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少年と幽霊

※ショタザベ(人間)×木星シャリ(怪異)の現パロ。
※CP要素はまだ薄め。続くかもしれないし続かないかもしれない。続いたらエグシャリになる。

◆◆◆

 エグザベが「ゆうれいさん」の存在に気付いたのは、間もなく小学生になろうかという頃だった。

 休日に家族で公園に遊びに行った時、木立の中に紛れるようにしてその男は立っていた。
 伸び放題の髭とぼさぼさの髪に汚れた作業着を着ているその男は、灰色だった。まるでその男がいる場所だけ、世界から色が無くなったかのように。
 父親とキャッチボールをしていたエグザベはその男に気付いて、ボールを手にしたままその男を見詰めた。その男の存在はこの明るい昼下がりの公園において間違いなく異質であり恐ろしいと感じたのに、エグザベは男から目を離せなかった。
 その灰色の男はどこを見ているのかも分からなかったが、ふとゆっくりと首を動かした。伸びた前髪から、男の目が覗く。ぱちり、と目が合った。その男の目が、全てを吸い込む底なし穴のように見えて。エグザベが小さく息を飲んだ時、父が自分の名を呼ぶ声がした。すると辺りからはしゃぐ子供の声や鳥の鳴き声がエグザベを包み込むようにわっと湧き上がり、エグザベはこの時、自分はしばらくの間何も聞こえなくなっていたのだと気付いた。
 父の方に視線を向けると、数メートル先でグローブを着けた父親が立ってグローブをはめた方の手を振っていた。エグザベは慌ててボールを投げ返してから、また木立の方を見る。先までそこに立っていた筈の男の姿は既になく、エグザベは目を瞬かせた。
 自分は何を見たのだろう、と首を傾げながらも、エグザベはそのまま父親とのキャッチボールを続けた。
 それから、その灰色の男はその後時折エグザベの行く先々に現れた。そして自分以外にこの灰色の男は見えないのだとエグザベが気付くのにもそう時間は掛からなかった。
 あの人は「ゆうれい」なのではないか……テレビで放送される心霊特集バラエティを見て、エグザベはそう考えた。テレビの中の「ゆうれい」はそこにいるだけで人々に怖がられ、あるいは手形を壁やガラスに残したり、誰もいないはずの場所で物を動かしたりしている。そして「ゆうれい」は、見える人と見えない人がいる。
 だからテレビが言うようにあの男の人はきっと「ゆうれい」なんだ。でも何か悪いことをするわけでもなく、ただ黙ってそこにいて、時々僕を見るだけだ。
 ──ぼくだけにみえる、ゆうれいさん。
 そう思った時、どういうわけか胸がとくんと鳴った。
 そしてこれは「ときめき」と呼ばれるのだと……そう、単語だけは知っていた心の動きを、エグザベは生まれて初めて自覚したのだった。

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「あなたに首ったけ」

 あまりにも浮かれているのではないか、と。

 恋人に贈るプレゼントが入った紙袋をショップで受け取りながら、シャリアはそう我に返った。
 明日は交際を初めてから初めて迎えるエグザベの誕生日であった。
 せっかくなら何か特別なものを、と考えたシャリアは、エグザベの喜びそうな、それでいて実用的なものを、と考えてネクタイを贈ることにした。
 それもただのネクタイではなく、シャリアが愛用しているブランドの物を。
 そうしてショップに足を運ぶと、自分のネクタイと色違いの新作が出ているのを発見してしまった。黒にペールグリーンのコントラストが美しく、自分が使うには少し若すぎる気がするが、エグザベのような若く美しい青年にはとても良く似合うだろうと思い、シャリアはそれをプレゼントとして選んだのだ。
 ところがいざ美しい化粧箱に入ったそのネクタイを店員に見せられ、包装紙に包まれたその箱をショッパーごと受け取ったシャリアは今更に我に返り、そして気恥ずかしさが込み上げてきたのだった。
 そうは言っても当日は誕生日祝いのディナーの予約が入っている。エグザベはモビルスーツの調整のために出勤予定なので、レストランに入っているホテル前で待ち合わせてディナー後は部屋まで取ってあるのだが……冷静に考えて、自分は何から何までは浮かれ倒して恥ずかしいことをしているのでは? と、我に返ってしまったことをきっかけに自分が組み立てた予定を次から次へともう一人の自分が指摘してしまう。
 お揃いのネクタイを贈った挙句ホテルの部屋を取ってあるのは、それはもう……十一も歳下の恋人相手にやりすぎ浮かれすぎなのではないか。
 プレゼントとしてネクタイを贈る意味をエグザベが知っているかどうかは怪しいが、ホテルに部屋まで取られたらもうあまりにも分かりやすいのではないか。いやしかし、自分にはろくな恋愛経験がないので加減とか程度というものが分からない。三十代半ばの人間がする恋愛であればこれくらいはごく一般的なのでは?
 地下鉄に乗っている間から慣れた家路までぐるぐるとそんな益体もない思考を巡らせながら帰宅すると、トマトスープの良い匂いがする。合鍵で入ったエグザベが夕飯を作っているようだ。
 ショッパーをそっとクローゼットの奥にしまってからキッチンへと足を運ぶと、エプロン姿のエグザベがまさに火に向き合っているところだった。
「ただ今帰りました」
「あ、シャリアさん! お帰りなさい」
 声を掛けると、エプロン姿のエグザベが振り向いた。
「間もなく出来るので、少し待っていてください。今日はハンバーグとミネストローネです」
 お玉を手にそう言って微笑むエグザベは、古典的表象における若妻とはかくやと言わんばかりの可愛らしさ。抱かれているのは自分の方なのだが。待て、なんだこのホモソーシャルに染まったあまりにも中年くさい思考は。自分はまだそこまでの歳ではないはずだ。
 キッチンがよく見えるダイニングテーブルに腰を下ろし、いそいそと動くエグザベをアイスティーを飲みながら眺める。
 交際を初めてから、一人だと食事を適当に済ませてしまうシャリアのためにエグザベは料理を練習して、共に過ごせる時は手作りの食事を用意してくれるようになった。
 初めはホットサンドとインスタントのスープだったのがみるみる腕を上げ、今や手作りハンバーグとミネストローネである。そんな努力がいじらしいのもあり、シャリアは完全に胃袋を掴まれてしまった。
 キッチンからハンバーグの焼ける匂いが漂い初め、シャリアは目を細めた。
 初めての恋人にここまでされてしまっているのだから、浮かれてしまうのも仕方ないか、と。ひとまず、今日はそんな自分を受け入れることにしたシャリアなのであった。

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10 years after

 ジオン公国のアルテイシア総帥即位から十年が経っていた。
 アルテイシア自身が初めからそう望んでいたようにジオンはゆっくりと共和制に推移し、「ジオン共和国」成立から五年経った今では、ジオン国内の治安は随分と安定を取り戻したと言える。
 そうしてジオンの安定を認めたエグザベ・オリベとシャリア・ブルもまた、人生の転換点を迎えた。
 荷物を新居に運び込み終えた引っ越し業者のトラックを見送り改めて新居のドアをくぐりながら、エグザベはつい頬が緩みそうになるのを必死で堪えた。もう三十三になるというのに、ことシャリアのことになると感情が素直に表に出てしまうのを抑えられない。それは君の可愛いところでもある、とシャリアは笑うが、もう出会ってから十年経つのだ。ピカピカの新卒少尉であったあの頃とは違うのだと見せ付けてやりたい思いくらいはある。
 リビングに足を踏み入れると、ソファに腰を降ろしているシャリアがローテーブルに置いたケトルで湯を沸かしていた。エグザベが戻って来たのを認めたシャリアは、柔らかな微笑みを浮かべる。
「疲れたでしょう、インスタントですがコーヒーを用意します」
「ありがとうございます」
 エグザベはシャリアの隣に腰を降ろし、その体に緩く腕を回す。初めて出会った頃、そして正式に恋人関係となった頃と比べると随分痩せた。最近はデスクワークが増えたとは言え政権交代後の数年間は激務に次ぐ激務を潜り抜けてきたのだ、その頃に失った体重はまだ完全に戻っていない。自分がそうさせたという自覚もあってエグザベは少し複雑な思いと共にシャリアを抱き締める。
「こら、コーヒーが淹れられないでしょう」
 エグザベの思いを知ってかあえて無視してか、シャリアは呆れたようにエグザベの手をぺちんと軽く叩いた。勿論痛くもなんともない。エグザベはそれがとてもむず痒く思えて、誤魔化すようにシャリアの耳元で囁いた。
「お湯が沸くまで……」
「すぐに沸きますよ」
 シャリアは呆れて言いながら、エグザベの髪を梳くように撫でた。その感触が心地よくて、小さく喉を鳴らす。
 シャリアの言う通りにケトルはすぐに湯が沸いたことを知らせ、エグザベは渋々シャリアから体を離す。シャリアは丁寧な手つきで、二人分のマグカップに湯を注いでインスタントコーヒーを淹れていく。インスタントとは言えシャリアが気に入っている銘柄のそれは豊かな香りをリビングに立ち昇らせた。
 右手でマドラーを持ったシャリアはカップを押さえながらコーヒーをかき混ぜる。カップを押さえる左薬指に光る銀色の指輪に、エグザベは思わず言葉を詰まらせた。
「どうしました、エグザベ君?」
 シャリアがエグザベにマグカップを差し出した。九年前だったか、シャリアの監視という名目で同じアパートに住んでいた頃に買った、色違いの揃いのマグカップの片割れ。シャリアはオリーブグリーンを、エグザベはオレンジを。それらは今もシャリアの手の中にあって、新居で初めて飲むコーヒーで満たされていた。
 長かった、と、シャリアからマグカップを受け取りながらエグザベは思う。
 思いを自覚してから十年、恋人関係になってから九年、それから正式に籍を入れるのにこんなに時間が掛かるとは思わなかった。それでも、どれだけ時間が掛かっても、確かにここまで来たのだ。
「……今日この日を迎えられて、本当に良かった」
 エグザベが呟くと、シャリアは目を細めて「そうですね」と笑った。
「我々がプライベートを優先しても問題ないくらい、ジオンは安定しました。君とコモリ大尉が頑張ってくれたお陰でもあります」
「貴方が一番働いていたじゃないですか。僕とコモリ大尉にどれだけ怒られても、そんなに痩せるまで」
 涙声になりながらエグザベはコーヒーを口に運ぶ。コーヒーはゆっくりと喉を通り、体を温めていった。
「でも、もういいんです」
 エグザベはマグカップをローテーブルに置いて、シャリアの膝にそっと手を乗せた。エグザベの左薬指にも、シャリアと揃いの指輪が光る。
「道程はどうあれ、僕達はここまで来た……僕達はやっと、家族になれたんです。僕はもう、それだけで幸せです」
 シャリアもマグカップを置くと、エグザベの手にそっと己の左手を重ねた。重なる温かな体温にエグザベは口元を綻ばせ、そっとその手を掬い上げると手の甲に口付ける。
「……改めて、これからは家族として。よろしくお願いします、シャリアさん」
 エグザベの言葉にシャリアは顔を赤くしながらも、「こちらこそ」と珍しくはにかむような笑顔を見せたのであった。

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with you.

 ここではない何処かに行きたい、とまでは言わない。
 ただ漠然と、見たことのないものをこの目で見てみたい。

 エグザベの中にそんな想いが芽生え始めたのは、ジオンが新体制となってから一年ほど経った頃だった。
 正式なジオン国籍を取得しているとは言え、難民上がりゆえにいつでも吹けば飛ぶような価値の命で生きるために失敗は許されなかった旧体制下。その頃と比べれば今の職場は随分恵まれていて、真っ当に人として扱われていると感じる。
 だからなのか、同僚のコモリ曰く「極まった無趣味」であったエグザベは少しずつ趣味や好きなものを意識するようになり、その中で風景写真を見るのを好むようになった。
 雄大な山脈や果てしなく広がる海原、鏡のように光る湖と、それらは主に地球の風景を写した写真であったが、一際エグザベが心惹かれたのは極地や雪原……雪景色の写真だった。
 自分のギャンを思わせる白銀の雪。地球の一部地域では、冬になると大気の作用によって空から雪が振り、世界を白く染め上げるのだという。恐ろしくもあるが、なんと美しいのだろう。
 雨はコロニー内部で降ることもあるが、雪をわざわざ降らせるようなコロニーは観光用途以外で存在しない。きっとほとんどのスペースノイドがそうであるように、エグザベは雪を見たことがない。
(いつか、見てみたいな……) 
「なるほど、君が今興味を持っているのはそれですか」
「わっ!?」
 背後から声を掛けられ、ソファの上で跳び上がるエグザベ。その拍子に膝の上に乗せて読んでいた写真集がカーペットの上に音を立てて落ちたので慌てて拾い上げた。図書館で借りてきた物なのだ、傷つけるわけにはいかない。それから振り向くと、同居人にして恋人のシャリアがバスローブ姿で立っていた。
「驚かせてしまい申し訳ない……と言いたいところですが、珍しく気付かないとは随分集中してようですね」
「あ、いえ、集中といいますか……」
 四人掛けソファのすぐ隣にシャリアが腰を下ろす。シャワー上がりの高い体温がすぐ側にあるので、エグザベの心臓がつい跳ねた。しかし動揺している事を押し隠すポーズくらいは取りたくて平静を装う。
「今日、図書館で借りてきた写真集の写真があまりに綺麗だったので。いつかこの目で見ることが出来たら、と」
 エグザベは写真集を持ち上げて、シャリアに表紙を見せる。『地球・雪の世界』というシンプルなタイトルのその写真集を見て、シャリアは顎に手をやった。
「ふむ……地球ですか。以前任務とマチュ君達の訪問を兼ねて訪れたのは赤道に近い地域でしたから、こうした景色とは無縁でしたね」
「はい。僕の中での地球って、ああいう青い空と海に高い気温と湿った空気ってイメージだったんです。学生時代の地球降下訓練は一瞬でしたし……だからこんな景色があるとは思わなくて、図書館で写真集を借りてきてしまいました。いつかこの目で直接見てみたいです」
 エグザベは写真集を開くと、山の中に建つ古城が雪で白く染まった写真を撫でた。この写真は一際気に入っていた。
「そうですか。渡航時期を選ぶ必要はありそうですが……君ならすぐに旅費も貯められそうだ」
 どこか他人事のようなシャリアの言葉に、エグザベの胸がじりりと焦がされた。
 もうとっくに恋人関係だと言うのに、少なくともエグザベはそう思っているのに、この人は時折こうしてやけに他人行儀な態度を取る。距離を取るような、わざとエグザベから離れようとするかのような……これが試し行為ならまだ良かったのだが、残念ながらシャリアのこれは無自覚だ。
 いい、分かってる。こんなの今に始まったことじゃない。だから何度だって。エグザベは写真集から顔を上げて、眼前のシャリアを睨むように見詰めた。
「あんたの旅費も僕が稼ぐからな」
 シャリアは何も言わずエグザベを見詰め返している。その翡翠の瞳の中の虚無のその更に奥にまで届かせるように、エグザベは啖呵を切った。
「あなたも一緒に来るんだ。……僕の見たいものを、あなたにも見てほしい」
「……」
 シャリアの長い睫毛が揺れて瞼が降りる。また瞼が上がった時、その瞳の奥には小さな光が灯っていた。そしてくすりと肩を揺らして笑う。
「……やっぱり、君には敵いませんね。そう言われると、私分の旅費は私が持つので一緒に行きますと言いたくなる」
「言えばいいじゃないですか、僕より稼いでるだろ」
「ええ、そうですね。……君の旅に、私がついて行っても?」
「付いて来いってさっきから言ってます」
 子供みたいな拗ね方をしている自覚はあった。そしてそんな自分の子供じみた仕草をシャリアがいたく好んでいることも知っている。
 だけど少し拗ねて見せるくらいは許して欲しいとエグザベは思う。どれだけ思いを伝えればこの人に全部伝わるというのだ。
「……ありがとう、エグザベ君。楽しみにしています」
 そんなエグザベに、シャリアは更に距離を詰めてその身体に両腕を回した。慈しむような抱擁に、エグザベの中の拗ねる思いはあっという間に萎んでいく。
(僕だって、こういう時のこの人には敵わない)
 だから僕は、この人と一緒に旅をしたいのだ──その思いはきっと筒抜けているのだろうが、構うことなくエグザベもまたシャリアを抱き締めた。

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日の出前、君の帰りを待ちながら

「落ち着いてください」
「……落ち着いていますよ」
「嘘言わないでください」
 アルテイシア陛下直通の報告書を作成していたタブレットから顔を上げて拳三つ分ほど空けて隣に座る上司を横目で見ると、先までずっと落ち着かない風に手足を組み替えながら手術室の扉を睨んでいたシャリア・ブル中佐は動きを止めた。それから膝に腕を付き、床を見ながら深々とため息を吐き出した。
「……申し訳ない。そうですね、今の私は酷く平静を欠いています」
 中佐のこんな姿を見ることは珍しい。私と中佐、そしてエグザべ君のスリーマンセルを基本単位として行動するようになってから、中佐は随分感情表現豊かになった。初めは驚いたが、ソドンにいた頃の何を考えているか分からなかった中佐よりずっと好感が持てると部下として思う。
 けれど、ここまで悲壮感も顕に動揺している姿は、それでも珍しいのだ。
「信じましょう、エグザベ君ならきっと大丈夫です」
 扉の向こうから死の匂いは感じられないし、どれほど悲惨な目に遭おうと生き抜いてきた彼が、こんなところで死ぬわけがない。
 私の言葉に、中佐は俯いたまま「そうですね」と呟き、マスクで隠れていない口元をどこか不器用に歪めた。
 
 事が起きたのは、およそ二時間前。
 私達三人は、連邦でも悪名高い極右派閥と旧ザビ派がコンタクトを取るという情報をキャッチしてジオン国内のとあるコロニーで行われるパーティに潜入した。
 お約束と言うべきか、私達の潜入は連邦側のニュータイプ──中佐が言うには強化人間、人工ニュータイプというやつらしい──に察知され、ちょっとした銃撃戦にまで発展した。その中でスナイパーからの狙撃から中佐を庇ったエグザべ君が(スーツの下に防弾チョッキを着ていたとは言え)重傷を負って病院に担ぎ込まれた形になる。
 連邦側の強化人間の少女は中佐によって発見次第拘束、銃撃戦をおっ始めた連中もエグザベ君を撃った狙撃手を含めて待機していた別働隊によって早々に全員拘束された。彼らは現行犯扱いで警察署行き、私達の任務の目的であった危険勢力の情報入手も完了し、それらは既に総帥府へ引き渡された。
 私達の今日の仕事は既に終わっていて、だからこうして病院の廊下で二人並んでエグザべ君の手術が終わるのを大人しく待てるわけだ。
 実際、手術室の扉の向こうから仄かに感じられるエグザべ君の気配からは、あの背筋が薄ら寒くなるような死の匂いのようなものは感じられない。私ですらそう感じられるのだから、エグザべ君が死にそうにないこと中佐に分からないはずがない。
 ただそれでも、理屈でなく恐ろしいのだろうと思う。この不器用な上官は、部下である私やエグザべ君のことを本当に大事にしていて、特にエグザべ君はこの人にとって人生のパートナーになるかもしれない……何よりも大事な人だ。それくらい大切な存在が自分を庇って倒れたのだから中佐とて取り乱しもするだろう。
「エグザベ君の手術が終わって容体を聞いたら、仮眠を取ってください。エグザベ君に付いていてもいいですが……とにかくちゃんと休んでください。エグザベ君だってきっとそう言います」
 陛下への報告書を送信してからはっきり言い聞かせるようにすると、中佐は私の方に顔を向けた。肉眼では見えないけれど、きっと仮面の下は潤んでいる。
「……ありがとう、コモリ中尉」
「中佐のお目付け役として当然のことを言っているまでです」
 私の言葉に、中佐の口元が緩む。落ち着いてくれたようだ。
 それからお互い何も言わずに時が過ぎるのを待ち、そうして一時間経った頃。
 流石に疲労が勝ち始めて舟を漕ぎ始めた頃に手術室の向こうから微かな安堵の思念を感じたのではっと目を覚ます。
 思わず背筋を伸ばして中佐の方を見ると、その目は既に扉の方へ向いていた。仮面を着けていても分かるくらいにその表情には安堵が溢れていて、少し気が早いような気もしたのだけれど。よく頑張ったエグザベ君、と私も思わず呟いていた。
 それからしばらく経って、全身麻酔から目を覚まして話せるようになったエグザベ君が「ずっと二人が傍にいるような気がしていました」と照れる様子もなく言ったものだから。私も中佐も、大怪我をしていても変わらないその笑顔の眩しさに見事に焼かれる羽目になるのだった。

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交際マイナス一日目

※監視役をやっているエグザベと同じ家で監視されているが満更でもないシャリアがまだ付き合ってないやつ

===============

 体の丈夫さにだけは自信があったというのに、朝目が覚めると全身が奇妙に熱い。
 熱を測ってみれば38.4℃。
 体を起こそうとしたが、ずきずきと鈍い痛みが体重を掛けたところから存在を訴える。無視するな、お前は今風邪を引いているんだぞ、と。
 エグザべはバタンとベッドの上に倒れ込んだ。
「……あー……」
 意味をなさない呻き声を上げ、熱で上手く回らない頭の片隅で同じ屋根の下に住む思いを寄せる人のことを考える。
 いつから風邪を引いていたんだろう、うつしていないといいけど……そんなことを思っていると、コンコンとノックの音がした。
「エグザべ少尉、何かありましたか」
 ドアの向こうから、監視をある種口実に同じ屋根の下に住んでいる上官の声がする。
 風邪ひきました。うつしたくないので来ないでください、と苦手な感応で伝えようと試みる。するとガチャリ、と部屋のドアノブが下がる音がした。
「なるほど、入りますよ」
 なんでだよ!?
 思わずそう叫ぼうとした瞬間、喉がつかえて勢いよく噎せた。

 ◆◆◆

 部下のコモリに今日は自分もエグザべも出勤できない旨を連絡してから、シャリア・ブルは開けたフルーツの缶詰の中身を皿に乗せてエグザべの部屋へと向かった。
「コモリ少尉に我々二人分休みの連絡を入れて来ました。ナシの缶詰を開けましたよ、気分はどうですか」
「……」
 額に氷嚢を乗せたエグザべは、ぼんやりした目でシャリアを見る。
「あなたまで休まなくても……」
「ウイルス性だったらコモリ少尉に移すわけにもいかないでしょ。まあ元より君は明日非番予定でしたから、今日一日様子を見ても熱が下がらないようなら明日病院へ行きましょう」
 ベッドの脇に持ってきた椅子に座り、シャリアはフォークに刺したナシを軽く持ち上げる。
 エグザべはどこか不服そうな顔をしながら体を起こした。
「どうぞ。まず何かお腹に入れましょう」
 シャリアの差し出したナシに、エグザべは口を開けて齧り付く。
「食べ続けられそうですか?」
 咀嚼し終えるのを待ってから尋ねると、ぼんやりした声色で答えが返ってきた。
「……甘いです」
「はは、シロップ漬けされてますからそりゃあね。後で栄養ゼリーを買ってくるので、昼はそれを食べましょうか」
 こくり、とエグザべは頷いてからまた口を開けた。どこか抜けてはいるものの根本的にしっかり者であるエグザべのその甘えるような仕草が新鮮で、シャリアはそのまま全てのナシを手ずから食べさせた。
 救急セット内で手付かずであった風邪薬を飲んだエグザべは、肩までタオルケットをかぶってまた横になる。
「それでは少し買い物に出ます。すぐ戻りますが、何かあったら呼んでください」
「うぅ……あなたを一人で外に出すなんて……」
「薬局に行くだけです。どこにも行きやしませんよ」
 シャリアは笑いながら、首に下げたドッグタグをちらりと揺らした。
「私の居場所なんて、君にもコモリ少尉にも常時筒抜けなんですから」
 そんなシャリアにエグザベは少しだけ不服そうな顔をしてから、寝返りを打ってシャリアに背を向けた。
 そうして自宅のフラットを出たシャリアが薬局で買い物を終えて帰宅すると、エグザべはベッドの中ですっかり寝入っていた。
 氷嚢の氷を入れ替え、肌に浮く汗を拭いながらその寝顔を見守る。普段からコロコロとよく変わる表情の持ち主であるために幼い印象すらあるが、初めて見る寝顔は随分精悍だ。
 少しはだけてしまっていたタオルケットを引き上げてやると眠っていたエグザべのまつ毛が震え、瞼が上がった。
「ん……中、佐」
「ああ、起こしてしまいましたか」
「いえ……眠りが浅いのはいつものことなので……」
 そう言いながらエグザべは欠伸を一つ。首筋に触れて熱を見ながら、シャリアは小さく眉をひそめた。熱はまだ下がっていないし、日頃から睡眠が浅いというのも心配だ。
「それは心配ですね」
「大丈夫です、睡眠時間は確保できていますから」
「睡眠は質も重要ですよ、医者からの受け売りですが」
「……あなたも、睡眠のことで医者にかかったりするんですね」
「私を何だと思ってます?」
 苦笑しながら、エグザべの額を撫でて汗で張り付いた前髪をどけてやる。
「これでも戦後しばらくは不眠が続いたんですよ。二年もすればマシになりましたが、薬がないと眠れない時期もありましたね。ご希望ならクリニックを紹介します」
「……検討しておきます」
「睡眠は健康の資本、健康は全ての資本です。自分を大事にする意味でも、重視してください」
「……自分を大事に、ですか」
 うっすらとエグザベの瞳が潤んだ。じりり、とエグザベの心が粟立つのが分かる。
「考えたこと、なかったな……」
「少しずつ慣れてみてください。私やコモリ少尉が大事にしている君が君自身を大事にしていなくては、我々も寂しいですよ」
「大事に……」
 シャリアの言葉でざわ、とエグザベの心の内に波が立つのと同時に、エグザベの目尻から一筋涙が零れた。
「ほんとに、いいんですか。僕が、自分を大事にして、大事にされて」
 ぶわり、と、風に煽られた花の香が眼前に舞うようにエグザベの心の片鱗がシャリアの脳を擽る。人好きのする青年を心の芯まで巣食う虚無に胸を締め付けられ、シャリアはエグザベの手を握っていた。
「当たり前です。自分を大事にする権利は万人にある。まして君はいつも他人のことばかりでしょう、私に生きろと叫んだ時だってそうだ。例えそれが君の選択であったとしても……君の中に、君がいない」
 きっと私が言えたことではない、とシャリアは思う。シャリアがセルフケアを覚えたのは、ただ理想とする世界のためにそうするのが都合が良く、その時が来るまで死ぬわけにはいかなかったからだ。打算でセルフケアを心掛けていた自分が、エグザベには自分を素直に大事にして欲しいと願うのはきっとエゴでしかない。
 それでもこの願いを恋や愛と呼ぶことを許されるのなら、喜んでそう呼ぼう。例え自分から告げることが無くても、君にそれを捧げることで少しでもその心の穴を埋められるのならば、きっと悪くない。
「〜〜〜〜ッ、うぅ、」
 何かが決壊したかのように、次から次へと涙を零すエグザベはしゃくりあげながら背中を丸めた。まるで幼い子供のように、けれど声は押し殺して。そして縋るようにシャリアの手を握り返す。
 風邪で体調を崩し心のガードが緩んでいるせいか、握った手からとめどなくエグザべの感情が流れ込んで来た。
 痛い、怖い、苦しい、寂しい、辛い、悔しい、助けて、許して……ずっと蓋をしていた穴から溢れ出すかのように次々溢れるそれらの感情をシャリアはすべて受け止め、涙が伝う頬にそっとタオルを当てた。
 己の命に見切りをつけ再び虚無へ還ろうとしていた自分に新たな光を灯したこの青年が、これまでの人生でどれほど傷付いてきたかを思う。どれだけ世界に裏切られ傷付けられ利用されることが生存戦略になってしまっても他者を思いやり対話をやめようとせず、それなのに自分を大事にするという発想もないこの青年への愛おしさと哀しみにじりじりと胸を焦がされながら、手に力を込めた。エグザベから溢れる思いごと包み込むように、抱き締めるように、どうかこの青年が幸せであるようにと。
 エグザベはシャリアに縋ったまま、しばらく声を殺して泣いていた。
 エグザベが落ち着いてから、シャリアは水を注いだグラスをエグザベに差し出す。エグザベは体を起こすと目を擦り、グラスを受け取った。ちびり、と水を飲んでから、「ありがとうございます」と少し掠れた声で呟いてから洟をすすった。
「……中佐」
「なんですか」
「風邪、治ったら、あなたに伝えたいことがあります」
「今ではなく?」
「……今だと、あなたに甘えてしまいそうで」
 エグザベがグラスを握る手に小さく力を込める。発熱している上に泣き腫らしたばかりの目は真っ赤だが、何か覚悟でもしたかのように力強い目をしていた。
 いよいよこの時が来るか、とシャリアは目を細めた。
「後悔するかもしれませんよ」
「しないし、させません」
 そう言い切るエグザベの声は掠れているが、とても力強い。伝わる思念も、熱でまともな思考も難しいだろうに雑念の無い澄んだ覚悟に満ちている。
 自分はとっくのとうにこの青年に恋をしているというのに、それでも将来のために自分を選ばないで欲しい、などという考えはこの青年からすればきっととても身勝手なものなのだろう。受け止める覚悟をしなければならない──シャリアはそう心を決めると、「分かりました」と頷いた。
「待っています、あなたが良くなるのを。それでも心変わりがないなら、聞きましょう」
 覚悟を決めて、そしてきっと彼は逃げないと分かった上でまだ逃げ道を用意する自分は卑怯なのだろう、とシャリアは自嘲する。しかしシャリアの言葉を聞いたエグザベは、サイドボードにグラスを置いて脇に退けていた氷嚢を手に取りながらそれでも笑った。
「逃げませんよ。あんたからは絶対に逃げないって、決めてるんで」
「────」
 その真っ直ぐな目に射抜かれる。主にシャリアに対してだけ発揮されるエグザベの勘の良さに、今回ばかりは叶わない、と思わず笑いが込み上げた。
「……分かりました、待っています。早く良くなってください」
 これ以上病人に無理をさせるべきではない、とエグザベの肩に手を置く。エグザベは笑って自分からベッドに横たわると、シャリアに向けて小指を立てた手を差し出した。
「すぐ良くなってやりますから、待っていてください。約束です」
「ええ、待っています」
 小指に小指を絡めて、二度三度と揺らす。
 どこか睦言にも似たその指切りで、ふと甘いものが食べたくなる。次の休日には二人でカフェにでも行こうかと年甲斐もなく浮かれてしまったシャリアは、そんな自分に苦笑いを抑えられない。
 しかし同時に、小指を繋いだエグザベがあまりに幸せそうなので、今からそんなに幸せになってしまって君はこの後どうするんですか、と、苦笑いを浮かべるより先に声を上げて笑い出してしまったのだった。

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恋人が姫騎士メイド服を買ってきたもので

※攻めの女装と受け優位

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「……また凄いものを買ってきましたね」
 ベッドの上に広げられたそのドレス……否メイド服……ワンピース……? とにかくその一見レディースものに見える服を見て、シャリアはなんとコメントしたものか困り果てた。
「これを私に着ろと」
 床に正座している若き恋人に尋ねると、エグザベは小さくなりながら答えた。
「う……いやその、福袋に、入ってて……」
「何買ってるんですか」
 改めてその服を見て、シャリアは呆れてしまった。白いサテン生地で作られたロングワンピースに更に白いフリルエプロンが重なるような意匠で、ワンピースの裾は金刺繍のテープで縁取りがされている。ワンピースには深いスリットが入っており、ご丁寧に一の腕が隠れる手袋や白いニーハイソックスまで添えてある。
 偶然にしては出来すぎな気もするが、エグザベの愛機にそっくりな配色である。
「たまには何か未知に挑戦してみろとあなたがいつも仰るので……」
「だからってこれが入ってるような福袋を買いますか……」
 そう言いつつエグザベが空恐ろしくなるほどの無趣味であることを思い出し、シャリアは痛む頭を押さえた。無趣味が極まるとこれを偶然買うことがあるのか、とつい感心してしまう。
 エグザベは目を逸らしながらぼそぼそと呟くように言い訳をしている。
「メンズサイズとあったので、その、あなたに着て欲しいなあ、などと……」
 一つ訂正。エグザベは無趣味だが、一般人であれば映画や本や音楽、スポーツに向くような興味関心は概ねシャリア・ブル一人に向いている。あれをシャリアさんに着て欲しい、これをシャリアさんにやって欲しい。つまり「趣味:シャリア・ブル」。それを知るのはシャリアとシャリアの部下にしてエグザベの同僚であるコモリ少尉くらいなのはまだ社会的に真っ当と言えなくもない。
 若いうちからこれなのはちょっとよろしくないのでは? とシャリアとしても思い、折を見てはあれこれ趣味の取っ掛かりになりそうなことをエグザベにやらせてみているのだが、この様子を見るにその努力が実っているとは言い難いらしかった。
 長い目で見てやらねばならないとは思うのだが、たまに出す自我がこれなのでエグザベの望むままにするのも考えもの……とシャリアはしばし考え、一つ閃いた。
「私にこれを着て欲しい、とのことですが。これ、私が着られるようなサイズなんですよね?」
「え、はい。サイズ表記を見るかぎりでは」
「なら、あなたも着られますよね」
「…………えっ」

 ◆◆◆

「……着れました」
 ドアの向こうからのエグザベの声に、シャリアは部屋へ足を踏み入れる。
 部屋の中央には、先の白いワンピースドレスを着ているエグザベが困惑も隠さず立っている。
 頭に飾られているヘッドドレスを見るに、どうもメイド服という最初の印象は間違っていなかったらしい。喉仏は付け衿で、一の腕までは白い手袋で隠されているものの、アームドレスから覗く筋肉質な肩と腕や凹凸の少ない胴体には男らしさがどうしても滲み出ている。深いスリットとニーハイソックスの隙間から僅かに覗く太腿も男らしく硬い。エグザベの体格はむしろ細身な方なのだが、軍人として付くべき筋肉は付いているのが思いがけず女装によって露わになった形だ。
「姫騎士メイド、らしいです。コンセプト」
「属性過多ですねえ。姫でメイドってなんなんですか」
 キシリア・ザビの騎士たれと育てられ真っ当な人生を剥奪されたこの青年が自我の再獲得の中で偶然得た服が姫騎士メイドとは。益々不謹慎な笑いが込み上げてくる。
「……あんた何か変なこと考えてません?」
「ふふ、すみません、考えていました」
「深くは聞きませんけど……」
 どうせ碌でもないことを考えているんだろう、とエグザベの顔に書いてある。シャリアはベッドに腰掛けると、自分の膝を叩いた。
「こちらへどうぞ、姫騎士メイドさん」
「むぅ……」
 エグザベは頬を膨らませながら、シャリアの膝の上にまたがるようにして腰を降ろした。
「そうですね……折角あなたがお洒落をしているのですから、ロールプレイでもしますか」
「ロールプレイ、ですか?」
「ほら、君は今『姫』であり『騎士』であり、『メイド』なのでしょう?」
「っ……」
 エグザベの顔が羞恥でいよいよ真っ赤になる。
 その姿に、日頃ほとんど顔を出すことのない加虐心がつい煽られ、シャリアはエグザベの顎を掬った。ああこれがキュートアグレッションというやつか、と知識だけはあった単語の意味を実感する。
「ね、お返事は?」
「……仰せのままに、ご主人様」
 首を傾げて返事を促すと、エグザベの目が据わった。私好みの目だ、とシャリアは口角を上げる。
「ん、いい子ですね」
 唇を緩く重ね合わせ、白いサテン地で覆われた腰骨のラインを撫でる。
「私の言うことを聞ければ、ご褒美をあげます」
「貴方の望むままに」
 シャリアが差し出した手をエグザベは掬い上げ、甲に一つキスを落とした。堂に入ったその仕草に思わず背筋がぞくりと粟立つ。だが今はドレスを着せられ膝の上に跨るというなんとも煽情的な姿勢をしているので、そのアンバランスがおかしくて堪らなかった。
 いつしかエグザベから伝わる思念は困惑以上にシャリアへの直向きな愛情が勝り始めている。こんなわけの分からないプレイををしているというのに相も変わらず感情の切り替えが早くて、それを笑うべきか嘆くべきかシャリアにも分からない。分からないままにエグザベをベッドに引き倒し、その腰を抱いた。
「ああそうそう、さっきのはときめいてしまったのでノーカウントとしますが、今日はご主人様である私の許しが出るまで勝手に私に触れてはいけませんからね」
「ええ!?」
 腕の中のエグザベが心底残念そうな声を上げたので、シャリアは愉快に思いながら腕の中のエグザベをぎゅうと抱き締めた。
 さてこの「姫騎士メイド」をどうやって可愛がってやろうか、などと不埒なことを考えながら。

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ザベギャンを発売日に買えなかったので書きました。

君よそのままで

※最終回後、コモリ視点

==========

 ──おおかた、難民が新しい主人に体を使って取り入ったんだろ。

 基地の食堂でその声が「聞こえた」瞬間、頭にカッと血がのぼったのが分かった。
 まずその悪意が向けられた先である向かいに座るエグザべ君の方を見やるが、彼は顔色に変化もなくランチセットのハンバーグを頬張っている。
 次いで勢いのままその悪意の主を探そうと首を捻った瞬間、とんとん、と。何か硬い物がテーブルの板面を叩く音で我に返った。
『今は、抑えて』
 斜向かいに座る、ボールペンを手にした上司──シャリア・ブルは唇をそう動かし、ゆっくり首を横に振った。
 そうだ、まずは深呼吸。
 目を閉じて、ゆっくりと呼吸をして、それから意識して脳のチャネルを絞る感覚。聞こえてくるものは仕方ない、だけど受け流せ……よし、少しはマシになった。
 目を開けると、エグザべ君が不思議そうに私を見ていた。
「……どうかした?」
「なんでもない」
 私は肩を竦めて首を横に振る。それからちらりとエグザべ君の隣のシャリア中佐の方を見て……ぎょっとした。人でも殺せそうな程の冷たい目で、私の左後方を睨んでいたのだ。
 ──私よりずっと怖いキレ方してるじゃないか、この人!
「中佐っ!」
 思わず小声で咎める。すると「失礼」と中佐は一つ瞬きをしてから、にこりと人好きのする……しかし今は底冷えするような笑顔を浮かべた。
「大丈夫です、顔は覚えたので」
 その声色は一見にこやかだが、背筋がぞっとするほど冷たい。
 中佐からしたらエグザべくんは可愛い部下で、同時に恋人でもあるのだ。そんな大事な存在を侮辱されたらキレて当然だ、当然だけれど。
「ッ……お気持ちは分かりますが、抑えてください! ね!」
 私が小声で叱ると中佐は顔を伏せて緩く笑った。
「流石にこんなところで暴れたりはしませんよ」
「……?」
 自分を侮辱した人間に私と中佐がキレていたことなど露知らず、エグザべ君は不思議そうな顔で私と中佐を交互に見ている。
 ああ、エグザべ君よどうか鈍感なそのままで、と思わず願う。
 あんな酷い侮辱が聞こえたところで、きっと君はどんな傷を付けられてもなんてこと無いと受け流せてしまうから。
 それならきっと、何も聞こえないほうがマシなのだ──私は頭痛を堪えながら、すっかり冷めてしまったコーヒーをカップから一度に飲み干した。

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誓いは笑顔と共に

「一緒に指輪、作りたいです」
 崖から飛び込むかのような半ば決死の覚悟で、エグザベは朝食の席で向かいに座るシャリアに告げた。
 朝食を終えてコーヒーを飲みながら紙の新聞を読んでいたシャリアは、エグザベの言葉に新聞をめくる手を止めて目を瞬かせる。
「指輪、ですか」
「……指輪です」
「結婚ではなく」
「今の貴方、偽の戸籍しかないでしょ」
「一応本物扱いの戸籍ですよ?」
「嫌ですよ、『シャリア・ブル』以外の名前の人と籍入れるの。僕が好きなのは『シャリア・ブル』であるあんただ」
 子供のように唇を曲げるエグザベに、シャリアはまた目を瞬かせてからくすりと笑い、かさかさと音を立てながら新聞を閉じた。
「そうですね、『シャリア・ブル』はMIA扱いですから、『シャリア・ブル』と『エグザベ・オリベ』が籍を入れるのは不可能だ」
 通称「イオマグヌッソ事件」と呼ばれるあの内乱から三年が経つ。
 シャリアは世間に対して自身の正体が『シャリア・ブル』であるということを隠し、偽の戸籍を用いて生活していた。この戸籍はアルテイシア総帥やランバ・ラル将軍が用意した本物扱いの戸籍ではあるが、エグザベはシャリアが偽名を用い続けていることが気に入らないことを事あるごとに主張していた。
 それは今回のような、「指輪を作る」という疑似的な婚姻に至っても一貫している。シャリアとしては、エグザベ個人のあらゆるものに対する拘りの薄さの中で、シャリアが『シャリア・ブル』であることへの拘りが如何に特別かを思うとそう悪い気はしなかった。
「いいですよ。行きましょうか、指輪を作りに」
 シャリアの返答に、エグザベの表情がぱっと明るくなる。
「あの、ショップとか実はもう調べていてっ」
 嬉々としてタブレットを取り出すエグザベに、シャリアは思わず笑みを深めた。
 この年下の恋人と共に生活するようになるまでには紆余曲折があった。
 キシリア近衛部隊の隊長であったエグザベはイオマグヌッソでの事件後しばし本国に拘束され、シャリアはアルテイシアの庇護の下で怪我の治療の入院を余儀なくされた。やがてアルテイシアの即位に伴った恩赦でエグザベは想定され得る罪を不問とされ、エグザベとシャリアはコモリ・ハーコートと共にアルテイシア直属の特務部隊に配属されることになる。
 部隊での顔合わせ当日、何も知らされていなかったエグザベはあまりに見知った顔がそこにいたので安堵のあまり笑いながら泣き出してしまい、そこでシャリアは初めてエグザベが自分に明確な恋慕を抱いていることを知ったのだった。ソドンに配属されていた頃は新たな上官への疑念・憧れ・不信・尊敬・感謝で揺れ続けていたこの青年の感情がまさかそこに着地するとは、とシャリアは呆れながらも年甲斐もなく喜ばしいと思ってしまった。
 生きて責任を取れと叫び、空っぽの自分に再び生きる意味を灯してくれた青年にあまりに素直な好意が存在することに、求められることの喜びを覚えてしまったのだ。
 しかしその場にいたコモリにもこのエグザベとシャリアの心の動きはばれていた。エグザベ君のことあんまり弄ばないであげてくださいよ、とジト目で釘を刺され、知られていることを知らぬはエグザベばかりなり……といった状態からシャリアもエグザベもそれぞれ押し引きを繰り返してなんとか交際に至ったのが二年前、同棲までこぎつけたのが一年前である。
 それがいよいよ指輪まで来たか……と、シャリアは感慨深く思いながらエグザベが見せて来るジュエリーショップの情報を眺めた。
 エグザベの現在の階級は中尉。特務部隊所属に伴う特別手当が出ているが、それを考えても尉官の給料ではかなり背伸びをしているであろう価格帯の店も見受けられる。この時のために貯金を続けていたのだろうと思うと我が恋人ながらいじらしい。
 この店はああだこうだと言い合いながら二人でしばし同じタブレットの画面を眺めていたが、華やかな結婚式を上げる男女の写真を見た時にぽろりとエグザベからこぼれた言葉をシャリアは耳聡く聞き留めた。
「……本当は、式も挙げたいです。呼べる人、少ないですけど」
「じゃあ挙げますか、式」
 聞き留めたその言葉に、ほとんど反射でそう返していた。
 えっ、と驚いたようにエグザベがタブレットから顔を上げた。
 まさか承諾されると思っていなかったのか、とシャリアは遠慮癖が抜けきっていないエグザベを慈しむように見つめる。
「二人だけでも、せめてコモリ中尉を呼ぶだけでも……きちんとした形で以て我々二人の未来を誓い合いながら指輪を交換するのはきっと、悪いことではないでしょう。挙式とはきっとそのための儀式です」
「未来、を……」
 エグザベの反応を見るに、挙式への希望は結婚式というものへの素朴な憧れから出たものでそこまで考えていなかったらしい。それがどうにも可愛らしくて、シャリアはエグザベの頬に手を伸ばした。
「ただの『エグザベ・オリベ』と『シャリア・ブル』が未来永劫共に在れるよう、ね」
 エグザベの頬に触れてみると、少し熱い。エグザベの手がシャリアの手に重なり、シャリアの手を自身の頬に押し付けながらエグザベは目を細めて笑った。
「……挙げましょう、式。やることも調べることも増えますけど」
「そうですね、一緒にやっていきましょう」
 シャリアと同じ未来を見られる喜びで、エグザベは笑っていた。
 そしてシャリアもまた、未来を見られる幸せで胸の内が満たされるのを感じていた。

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首輪は陽だまりのいろ

※最終回後、監視役ザベと監視対象シャリアの同居設定。
※特にアルテイシア政権周りを色々捏造しています

===============

「シャリアさん、そろそろ起きてください。洗濯機回したいんですけど」
 頭上から降って来る声に、シャリアは呻きながら寝返りを打つ。
 その様子を見たエグザベはシャリアのシーツを掴んで引っぺがそうとする。シーツを奪われまいとシャリアはすかさずシーツを固く握った。
「あと今日こそは朝から買い物行こうって寝る前に言いましたよね僕! そろそろ卵とか牛乳とか無いんですが! あっこらふざけんな!」
「……はあ……」
 シャリアはシーツを頭から被りながら、これ見よがしに溜息を吐いた。そして隙間からエグザベをじっとりと見る。
「『首輪』になってからすっかり生意気になっちゃいましたね、君」
「誰のせいだと思ってます!?」
 築二十年の一軒家に、エグザベのやや控えめな怒声が響いた。
 その声にシャリアはくつくつと喉を鳴らして笑い、シーツの中からエグザベに向かって手を伸ばす。エグザベは「もう……」と呆れながらその手を取ると自分の頬に押し当てた。
「……朝ごはん、早く食べてください。このままだと冷めたものしか出せなくなります」
「ふふ、それは嫌ですね」
 シャリアは指先でエグザベの頬をすりすりと撫でてから、眠い体に鞭打つようにシーツを撥ね退けた。
 
 ◆◆◆

 ジオンの内乱の首謀者の一人として軍籍を剝奪されたシャリア・ブルがアルテイシア・ソム・ダイクン政権下で与えられたのは、その名と素顔を隠した上での「首輪」付きでの生活であった。
 本来なら終身刑か死刑、良くて生涯軟禁生活のところをそのようなことになったのは、彼がアルテイシア即位の影の立役者であることに対する政治的配慮がアルテイシア即位による恩赦という形で働いた為である。
 公的にシャリア・ブルという男は既に死んでいる。
 ザビ家独裁政権打倒という結果を齎しはすれどジオンに混乱を引き起こした「最強の人間兵器」が生きていては国民感情へ不安を与えかねない……それがシャリア・ブルの判断であり、同時にアルテイシアが同志の男に対して行える人としての配慮だった。
 シャリア・ブルが生きていることを知る人間はごく僅か。
 現在シャリアは、ズムシティ郊外の小さな家で慎ましやかに生活している。
 「首輪」──エグザベ・オリベ中尉と共に。
 
 ◆◆◆

「腕を上げましたね」
 エグザベの用意した朝食のスクランブルエッグを口に運び、シャリアの頬が綻んだ。
「ありがとうございます」
 向かいに座るエグザベは、照れ臭そうにしながらもその誉め言葉を真っ直ぐに受け取って笑っている。
 毎朝の朝食を用意するのはエグザベの役割だった。特に決めているわけでもなく、ごく自然とそうなった。
「で、今日はなんでしたっけ」
「買い物です。やっぱり通販だけじゃ味気ないですよ、ここは貴方の家なんですから」
「私の家、ねえ」
 シャリアはマーマレードの乗ったトーストをかじりながら、向かいに座るエグザベを見る。
 エグザベはシャリアの監視役という任務を帯びてこの家に住み込んでいる。そもそもこの家自体、シャリア・ブルの監視のため……という名目で国が所有しているが、内実はごく普通の一軒家だ。当分の間はここで大人しくしていてください、とはシャリアをこの物件に押し込んだアルテイシアからの言伝である。
 エグザベを伴ってさえいれば外出に制限があるわけでもないので元部下のコモリも引き連れて何やらきな臭い場所を引っ搔き回しに行くこともあるが、基本的にはこの家で本を読んだり料理をしてゆったり過ごすのがシャリアの日常だった。
「あくまで私の『首輪』である君にとってここは家ではない、ということですか?」
 トーストの最後のひと欠片まで咀嚼し終えてから揶揄うように尋ねると、エグザベはむうと唇を曲げた。
「そんなわけないじゃないですか。もう出世は望めなくなりましたが関係ありません、僕の希望を聞き入れて下さったアルテイシア総帥には感謝しています。貴方の帰る場所に僕はなれたんです」
「……」
 そんな恥ずかしい台詞を臆面もなく吐けてしまうのだから、やはりこの青年は末恐ろしい。
 シャリアは自分の方が恥ずかしくなってしまい、コーヒーの入れてあるマグカップに手を伸ばした。
 目の前に座るこの青年には帰る家というものがない。グラナダにいた頃に住んでいた宿舎はとっくに引き払っている。
 だから今日からここが私の家であり君の家ですね、とこの生活を始めた日に言ってみた時には顔を真っ赤にしていたが、もうとっくに今の生活を当たり前のものとして受け入れているらしい。いやはや若者の成長は早い。
 こんな真っ直ぐな心根の青年だからこそ彼は私の光なのだ──と、シャリアはブラックコーヒーを啜りながら目を閉じた。直視するには眩しすぎると今でもこうして思う程に。
 それでも、と、またシャリアは瞼を上げた。エグザベはタブレットで新聞を読みながらミルクのたっぷり入ったコーヒーを飲んでいる。安物のTシャツにルームパンツという、監視役とは思えないリラックスしきった格好だが、これが彼の素の姿なのだと思うといつもこそばゆい心地になる。
 ──空っぽの自分でも、彼の居場所になれているようだ。
 砂糖もミルクも入っていない筈のコーヒーが恐ろしく甘く感じて、シャリアはそんな自分に年甲斐もなく、と静かに苦笑いした。
 

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ふわふわの日常

※犬化したエグシャリがシャアに飼われてる
※一応現パロ

 ==========
 
 自分の周りをころころと駆け回る小さな茶色い毛玉を目の隅に留めながら、シャリアは一つ欠伸をした。
 冷房の効いた涼しい室内の隅に敷かれた大型犬用の冷たいカーペットが、夏の間のシャリアの気に入りの場所だった。
 飼い主の帰りを待ちながら、エアコンという人間が生み出した文明の利器とカーペットの冷たさを思う存分に享受する──そんなシャリアとは対照的に、同居犬のエグザべは体を動かすのが好きらしい。
 ほんのふた月前に怪我をしているところを拾われ、怪我が治ってからも飼い主が見つからずそのまま住み着いたエグザべはまだ幼い子犬だった。柴犬と他の小型犬のミックスらしく、バーニーズマウンテンドッグのシャリアの背中にエグザべがすっぽり乗ってしまうほど体格に差がある。
 エグザベにもシャリアの隣に中型犬用の冷たいカーペットが用意されているのだが、エグザべはそこには収まらず、いつもシャリアの傍で駆け回るかおもちゃで遊んでいた。
 ──シャリアさん、シャリアさんっ。これで遊びましょうっ。
 エグザべが尻尾を振りながら咥えてシャリアに見せてきたのは、音が鳴るぬいぐるみだった。鳥を模したそのぬいぐるみはシャリアが子犬の頃よく遊んでいたもので、今はすっかりエグザべの気に入りである。
 しかしシャリアはエグザべの背中越しに、ひっくり返ったおもちゃ箱を見た。
 エグザべは体が小さいので、おもちゃ箱からおもちゃを出す時に毎回おもちゃ箱をひっくり返している。
 ──遊ぶのはいいですが、先に片付けましょうねえ。
 シャリアはのっそり立ち上がっておもちゃ箱へ向かうと、鼻先で倒れたおもちゃ箱を元に戻した。
 ──あ、ごめんなさい……。
 クゥン、と小さく鳴いてエグザべがおもちゃを咥えたまま項垂れる。おもちゃを落として尻尾もしゅんと丸くなるのを見て、シャリアはその顔をぺろりと撫でた。
 ──いいんですよ、君はまだ小さいんですから。
 シャリアは床に散らばったおもちゃをぽいぽいと箱に放り込むと、エグザべが落としたぬいぐるみを咥える。
 ──元気が一番です。せっかく怪我が治ったんですから、沢山遊びなさい。
 咥えたぬいぐるみをそのままほいとリビングに向かって飛ばすと、エグザべはぱっと目を輝かせ、小さな四肢を目一杯に動かしてぬいぐるみを追いかけたのだった。 

 そして飼い犬達のそんな様子を、スマホでペットカメラ越しに眺めて癒されている男が一人。
 シャリアとエグザべの飼い主、シャア・アズナブルその人である。シャアは部長デスクで私用スマホから堂々とペットカメラ越しに愛犬たちを眺めていた。
「ああ〜……可愛い、あまりにも可愛すぎるな、うちの天使たちは……」
 そんなシャアを部下のドレンが横目で見る。
「部長、仕事してください」
 しかしシャアは意に介さず、ペットカメラアプリの映像をドレンに見せつけた。
「さっきの会議のためだけに出社しているんだぞ、これくらい許されるだろう。ドレンも見ろ」
「若いのに示しがつかんでしょうが……む、保護した子元気になったんですか」
「ああ、もうすっかり元気だ」
「それは良かった……はい、それじゃ仕事してください」
「ちっ、騙されんか……」
 シャアは舌打ちすると渋々私用スマホを脇に置いてノートパソコンに向き合う。しかしその頭の中は、家で待つ天使たちのことでいっぱいなのだった。

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夢浮橋

 ただひたすらに、足を動かすことしか頭になかった。
 後ろから聞こえてくるのは怒声、罵声、悲鳴、何かが崩れる音、爆発音、あまりにも大きすぎる銃声。
 目の前は暗闇だった。それでも走ることしか出来なかった。足を止めたら、あの音に捕まってしまうから。
 怖かった。
 あの嫌な音達に心を全部飲み込まれて、自分もそういうものに変えられてしまいそうで。
 だからひたすらに走った。周りに何があるのかも、自分がどこに向かっているのかも分からず、彼は無我夢中で足を動かした。
 走って走って、息が上がりそうになった時、どすん、と。何かにぶつかった。走ってきた勢いのまま地面に転げる。
 見上げて初めて、自分がぶつかったのが人間の背中であると気付いたので彼は慌てて声を上げた。
「わ、ごっ、ごめんなさい!」
「……?」
 その人がのろのろと振り向いてこちらを見た。薄汚れた作業着を着ていて、髪も髭も無造作に伸び放題のその男は、長い前髪の隙間から彼を見た。
 その人の目を見た時、思わず息を呑んだ。何も反射しない、光のすべてを吸い込んでしまうような虚ろな目。それなのに……どうしてか、その目をとても美しいと、思ってしまった。
 同時に、その目の美しい虚ろが、ひどく痛々しいものに見えた。
 男はしゃがんで彼に目線を合わせる。
「……大丈夫、ですか」
 しかしその動作は人でないものが人の真似事をするようにぎこちなく、声はひどく陰鬱だった。
「あの、どこか痛いんですか」 
 彼は男に向かって思わず尋ねていた。
「ごめんなさい、僕、絆創膏とか何も持ってなくて」
「……」
 彼がそう続けた言葉を聞いてか、男はゆっくりと瞬きをする。そして、ぽつりと呟いた。
「君だって、痛いでしょうに」
「僕は平気です」
 さっきまでどこか痛かったような気がしたが、もうどうということはなかった。
 走ってる間に痛いのは忘れられたし、さっきこの人にぶつかって転んだ時は不思議と痛みはなかった。
 だから、もう平気なのだ。
 そう主張する彼を見て、男は小さく俯いた。何か変なことを言ってしまっただろうか、と彼が焦っていると、男は緩やかに首を横に振った。
「君が平気なら、私も平気です」
「……?」
「ありがとう。君は、優しい子ですね」
 男は表情一つ変えずにそう言いながら、彼に手を差し出した。
 彼がその手を取ると、強い力で引っ張り上げられる。そのまま二本の足で地面を踏み締めると、男の手が離れていく。
「……この先も、気をつけて。どうか幸運を」
 男はそう言い残すと、ゆっくりと彼に背を向けた。彼が思わず手を伸ばした時には、男の姿はもやのように掻き消えていた。

 ◆◆◆

 ふと、シャトルの中で目を覚ます。
 焼かれた故郷を追われた人々がすし詰め状態の船の中でその少年に与えられたスペースは、少し体を折り畳んで横になれる程度の広さだった。
 もう何日も着替えていないし風呂にも入っていない。最後の食事は十時間前。空腹を我慢するためにほとんどの難民がただ横になるか座るかして運ばれているだけの、どこへ向かうのかも分からない航路。
 ほとんどの者と同じように体をただ床の上に横たえ、少しずつ細くなり始めている指を見詰めながら、その明るい茶髪の少年は夢の中で出会った誰かを思った。
(……絆創膏、持ち歩いてれば良かったな)

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