一応考えてはいるので、気が向いたらまたこの設定で書くかもしれないし書かないかもしれないです。

■■■0.5mg錠 30日分(一心と竜弦)

「なあ、本当に薬効いてんのか?」
 ひと月に一度、誰にも知らせることなく通っているその町医者の言葉に、竜弦は眉をひそめた。
「ごちゃごちゃ言っている暇があるならさっさと処方箋を出せ」
「はー……」
 黒崎一心はこれ見よがしに深々とため息を吐きながら、慣れた手つきでカルテにペンを走らせる。
「一応心配してんだぞ。月イチでお前の様子見れるから診察してっけどよ」
「知ったことか。私は貴様に処方箋以外何も求めていない」
 一心のお節介も厚意も全てが鬱陶しかった。決してそれらを押し付けられている訳では無い、ただこちらの話を真面目に聞こうとしているその姿勢だけで竜弦にとっては余計なお世話であった。
 放っておいて欲しい……そう思いながらも毎月のようにこの男の病院に通って睡眠導入薬を処方されている。薬の作用で無理矢理意識を落とさなければ、眠ることすらままならない。
 本当に薬が効いているのか単なる思い込みなのか、もうそれすら分からない。
「まあ、今月も来たってことは先月と特に変わらずってことだろうから今月も出すけどよ……本当に、まだ今の薬は効いてるんだな?飲んでないと眠れないんだな?」
「……ああ」
「依存してないってはっきり言えるか?」
「そのような様になるくらいなら睡眠を捨てる」
「例の術は?無理矢理寝れるやつ」
「効果があれば貴様のところになど通わん」 
「おーそうですか……」
 強いってのは難儀だねえ、と呟きながら、一心はペンライトを手に取った。
「瞳孔一応見せろ、心音も」
「…………」
「んな顔するな!病院嫌いのガキか!」
 ここで変に抵抗しても意味がないので、言われるがまま瞳孔を見られ、聴診器を当てられる。
「雨竜君は元気か?一護と同い年ならもうすぐ四年生だろ」
「……ろくに会話していないが、霊圧を見る限り元気なのだろうな」
 眼鏡の位置を直してシャツのボタンを留めながら答えると、一心が渋い顔をしたのが視線を上げなくても分かった。
「ちゃんと話せよ、互いのためにも」
「貴様には関係ない」
「全く関係ないってこたぁねーだろ……一応お前は義理の従兄弟だしい?」
「反吐が出る」
 スーツを整えてそう言い捨てながら立ち上がり、診察室のドアに手を掛ける。
「おいこら!勝手に出てくな!」
 一心が何か言っているが、これ以上は時間の無駄と判断した竜弦は診察室を出た。そしてさっさと待合室の受付に向かい、財布から現金を出す。
 日頃受付を担当している事務はいない。この毎月の診察は休診日を利用しており、会計も全て一心手ずから行っている。
 要らぬ負担を掛けている、という自覚はある。休診日と言えど事務が出勤する可能性はある中でもこの日だけは竜弦が一心以外と顔を合わせないようにと一心が配慮している……それも無論、理解している。
 それらを何でもない顔でしてのけるこの男の決して押し付けがましくない善性は、竜弦の心をざわざわと刺激した。
 一秒でも長く同じ空間にいるだけで、己がとうに無くしたものをこの男が持っている事実を見せつけられて吐き気すら覚える。
 ドタドタと受付まで出てきた一心は慣れた手つきで会計を行っている。
「ほれ、次はいつ来る?」
「これまでと同様で」
「第三木曜日ってことは……20日な、ほれ」
 処方箋と同時に、『クロサキ医院』と書かれた診察券をカウンター越しに返された。
 自分はこの男の善意を利用しているのだ、と月に一度しかカードケースから取り出されない診察券を見て思う。
 本来であれば心療内科に通うべき所を、事情が事情なだけにそれも出来ぬからと半ば脅すような形で睡眠導入薬を処方させた。それから半年以上この「病院通い」は続いている。
 そうしなければ、自分は眠ることすらままならない。
「毎回言ってるが、薬の量減らせそうならいつでも言えよ」
 入口の扉に手をかけたところで、一心が竜弦の背中にそう声を掛けた。
 自分とは何もかもが違う男。その言動の全てが竜弦の心を逆撫で、同時に奥底に触れてくる。
 ──何故貴様ばかりがそうして余裕を持って笑っていられる。
 ──何故そんな男の言葉で、僕は弱くなってしまう。
「出来るものなら、そうしている」
 これ以上触れるな。
 言外にそう込めて一心を睨む。リアクションの確認もせず、竜弦はそのまま扉を押して外へと足を踏み出した。

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リアライゼーション(パパウリ)

 間接照明の光だけが当たるベッドの上に投げ出された細い体躯。パジャマの裾から覗く手首足首は相変わらず、加減を間違えれば折れてしまいそうに見えた。 
「……お前、本当に三食食べているのか」
 自然と浮かんだその疑問に、雨竜は不機嫌そうに眉をひそめ、寝返りを打ってこちらに背を向けながらこう返してきた。
「食べてるよ。時々食事をさぼってるあんたに言われたくない」
 適正な食事量、必要摂取カロリー、栄養バランスといった言葉が喉から出掛かった。
 しかし自身が雨竜の見ていない場面で食事を抜かしがち、かつ雨竜に向けようとしている小言のすべてを雨竜が打ち返して来るのは自明の理なので、代わりに竜弦は一つ溜息を吐き出した。
 ベッドに腰を下ろし、こちらに背を向けたままの雨竜の肩に触れる。
 薄い━━そんな感想がどうしても浮かぶ体格。雨竜が幼稚園や学校で受ける健康診断で、体重測定結果が低体重の域を出たのを見たことがない。
「……丈夫なだけましか」
 大怪我は幾度となくしながらも大病はせずにここまで育ったのだから、と己に言い聞かせるように呟くと、雨竜は少しだけ気まずそうに身動ぎした。
「なんなんだ……」
「お前が気にする必要のない話だ……と言いたいところだが」
 肩に掛ける手に軽く力を込めて引く。するとほとんど抵抗もなく、雨竜はあっさり仰向けになった。
 ベッドに乗り上げて肩を軽く押さえたまま見下ろすと、雨竜はバツが悪そうに目を逸らす。
「……事あるごとに負った傷を完治後に事後報告、あるいは病院に担ぎ込まれるのを迎える羽目になる身にはなってほしいものだな」
「そこまでじゃないだろ……最近は」
「さて、どうだか」
 普段から反抗的な態度を隠さない息子がどこかしおらしい顔をしているのが愉快で、竜弦は雨竜の頬を撫でた。
 雨竜は表情は変えないまま竜弦の掌に自分から頬を寄せ、それから深く息を吐きながら目を閉じてぽつりと呟いた。
「眠い」
「そうか」
 間接照明の明るさを限界まで落とし、眼鏡を外してベッドサイドに置く。足元の毛布を肩まで引っ張り上げながら雨竜の隣に身を横たえ、その細い体を背中から抱き締める。抱き締めれば尚の事肉よりも骨の感触が際立つが、確かに血の通った体温があった。
 程なくして、腕の中で雨竜が寝息を立て始める。
 ━━良かった、今日もこの子はこうして生きている。
 その実感だけで、何もかもが報われる。
 

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雨竜とハチワレぬい

 真夜中にふと目が覚めた時、デフォルメされたつぶらな瞳とぱっちり目が合った。
 今日誕生日なんだってな!ゲーセンで取れたから石田にあげちゃうぜっ!と、賑やかな友人がくれた、青いハチワレ模様の猫のキャラクターのぬいぐるみ。
 貰ったままベッドに置いて、一緒に眠っていたのを霞がかった意識の片隅で思い出す。
 なんでこれを僕に、と聞いてみると、だってこいつなんとなく石田っぽいから石田が持ってると似合うかなって、と答えになっていない答えが返って来たのだ。
 僕はこのぬいぐるみのような笑顔を振り撒けるような人間ではないんだけどな、とは思ったものの、プレゼントをくれた彼の気持ちは嬉しかった。
 後で他の友人が教えてくれたところによると、この猫(?)にはいつも一緒の友達がいて、そしてとても友達思いなのだそうだ。そんな昼間の出来事が、ふわふわと泡のように脳裏に浮かんでは消えていく。
 何とはなしに手を伸ばして、ぬいぐるみの頭を撫でる。短くすこし固い毛並みと綿の詰まった感触が指先を軽く押し返した。
「……君にも、大好きな友達がいるんだな」
 口から滑り出たその言葉に意識を囚われることもなく、またあっさりと意識は深くに沈んでいった。

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以前ツイッターで呟いた「石田雨竜の部屋には啓吾がくれたハチワレのぬいぐるみがある」という妄想を真面目に文字起こししました。

【バズユゴ】とある夜【少年期】

「……バズならいいよ」
 暖炉の火を反射してオレンジの光を宿した碧色の瞳が、オレを見た。
「おじさんにされるのは嫌だったけど。バズなら、いいよ」
「──」
 床に座ったまま動けないままでいるオレに、ユーゴーは四つん這いの姿勢でオレににじりよった。
「ね、忘れさせてよ、おじさんのこと……バズなら、出来るでしょ」
 手を床についたその肩は小さく震えていて、その瞳は揺れていた。
「ねえ、」
「……ヤだね」
 真っ直ぐにユーゴーの目を見て言うと、ユーゴーは目を見開いた。
「なんで」
「オマエ怖がってるだろ」
「っ……そんなこと、」
「うおっ」
 ユーゴーがオレの肩を勢いよく掴んだので思わずバランスを崩す。だがすかさずオレもユーゴーの腕を掴むと一緒に床に引き倒してやった。
「わっ」
 ドスン、と音を立てて二人で折り重なるように床に転がる。
 オレはすかさず上に乗っているユーゴーの背中に腕を回してそのままぎゅうと抱き締めた。ユーゴーは抵抗せず、くぐもった声で呟いた。
「……何やってるの」
「こうすると領地のガキが泣き止むからよ」
「……泣いてたらお母様がこうしてくれた、の間違いだろ」
「ハァ?!ちげーし!生意気言うと離してやんねーからな!」
 ぎゅううううう、と抱き締める力を強くしてやると、ユーゴーはそれ以上何も言わなかった。ただ、オレに身を預けるように体の力を抜いた。
 その体はまだ少しだけ震えていたが、震えは次第に止まって行った。
 ユーゴーのおじに、オレは会ったことがない。あの火に包まれて焼け死んだ、とだけ聞いている。
 それでも、ユーゴーはまだおじの影に怯えている。時々、こうして何かを思い出して震えている。

 ……いい加減死んどけよ。
 ユーゴーの心の内に潜むそいつの影に毒づくことしか、オレには出来なかった。

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【竜叶】AM00:09

※描写はないが一応事後、雨竜を授かる前の話

「虚も滅却師も死神も居ない世界に生まれてみたかったよ」
 ベッドの上で体を起こしてペットボトルを開けながら、竜弦がぽつりと呟く。
「生まれた時から何かに監視されているかもしれない、何かすれば殺されるかもしれない、何もしなくても殺されるかもしれない、そんなことを考えなくてもいい世界に」
 それから竜弦は水を飲む。独り言のようなその言葉は、彼の隣にいる女に届いていた。
「……私はそのようなこと、考えたこともありませんでした」
 竜弦の隣、ベッドに横たわり体をシーツで包んだ叶絵は、伏し目がちに応える。
「そんな世界は、物語の中でしか有り得ないだろうと……」
「そうだな、物語の中でしか有り得ない。自分の境遇を世界のせいにして、その上でいい年して物語の世界を本気で羨んでいるなんて、あまりにも子供だろうと自分でも思う」
 竜弦の口ぶりは自嘲するようだったが、叶絵は何も言えなかった。それが彼にとって、笑い飛ばすにはあまりに切実な願いであることを理解していたからだ。
 こんな世界に生まれてさえ来なければ、というあまりに強烈な自己否定。大切な人達の幸せを願いながらも自分の存在を否定しようとするどこか拗れたそれは、この世界と己に流れる血の残酷さを彼が身に沁みて知っているからに他ならない。
「……どうしても考えてしまうんだ。こんな世界でさえなければ、母様はもっと幸せでいられたのだろうか、って」
 悔いたところで彼にはどうしようもない……竜弦も叶絵も、それは承知の上だ。ただ、この世界で滅却師が滅却師の家を保持したまま家庭を持つことのままならなさを竜弦は両親の姿を通して知っていた。それ故に、叶絵と結ばれることを選択して改めて思うところがあるのだろう。
「……だから竜弦さまは、ご自身の代で滅却師を終わらせようとなさっているのですか?」
 幾年も続いた純血滅却師としての石田家を自分の代で終わらせるという決断。生まれた頃より石田家の跡取りとして育てられた竜弦にとって、それにどれほどの覚悟と勇気が必要なことか。
 叶絵が体をシーツで隠しながら起き上がると、竜弦は叶絵を見た。天蓋の布越しの間接照明の柔らかなオレンジの光がその瞳に映る。優しくも哀しい色に、叶絵は思わず息を呑む。
「もう見たくないんだ、滅却師であるがために人が不幸になるのは。それが生まれてくるかもしれない僕達の子供ならなおさら。世界の方をどうしようもないのなら、僕が僕自身の有り様を変えるしかないだろう」
「……」
 叶絵は知っている。
 幼い頃の竜弦は滅却師としての自身の有り様を誇りに思っていたことを。
 例え世界に必要とされていないのだとしても、この力で誰かを護れるのであればそのために強く有りたいのだと。
 けれどその誇りは十年以上の時間を掛けて世界の歯車にゆっくりと圧し潰され、家庭内不和により罅割れ、あの雨の日に「誰よりも護りたい人を自分の力で護れなかった」という現実によって崩れ落ちた。
 滅却師であるがためにひどく傷ついた男は、それでも立ち続け、「自分の代で」滅却師を終わらせるという選択をした。
 竜弦はまだ滅却師であることをやめるつもりがない。そう有り続けなければならない理由があるのだ──叶絵はそう察しながらも、何故竜弦自身が滅却師であることをやめようとしないのか、聞くことは出来なかった。
 叶絵は思わず竜弦の手を握る。 
「……竜弦さまは、今、幸せですか」
 叶絵の問いに竜弦は少し目を見開いてから、微かに目元を緩めて叶絵の手を握り返した。
「……幸せだよ、泣きたくなるほど」
 
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Moment of disappearance

※千年血戦篇アニメ11話Cパートの会話の妄想

◆◆◆

 痩せ細っている、というのが、第一印象であった。
 僅かな灯りのみが道を照らす夜闇に降りしきる雨の中、外套も羽織らずにユーグラムの生まれた頃から千年ほど下った時代の服を着たその男は、憔悴したような目で数メートル先に立つハッシュヴァルトを見ている。
「……もう一度言おう、石田雨竜。陛下はお前を必要としておられる」
 雨音の中でも確かに届くよう、言葉に術式を乗せる。
 彼が今、何を考え何を思っているのかはハッシュヴァルトが考慮するべきことではない。ただ命じられた通りに、この石田雨竜という名の男を帝国へ連れて行くことのみが現在の彼に課せられた使命であり責務であった。
「拒絶する権利はお前にはない。お前に選択肢はなく、全ては陛下がお決めになることだ」
「……何故……」
 初めて石田雨竜が口を開いた。
「何故、父ではなく僕なのですか」
「……」
 雨に打たれ下がった体温故かその声は震えていたが、確かな芯を持っていた。
 己が何者であるか、滅却師の定めとは何か。それらを何も知らされることなく、狭い箱庭の中で育てられた男。真実を知り、雨の中立ち尽くしていた男。だが、決して愚かではない。ハッシュヴァルトは、石田雨竜に対する認識を僅かに引き上げる。
「その問いへの答えを、私は持たない」
「『陛下』のみが、それに答えられると?」
「その問いに答える権利を、私は持たない」
「………」
 石田雨竜は沈黙し、ハッシュヴァルトから視線を逸らすように俯いた。
 ハッシュヴァルトもまた、黙って石田雨竜の返答を待つ。
 しばし、雨音だけが空間を包む。ハッシュヴァルトの外套が雨を吸って重くなり始めた頃、石田雨竜が顔を上げた。 
「……分かりました」
 その言葉と共にひどく静かな瞳が、真っ直ぐにハッシュヴァルトを見た。
「案内してください、陛下の下へ」
 雨音の中、何の術式にも乗せていないはずの声はやけにくっきりとハッシュヴァルトの耳に届く。
 そして一歩、石田雨竜がこちらに向けて足を踏み出した。
 その顔にはあらゆる感情もなく、声に震えはなく。ただ研ぎ澄まされた刃のような、静かで強固な意志だけがあった。
「────」
 あまりに迷いのないその姿に、ハッシュヴァルトは言葉を失いかけた。しかし己を押し殺し、頷く。
「それで良い」
 ──この男に、『陛下に従う』以外の選択肢はない。
 ──だが、本当にそうなのか?
 浮かぶ疑念に蓋をして、すぐ真正面まで近付いてきた石田雨竜を見下ろす。
「これよりお前は、その人生において築いたもの全てと訣別し、陛下の御為に身を捧げることのみが許される」
「構いません」
 用意していた言葉にも、石田雨竜は迷う素振りも見せず首肯してみせた。そして濡れそぼった前髪の向こうから、真っ直ぐにハッシュヴァルトを見る。
 その目に、胸の奥がざわめく。それでもハッシュヴァルトは己を殺す。
「……それでは、お前を『影』に迎え入れよう」
 ハッシュヴァルトは『影』を呼び出す。その刹那に解放される力をこの男の父親に気取られるのに、そう時間は掛からないだろう。だが、初めから盤の外に弾き出されている者に用はない。
 ハッシュヴァルトはこちらに近付くその霊圧を無視し、石田雨竜ごと自身を『影』で覆う。
 その霊圧には石田雨竜も気付いていたであろう。しかし彼は何も言わなかった。
 視界が『影』に鎖され、雨音もその霊圧も感覚から消える。
 この瞬間がこの男にとって、慣れ親しんだ筈の世界との永劫の別れになる──それを指摘したところで、今更この男は自分に付いて来ることをやめはしないだろう。
 奇妙ではあるが、ハッシュヴァルトはただそれだけを確信していた。

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絵本の話

「おとうさんおとうさん、どうしてこのえほんのれいは、むかしの人のふくをきているの」
「ん? ああ……」
 とある日曜日の昼下がり。
 夜勤明けの就寝からつい先程起床してきたばかりでソファにぼんやりと座っていた竜弦は、足元で絵本を読んでいる幼い息子に目を向けた。
 それは怪談の絵本のようで、開かれたページでは白い着物を着たテンプレートな女の幽霊が描かれていた。
「ぼくがようちえんに行くときに見るれいは、ぼくたちみたいなようふくだよ」
「まあ……そうだな」
 この屋敷は竜弦が貼っている結界に覆われているために「整(プラス)」や「虚(ホロウ)」の類が入り込んでくることはない。そのため雨竜が幽霊を目にするタイミングは家の外にいる時のみとなる。それらは基本的に虚化する前の「整」であるのだが……
「そうだな雨竜、お前が目にする霊は比較的最近に命を落とした者の例だ。だから洋服を着ている。今現在を生きている私達のようなファッションなわけだ」
 どこまで教えるべきか、と考えながら竜弦は身をかがめて絵本のページをつつく。
「一方でこの絵本は……ベースは四谷怪談だったな。ならば江戸時代、今からざっと二百年ほど前に書かれた話だ。その頃に出現する幽霊は、当然その時代に死んだ者の霊。着ているのはその時代のファッション……つまり着物だ。『着物を着た幽霊が出て来る話』が二百年間ずっと語られている、現代になってもその幽霊のイメージが多くの人の中にある、というだけの話だよ」
「うーん……」
 竜弦としては可能な限り簡単に説明したつもりであったが少し難しかったのか、雨竜は考え込んでいる。
「……まあ、幽霊のことはあまり気にしないことだ。良くないものに取り憑かれてしまう」
「そうなの?」
「そうだ」
 好奇心旺盛なのは雨竜の良いところだが、あまり霊のことを気にするようになっては今後何が起きるか分からない。
 「見える」のはどうしようもない以上、フィクションにおける霊と本物の霊の違いを知るのも必要かもしれないと絵本を何冊か買い与える時に四谷怪談を入れた記憶はある。だが少し早かったのかもしれない……竜弦のそんな心配を他所に、雨竜の興味は別の絵本に移ろうとしていた。
「おとうさん、このほんよんで」
「……どれどれ」
 雨竜が差し出して来た絵本の表紙には小さな魚の絵が描かれている。雨竜から絵本を受け取るとソファの上によじ登って来たので、隣に座らせる。
「……この絵本、前は母さんに読んでもらっていなかったか」
「おとうさんもよんで! 今日はおかあさん、おでかけしてるから!」
「仕方ないな……」
 そう言いつつ思わず口元を緩めながら、竜弦は絵本のページを開いたのだった。

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続・竜弦が雨竜に名古屋土産でぴよりん買ってきた話

竜弦が雨竜に名古屋土産でぴよりん買ってくる話」の続きです。

◆◆◆

「わあ、ぴよりんだ!」
箱から覗くひよこ型のケーキに最初に声を上げたのは井上だった。
「本物は初めて見たな、可愛い〜……」
「可愛いな……」
その可愛らしさに井上と茶渡が夢中で写真を撮る中で黒崎は、どこかむず痒そうな顔をしながらテーブルにカトラリーとコーヒーセットを並べている石田を見た。
「……で、これ買ってきたのがお前の親父さんと」
「……そうだよ」
「………………なるほど」
「な、何だその目は!」
「ぴよりんってすぐに崩れちゃうから、持ち帰るの大変なんだって。だから凄いね、石田くんのお父さん」
「ぴよりんの持ち帰りは箱の形の都合で偶数個が適している……だから四つ買ってきたんだろう」
「井上もチャドも詳しいな……」
ならば何故「二つ」ではないのか……それは石田以外の三人が思ったことだが、あえては言わない事にした。
石田は綺麗な白い皿にぴよりんを一つずつ乗せ、四人分のカップにコーヒーを注いでいく。
「……上がっちまって良かったのか?」
石田の実家に三人が足を踏み入れるのは初めてであった。黒崎に尋ねられた石田は事も無げに答える。
「竜弦に連絡はした、その上で何も言ってこないんだから問題ないさ」
「……ならいいんだけどな」
黒崎はまだ少し気になっているようであったが、石田は全員分のぴよりんとコーヒーをテーブルに並べ終えた。
「甘そうだからコーヒーにしたんだけど……良かったかな」
「大丈夫だよー」「問題ない」「ありがとな」
石田は三人の返答に少しホッとしたような顔をしてから席につき、各々がスプーンを手に取る。
「……おいチャド、大丈夫か」
「た、食べられない……」
「本当になんでこんな可愛いもの買ってきたんだあいつ……?」
「いいじゃねーか、せっかく親父さんが買ってきてくれたんだ、食おうぜ」
躊躇する茶渡と改めて訝しむ石田を促すように黒崎は真っ先にぴよりんの背中側にスプーンを入れた。そしてそのまま口に運ぶ。
「ん、美味いぞこれ」
「……わあ、本当だ! 美味しい〜!」
織姫も幸せそうにぴよりんを口に運ぶ。
二人に後押しされるように茶渡もぴよりんに背中側からスプーンを差し、最後に石田もどこか渋々とぴよりんにスプーンを伸ばす。
まず茶渡が素直な感嘆の声を漏らす。
「厶……美味い」
「でしょ?」
それから三人は石田の方を見る。石田はぴよりんに小さくスプーンを差し入れ、それを口に運んだ。
そしてその表情がふわりと解けたのを見て、井上が素早く携帯端末を手に取った。
「石田くん、写真撮るね!」
「?!」
石田がなにか言う前に井上は素早くシャッターを切り終えていた。
「井上さん?!」
ぴよりんを飲み込んだ石田が叫ぶが、その時にはその場の全員の端末が震え、あるいは通知音を鳴らし、あるいは通知ライトを光らせていた。
「石田くん、すごくいい顔してたよ」
「だ、だからって……じゃあ君達も撮らないと不公平じゃないか?!」
そう来るか。
そう来るか……。
黒崎と茶渡は、奇しくも内心で全く同じことを呟いた。
「うんうん、だから皆で撮ろう!」
当然ながら、井上は満面の笑みでそれに応じる。
しっかりと四人全員収まるように写真を撮り、その写真もグループトークに共有される。
そうして四人はぴよりん&コーヒータイムに戻るが、雨竜だけはやや恨めしそうに井上を見た。
「……僕の写真をわざわざ上げる必要があったのかい?」
「もし石田くんが良かったらなんだけど、石田くんのお父さんに送ってあげたら喜ぶかなぁって」
「喜ぶかなあ……?」
石田は訝しむが、黒崎と茶渡は井上に同調する。
「喜ぶだろ」
「喜ぶな……」
「な、なんなんだ君達は……」
不服であることを隠そうともしない石田だが、その頬はうっすらと赤くなっていた。
それから四人はぴよりんとコーヒーを伴に常と変わらぬなんてことはない雑談をする。陽が傾き始めた頃には何とはなしに解散する流れとなった。
そうして三人を玄関で見送り、その背中が見えなくなってから石田はこめかみを押さえて呟いたのだった。
「写真送ったほうが良いのか……?」

それから凡そ一時間後。
「院長、本日のカンファについて確認が……」
空座総合病院の内科部長が院長室に足を踏み入れた時、部屋の主たる院長はじっと携帯端末の画面を凝視していた。
その様子がどこかただならぬ雰囲気であったので、内科部長は恐る恐る声を掛ける。
「……どうかしましたか、院長?」
「いや……」
院長・石田竜弦は端末をテーブルに伏せ、僅かに目を細めながら呟いた。
「生きていれば良いことがあるな、と」
「はあ……」

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◆◆◆◆◆

特に知っていてもいなくてもいい裏話:出張先で竜弦にコーヒー受けとしてぴよりんを差し出した剛の者がいたらしい。

【雨竜視点】とある夏の日

 昨晩までの雨なんて降っていなかったかのような顔をした青い空から刺すように降り注ぐ日差しとまとわりつくような熱気に、玄関から一歩足を踏み出すなり顔をしかめる。
 玄関の鍵を閉め、日傘を差して朝八時の住宅街を歩く。目的地のバス停からなるべく早くバスに乗れることを願いながら、少しだけ早足で。
 屋根のないバス停に辿り着くと、バスはすぐにやって来た。冷房の効いた車内はがらんとしていて、後部座席に座ってようやく一息つく。流れる窓の外の景色を見ながら、今年も夏がやって来たのだなと意識の上澄みで考えた。
 目的地の図書館前でバスを降りて、建物内に足を踏み入れた。開館直後の人気の少ない図書館は、エアコンがよく効いて少し寒いくらいだ。立ち並んだ書架にはひとまず目もくれず、自習スペースの方へ足を運ぶ。
 自習スペースは既に埋まりかけており、なんとか一席空いた場所を確保した。
 ノートと問題集をカバンから出し、問題集に取り組みながらふと考える。
 ──そういえば、今年の夏休みは図書館で茶渡くんと井上さんに会ってないな。
 自分と同じように涼を求めた二人の友達と図書館に自然と集まって宿題や読書をして、近くの店で一緒に食事をして……昨年はそれが「夏休み」であった。無論毎日ではなかったが、週に三回はそうしていたような気がする。
 ──二人共、進学はしない予定だと言っていたから、そうなるのか。
 同じ町に住んでいるのだから、今はまだ会おうと思えばいつでも会えるものの。
 ──今年が高校最後の夏休みと考えたら、そんな機会は今しかないのかもしれないのか。
 ──……少し、寂しいな。
 どこか上の空の心で、解いた問題を淡々と答え合わせしていく。正答率は九割、恙無い。
 腕時計を見ると、既に正午を回っている。何か食べに出ようかと荷物をまとめて図書館を出たところ、来た時と比べて日差しが弱い。空を見上げると、あんなに晴れていた空が重たい雲に覆われ始めていることに気付く。
 ──ひと雨来るのかもしれない、洗濯物が心配だから帰ろう。
 思案の結果そんな決定を下して、バス停に足を向けた時。
「よう、石田」
 慣れた霊圧、聞き慣れた声。立ち止まり、道の数メートル先を見る。夏の暑気で少しだけその姿が揺らいで見えるような気がしたが、見間違える筈もない。
 歩きながら、その男に声を掛ける。
「……やあ、黒崎」
 何故ここにいるのか、と聞く必要はない。
 得意でもない霊圧探知でこの場所を探したのだろう。
「なんでここまでわざわざ僕に会いに来たんだ? 僕は今、帰ろうとしているところなんだけど」
 歩みを止めずに問い掛けると、黒崎は当然のように付いてくる。
「午前中は多分スマホ見てないって井上に言われたんだよ、明日の夜暇か?」
 そんなに急を要する用事なのか、と僅かに身構えるが、黒崎は常と変わらず自然体で続ける。
「明日の花火大会、オマエも来るだろ?」
「……」
 ──そんな事を言いにわざわざ会いに来たのか。
「何かと思えば……君も受験生だろう」
「勉強勉強じゃ息が詰まるだろ……って啓吾がうるさいんだよ」
「浅野君は息抜きしすぎだろう……」
 受験生だというのに遊びたがる浅野も、そんな浅野に乗せられてかわざわざここまで誘いに来た黒崎にも。呆れると同時に、肩の力が抜ける。
「分かった、行くよ。どうせ今年で最後なんだ」
「それ啓吾の前で言うなよ、アイツ泣くから」
 彼なら本当に泣きそうではある、そう想像して思わず笑い出してしまいそうになると同時に。
「……僕も彼と似たようなものだよ」
 思わずこぼれたその言葉に、黒崎は「そうか」とだけ呟いた。
 いつの間にかバス停には辿り着いていて、バスが道路の向こうから姿を見せていた。
「じゃ、啓吾達には俺から伝えとく」
 バスに気付いた黒崎はひらりと手を振ると、背を向けて元来たのであろう道を歩いて引き返し始めた。
「あ……黒崎」
「ん?」
 バスが停まる前に思わず呼び止めると、黒崎が振り向いた。
「……また明日!」
 バスのドアが開く寸前で声を張り上げると、黒崎は少しだけ驚いたような顔をしてから唇の端を上げ、
「おう、明日な」
 その言葉を聞き届けて、バスのステップに足を掛ける。
 また明日と言って返ってくる声。こんな何でもないやり取りで何故だか胸の内がむず痒くなるが、それでも奇妙な晴れやかさを覚えた。
 運転手に回数券を渡し、空いている席に腰を下ろす。
 窓の外を見ると、黒崎はのんびりと歩道を歩いていた。
 君も日傘くらい差したらどうなんだと言うべきか、と思いながら窓から見えるよう小さく手を挙げると、気付いた黒崎がこちらに向けてひらりと手を振った。
 バスはすぐに黒崎を追い抜き、黒崎の姿は小さくなっていく。
 ──そう言えば黒崎に最後に会ったのは、一週間前の終業式以来だったか。
 ──明日になれば茶渡くんや井上さんにも会えるだろうか。
 ほんの一週間彼らに会わなかったというだけで寂しいと感じるだなんて、と内心で自分に苦笑しつつ、そんな自分が嫌いではないことにも気付く。
 ──楽しみだな。
 浮つき始めた心はそのままでバスに揺られながら、少しだけ頬を緩めた。
 
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石田家SS台詞オンリー9本ノック

「私からすればお前か叶絵の作った食事以外は全て等しく栄養以外の価値はない」
「それ絶対外で言うなよ……」
「冗談だ」
「冗談に聞こえないんだよ」

こんな感じで台詞オンリーのやつがひたすら続きます