※2部6章のネタバレがある
※「夢のおわり」についての自己解釈・妄想を含む
※ダビデの生前に関する自己解釈・妄想を含む
「いやあーっ、よく寝た!」
レイシフト先から担がれて帰って来て数分後。
自室のベッドの上で目を覚ましたダビデが思い切り伸びをしながら上げた爽やかな第一声に、ベッド脇に立っていたエミヤはやれやれと首を横に振った。
「あのスキルを使われて目を覚ました第一声がそれとは……恐れ入った」
ここまで自分を担いで来たエミヤの呆れと感心入り混じる言葉に、ダビデは横になったままけろりとして言った。
「え、だって実際よく寝たよ? うんうん、やるべきことを全力でやった後の眠りってやつは最高に気持ちがいいからね」
「流石は懲りる事を知らないダビデ王と言うべきか……」
やや呆れの方が比重の高くなった声で言うエミヤだが、ダビデはどこ吹く風と言った風である。
「マスターは?」
「無論帰還しているとも。もうすぐこちらに来るはずだ」
「それじゃマスターが来るまで待つか。いい機会だからオベロン君とも話してみたかったんだけど、ここには来てくれなさそうだしなあ」
「……まあ、そうだろうな」
ダビデの言葉にエミヤが渋い顔をしながら頷いたところで、部屋のドアが静かに開いた。
「ダビデ、もう起きたー?」
「あ、マスター君。おはよう!」
ベッドの上に寝たままひらひら手を振るダビデに、藤丸はほっと安心したような顔を見せてベッド脇の椅子に腰を下ろした。
「オベロンのスキルに後遺症が無い事は確認出来てるけど……やっぱり立ち直り早いな、ダビデ」
「うん? あのスキル、後遺症とか懸念されるような物なのかい?」
「え、それはまあ……一応レイシフト前に説明した通りで。戦闘が終わるまで目を覚ませないし、どうも起きた後の感じ方がサーヴァントよって違うみたいで」
「ふうむ……」
ダビデは先までの戦闘を反芻するように、少し考え込む。一方でエミヤは眉間に少し皺を寄せていた。ダビデが目敏くそれに気付く。
「ああ、そうか。エミヤ君、彼のスキル……『夢のおわり』だっけ、掛かったことあるんだったね。君はどうだった?」
やっぱり聞いてきた、とエミヤは一つ溜息をついてから、渋々と言った様子で口を開いた。
「……少なくとも私には、あまり気持のいいものではなかったな。強制的に励起される、最大出力の更にその上の状態。だがそれは一瞬のことで、後のことがどれ程気にかかっていても強制的に世界をシャットダウンされ気付けば何もかもが終わっている……ああ、寝起きもなんとも心地悪かったとも。何も感じていない、サーヴァントは夢など見ない筈なのに、特上の悪夢を見せられたような心地だった。私の他に同じような感覚を抱いたサーヴァントは何人かいるようだな」
「特上の悪夢って例えばどんな?」
「貴方は本当にデリカシーというものが無いなダビデ王。シェイクスピアの宝具を食らった時に見せられるやつと言えば伝わるか?」
「ああ、それは確かに最悪かもしれないな……ふむ、どうも個人差があるようだね」
個人差っていうかこの人がちょっと特殊なだけでは……? 私もその通りだと思うぞマスター……こっそり念で言葉を交わし合う藤丸とエミヤだが、ダビデは意に介さず天井を見つめながら考え続ける。自分の中にある感覚の言語化を試みるかのように。
藤丸とエミヤはしばしダビデを見守ることにする。
「夢のおわり……末期に見る夢……夢の喪失? そこからの目覚め……」
ダビデはしばしぶつぶつと何か呟いてから、やがて、「ああそうか」とダビデはぽんと拳を打った。
「分かった。うん、これは多分、僕以外のサーヴァント達に問題があるわけじゃあ決してない。僕の方の問題だと思う」
「ダビデの……?」
「そう。まず僕……というより、生前の『ダビデ』の夢はね、退位した後に自分の牧場を持つことだった。今風に言うセカンドライフってやつを、牧場で羊や牛や馬に囲まれて、心穏やかに過ごしたかった。ところが皆が知るようにそれは叶うことなく、ダビデはソロモンの在位に向けたあらゆる準備を整えてから主の下に召されていった」
ダビデは目を閉じて、自分の手に胸を当てた。
「さて、そんな『ダビデ』の記憶を持った僕はどうだ。驚いたことに文字通りの第二の人生を、しかも王ではなくただの羊飼いとして得たことで、生前の夢に加えてまた違う夢を持ってしまったのさ。『なんかもう王の責務とかそういうの関係ないんだし、とにかく好きなことをしたい』みたいな、ね」
「なんか、牧場経営に比べてふわっとしてない?」
「あはは、まあそんなものさ。夢というか、ちょっとした希望、みたいなレベルのものだから。ところがこの希望を叶えたくとも一つ問題があって。王の責務からは解放されたが、この僕には、主より任されてしまったことがあったからね」
「……『契約の箱』、その管理者としての責務か」
「エミヤ君、大正解。そう、かの箱の管理はとても大変なことなのさ、本来はね」
ところが、とダビデは目を見開くと、少し大袈裟に両手を広げてみせた。
「カルデアに押し掛け……じゃない、召喚されてみればどうだ! 契約の箱を無事に安置することが出来る、何かあれば科学技術と魔術の合わせ技でアラートしてくれるから誰かが悪用したり誤って触れたりすることの無いように四六時中気を張る必要もない、つまりは『ダビデ』としては有り得ないほどの自由を手に入れてしまったのさ!」
「……なるほど……」
その自由なダビデに若干の迷惑を被りがちなエミヤが頭痛を押し殺すような声で呟く。
エミヤも大変だよね、と藤丸がその背中をぽんぽんと叩くが、ダビデは意に介せず話を続けていく。
「さて、そんなかつてない自由を前にした僕は、君のサーヴァントとして働くのは勿論だが、もうやりたいことをとにかくやってしまおうと思うことにした。これはきっと主が僕に与えてくださった千載一遇の機会に違いないからね! 牧場経営に銀行経営が楽しいのは勿論だけれど、このカルデアにいる限りやることが尽きるなんてことがない。美しいアビシャグ達、稀有な出会い、浪漫溢れる冒険の旅……ああ断言出来るとも、僕はとても幸せな形でマスターと縁を結んでいるとね」
だけど、と、ダビデはベッドから体を起こして一つ伸びをした。そして、藤丸に正面から目を合わせる。
「僕は所詮『ダビデ』の影でしかない。今このカルデアにいる幸せな時間は、いわば泡沫の夢。いつかは覚めてしまうものなのさ」
「貴方にとっては、自身の認識する現実全ては夢の中だと?」
「そうかもしれないし、そういうことでもないかもしれない。夢を見ている主体がいなければ、夢とは言えないだろう? 僕はその主体を認識出来ないからね。だけどまあ、とりあえず夢なんだと思うことにしてるよ」
「……ダビデにとってはこの現実が、いつかは覚めるものだから。夢が終わっても、『そういうもの』として受け入れられてしまうってこと?」
藤丸の分析に、「そういうことかな」とダビデは頷く。
「……随分と潔いのだな」
「そりゃまあ、夢に固執しても仕方ないから。だけど、どうせ夢であるならば、楽しくて幸せな夢にしたい。どうせ終わるなら、悔いのない終わりにしたい。僕はそう思う」
「ダビデが悔いることがあるとしたら、それは何?」
「目の前の、己が成すべきことを成せないこと。それがマスターのためであれば、尚の事。それは夢であろうとなかろうと、変わらないよ」
元々そういう性質だからさ、とダビデは肩をすくめながら付け加えた。
そして、世間話をしている時と何ら変わらぬ笑顔で、けろりとしてこう言い放つ。
「うん、だからね。後先を考えなくても良い、ただ自分の全霊を出し切れば良い。そうした末期の夢が、それがマスターのため必要なら、僕は喜んでこの身を差し出すし。それでもし本物の『永遠の眠り』に……消滅したとしても、すっぱり諦めは付くさ」
その、どこか胡散臭いにも関わらず付き合いが長ければ嫌でも伝わる誠意が十割の言葉に、藤丸とエミヤはしばし呆気に取られる。
しばしの沈黙の後、藤丸がようやく口を開いた。
「……じゃあもしかして、本当に永遠の眠りに落ちても俺のためだから仕方がない、くらいの気持ちであのスキルに掛かってたってこと……?」
「仕方ない、なんて後ろ向きな感情じゃないよ。だって、これと定めた人のために命を使えるのは、とても幸福なことだろう?」
「前から思ってたけどダビデ、だいぶ生き方が刹那的というか……」
「……いいやマスター。あらゆる戦を勝ち残り約40年に渡り古代イスラエルを統治した王なんだ、そんじゃそこらの刹那的な輩とは格が違う。長期的な資産運用をしながらも必要と判断すれば己の保身を度外視した大博打を打ててしまう」
「ええ〜、サーヴァントなら別に普通じゃないかい?」
「それはそうだが、貴方はその『普通』が度を越えて突き抜けているのではないか? 我らがマスターがそれを望まぬことくらい、よく知っている筈だろう」
エミヤの言葉にダビデはからからと笑った。
「まあ僕自身には主の加護があるから滅多なことは起きないし、起きたとしても後に残せるものがあるなら、ねえ。勝算のある博打くらいは打つさ」
「ダビデの言う勝算ってそれ勝ち筋しっかり見えてるやつだよな……?」
「それはもう博打とは言わんな……己の保身を度外視出来るのは変わらん分、色々な意味でたちが悪い」
「ほんとだよ……」
ここに来て明らかになったサーヴァントとしてのダビデの人生観のようなものに、藤丸は溜息を一つ吐き出した。
「ダビデに夢のおわり掛けて本当にいいのかなあ……」
「うん? 僕はこの通り全然平気だよ?」
「本人がこう言っているんだ、目が覚めてからのメンタル不調が無いだけ適性があると思うしかあるまい……」
「そっかあ……そうなのかなあ……」
藤丸はしばし腕を組んで考え込んでいたが、やがて顔を上げると、ダビデの肩にぽんと手を置いた。
「俺のためだからって自分を粗末にしたら怒るからな、さっきまでの話聞いてたらいつかやらかしそうで怖いから」
ダビデはその言葉にきょとんとしてしばらく何も言わなかったが、やがてくすりと微笑んだ。
「ありがとう、マスターは優しいね。僕は大丈夫だよ」
自分の肩の上に乗った手をそっと取って退けながら、ダビデは「ああでも」と付け加えた。
「君やオベロン君がなるべくあのスキルを使いたくないと思っているなら、濫用には要注意だ。まあ君なら大丈夫だと思うけどね」
「うん、分かってる」
「よし、それじゃあいつまでも寝てるわけにはいかない、僕はそろそろ仕事を始めるとするよ」
ダビデは朗らかにそう言って、ひょいとベッドから下りた。
「君達もずっとここにいるわけにはいかないだろう?」
「そうだな、私は食堂に顔を出すとする。マスターは今日はもうしっかり休みたまえ」
「ありがとう、そうするよ」
ドアの方に向かう藤丸とエミヤ。ダビデは一つ思い出したのか、「そうだマスター」と藤丸を呼び止めた。
「オベロン君に伝えておいてくれよ、今タマモキャットの協力で開発してるスイカとメロンのアイスがあるんだけど。試作品が出来たら、是非とも彼に試食に来て欲しいんだ」
「今新作開発してるんだ」
「ふむ、最近タマモキャットがアイスの作り方を勉強し直していると思ったらそういうことだったか」
「暦の上ではそろそろ夏だからね、皆美味しいアイスが食べたい頃合いだろう? まあ彼が好きなのは生のフルーツの方なのかもだけど」
「分かった、伝えておくよ。俺にも食べさせてよ!」
「あはは、勿論だとも」
ダビデは壁のパネルで部屋のドアを開けて、藤丸とエミヤを送り出す。藤丸は手を振って、エミヤは軽く片手を上げて自分の部屋に、もしくは食堂へと向かっていった。
「……さて」
ドアを開けたままにして藤丸とエミヤを見送ったダビデは、2人の背中が見えなくなってから部屋の隅の観葉植物に目を向ける。
「まだいるかな~? ……いるね」
大きな葉の伸びた観葉植物の鉢に躊躇いなく両手を突っ込み、ひょい、と、葉の中に埋もれていた重さ6㎏の小さな妖精を、猫を両脇から持つようにして引っ張り出して、軽々と持ち上げた。
白いマントに身を包んだその妖精は寝起きのようなどこかぼやぼやとした目でダビデを見詰めていた。
一方でダビデは、先まで彼のマスターやエミヤに向けていたのと同じ人好きのする笑顔を浮かべたまま、言う。
「君、さっきの僕の話全部聞いてたろ」
「……」
小さなオベロンは何度か瞬きをしたが、何も言わない。しばし、じっとりと大きな目をダビデに向け、やがて勢いよくその小さな足でダビデの手首を蹴り上げた。
「あ痛ァ!?」
ダビデが手を離した隙に、オベロンは彼がブランカと呼んでいるカイコガの背に飛び乗る。そして、開いたままのドアからあっという間に飛び去ってしまった。
オベロンとブランカが飛び去るのを見送ったダビデは手首を擦るのをやめて、既に痛みが引き始めている手首を眺めた。
「……ふむ、僕だから大丈夫だったけど。見た目より重いから蹴りの威力もなかなかだったな。ま、初手から距離を詰めすぎるのも良くないか」
ダビデは肩をすくめてから、わざと開け放しにしていたドアをパネル操作で閉めた。
「僕としては彼のスタンス嫌いじゃないから、是非とも仲良くしたいんだけどなあ」
呟いて、デスクに向かう。
「彼は、望まぬ役割を押し付けられてしまった者であるマスターの味方だから」
ワークチェアに腰をおろし、整頓されたデスクの上の小さな本棚から1冊の本を引き出す。藤丸の生まれ育った文化圏で「旧約聖書」と呼ばれるその本をめくり、ある個所で指を止めた。
サムエル記Ⅰ・16章12節。「ダビデ」が神に王として選ばれた、その一節。
(『ダビデ』だって王になりたかった訳じゃない。王に仕える竪琴弾きになったのも最初は『ダビデ』の意志じゃない。それでも『ダビデ』はその道を行くことを決めた)
未来の王として見出され、竪琴弾きとして王に仕え、巨人を討った日を境に血に塗れた道を歩き続ける……己の霊基に刻まれた在りし日を思い浮かべながら、羊飼いは一人苦笑いを浮かべた。
(オベロン君は、マスターが自由なき戦いを無理矢理にでも終わらせたいと願ってしまえばきっと力を貸してしまう。僕はその在り方が間違っているとはとてもじゃないけど思えない。それが救いになってしまった人のことも、知っているのだから)
自分と同じように王に見出されながらも、たった一度の過ちをきっかけにその身に呪いを受け、狂乱の果てに命を落とした先王のことを思い出して、一つだけ小さな溜息をつく。
かの王はきっと、有り得た自分の姿。
もしかしたら藤丸にとってのオベロンがそうであるように。
ただ、かの王とオベロンに違いがあるとしたら、その道を歩き続ける必要が本当にあるのか、と、オベロンは藤丸に問い続けてくれる。彼と似た立場を経験した者として、彼と同じ目線で。
「……うん、やっぱりそういうサーヴァントもマスターには必要だ。僕やエミヤ君みたいな古株は、もうそんなこと言えるような立場でもないくらいには一緒に死線くぐっちゃってるから。言える者が一人くらいはいないと、多分フェアじゃない」
一緒に戦い続けてきた者からの「もうやめよう」という言葉は、簡単に人の心を折りかねない。であれば、マスターの進む先であれば地獄の果てまでその命を共にすることが、ダビデにとってのマスターに対する誠意であった。
例え『第二の人生』を謳歌していようと、それが泡沫の夢であろうと、大前提として自分は藤丸のサーヴァントなのだから。
何度も目を通した手元の本を、文字はほとんど見ずにめくる。そこに綴られているのは一人の羊飼いの少年が王となり、やがて老いて死んでいくまでを語る、どこにでもある英雄譚。ダビデという英霊の基礎となる、およそ3000年に渡り語り継がれた物語。
やがてダビデは、ページをめくる手を止めた。
「……僕は、懲りずに歩み続けるマスターの尊さを、あいつがマスターに残していったものを、信じている。だから彼のためにこの命を使う。マスターのサーヴァントとして、最後まで歩き続けた『ダビデ』の影として。結局僕がマスターにしてあげられることなんて、それくらいだ」
列王記Ⅰ・2章10節。ソロモンに遺言を残したダビデが死ぬその一節で、ダビデの人生の物語は終わる。
でも彼のお陰で気付いたよ、と、その一節を指でなぞりながら、少しだけ目を細める。
「……マスターやあいつの『愛と希望の物語』がいつか誰からも忘れられるかもしれないのはしんどいなって、思ってたけど。忘れられなかったとして、いずれただの物語として消費された上で忘れられるかもしれないっていうのは、確かにちょっとしんどいね」
僕はそういうの無頓着だからなあ、と。
3000年に渡り物語られてもなお消費し尽くされることのない羊飼いの英霊はそう呟いたのだった。