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それはもぎ立てのオレンジのような

※シャリ受けワンドロワンライお題「壁ドン」
※キケロガvsギャン後妄想

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 シャリア・ブルの搭乗したキケロガは、キシリア親衛隊のギャンを、その大多数の手足のみをビームで破壊するという超精密「砲」撃によって無力化した。
 唯一まともにキケロガと渡り合った白い隊長機はキケロガを寸でのところまで追いつめたが、ハクジの無力化によりキケロガが辛勝、隊長機を鹵獲することに成功した。
 しかしギャンを鹵獲したMS形態のキケロガの動きは、鹵獲というよりさながら抱擁のようであったのだが──キシリア・ザビによるクーデーターという前代未聞の混乱の最中で、それを気にする者はほとんどいなかった。

 ◆◆◆

「ヒゲマンさあ、アイツ壁ドンするつもりだったらやめた方がいいよ、勘違いされるから」
 ソドンのモビルスーツ格納庫。
 ジークアクスのコックピットから降りてきて同じくギャンと同じくソドンに連れて来られたギャンのコックピットを覗きに行こうとしたマチュのすれ違いの言葉に、シャリアは眉をひそめた。
「壁ドンとは?」
「えっ嘘無自覚でやってた? こわ~……」
 本気で引いているマチュに、さっさとしなさいとコモリが声を掛ける。マチュはひらりと手を振り、無重力空間の中で身を翻した。
「それじゃ後でねー」
「ええ、後で……ああ、なるほど」
 ジフレドの方へ向かうマチュの背中を見ながら、彼女の言う「壁ドン」が何を指すかようやく気付く。
 相手を壁際に追いやり、逃げ道を防ぐようにして壁に手を突く、あの動作。あの時は焦りのあまり行儀の悪いことをしてしまったが。
 なるほど、若者の言葉ではあれを壁ドンと言うのか……と、シャリアは一つ学習した。
 ソドンはひとまず補給基地であり、ジオンにおける事実上の二つ目の首都・グラナダを目指している。
 鹵獲されたのはジフレドとキシリア親衛隊隊長機であるギャン、そしてそのパイロット達。
 いずれもあのクーデーターの中心にいたが、彼らがニュータイプとしてのキシリア・ザビに利用されていたことはシャリアの目には火を見るよりも明らかであった。自分が五年間で築き上げてきた権力や人脈を使えばどうとでも解放してやれる……シャリアはそう考えていた。
 一つ、個人的な悩みがあるとしたら。
 親衛隊隊長のエグザベ・オリベとシャリア・ブルは、恋仲であった。

 ◆◆◆

「気分はどうですか」
 独房に足を踏み入れると、部屋の隅で壁にもたれて立っていたエグザベが顔を上げた。手錠こそ掛けられていないがパイロットスーツを着たまま、その顔には傷の最低限の手当てがしてある。
「ずっと放っておいて申し訳ない、この軽い尋問が終わったらシャワーを浴びられるよう取り計らいます」
 シャリアはそう声を掛けながらエグザベに近付く。
「悪いようにはしません、尋問というより面談とかそういう性格の物なので」
「……」
 ひどく気まずそうに、エグザベはシャリアから目を逸らした。
 その仕草がシャリアの胸にチリリとささくれたような痛みを齎す。
 先までのマチュとの会話を思い出し、シャリアはエグザベが壁際に立っているのをいいことにその顔の横の壁に両手をついた。
 エグザベがハッとして顔を上げる。シャリアより背が低く体格も細いエグザベはシャリアの体の影にすっぽり収まる格好になる。
 シャリアはエグザベに顔を近づけ、低い声で尋ねる。
「……後悔は、していませんか」
 エグザベは陰の中で今なお光を失わない美しい目で睨むようにしてシャリアを見上げた。
「……ありません。僕は生き延びるために、僕の命を拾ってくださった方のために僕に出来る選択をしました」
「嘘ですね」
「……」
「親衛隊は君同様に身寄りのない難民や戦災孤児が中心。軍事法廷で君が彼らを庇えば確かに彼らの罪は軽くなるかもしれませんが、ここは法廷ではありません。所詮はいち軍艦の営倉であり、私は君の元上官として君から話を聞きたいのです」
「っ……分かっていた筈でしょう、僕はキシリア様からの間者としてソドンに来た。どうして僕に優しくしてくださるんですか。僕の懐を探るためですか」
「今更君の懐を探ったところでなにも出て来やしないでしょう」
 親衛隊隊長という身分でありながらキシリアから何も知らされず大虐殺の片棒を担がされたこの青年をひどく哀れに思いながら、シャリアはエグザベを見下ろした。エグザベはなお睨むようにシャリアを見上げていたが、
(ああ、やっぱり綺麗な人だなあ)
 うん?
 エグザベから聞こえて来た心の声にシャリアは思わず眉を上げた。
(シャリア中佐、やっぱり綺麗な人だ。髪がまだ生乾きだ、きっとシャワーを浴びて髪を乾かす暇もなかったんだ、それなのにこうやって僕に会いに来てくれた。うん、これなら処刑される時も一番新しいこの人の思い出を抱えて死ねるのかな。それならきっと僕は幸せだ)
「待ちなさい、待ちなさい!」
 思わず大声を上げたシャリアに、エグザベがびくりと肩を震わせた。シャリアはその両肩に手を置き、エグザベに視線を合わせる。
「君、この小一時間で死への覚悟まで終わらせたって言うんですか? 誰もそんなこと言っていないでしょう!?」
 マチュやジフレドのパイロットの方にシャリアが付いていたために代わりにエグザベを営倉まで連行したのはコモリ少尉やコワル中尉だが、彼らは決してそのようなことを言う人間ではない。むしろ彼らはエグザベがキシリアに利用されていた可能性が高いとシャリアに聞かされて同情的になっていたほどだ。
 シャリアが見たことも無いほどに焦るのを見て、エグザベは困惑したように首を傾げた。
「ええ、ですが……クーデターを決行した勢力は、その首謀諸に近い者は皆殺しがセオリーなのでは?」
「ッ……」
 そのあまりにあっけからんとした言い様に、言葉を失う。
 この青年の生死に対する認識が麻痺しているわけではない、と思う。
 自分の命の勘定が恐ろしく軽いというのもまた違う。
 ただ、「どんなに頑張っても人間死ぬときは死ぬ」という諦念があまりにも絶対的な原則として彼の芯を貫いているだけで。
 シャリアは無我夢中でエグザベの体を抱き締めていた。彼がソドンを降りる前、最後に抱き締めた時よりほんの僅かに体格がよくなっている。
「……させませんよ、絶対に」
 どういうわけか、シャリアの方が泣き出したい気分であった。己の人生に対する諦念があまりに強烈で、死への恐怖で泣くことも出来ないこの青年の代わりに泣くことが許されるならばどんなに良いか。恋人とは言えジオン軍人である自分にそんな権利があるわけがない。
 エグザベは、おずおずとシャリアの背中に手を回した。
 どうしてこの人がこんなに悲しんでいるのか分からない。でも、この人には悲しまないでいてほしい。
 そんな温かで優しい思念が彼の手から伝わり、シャリアはエグザベを抱く腕に力を込めた。
 エグザベはどこか困惑したまま、おずおずとシャリアに尋ねた。
「……中佐は、僕が死んだら毎年花を供えに来てくれますか」
「ッ……そんなことはあと四十年くらいしてから考えなさい」
「生きてていんですか、僕」
「当たり前じゃないですか。君は、生きていていい人間なんです。例え本国やグラナダが何を言おうと、君の味方が誰もいなくても、私が絶対に君を守ってみせますから」
「そっか、僕って生きてていいんだあ……」
 エグザベはどこか他人事のように呟いてから、ぎゅうとシャリアを抱き締め返した。
(中佐の腕の力強くて苦しいな、でも嬉しい、この人はまだ僕を好きでいてくれているんだ)
 そのどこかピントのずれた感想に苦笑しながら、シャリアは腕の力を緩めた。エグザベはするりとシャリアの腕の中から抜け出すと、床を蹴って無重力に浮遊しながらシャリアの目を見た。
「……シャリア・ブル中佐、僕はどうして貴方がそんなに悲しんでいるのか分かりません。ですが、貴方にはこれ以上僕のことで悲しんで欲しくない、だから理解できるよう努力します。もしかしたらそれが、貴方が望むニュータイプ同士の理解と共感かもしれないと思うので」
 シャリアの背後に回ったエグザベは、体ごと振り向いたシャリアの体を壁際に追い詰めた。シャリアの肩を挟むようにしてエグザベの両手が壁に突かれる。
「こんな時にごめんなさい、やっぱり嬉しいので、キスさせてください」
 本当にこんな時、だ。あまりに素直な青年にシャリアは苦笑した。
「録音していたらどうするつもりだったんですか」
「していませんよね?」
「まあ、していませんが」
 エグザベの顔が近づく。シャリアは目を閉じて、そのキスを甘んじて受け入れた。数ヵ月ぶりのキスは苦かったが、それでも不思議なほどに甘かった。

 ◆◆◆ 

 一方その頃、隣の独房と隣の隣の独房。
 壁越しに伝わってくるそれこれにマチュとニャアンはうるさいと騒ぐことも出来ずひたすら唸っており。
 廊下では、何か必死で頭痛を堪えるような顔をしたコモリが立っていたという。

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ゆりかごのなかで

※最終回後エグザベ精神崩壊if
※以前書いたこの話との繋がりはありません

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 地球の片隅、大きな町からそう遠くない山間の村。
 かつて国の首都であった都市から車で片道三時間程度のその村は、一般的な集落としての村とは異なる性格を持っている。
 この村には小規模ながら設備の整った病院・療養施設が集中していた。村に点在する宿泊施設はそれらの施設の入院患者を訪れる見舞い客向けという性格が強く、定住しているのは大多数が医療施設に勤務する者とその家族。ともかく人の出入りの少ないこの村はとても静かであった。
 旧世紀中に発生した大戦の中で疎開者によって成立したこの小さな村に昨日新たな住人が加わった、と、村で小さな酒場を営む男は客の世間話で聞かされた。
 その新たな住人と同じ職場だという客の女曰く、家族がこの村の施設に入院するので付き添うためにこの村に住んで働くのだと。老いてはいないが若い印象もない男だという。その女の職場とは、この村の中でも特に奥まったエリアに建つ精神病棟である。女はそこで清掃員をやっており、人手が増えたと喜んでいた。
 この村の施設の入院患者の多くは世捨て人であったり、身寄りもない人間が半数以上を占める。入院する家族に付き添うためこの村に移り住む者はゼロではないが、そう多くない。珍しいもんだ、と思いながら店主の男はその話を聞いていた。
 そしてその噂の新たな住人を、店主の男は思いの外早く目にすることになる。
「サンドイッチとビールを」
 噂話を聞いた翌々日、聞き慣れない声がカウンターから聞こえた。
 カウンターに座っていたのは見慣れない男だった。長い前髪で左目を隠しどこか物憂げな雰囲気を纏っている。綺麗に整えられた口髭は都会の役所の人間じみていて、病院の清掃員という役職がどこか似つかわしくないように思えた。
「あんた、最近この村に越してきただろう」
 瓶に入ったビールとサンドイッチを出しながら言うと、男は「おや、わかりますか」と薄く微笑んだ。
「小さな村だからな、見ない顔がいれば分かる」
「なるほど」
 男は一つ頷くと、ビールを瓶から直に呷ってからサンドイッチにかぶりつく。一見粗野だが品のあるしぐさは、家族がこの村にいるとは言えますますこの小さな村に似つかわしくないように思えた。
 
 ◆◆◆

「掃除、入りますよ」
 シャリア・ブルが『イヴァン』という偽名を用いてこの精神病棟で清掃員として働き始めてから、およそふた月が経とうとしていた。
 生粋のスペースノイドであるシャリアは初めこそ虫や定まらない天候に辟易したが、ここが静かで小さな村であること、そして山の中の澄んだ空気と自然豊かな景色を気に入り始めていた。
 シャリアが掃除のため足を踏み入れた病室には、ベッドが一つ。そこにはぼんやりと焦点の定まらない目で天井を見ている青年が横たわっていた。
 ベッドに括りつけられたネームプレートには『Elias Francis』と記されている。
「おはようございます、エグザベ君」
 掃除道具を病室の隅に置いて、シャリアはベッドに歩み寄りながら声を掛ける。本名を呼び掛けてみても反応はないが、シーツをめくってその手に触れると仄かに温かなものが流れて来る。彼の心の芯にある優しさ、穏やかさ、そういうった形にならない輝ける美しいもの。大丈夫、まだ彼の心は死んでいない──それを確認して安堵し、シャリアはエグザベ・オリベの額をそっと撫でた。
 シャリアがこの病棟で清掃員として働き始めたのは、エリアスという偽名を用いてエグザベがここに入院しているからである。見舞いだけであれば面会時間は制限されるが、病院内部で働いていればもう少し長い時間彼と会うことが出来る。病院側もシャリアが仕事の合間にエグザベに会うことを容認していた。
 エグザベの部屋にモップを掛け、窓を拭き、全く使われていないゴミ箱の袋を交換する。ルーティンをこなしつつ、念のため部屋の各所に何か怪しい物が仕掛けられていないか確認する。シャリアもエグザベも、命を狙われる危険性の高い身であった。特にエグザベはルウムの難民でありながらキシリア・ザビの引き起こしたあの大虐殺に加担「させられた」キシリア親衛隊の若き隊長として好奇の目で見られることも多い。
 偽名を用いての入院及び居住、というシャリアの希望をこの村の村長は何も聞かずに受け入れた。昔からそういった訳ありの患者の多い村であり、それがむしろ連邦政府の介入を難しくしている特殊な地域であることが、シャリアが連邦内部に潜む間者からの情報でここを隠れ家とした理由であった。
「他の部屋の掃除が終わったら後で来ます、お話はその時に」
 病室の隅々までを検分し、異常がないことを確認したシャリアはエグザベにそう声を掛け、病室を後にする。
「イヴァンさん、この次204号室より先に205号室を先にお願いできます?」
 廊下に出ると看護師にそう声を掛けられたので、シャリアはにこやかに応じて205号室へと足を向けた。

 ◆◆◆

 スペースコロニー内部の空気と異なり、ここの空気はいつもどこかうっすらと水気を帯びている。だが今日のように晴れた日であればそれは決して不快ではなく、むしろ爽やかと言えるのであろう。
 仕事が休みの日に、シャリアはエグザベを車椅子に乗せて病院の外へと連れ出していた。
 ここは山間を切り開いて作った村ゆえに坂や階段が多いが、車椅子使用者が多いためかほとんどの階段や急な坂には専用のスロープが設えてあるので移動は楽なものだ。
「よく食事をするバーの店長に景色のいい場所を教えてもらいました、今日はそこに行ってみましょう」
 週に二度の外出はエグザベの脳に刺激を与えるという目的で担当医に勧められていたので、シャリアは毎回エグザべを村のあちこちへ連れ出した。
 車椅子を押しながら病院から三十分ほど緩やかな坂を上って歩くと、目的地に到着する。
 そこは村全体を見下ろすことの出来る視界の開けた原っぱで、ぽつぽつと野生の花が咲いていた。小さな木のベンチがいくつか置かれているのを見るに、住民の憩いの場らしい。
「ああ、なるほど。確かにここは良いですね」
 四方を山に囲まれたこの村において、視界が開けた高所というのはそれだけで気分転換になる。不思議な開放感に包まれながら、シャリアは一番眺めの良さそうなベンチへとエグザべの車椅子を押して行く。
「不思議なものですね。人間が何も設定しなくても太陽と月は巡るし、天気予定なんてものはない、予報は時たま外れる……全てコロニーでは有り得ないことなのに、気が付いたら慣れてしまっていました。空を見上げても対岸の街の明かりが見えないのにはまだ慣れませんが、そちらもすぐに慣れてしまう気がします。順応性というものがまだ私にもあったんですねえ」
 エグザべからの反応はない。それでもこうすることが大切なのだと、シャリアはエグザベに語りかけることをやめない。
「昨日バーで、越してきた時以来にここの村長と話をしました。君のことも心配していましたよ。珍しいくらいに医師としての使命に燃えている方です。君どころか私の面倒まで見てくれる奇特な方ではありますが……ええ、ありがたい話です」
 既に退役した身とはいえ、元ジオン軍人であるシャリアとエグザべに対するアースノイドの目は厳しい。ましてシャリアはジオン独立戦争の英雄であり、エグザべはイオマグヌッソを用いた虐殺に加担した部隊の隊長である。石を投げられてでも頭を下げる覚悟でこの村を訪れたシャリアは、深い事情も聞かず二人の受け入れを決めた村長の態度に唖然としてしまったものだった。
 曰く、医療とは万人に享受する権利があるものだと。
 曰く、他の場所での療養に命の危険がある患者のためにこの村は開かれるのだと。
 ただあんたのその格好はこの村で掃除夫として働くには小綺麗すぎる、とも言われたが。
 村長の言葉に邪気はなく、その心にも嘘はなく、きっとこの人は本気であらゆる患者のために身を尽くす人間なのだろうとシャリアは安堵し、エグザべとともにこの村への移住を決めたのだった。
 ベンチまでエグザベを連れて行き、抱き上げてベンチに座らせ自分もその隣に座ると、視界の隅に鮮やかな紫が目に飛び込んできた。
 そちらに目をやると、足元に紫の花が咲いている。
「これは……リンドウ、ですね」
 若草の中で群れになって咲く紫の花は、エグザベの瞳を思わせる。地球に降りて初めて見たこの花が、シャリアは好きだった。
 シャリアはエグザベの頬を撫でながら、その顔をそっとリンドウへと向ける。
「綺麗な花でしょう、まるで君みたいで」
 すると、ゆるり、とエグザべの頭が動いてシャリアの掌に押し付けられた。
「……!」
 反応があったことにシャリアは目を見開く。エグザべが外界からの刺激に対して反応することは滅多にない。
 シャリアは相好を崩しながら、指先でエグザベの頬をすりすりと撫でた。指先からエグザベの温かな感情が流れて来る。幼子が家族の腕の中で抱かれている時のような安心感。その感情からエグザベの反応が単なる反射ではないことが伝わり、シャリアは目を潤ませながらその肩を温めるように抱いた。
「ええ、そう、君の目はこんなに綺麗な色をしているんですよ。地球に降りて初めて知りました、君の目は大地に咲く花の色をしているんだと」
 だからと言うわけでもないですが、と、言葉を続ける。
「君はきっと大丈夫です」
 幾度も、エグザベだけでなく自分自身に向けて言い聞かせるように、根拠などなくとも発したその言葉。
 あの日、あの瞬間を境にエグザベの精神から何も見えなくなった時、そして、ギャンのコックピットから引っ張り出されたエグザベの目に何も映っていなかった時。一時とは言え部下の若きニュータイプとして目を掛けた青年の末路がこのようなものであることに絶望すればそれが最も楽な逃げであったのかもしれない。しかしシャリアにこれ以上の絶望は許されなかった。
 一通りの後始末を終えたシャリアは、シャアの後押しもありエグザベの看病に専念することに決めた。
 ──君が一番絶望してはいけないんだ。
 ──彼を思う者が、愛する者が信じ続ければ、彼は良くなる。
 ──ニュータイプ全てを救いたいと願い、私を見つけ出そうと暗躍してきた君が今更、一人の若者のために時間を使ったって文句は言わせないさ。
 私は刻を見て来たからな、と、ワインを揺らしながらシャアはどこか苦々しげな笑顔を浮かべていた。その笑顔はシャア本人ではなく、ましてシャリアやエグザベに向けられたものではない、どこか遠くの何かを見ているようだった。
 シャアが何を見たのか、シャリアは知らない。ただ、エグザベの傍にいてやりたいという願いを肯定されたことは確かに救いとなった。
「その目に命の色を宿している君なら、きっと大丈夫。私はいつまでも君の隣で待っていますから。辛抱強さには自信があるんですよ」
 快復を願う私の思いが伝われば良い。
 その願いに時折エグザベがささやかに応えるのが今のシャリアにとっての希望であり幸福だった。
 
 外部に存在をほとんど知られていない、山間の小さなゆりかごのような村。
 名を偽ってその村で暮らす二人の男がこの村から発つまでは、残り二年の歳月を要することとなる。

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(貴方と)したいこと

※最終回後同棲if

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「何かやりたいことはないんですか」
 軍を辞めるのであれば一緒に暮らそうと誘ったその人は、同棲初日、つまり退役した日の夜のささやかなパーティの終盤にエグザべの目を見ながらそう言った。
「やりたいこと……ですか」
 鸚鵡返しするエグザベに、シャリアは「やりたいことです」と頷いた。
「君にはマ・クベ中将の懐から一個小隊長というポジション相応の退職金が渡されている筈でしょう。まさかそれは全て貯金に回してすぐ就職活動をするなどと言いませんよね?」
「…………」
 まさにシャリアの言う通りのことを考えていたエグザべは沈黙する。
 やっぱりね、とシャリアは一つ頷いてから、グラスを傾けながら穏やかに続ける。
「子供の頃の将来の夢はなんでしたか?」
「将来の夢、ですか……」
 将来の夢、というものがあったことなど久しく忘れていた。
 エグザべが首を傾げて記憶を手繰ると、スペースグライダーのパイロット、パン屋、漫画家……と無軌道な「子供の憧れの職業」が次から次へと思い出された。
「随分色々な物に興味がある子だったのですねえ」
「子供の将来の夢なんて、そんなものじゃないですか?」
「もう少し大きくなってからは?」
「……覚えていない、です」
 嘘ではなかった。この人相手に嘘などついても意味がない。本当に何も覚えていなかった。
 進路希望の紙に何と書いて出したかも、覚えていない。
「なるほど」
 シャリアは頷き、グラスをテーブルに置いてナッツを一つ摘む。
「では、『自分』が本当に何をしたいか、何をしたかったも見えていないと」
「……はい」
「探してみては? 時間ならいくらでもあるんですから、じっくり時間を掛けて考えてみてもいいでしょう。分かりやすく将来の夢を例えに出しましたが、行きたい場所とか、食べたいものとか、そういうものでもいいんです」
「…………」
 エグザべが小さく頬を膨らましながら考え込むのを見て、シャリアは摘んだままのナッツをエグザべの閉じられた口元に運んだ。
 唇をナッツが押すのでエグザべが慌てて小さく口を開くので、シャリアはその隙間にナッツを押し込む。エグザべはそのままもそもそとナッツを咀嚼する。そのどこかリスを思わせる様子を見てシャリアがひっそり悦に浸っていると、ナッツを飲み込んだエグザべが「それじゃ」と口を開いた。
「シャリアさんと一緒に料理したいです」
「……料理ですか」
「その、一緒に台所立つのって家族みたいだなって、思って」
 駄目ですか? と、エグザべが上目遣いにこちらを伺うのでシャリアは小さく唸った。
 大多数がシャリアの自宅からの荷物の運び込みであった引っ越し作業の中で、キッチンにろくに調理器具が運ばれていないのをエグザべは見ている。シャリアがろくに料理をしないと分かった上で、それでも一緒に台所に立ちたいと言っているのだ。
 それはエグザべのささやかな我儘であり、この三大欲求以外の欲があまりない青年が我儘を言えるようになれば喜ばしいと考えるシャリアには効果覿面であり、何よりシャリアはエグザべのこの濡れた子犬のような視線にとにかく弱かった。 
「……いいでしょう、君の望みに付き合います」
 根負けしたシャリアがまた唸るようにして答えると、エグザべの表情がぱっと輝いた。
「それじゃ明日、鍋とかフライパンとか、買いに行きましょう!」
「……そうですね」
 まさかこの歳になってから初めてまともな料理をすることになるとは、と内心で自分に呆れてしまう。
 しかし見るからに表情を弾ませているエグザべを見ると、まあそれも良いかと思えるのだから、自分はつくづくこの年下の恋人に甘いのだとシャリアはしみじみ酒を舐めるのだった。

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 あんま関係ないけど言っておきたい補足:この世界線のマ・クベはキシリア親衛隊の若者達に内部のなんやかんやで退職金出ないと聞いて全員に自分の懐から相応の退職金あげてます。

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サンタクロースは夏にも来る

※時系列は3話後~5話くらい
 
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「エグザべ君の部屋、物少なすぎじゃないですか?」
 ランチタイムを少しすぎたソドンの食堂に人気は少ない。士官向けプレートをつつく副官であるコモリの言葉に、向かいでパイロット用プレートをつついていたシャリアは顔を上げた。
「エグザべ少尉の部屋、ですか?」
「さっき中佐のお遣いで書類渡しに行った時にちらっと見えたんですけど……生活感無さすぎでした。あんな狭い部屋のどこにも私物が見えないことってあります? 中佐も見たことありますよね、エグザべ君の部屋」
「まあ、そうですね」
「ミニマリストなんですかね?」
「さて、どうでしょう。私物が少ない、という意見には賛同しますが」
「寂しくないのかなぁ……」
 彼女の口ぶりは単なる世間話の種のようであったが、本気で気にしていることが伝わってきたので、シャリアは思わず口元を緩めた。
「気になりますか」
「気になるっていうか……あそこを自分の部屋だと思ってないのかなと感じました。ソドンの一員なんですから、もう少し落ち着ける空間にすればいいのに」
「ふむ……」
 こうした時のコモリの直感は割と当たる。
 確かに、エグザべがソドンで与えられた居室を自分の部屋と思っていない可能性はある。グラナダにいるシムス大尉から聞いた話では彼はキシリア親衛隊の次期隊長と目されるパイロットであり、名目としてもジークアクスのパイロットとしてのソドンへの出向。キシリアがシャリア・ブルを監視するために送り込まれたことを考えれば、ソドンで落ち着くのも難しい話ではあるのかもしれない。
 ただ、それだけかと言えばシャリアには引っ掛かるものがあった。
「……案外、それだけでない可能性はありますよ」
「やっぱりミニマリストってことですか」
「そうとも言えるかもしれません」
 これは本人に直接確かめてみても良いかもしれない……シャリアはそんな事を考えながら、プレートに乗ったハンバーグを切り分けて口に運んだ。

 ◆◆◆
 
「で、どうなんですか実際のところ」
「はあ……」
 事を終えた甘く気怠い空気の中で腕枕の主に昼間のコモリとの会話を思い出しながらそう尋ねてみると、エグザべはどこかぼんやりと頷いた。否定とも肯定とも取れない。
(そんなに変かなあ)
 本人は全く気にしたこともないらしかった。
「部屋に置きたい好きな物だとか趣味だとか、そういうものはないんですか」
「うーん……MSのマニュアルを読むのは好きですが、それ以外は好きな物とか特にないですね」
「食べるのは好きでしょ」
「食べるのは基本的に誰だって好きなのでは?」
「ふーむ……」
 シャリアはまじまじとエグザべの瞳を見つめる。エグザべはどうやらシャリアが何を気にしているのか全くピンときていない様子である。
(なんでそんなことが気になるんだろう。それにしてもシャリア中佐は綺麗だなあ、こんな人と恋人なんて幸せだなあ)
 エグザべから伝わる好意がむず痒く、本当になんでこんな純粋な子をスパイとして差し向けたんだと頭を抱えたくなる。エグザべと自分の意識をそこからどうにか逸らそうと質問を重ねた。
「何か欲しい物は、ないんですか」
「欲しい物、ですか……?」
 エグザべはしばし考えてから、陽の光を思わせる笑顔でこう言ってのけた。
「中佐との思い出がたくさん欲しいです!」
「…………」
 そういうことではないのだが、エグザべはどうも心の底からそれを言っているようだった。
「物、と言いましたよ。事、ではなく」
「そうは言われても……」
 エグザべは困ったように眉を下げた。その目がうるうると煌めいている。同時に、エグザベの心がはっきりと見えた。
(だって、思い出はなくならないし……)
 ああ、とシャリアは一つ得心した。
 この子は本当に物に執着がないのだ。
 それも、形あるものはいずれ全て無くなるからという、実体験に基づいた後ろ向きな理由で。
「……なるほどね……」
「? 中佐?」
 思わず独り言が溢れていたようなので、何でもありませんよとエグザべの頭を撫でながら抱き締める。
(さて、どうしてやるのがよいか……)
 その胸の内を悟られぬようにしつつ、シャリアは黙考する。
 仕事の上でも目を掛けているつもりはあったし、この関係になることを受け入れたのはキシリア派の彼の懐に入り込むためだ。
 しかし思いの外、彼に対し個人的に何かしてやりたいという意識が強くなりつつあるのはシャリアにとってそう悪いことでも無い気がしているのだった。

 ◆◆◆

「昨日君から申し出のあったコロニーに降りてのジークアクス捜索ですが、明日から行って構いませんよ」
「ほ、本当ですか!」
 執務室に呼び出したエグザべの背筋が伸びる。
(よかった、許していただけて。頑張らなきゃ……!)
 やる気に溢れた彼の背中を押したいというのは間違いではないが、半分はキシリア派に怪しまれないようにするための放流に近い。相変わらず素直すぎる……とやや呆れつつ、シャリアは執務机の足元から紙袋を引っ張り出した。
「それに関連してこちら、差し上げます」
「え? はい……」
 エグザべがきょとんとしながら紙袋を受け取る。
「先日差し入れた私服、どちらにするかこちらとあれで迷ったんですけどね。どうせならこちらも買ってあげようかなと」
 開けてみてください、とエグザべに手振りで示す。シャリアから何も手を付けていない事を表すため、紙袋のテープや包装紙は店で包んだまま未開封だ。
 エグザべは紙袋から恐る恐る服を引っ張り出す。緑のモッズコートにワイシャツ、ベスト、ネクタイとシャリアが見立てた服をエグザべは目を白黒させながら見ていた。
「君、この前あげた物以外にろくな私服持っていないでしょう。コロニーに降りるんですから、少しくらいはバリエーションを持たせなさい」
「よ、よろしいんですか、こんなにいただいてしまって」
 声が上擦っているエグザべに、シャリアは肩をすくめた。
「大した事ありません、可愛い部下へのプレゼントくらい」
(部下かあ……)
「それとも恋人、の方がいいですか?」
「!」
 少し甘い言葉を掛けてやれば、エグザべの表情がぱっと輝いた。分かりやすくて本当に可愛らしい。
「イズマコロニー……と言うより、サイド6全体に言えることですが、表向きの治安こそ良くともジャンク屋の集まるスラム街の治安は決してよろしくありません、内ポケットの付いたコートを選んでいます。丈夫な製品なので、体型変化でもしない限りは長く着れると思いますよ」
「あ、ありがとうございます!」
 エグザべが新品の服をぎゅっと抱きしめる。
「その……お言葉の通り、私服は全然持っていなかったので、嬉しいです。大事に着ます!」
「喜んでいただけたなら結構。次は何か部屋に置くものをあげましょう」
「部屋に置くもの、ですか?」
 シャリアの言葉をエグザベが不思議そうに復唱した。やはりよく分かっていないのか、と苦笑いしながらシャリアは答える。
「この前話したでしょう、君の部屋の私物が少なすぎる件です。官給品以外にも何か……そうですねえ、ただ部屋の飾りとして、小さなオブジェを一つ置いてみるくらいはしても良いのでは。私があげれば、君も喜んで飾ってくれるでしょ」
「は、はい……!」
 エグザベの頬がほんのりと赤くなった。それを微笑ましく思いながら、シャリアは穏やかに言葉を続ける。
「『自分の物』から少しずつ好きなものや趣味が生まれて、後々部下が出来た時に人間性の深みとして示しが付くわけです。私が君に奢ったウイスキーだって、私が酒好きだから選んだものですからね。焦る必要もありませんが、私が君に贈るものをきっかけにでもそれ以外でも、何か好きなものを見つけてくれれば、年長者として喜ばしいです」
「なる、ほど……」
「あまり難しく考えなくていいんですよ。ゆっくりと、君のペースでね。私からの話は以上です。もう下がって構いませんよ」
 これ以上長くならないようにと話を切り上げると、エグザベは胸の前で服を抱き締めたまま弾かれたように頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます! いずれお返し出来るよう、頑張ります!」
「ふふ、ほどほどにお願いしますね」
 その服、君の月給三ヶ月分あるから無理に頑張られてもちょっと困るんですけどね……とは、意地悪が過ぎるので声に出さない。
 ただ、エグザベの目の輝きはとても眩しく、同時にこの美しい目をした青年が好きな物はないと言い切れてしまえることが少しだけ悲しく思えた。

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眠れぬ夜は

※最終回後if
※エグシャリ同棲
※シャアはよく遊びに来る友人として元気

 =============== 
 
 深夜零時。
 ふと目が覚めて喉の渇きを覚えたシャリアは、隣ですやすや眠る恋人のエグザベを起こさないようそっとベッドから降りるとキッチンへ向かった。
 冷蔵庫からルイボスティーのポットを出してグラスに注ぐ。口もとでグラスを傾けながら、冷蔵庫に貼ってある紙のカレンダーを眺める。
 シャリアはグレー、エグザベはオレンジとそれぞれのかつての愛機にちなんだ──エグザベはギャンに引かれたゴールドのラインに近くて見やすいオレンジを選んだ──色のマーカーでそれぞれの予定を書き込むのがこの家のルールであった。週に一度以上家を訪れる友人が赤いマーカーで何か書き込んでいることも多い。
 明日……否、既に今日の日付の欄には何も書かれていなかった。
 二人でゆっくりしようか、行きつけのカフェでモーニングもいいかもしれない……と日が昇ってからの時間に思いを馳せていると、脳裏を鋭い光が一筋走った。
 嫌な予感にシャリアがグラスをシンクに置いて急ぎ足で寝室へ戻ると、ベッドの上に残してきたエグザベが、毛布を掻き抱くようにしながら体を丸めていた。その眉はきつく寄せられ、額で汗が結ばれては流れ高い鼻梁を落ち、何か必死で堪えるように歯を食いしばって荒い呼吸が漏れている。
 しかし表出しているそれとは裏腹に、彼の中から感情は何も見えてこない。覗き込んでも何も見えない、人の形をした伽藍洞のようだった。
「エグザベ君」
 名前を耳元で呼んで、背中から抱き締めた。うなじに小さくキスをして、頭を撫でながら呟く。
「大丈夫、私がここにいますよ」
 しばらくシャリアより少しばかり細身の体を包み込むようにしていると、腕の中の体が小さく震えた。
 途端に恐怖・緊張・不安・焦りといった情念ががぶわりと解き放たれたかのようにエグザベから放出した。その密度にシャリアは瞑目しながら、腕の中のエグザベを強く抱きしめる。
「あ……シャリア、さん……?」
 腕の中で寝返りを打ってこちらを見るエグザベの額は汗に濡れている。シャリアは汗で張り付いた前髪をどけてやりながら尋ねた。
「大丈夫ですか?」
「はい……ありがとうございます……」
 ふにゃりとエグザベの表情が緩んだ。シャリアは濡れていることも構わずその額に一つキスをする。
「起きられますか? 寝直す前に何か温かい物でも飲みましょう、入れてきます」
「ん……」
 シャリアが起き上がってベッドから降りようとすると、エグザベがその腰にぎゅうと抱き着いてきた。シャリアは苦笑しながらその髪をくしゃりと撫でる。
「随分と甘えん坊ですね……でもちょっと降りられないのでどかしてくださいねー」
 エグザベの腕を引き剥がしたシャリアは、エグザベの膝裏と腰を支えるとひょいと持ち上げた。どこかぼんやりとしていたエグザベの目が一気に覚醒する。
「わ……わわっ!? シャリアさん!?」
 慌てたようにエグザベがシャリアの首筋にしがみつく。
「危ない、危ないですってばっ!」
「ふふ、これでもまだトレーニングは続けていますから。君一人くらいなら軽いものです」
「嘘だッちょっと腕震えてませんかっ……!?」
「分かっているなら大人しくしてましょうねえ」
「ひぃ……」
 ぎゅうとしがみついて来るエグザベをリビングまで運んだシャリアは、リビングのソファにそっとエグザベを置いた。今でも鍛えているのは噓ではないが、流石にエグザベを姫抱きして運ぶのは少々堪えた。
 水を入れた電気ケトルと二人分のマグカップにティーバッグの入った缶をいくつかキッチンからリビングに運んで、ローテーブルの上で深夜のティータイムの準備をする。
「何が良いですか」
「ん……レモンバームってまだありますか。カウンセラーさんが、夜寝れない時におすすめだって」
「ありますよ」
 レモンバームのティーバッグを二人分それぞれカップに入れる。
 ソファに並んで電気ケトルの湯が沸くのを待ちながら、シャリアはエグザベの手にそっと触れた。普段体温の高い彼にしては冷たい。先まで魘されていたせいか、間接照明の光の中だけで見てもその顔色は良くない。
「これを飲んだら、少しだけここでゆっくりしましょう。無理に寝る必要もないです」
「……はい」
 ケトルの電子音が静かなリビングに響いた。ティーバッグの入ったカップに湯を注ぐと、レモンに似た爽やかな香りがふわりと立ち上った。その香りにエグザベの表情が安堵で和らいだのを感じ、シャリアは思わず笑みを深めた。
「……シャリアさん、明後日から出張でしたよね」
 ハーブティをマグカップの半分ほど飲み終えた頃、エグザベがぽつりと呟いた。シャリアは先程見たカレンダーを思い出しながら頷く。
「ええ、一泊二日ですが」
「……」
「寂しいならキャスバルを呼んでは? 君が呼べばゲーム持参で喜んで来ますよ」
「あの人が来ると深夜までゲーム大会になるじゃないですか……」
 ここにはいない共通の友人の話をしながら、言葉と裏腹にエグザベの表情は明るくなり始めている。そんなエグザベの様子に、シャリアはくすりと笑った。
「夜更かしなんて出来るうちにしておきなさい、私はそろそろゲーム大会での二時越えが辛いので」
「むう……」
 エグザベはどこか子供が拗ねるような声を上げてから、すぐに「あ、そっか」と破顔した。
「じゃあシャリアさん、僕のために夜更かし付き合ってくれるくらいには僕のこと好きなんですね。申し訳ないですが、正直凄く嬉しいです」
「……」
 エグザベの言葉に虚を突かれてシャリアは目を丸くする。しかしすぐに、この子はこういう子だったと釣られて破顔する。故郷と家族を失い、いつしかひどく歪んでしまった内面と抱えたトラウマに苦しみ続けながらも、生来の正直さと優しさだけは失っていない。
「そうですね、眠れなくてもまあいいかと思うくらいには愛してます」
 若きニュータイプ達の生きる世界のために身を尽くすシャリアがただ一人、情と恋をもって愛する男は、ほっと顔を赤くしながら、それでも心の底から嬉しそうに微笑んだのだった。

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my only wish

シャリ受ワンドロワンライお題「離別」
※クライマックス妄想死ネタ
※エグシャリ以外の登場人物→ニャアン、マチュ(台詞だけ)、コモリ

==============

『……い、エグザベ少尉!』
 必死で僕を呼ぶ声がする。
 誰だ。女の子の声。聞き覚えのある、そう、僕が守らなきゃいけない女の子の……そう気付いた瞬間、意識が表層に引き上げられる。
 水から引き揚げられたかのように、必死で酸素を取り込もうと息をした。視界の右半分が赤い。意識を失う前の強い衝撃でヘルメットがひび割れ、頭部が出血しているようだった。
 と同時に、自分が今置かれている状況と、意識を失う直前までの記憶がどっと脳内に押し寄せる。そのあまりに莫大な「情報」量で吐き気が込み上げるのを必死で堪えながら操縦桿を握り接触回線越しに呼びかける。
「ニャア、ン、大丈夫か?」
『私は大丈夫、です』
 回線越しのニャアンの声は落ち着いていた。良かった、とひとまず安堵する。
 全天モニターは死んでいたが、幸いメインカメラと正面モニターは生きているようだった。モニター越しのジフレドもジークアクスも損傷は軽微。先の大爆発の直接の被害は免れたようだ……僕のギャンと違って。
『ねえ、このおっさん大丈夫なの⁉』
 ジークアクスのパイロットの声がする。おっさんて、ひどいな。まだ二十三なんだけど……と苦笑する余裕が自分にあることが不思議だった。
「聞くんだ、ニャアン、そしてジークアクスのパイロット」
 声の震えを努めて殺しながら、二人に指示を出す。
「ジークアクスは至急ソドンに帰艦。ジフレド……ニャアン、君もソドンに向かって、保護してもらうんだ。艦長のラシット中佐は、君を守ってくれる人だ。僕のギャンも、連れて行って……」
 時折視界が暗くなり、意識が深層に引きずり込まれそうになる。まだだ、まだ落ちるな。
「僕は、爆発直前にシャリア・ブル中佐から渡された情報を持っている。その情報の中から至急性の高いものを可能な限り、今からギャン内部に音声データとして格納する。君達がソドンに到着したら、それをソドンの尉官以上のクルーに、必ず渡してくれ」
 がくん、とコックピットが揺れた。ギャンがジフレドとジークアクスによって両脇から支えられ、そのまま真っ直ぐとソドンに向かって運ばれて行く。
 僕は一つ深呼吸して、コックピットから酸素漏れが起きていないことを確認してからヘルメットを脱いだ。赤い血が玉となってコックピットの中を点々と舞う。それを目で追う暇もなく、僕は非常操作用のタッチパネルを開くと、ギャンのOS内部にディレクトリを一つ作成した。
 これからレコーダーに録音されるコックピット内部の音声データをすべてこのディレクトリ内部に格納、と設定を書き換えてから、僕は口を開いた。
「『以下は、ジオン公国突撃機動軍所属シャリア・ブル中佐による声明である』──」
 僕が今から語るのは、あの人がこの世界に対して残した遺言だ。誰よりもこの世界の行く末を憂いた人が、この世界に対して残せた最後の置き土産。きっとニャアンにもジークアクスのパイロットにも接触回線を通して聞こえている。だが彼女たちは何も言わない。それを有難く思いながら、僕は沈みそうになる意識と必死で戦いながらあの人の言葉を僕の声で遺す。
 一言一句すべて覚えている。忘れられるわけがなかった。
 キケロガが目の前で爆炎に吞まれる直前に見た、極彩色のハレーション。その中で確かに僕を見て笑っていたあの人が、人間の脳の秘された領域をすべて使って僕に流し込んだ言葉。文字通り、脳に刻み付けるようにして渡された膨大な情報達。
 その中から、世界に向けて公開して欲しい、と託された思いを声にした。体の方が耐えられなくなって、途中何回か吐いた。血と吐瀉物がコックピットの中に舞おうと構わなかった。ただ、あの人の生きた意味をこの世界に刻み付けられるなら、もう自分がどうなってもいいとさえ思えた。
 時間にして三十分は運ばれていただろうか。僕がどうにか最後の言葉を吐き出し終えた頃、ニャアンの声がした。
『少尉、ソドンに着きました!』
 ありがとう、と言いたいのに声が出ない。視界が暗くて、もう目の前すら見えなかった。
「エグザベ少尉! しっかりしなさい! メディックはまだか!」
 この声は……コワル中尉だ。久しぶりに聞いた。ソドンにいた時はジークアクスの件で散々沢山迷惑をかけてしまったから、一度ちゃんと謝りたかったのに、その暇もなかったなあ。
「エグザベ少尉……!」
 ニャアンの声がした。泣きそうな声。いつも飄々としている彼女のこんなに感情が昂っている声を聴いたのは初めてだ。
「エグザベ少尉、大丈夫ですか!」
 一年戦争時から従軍しているベテランのメディックの声。軍警に殴られて出来た青あざを見て湿布を渡してくれた。中佐も絆創膏以外も用意してあげてください、とその場にいた中佐に小言のように言っていたことを思い出した。
(ああ、中佐──)
 確かにここにいたあの人の記憶に、涙が溢れた。
 メディックに小脇に抱えられ、担架に縛り付けられ、医療区画に運ばれながら、僕はただ、何も見えないのに天井を見ながら泣いていた。

 ◆◆◆
 
 目が覚めると、ソドンに置かれている医療用ポッドの中だった。
 覚醒直後は一人だったが、脳波モニターを見たのかあのメディックが僕の様子を見に来た。
 どうやら僕はポッドの中で三日眠っていたらしい。
 意識がはっきりしていることを確認されてから、一度メディックは処置室を出て行った。それから少し経ってポッド室に入ってきたのは、タブレットを手にしたコモリ少尉だった。目の下には隈が出来て、僕がソドンを降りた時と比べて、少しやつれているように見える。
 コモリ少尉はポッドの傍の椅子に座ると、どこか無理矢理に見える笑顔を作った。
「久しぶり、エグザベ君」
 ポッドのアクリル越しで、その声は少しくぐもって聞こえた。
「……お久しぶりです」
 僕の声も少し掠れている。
「最初に聞いてきそうだから、言っておくね。あのニャアンって子はうちで保護してる。キシリア様の侍女として雇われた民間人がジフレドで逃げ出した……ってことにしてね。ちょっと無理はあるけど、今は本国もグラナダも大混乱でそれが通せちゃう状況だから。で、今ソドンはグラナダに向かってる」
 コモリ少尉の言葉に安堵する。良かった、彼女は無事なんだ。
「……ギャンのデータも、無事回収した。だけどギャン自体はもう損傷規模が不可逆で、修理するより乗り換えた方が早いだろうってコワル中尉が」
「そっか……マ・クベ中将に怒られるな……」
 あの爆発の最中、あの人を守ろうとしたことでハクジも無くしてしまった。僕にギャンを託してくださった人の期待を全て裏切って生き延びてしまった、ひどい騎士だ。
 コモリ少尉はどこか痛ましげに目を伏せてから、顔を上げた。その表情は引き締まり、軍人の顔をしていた。
「……少尉はまだ、絶対安静の身です。よって最低限の情勢だけ、説明します」
「よろしくお願いします」
 僕が頷くと、コモリ少尉は現在の状況を話してくれた。
 ギレン総帥・キシリア閣下を同時に失ったが、本国・グラナダ共にそれぞれ臨時のトップが就いて情報統制を敷いているためどうにか酷い混乱は抑えられていること。総帥とキシリア様が巻き込まれたのはゼクノヴァなどではない、イオマグヌッソをも巻き込んだ完全に不可逆な物理現象としての爆発。両名とも乗艦ごと巻き込まれたため、生存は絶望的。
 そしてその爆発の中に、シャリア・ブル中佐が、搭乗していたキケロガと共に巻き込まれたこと。
「エグザベ少尉がギャン内部に残したシャリア・ブル中佐の遺言は、ラシット中佐の考えで本国・グラナダ各政府への公開はまだされていません。ですがソドン内部においては、尉官以上のクルー全員が確認済みとなります」
 コモリの言葉に、仕方ないか、と頷く。
 中佐の遺言は、きっと恐ろしく政治的インパクトが強い。ザビ家を滅ぼしたところでまたジオン国内で戦争の火種になりかねない。そうならないように可能な限り手は回した、とあの時に伝えられはしたけれど。
「……私からは、以上となります」
 コモリ少尉に礼を言うと、コモリは少しだけ泣きそうな顔で笑った。
「本当は面会も駄目らしいんだけど。でも、無理言っちゃった」
(だってエグザベ君は、中佐が遺言を託した人だから)
 コモリ少尉の、音にならない声がはっきりと聞こえた。僕にはずっと聞こえなかった筈の、人の心の声。
「グラナダに就いたら、もっといい治療を受けられる筈だから。それまでゆっくり休んでね、それじゃあ」
(ほんっと、なんでエグザベ君を一人にするかなあのおっさん)
 コモリ少尉がポッド室を出て行く。彼女は僕の前でずっと、怒りながら泣いていた。
 ──これが貴方の置き土産なら、あまりに残酷じゃないですか、中佐。
 そう思うと、また涙が溢れて来た。
 涙を止めることも出来ず、ポッドの中で一人しゃくりあげる。
 あの人が僕に遺していった全てが、まだ脳に明確に刻まれている。あの人は文字通りに全てを僕に遺して僕の目の前からいなくなった。そこにないのは、あの人の魂と肉体だけ。だけどそんなの、どこにもいないのと同じだ。
 ――君には、生きていて欲しいんです。
 接触回線越しにそう言ったあの人は、確かに笑っていた。キケロガのあの細い腕で僕のギャンを爆風から押し退けながら。
 ――大丈夫。君も、ニュータイプでしょ?
 何がニュータイプだ、人の革新だ。それを信じて僕やニャアンのような若者の未来を誰よりも願った貴方が、どうして死ななければならないんだ。
 心だけ明け渡されても、僕はあなたにもう何も返せない。そんなのコミュニケーションでもなんでもない、一方的な暴力と同じだ。それも分かった上でいなくなったのだから、本当に酷い人だ。
 なんであなたの願いのために僕の願いを蔑ろにしたんだ。
 あなたには、全部、見えていた筈なのに。
 
「……僕はただ、貴方ともっと話したかったのに」
 
 終ぞ伝えられなかったその願いを初めて口にした時、僕はあの人に恋をしていたのだ、と、ようやく気が付いた。

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your/my soothing place

※最終回後if
※シャリが割と限界中年気味
 
 ===============

「シャリアさん、着きましたよ」
「……ん」
 運転席から身を乗り出して後席に座るシャリアの肩を軽く揺すると、小さなうなり声の後に目を閉じていたシャリアが目を開いた。それから緩慢な動きでシートベルトを外し始めたので、エグザベはエレカから降りて後部座席のドアを開けた。
 車から一歩足を踏み出すと、シャリアの背筋がピンと伸び表情も張り詰める。
 エグザベは四方を警戒しながらシャリアの傍を歩いた。近くには他の守衛も複数控えている。そうして公邸の玄関ドアを開け、その中を一歩潜り、ドアが閉じた瞬間。
「っあ゛~~~~…………」
 地の底を這うような声と共に、シャリアが床にしゃがみこんだ。エグザベもしゃがみ込むと、シャリアの背を摩る。
「シャリアさんシャリアさん、キーパーさんそこにいます」
「いいです別に……疲れました……」
 公邸の掃除や家事を引き受けているハウスキーパーの一人が、すっかり慣れっこですと言わんばかりの顔で玄関ホールとリビングを繋ぐドアの前に立っていた。エグザベは彼に小さく頭を下げてから、間もなく日付の変わる現在時刻を考えつつこの後のことを提案する。
「何か軽くお腹に入れてから寝ましょうか。それともお風呂が先が良いですか?」
「お酒と君が良いです……」
「そっ……そういうこと聞いてるんじゃありません!」
 顔を真っ赤にしながら、エグザベはシャリアの脇に下に体を潜り込ませた。
「お酒飲みたいならまずお夜食食べますよ、ほら!」
 エグザベの言葉にキーパーは了解したと頷くと、リビングへ消える。エグザベは主に精神的疲労でぐったりしているシャリアを抱えて半ば引きずるようにしてリビングへ連れて行く。
 臨時政権の発足から半年も経っていない『ジオン共和国大統領』のこのような姿など、報道自由化が為されたばかりのマスコミに見せれば格好の的となる。一分たりとも隙を見せまいとシャリアがいかに常時気を張っているかを思い、エグザベはやや気が重くなった。
 リビングテーブルには籠に盛られたバゲットと二人分の野菜スープが用意されていた。今日はもう下がっていい旨をキーパーに伝え、エグザベはシャリアをソファーに座らせる。シャリアはぐったりとソファに背中を預け、深々と溜息を吐き出した。
 これは相当だな、とエグザベはシャリアのジャケットの前を開けネクタイとシャツの首元も少し緩めてやる。
「食べられますか?」
「……一枚分だけ、食べさせてください」
「はいはい」
 バゲットでスープを掬ってシャリアの口元に運ぶと、シャリアはあぐと口を開けてエグザベの指先を齧らないようにしながらバゲットにかぶりついた。バゲット半分を口内に入れて咀嚼し、喉を上下させ嚥下する。誤嚥を起こさないかとエグザベがはらはらしながら見守っていると、「流石に大丈夫ですよ」と赤面しながら顔を顰めた。
 バゲット一枚分をエグザベの手ずから食べ終えたシャリアは先より少しだけ血色のいい顔でソファの背もたれから体を起こすと、自分のスプーンとスープ皿に手を伸ばした。
 二人並んで夜食を食べ、食後にエグザベが入れた温かいハーブティを飲みながらシャリアは呟く。
「明日の予定は」
「通常公務の他、まず十時からツィマッド社代表との会談予定が。それから」
「ああ、待って」
 スケジュールを暗唱し始めたエグザベの唇にシャリアは人差し指を当てた。
「私は、明日の何時まで眠れる予定ですか」
「……いつも通りに午前六時半、です」
「ん……ですよね」
 シャリアはカップを置くと、エグザベの肩に凭れ掛かった。
「お風呂入りますか? 準備は出来ているそうですが」
「うん……」
 軽い食事をして血糖値が上がったせいか、シャリアの返事がふわふわと曖昧なものになっている。
 食器を流しに片付けたエグザベは先のようにシャリアを抱えると、シャリアの私室に備え付けられているバスルームへと運んだ。
 エグザベはシャリアの秘書でありSPであり、そしてシャリアの私室の鍵を持つことを許された唯一の人間である。それはエグザベがシャリアから公人として誰よりも個人的な信頼を得ていることの証左であり、同時に彼がシャリアのプライベート上でのパートナーであるが故であった。
「ほらシャリアさん、服脱がしますよ」
 エグザベは色気のない手つきでシャリアの服を全て脱がせて風呂場の椅子に座らせると、自分も服を脱ぎ捨てた。そして全裸で風呂場に足を踏み入れ、シャワーヘッドを手に取った。
 いつからか、シャリアが疲れ果てている時はこうして二人で入浴するのが当たり前となっていた。第一の理由としてはシャリアが入浴中に意識を落とすことがないように。そして、どうせ裸を見られても問題ない関係なのですから君も一緒に入浴すればいいでしょうというシャリアの一言。
 こうなっている時は大概深夜であり二人とも疲れ切っているため、色ごとには何も発展しない二人での入浴。しかしこれはこれで長年寄り添った夫婦みたいな距離感で良い……とエグザベは密かに思っていた。
 シャリアの体を洗って湯に浸からせている間にエグザべはシャワーを浴びる。
「……君もこっちに入ればいいのに。疲れてるでしょ」
 エグザべが体を洗っているのを見ながらシャリアが呟くと、エグザべはシャリアの部屋にのみ置いてある高級石鹸を泡立てながら答える。
「あなたの疲れを癒すほうが優先です。僕はシャワー浴びて寝れば何とかなるんですよ」
「む……」
 シャリアが唇を曲げる。エグザべはそんなシャリアを見て目尻を緩めた。
「大事にさせてください」
「……君、年上の男を甘やかすのばかり上手くなってどうする気なんですか」
「あなたが僕にしてくれたことをお返ししているだけです」
「……全く……」
 呆れたようにそう呟いたシャリアの頬が赤い理由はきっと、体温が上がっているからというだけではない……そう『勘』付き、エグザベは思わず笑みを深めたのだった。
 風呂から上がって互いにナイトウェアに着替えた頃には、時刻は間もなく深夜の一時になろうとしていた。
「お酒、飲みますか?」
 冷たい水の入ったグラスを差し出しながら尋ねると、シャリアはグラスを受け取りながら首を横に振った。
「ん……もういいです……」
「じゃ、それ飲んだら歯磨いてもう寝ましょうか」
 エグザべは寝る前の支度も手伝ってから、ベッドへとシャリアの手を引く。
 ダブルサイズのベッドにシャリアを横たえると、エグザべは部屋の照明を落として回った。ベッドサイドの間接照明のぼんやりとしたオレンジだけを光源としてエグザべもベッドに潜り込むと、オレンジの光をその翡翠の瞳に宿したシャリアと目が合う。シャリアがエグザべに手を伸ばしてきたので、エグザべは大人しくシャリアに抱き締められながら、シャリアを抱き締め返す。
「……やっぱり、君がいてくれて良かった」
 エグザべの首元に額を埋めながら、シャリアが呟いた。吐息が少しくすぐったいが、それ以上にシャリアから溢れる安息や信頼の感情の方がエグザべの胸を包み込んでいた。
「ありがとうございます。僕もあなたのそばにいることができて幸せです」
「君がいないと私、どんどん情けなくなるばっかりで」
「だとしてもあなたは世界一カッコいいですよ、僕が保証します」
「私に文句も言わず付いてきてくれた君の方が、格好いいですよ。最初は可愛いだけかと思ってたのに……」
「今は可愛くないってことですか?」
「そうやって拗ねるポーズをするところは可愛いです」
 シャリアは吐息をこぼすように笑ってから、一つ深く息を吐いた。もう眠気が限界に近いようだ。エグザべはシャリアの後頭部をそっと撫でた。
「……おやすみなさい、シャリアさん」
「ん……おやすみ、エグザべ君……」
 やがて規則正しい寝息がシャリアから聞こえてきた。エグザべはその額に一つ唇を落とし、自分もまた誰よりも愛しい人の傍で目を閉じるのだった。

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唐揚げ、豚カツ、野菜の豚肉巻き

「サイド6と言えば、ここのチェーンは安定して美味しいんですよ」
「はあ……」
 シャリアが指差した店舗の看板を見てもいまいちピンと来ず、エグザべは首を傾げた。
「イズマコロニーの文化のベースでもある日本の定食屋ですね。今日のランチはここにしましよう。もちろん私の奢りです」
 そうしてシャリアに連れられて、エグザべは初めての定食チェーンへ足を踏み入れた。
(こうやっていつもご飯を奢ってくれるのは嬉しいけど、この人は僕を懐柔しようとしている可能性だってあるんだ)
 エグザべは緊張感を抱きながらも、シャリアと共にタブレットでメニューを眺める。椀に盛られた米、味噌のスープ、日本風ピクルス、一種か二種のおかずを一つのセットとしているようだ。
(わ、何だこの揚げた肉? 美味そっ)
 最初にエグザべの目を引いたのは、茶色い衣の付いた肉が皿に盛られた写真であった。カラアゲというらしい。それからすぐ隣にある写真にも目がいく。
(でもこのトンカツとかいうやつも美味そうだ……迷うなあ、どっちも食べられるか……いやそれは流石に食べ過ぎか? あっ単品もある)
「決まりましたか? ……少尉くらい食べる人には、定食だけだと足りないかもしれませんねえ」
 メニューを眺めていたシャリアがぼそりと呟いた。その言葉に背中を押されたかのように、エグザべは真剣な眼差しでメニューから顔を上げた。 
「……唐揚げ定食に、豚カツ単品でお願いします。定食のご飯は大盛りで」
 エグザべの注文に、シャリアはニコリと微笑んでタブレットに注文を打ち込んだ。
 さて、エグザべの心の声はジオン最強のニュータイプであるシャリアには丸聞こえであった。
 この青年がキシリア派から自分の監視のために派遣されたスパイであることは薄々察していたので特に驚きも無かったのだが、一つ予想外だったのが、
(エグザべ少尉を見ていると癒されますねえ……)
 エグザべはその人柄にとにかく裏表が無さ過ぎた。思っていることと顔に出ていることが大体イコールなのである。
 人間誰しも少なからず本音と建前というものがある。意識せずとも人の心が見えてしまうシャリアにとってはそれが当たり前の世界であったので、このエグザべ青年が過酷な経験をしながらもその驚くほどの善性と素直さを失わずここまで生きてきたというのはあまりにも眩くかけがえの無いものに見えた。
 そんなエグザべを見て癒やされる感覚は、犬や猫を眺めている時のものと近い。人間に対して抱く感想として失礼なものであることは百も承知であるが。
 店がそう混んでいないこともあり、定食はすぐに運ばれてきた。
 エグザべの前には唐揚げ定食と皿に乗った豚カツ、シャリアの前には野菜の豚肉巻き定食。
「こちら一つ差し上げます。野菜も食べましょうね」
 口を付ける前に、自分の皿から野菜の肉巻きを一つエグザべの皿に乗せるとエグザベは見るからに狼狽した。
「ええっ、よろしいんですか!」
(大事なおかずを一つくれるなんて……四つしか乗ってないのに! いい人だ!)
「構いません、私には少し多いくらいなので」
「あ、ありがとうございます!」
(後でお腹減らないのかなあ……)
(やっぱりこの子は面白いな……)
 キシリア閣下の騎士でさえなければ、とシャリアはしみじみ思う。シャリアはこういう素直な人間が好きであった。
(なんだこの肉柔らかいっ。衣だけじゃなくてお肉にもちゃんと味が付いてるじゃないか! これだけのものをチェーン店で出しているなんてどれだけの企業努力を重ねてきたんだ……わ、こっちの豚カツは衣がサックサクだ!)
 シャリアの考えることなど露知らず、エグザべはどこまでも大真面目に唐揚げや豚カツに感動していた。
 これはおかずを一つあげて正解だったな、と思いながらシャリアは味噌汁を飲む。
 ソドン乗艦時に共に食事をしていてもそうだが、エグザべの食事中の脳内実況を聞いているとそれだけで腹が満たされる心地になるのだ。きっとこの青年が食事という行為の有り難さを知っているからなのだろう。
(そろそろ肉巻きをいただこう……ん、思ったより甘い味付けだ、こういうのもありなのか……あっ思ったより色んな種類の野菜が入ってて色んな歯応えがする! それに肉の脂が旨味になってておいしい!)
 野菜の肉巻きも気に入ってもらえたようで何よりである。
「ご馳走様でした!」
 綺麗に完食したエグザべが手を合わせたのを見て、シャリアは「気に入ってもらえたようで何よりです」と頷いた。
「美味しかったでしょう?」
「はい! とっても……全部美味しかったです! 中佐の連れて行ってくれるご飯、どこも美味しいです!」
(すっごく美味しかった! 中佐は美味しい店を沢山知ってるんだなあ!)
 キラキラ輝く瞳と食後で血色の良い頬。可愛い子だな、と考えていることは悟られぬよう、シャリアは麦茶のコップを傾けながら微笑んだ。
「もう少しだけ休んだら出ましょうか」
「はい!」
 この後はまた二人で捜査に出て、外泊申請も出しているので夜も外食となる。
 さて今夜はこの子に何を食べさせようか。寿司、しゃぶしゃぶ、焼肉も良いな……と、今から業後のささやかな楽しみに思いを馳せるシャリアであった。
 

 

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flashback

※ザべ君が難民時代モブから性的暴行を受けていた設定
※ハッピーエンドです!!!!!!!!
※時系列は多分全部終わったあと
 
 ================

(怖い)
 パチリ、と。静電気のささやかな痛みに似たその言葉がシャリアの脳裏をひらめいた。
 それが目の前の……今まさに自分がベッドの上で伸し掛かろうとしていた青年から聞こえてきたので、シャリアは動きを止める。
 そのまま、エグザべの美しいバイカラーの瞳を覗き込んだ。
「……あの、シャリアさん?」
 怖怖と尋ねるエグザべの両頬に手を添えて、目を合わせる。
「……君、もしかして気が進まない?」
「そっ、そんなことはありません!」
(どうしよう、やだ、ばれた)
 エグザべがどれほど表情を取り繕おうと、聞こえる心はあまりにも雄弁だ。
 シャリアは真っ直ぐにエグザべを見詰めた。
「君は、私がこの行為を望んでいるという理由で同意してくれている。ですが私は君が望まぬ行為を強要したいわけではありません。理由は言わなくていい、君の本心を聞かせてください。聞かせてくれるまで、そして聞かせてくれた言葉によっては私は君に手を出しません。約束します」
「っ、あ……」
 エグザべは小さく口を開き、それからその瞳にはみるみる涙がたまり始めた。
 そして涙が決壊して頬を伝った時、エグザべはしゃくり上げながらシャリアにしがみついた。シャリアはゆっくりとエグザべの背に手を回し、触れてもエグザべが恐怖を感じていないことを確認してからその背中を擦った。
「ごめんなさい、ごめんなさい、怖いです」
 読もうとせずとも流れて来たのは恐怖、怯え、痛み……シャリアはエグザベから自分の顔が見えないのをいいことにそっと顔をしかめた。恋人とは言え他者がおいそれと覗き込んで良いものではない。この青年であればそれを見たことを許すであろうから、尚のこと。
「あなたは僕に酷いことしないって、分かってるのに、なのに、体が、勝手に、」
「……ありがとう、教えてくれて」
 それを伝えることすらどれほど勇気がいることか。シャリアはわんわん泣くエグザべの背中を幼子にするように抱き続けた。
「何があったかは私からは聞きません。君から無理に話す必要もありません。ただ相談窓口の番号は君に伝えさせてもらいます。……私に出来ることがあれば協力しますから、ね」
(みすてないで)
「大丈夫、見捨てません」
 エグザべの肩に手を回し、体をそっと離してから手を取る。冷たくなってしまっているその手を揉み込むように握るうちに、少しずつその手に血の温もりが通い始めた。
(あったかい)
 エグザべが落ち着き始めたので、どうやら自分はこの子を温めることが出来るようだと安堵しながらシャリアはエグザべの手を離してベッドから立ち上がった。
「温かいココアでも入れてきます。それを飲んだら今夜はもう寝ましょう」
「……あの」
 エグザべがハッとしたようにシャリアの手を握った。エグザべが口を開く前に彼の思念がシャリアに届く。
(一緒に)
「いいですよ、一緒に行きましょう。寝る時も、ね」
「……!」
 エグザべの顔が少し明るくなった。
 不便も多いが、こうした時に心が読めるのは幸いであると思う。
 シャリアはエグザべの手を引いたまま立ち上がった。
 背中にしがみついたまま動かない恋人の体温を感じながら二人分のココアを入れ、ソファに並んで腰を下ろす。
「……ごめんなさい。初めてなのに、準備もしてくださってたのに」
 ココアを半分ほど飲み終えた頃にエグザべがぽつりと呟いたので、シャリアはエグザべの肩を抱いた。
「君が謝ることではありせん。人の心が読めるなどと自惚れておいて、直前まで君の本心に気付けなかった私にも非はありますから。確かに準備は面倒ですが、君のためなら幾らでも」
「…………」
 シャリアが何気なく付け加えた言葉を聞いたエグザべの頬がボッと赤くなる。と同時に自分の痴態の妄想がどっと流れ込んできたものだから、シャリアは噴き出すのを必死で堪えたのだった。

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おりのなかで

※最終回後エグザベ精神崩壊if

 ===============

「こんにちはエグザべ君、食事を持ってきましたよ。今日も何も食べていないそうですね」
 シャリアが食事の載ったカートを押しながらその部屋に入ると、部屋の中心に置かれたベッドの上に横たわる痩せた青年が首だけを動かしてシャリアを見た。
 緑の光を宿した紫の瞳を覆うまつ毛が震え、目尻が緩む。
 ベッドサイドに置かれた椅子に腰を下ろしたシャリアがエグザべの頭を撫でると、エグザべは目を細めた。
 エグゼべの唇が小さく開かれ、どこか辿々しく言葉を紡ぐ。
「ちゅうさ」
「なんですか?」
「すき、です」
 その幼い言葉から伝わる温かな好意。それがこの青年が『壊れて』しまう前と同じであることにシャリアは奥歯を噛み締めながらも笑顔を作る。
「ありがとうございます、私も好きですよ。ご飯は食べられそうですか?」
「たべ、ます」
「それじゃ、ゆっくり体を起こして」
 シャリアに背中を支えられ、エグザべは上体を起こす。その肉体は病院着越しでも分かるほどに痩せ細り、かつての優秀なパイロットとしての肉体はほとんど衰えていた。
 シャリアが液体状の病院食をスプーンで掬って口元に運ぶと、エグザべは大人しく口を開いてスプーンの先を口に含んだ。
 ほんの数ヶ月前、ジオン国内で大きな動乱があった。ザビ家独裁政権の打倒およびジオン共和国の成立をもって終結したその動乱の首謀者の一人であるシャリア・ブルは、臨時政権のトップとして多忙を極める身であった。
 その中で彼は週の半分以上、夜になると郊外の小さな病院を訪れていた。そこに入院しているエグザべを見舞うためである。
 エグザべ・オリベは一時期シャリアの部隊に身を置いてはいたものの、実際は旧公国におけるキシリア一派の優秀な騎士であった。しかし動乱の最中で受けた強化手術と限界を越えたサイコミュの多用により最終的に精神が破壊され、この病院へと収容された。
 一時期はぼんやりと宙空を見つめるのみであったが、今では少しずつ喋ることも出来るようになりつつある。しかしその精神は幼い子供のそれに変容しており、心を開くのはシャリアを含めたごく一部の人間に対してのみ。回復にはまだ時間がかかるというのが主治医の見解であった。
 たっぷり時間を掛けて病院食を食べ終えたエグザベに、シャリアは「よく出来ました」と微笑みながらその頭を撫でた。エグザべは嬉しそうに目を細め、緩慢な動きで点滴の跡が目立つその細長い腕をシャリアに伸ばした。
 シャリアは身を寄せると、エグザべの抱擁を甘受する。自身もエグザべを抱き締めながら、温かな体温がかつてと変わらないことに心臓がひどく締め付けられる心地がした。
 ──私にこの無垢な愛情を受け取る資格など、無いはずなのに。
「ちゅうさ」
「何ですか?」
「ちゅーしたい、です」
「ふふ、少しだけですよ」
 シャリアはエグザべの唇にほんの軽く触れるだけのキスをした。それだけでエグザべの頬は薔薇のように色付き、もっともっとと言わんばかりにシャリアにその顔を近付ける。シャリアは「仕方のない子ですね」と笑い、その頬や首筋に唇を落とした。エグザべもまたくすぐったそうにしながらお返しのようにシャリアの顔中にキスをした。
 求められるものを与え、与えられるものを甘受する。
 それだけが、シャリアがエグザべに対して出来る贖罪だった。
 彼のような若きニュータイプが搾取されることのない世界を作ろうとしている男が、かつて想いを交わした青年のために出来るのは、ただそれだけだった。

 ◆◆◆ 

 エグザべを寝かし付けたシャリアが病室を出ると、最低限の照明だけが灯されたロビーでサングラスを掛けた金髪の男がソファに腰掛けていた。
「どうだった、彼は」
 立ち上がりながら尋ねる男に、シャリアは微笑みながら答える。
「顔色が随分良くなっていました」
「……前回も同じ言葉を聞いた気がするが、まあいい」
 連れ立って病院を出ると、建物の傍に停めていたエレカへと身を滑り込ませる。男は運転席へ、シャリアは助手席へ。
 男の操作で、エレカは静かに都市部へと進み始めた。
 しばらく車内は無言であったが、赤信号でエレカが停まった時に男から口を開いた。
「いつまでこうする気だ」
「彼が回復するまでは」
「このままでは君が壊れるぞ」
「彼の居場所になってやりたいという私の傲慢でやっていることです。あと三ヶ月で私は今の肩書を失いますから、そうなったら彼をもっと環境の良い場所へ移そうかと」
 信号が青に切り替わる。男はエレカを発進させながら形のいい眉をひそめたが、それ以上何も言わなかった。
 あの青年についてかつてルウム戦役で戦果を挙げた自分が何かを言う権利はない……彼がそう考えていることをシャリアは知っていたので、シャリアはハンドルを握る男の代わりに呟く。
「彼は天涯孤独の身です。気に掛けてやってください」
「気に掛けるなという方が無理な話だろう……妬けてしまうな」
「彼と貴方では座っている席が違いますので」
「……彼の幸福は君の望みだ、私はこれ以上何も言うまい」
 都市部の明かりが近付き、眠らないビジネス街を抜け、やがて公邸の外観が見えた頃にシャリアはポツリと言葉を溢した。
「……私は、本当に彼のために正しいことをしているのでしょうか」 
「私はそれに対する回答は持たないが……少なくとも、彼がまだ君を呼んでくれるのは嬉しいのだろう、シャリア・ブル大佐?」
 男のどこか悪戯っぽい返答にシャリアが思わず顔をしかめたのと同時に、公邸前でエレカにブレーキが掛かった。

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「そこ、随分気に入ったようですね」

 航行中のソドン船体下部に取り付けられた有視界索敵窓。平時は艦橋と船尾のそれのみが使用されるため、掃除や巡検以外でクルーが立ち入ることは滅多にない。
 巡検の最中に発見したそこが自身の気に入りの場所となったのが新たな上官であるシャリア・ブルにバレて、窓辺に腰掛けていたエグザべは薄暗い中でも分かるほど顔を真っ赤にしながら立ち上がった。
「何か御用でしょうか、シャリア・ブル中佐!」
「ああ、楽にしてください。咎めるつもりはありませんから」
 シャリアは苦笑しながら、窓の外に目をやった。そこに広がるのは、何の代わり映えもしない宇宙空間である。
「よく飽きませんねえ。宇宙の景色なんて、若い子は大抵すぐ飽きるものですが」
「いえ、その……自分は、配属前はグラナダにいたもので」
「窓から外が見えることが珍しい?」
「……はい」
 エグザべは気恥ずかしそうであったが、シャリアは「そうですか」と微笑んだ。
「好きなだけ過ごしてくれて構いませんよ。そこを平時でも立ち入り可能にしたのは私なので」
 シャリアの言葉にエグザベは目を瞬かせた。
「本来は立ち入り禁止区域、なのですか?」
「禁止と言うほどでもないですが、ほとんど使わない場所ですからねえ。開放しておく理由もありません」
「何故、立ち入り可能に?」
「私が今より少し若かった頃にこういった場所を好んでいたからです」
「そうなんですね」
 エグザべの声が弾んだ。上官との間に思いがけず共通点を発見して喜ぶ無邪気な表情に、シャリアは顔に出さず苦笑する。
 ──君、私の監視役なのでは?
 間諜としてどうなのかとは思うが、シャリア個人としては彼のような心優しく素直な青年は嫌いではないのでつい口数も増える。
「木星船団にいた頃は、こうして窓辺で読書をするのが数少ない安息の時間でした。軍艦暮らしをしていれば一人になりたい瞬間は誰しもあるだろうと、ラシット艦長も同意してくれたのでここを開放しているのです。君のように窓が珍しくて来ている子は少数派ですが。今のクルーの子たちもここにはほとんど来ませんからねえ」
「そ、そうなんですね?」
 変わり者、と暗に言われたと感じたのかエグザべが小首を傾げた。
「さっきも言いましたが、初めは物珍しくても飽きてくるんでしょう。軍艦の上では非日常がすぐ日常になってしまいますから」
「……自分もいつか飽きるのでしょうか。ここは居心地が良いなと思うのですが……」
「さて、どうでしょう。ですが一瞬でもそこを気に入ってくれたなら、私としてもここを開放した甲斐があります」
 そう締めくくったシャリアは腕時計を見ると、「おや」と呟いた。
「それでは私は定時通信の時間なのでこれで。消灯まであと一時間もありませんが、ごゆっくり」
「はい、お気遣いありがとうございました」
 エグザベが一礼し、シャリアは踵を返して立ち去った。
 残されたエグザベは、その背中が廊下の突き当りで見えなくなるまで見送ってからまた窓の外に目をやる。
 窓が珍しい、というのは本当だ。この場所は居心地がよくて気に入っている、というのも嘘ではない。ただ、景色を見ているわけではなかった。何を見たいのかも、エグザベには分からなかった。
 ただ、いつも艦橋に立って遠い宇宙を見ているあの人が見ているものを、自分も見てみたいと思ったのだ。何を見ているのか、見えるかどうかも分からないのに。
 人類最強のニュータイプと目される彼に憧れる思いは確かにある。ただあくまでスクールでカリキュラムに従ってその能力を伸ばした自分と、本来軍人ですらなかったというのに木星の中でその才能を開花させ戦線に参加した僅か二ヶ月でエース級の戦果を挙げたというあの人とでは、やはり天と地ほどの隔たりがあるとエグザベはほとんど直感していた。
 監視役という任務から逃げるつもりはない。ただ、果たせるかどうかも分からない任務は酷い重荷だった。
 だからせめて、彼が何を考えているのか知りたくて同じものを見たいと思った……とだけ言い切ることが出来れば良かったのだが。
(結局僕は逃げてるだけだ)
 常に遠くを見ているあの人がふいにこちらを見る時の全てを透過するような視線から、そしてその目で見られることに正体も分からぬ胸のざわめきを覚えてしまう自分から。
 どれほど目を凝らしてみても窓の向こうには静寂と、闇と、何も教えてくれない星があるだけ。
「……やっぱり、僕には何も見えないな」
 その声がどこか泣くのを堪える子供のようであるとエグザベに教えてくれる者は、ここには誰もいない。

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温泉のやつ

※エグシャリがマチュニャアシュウの引率で温泉に来ている謎時空

 ◆◆◆

(やっぱり、綺麗な人だな)

 と、隣で髪を乾かしているシャリアを横目で見ながらエグザベは思う。
 シャリアの浴衣の袷から除く胸元は湯上りでうっすら湿り気を帯びて、胸元から頬にかけての肌は上気してほんのり赤い。衿から覗くうなじなどひどく煽情的だ、うなじなど軍服でいつも見えているはずなのに。着ているものとシチュエーションの違いというやつだろうか……と、つい先ほどまで浴場で互いの全裸を見ていたこともつい忘れ、エグザベは心臓がばくばくと高鳴り頬に熱が集まるのを感じた。
「エグザベ君、早く乾かさないと風邪をひいてしまいますよ」
 そんなエグザベの様子に気付いてかあるいは気付かぬふりをしてか、髪を乾かし終えたシャリアがドライヤーを置いてエグザベの方を見た。
「あっはい、中……シャリアさん」
 エグザベが慌てて自分の台のドライヤーを手に取ろうとすると、ひょいと掠め取られた。立ち上がったシャリアがエグザベの台のドライヤーを手にしたのだ。シャリアはエグザベの背後に回ると、エグザベの髪に触れた。
「乾かしてあげます」
「ぴゃ!?」
 ぶおお、とエグザベの髪に温かい風が触れる。続いてエグザベの髪を梳くようにしてシャリアの固い指が。
「おや、驚かせてしまい申し訳ない」
「いっいえ、お気になさらずっ」
 意中の相手にそのように触れられて平静を装うなど難しい話なのだが、それでもエグザベは必死で表情を引き締めながらシャリアにされるがままとなった。まるで頭を撫でるような指先は、大切なものに触れるような丁寧で優しい手つきで。目を閉じると、脳内がふわふわと幸福感で満たされていく。
(あったかいなあ、幸せだなあ、ずっとこうしててほしいなあ)
 無意識のそんな願いにも気付くことなく、エグザベはこの状況を大いに甘受していた。
 一方で髪を乾かしている当のシャリアはと言えば、そんなエグザベにピンと立った耳とぶんぶん振られる尻尾を幻視していた。
 エグザベがこちらを見て何を考えているのか、読もうと思わなくともシャリアには筒抜けであった。十一も年上の男の上官しかも監視対象に片思いなど、戦中でもないのに物好きと言うべきか主の未来の政敵に対してお気楽と言うべきか。それでいつ手を出してくるのかと思っても一向にその気配がないのは立派を通り越して奥手すぎるとすら思う。ハニートラップという発想が無いのかもしれない。
 今のように時々それとなくからかってやることもあるが、その度に顔を真っ赤にしながら子犬のように尻尾を振って受け入れているのだから可愛らしいものだ。彼のようなひた向きで心優しい青年であれば絆されてやるのも悪くないかもしれない。
 エグザベの髪から水気が無くなった頃を見計らってドライヤーを止めて声を掛ける。
「ほら、終わりましたよ」
 シャリアが声を掛けると、エグザベはぴんと姿勢を正して勢いよく振り向いた。
「お手を煩わせてしまい申し訳ありません!」
 そう言いつつ必死で表情を引き締めてはいるが、(もう終わりかあ)と残念がる声が聞こえてしまったものだからシャリアはどうにか笑いを堪えた。
「気にしないでください、私が勝手にやったことです。ああほら、髪はちゃんとブラシ掛けた方がいいですよ。癖になってしまう」
「はっはい!」
 エグザベはシャリアの言う通りアメニティのブラシで慌てて髪を梳かす。シャリアはそんなエグザベの様子に目を細めて笑い、エグザベが髪を梳かし終わったのを見届けてから口を開いた。
「若い子達はもう遊ぶか食事にでも行ってしまいました、食事代は渡してありますし、少しだけゆっくりしていきますか」
 シャリアの言葉にエグザベは目を瞬かせた。エグザベはこうした大衆浴場の類に来たことがない。出身地であるルウムにそのような文化は伝わっていなかったし、グラナダは言わずもがな。なのでゆっくり、と言われてもイメージが湧かない。
「ゆっくり……と言うのは?」
「休憩所があるようです。そこで冷たい飲み物でも飲みながら、ゆっくりお話しでもしましょう」
 とん、とシャリアに肩を叩かれてエグザベは跳ねるように立ち上がり、脱衣所を出るシャリアの後を付いて行く。
 そんな様子がシャリアには尻尾をぶんぶん振る小犬のように見えていることなど、エグザベには知る由もないのであった。

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コラボのやつ一回煎じておかねばと思ったんですが浴衣要素も温泉要素も薄いな……