カテゴリー: ジークアクス

眠れぬ夜は

※最終回後if
※エグシャリ同棲
※シャアはよく遊びに来る友人として元気

 =============== 
 
 深夜零時。
 ふと目が覚めて喉の渇きを覚えたシャリアは、隣ですやすや眠る恋人のエグザベを起こさないようそっとベッドから降りるとキッチンへ向かった。
 冷蔵庫からルイボスティーのポットを出してグラスに注ぐ。口もとでグラスを傾けながら、冷蔵庫に貼ってある紙のカレンダーを眺める。
 シャリアはグレー、エグザベはオレンジとそれぞれのかつての愛機にちなんだ──エグザベはギャンに引かれたゴールドのラインに近くて見やすいオレンジを選んだ──色のマーカーでそれぞれの予定を書き込むのがこの家のルールであった。週に一度以上家を訪れる友人が赤いマーカーで何か書き込んでいることも多い。
 明日……否、既に今日の日付の欄には何も書かれていなかった。
 二人でゆっくりしようか、行きつけのカフェでモーニングもいいかもしれない……と日が昇ってからの時間に思いを馳せていると、脳裏を鋭い光が一筋走った。
 嫌な予感にシャリアがグラスをシンクに置いて急ぎ足で寝室へ戻ると、ベッドの上に残してきたエグザベが、毛布を掻き抱くようにしながら体を丸めていた。その眉はきつく寄せられ、額で汗が結ばれては流れ高い鼻梁を落ち、何か必死で堪えるように歯を食いしばって荒い呼吸が漏れている。
 しかし表出しているそれとは裏腹に、彼の中から感情は何も見えてこない。覗き込んでも何も見えない、人の形をした伽藍洞のようだった。
「エグザベ君」
 名前を耳元で呼んで、背中から抱き締めた。うなじに小さくキスをして、頭を撫でながら呟く。
「大丈夫、私がここにいますよ」
 しばらくシャリアより少しばかり細身の体を包み込むようにしていると、腕の中の体が小さく震えた。
 途端に恐怖・緊張・不安・焦りといった情念ががぶわりと解き放たれたかのようにエグザベから放出した。その密度にシャリアは瞑目しながら、腕の中のエグザベを強く抱きしめる。
「あ……シャリア、さん……?」
 腕の中で寝返りを打ってこちらを見るエグザベの額は汗に濡れている。シャリアは汗で張り付いた前髪をどけてやりながら尋ねた。
「大丈夫ですか?」
「はい……ありがとうございます……」
 ふにゃりとエグザベの表情が緩んだ。シャリアは濡れていることも構わずその額に一つキスをする。
「起きられますか? 寝直す前に何か温かい物でも飲みましょう、入れてきます」
「ん……」
 シャリアが起き上がってベッドから降りようとすると、エグザベがその腰にぎゅうと抱き着いてきた。シャリアは苦笑しながらその髪をくしゃりと撫でる。
「随分と甘えん坊ですね……でもちょっと降りられないのでどかしてくださいねー」
 エグザベの腕を引き剥がしたシャリアは、エグザベの膝裏と腰を支えるとひょいと持ち上げた。どこかぼんやりとしていたエグザベの目が一気に覚醒する。
「わ……わわっ!? シャリアさん!?」
 慌てたようにエグザベがシャリアの首筋にしがみつく。
「危ない、危ないですってばっ!」
「ふふ、これでもまだトレーニングは続けていますから。君一人くらいなら軽いものです」
「嘘だッちょっと腕震えてませんかっ……!?」
「分かっているなら大人しくしてましょうねえ」
「ひぃ……」
 ぎゅうとしがみついて来るエグザベをリビングまで運んだシャリアは、リビングのソファにそっとエグザベを置いた。今でも鍛えているのは噓ではないが、流石にエグザベを姫抱きして運ぶのは少々堪えた。
 水を入れた電気ケトルと二人分のマグカップにティーバッグの入った缶をいくつかキッチンからリビングに運んで、ローテーブルの上で深夜のティータイムの準備をする。
「何が良いですか」
「ん……レモンバームってまだありますか。カウンセラーさんが、夜寝れない時におすすめだって」
「ありますよ」
 レモンバームのティーバッグを二人分それぞれカップに入れる。
 ソファに並んで電気ケトルの湯が沸くのを待ちながら、シャリアはエグザベの手にそっと触れた。普段体温の高い彼にしては冷たい。先まで魘されていたせいか、間接照明の光の中だけで見てもその顔色は良くない。
「これを飲んだら、少しだけここでゆっくりしましょう。無理に寝る必要もないです」
「……はい」
 ケトルの電子音が静かなリビングに響いた。ティーバッグの入ったカップに湯を注ぐと、レモンに似た爽やかな香りがふわりと立ち上った。その香りにエグザベの表情が安堵で和らいだのを感じ、シャリアは思わず笑みを深めた。
「……シャリアさん、明後日から出張でしたよね」
 ハーブティをマグカップの半分ほど飲み終えた頃、エグザベがぽつりと呟いた。シャリアは先程見たカレンダーを思い出しながら頷く。
「ええ、一泊二日ですが」
「……」
「寂しいならキャスバルを呼んでは? 君が呼べばゲーム持参で喜んで来ますよ」
「あの人が来ると深夜までゲーム大会になるじゃないですか……」
 ここにはいない共通の友人の話をしながら、言葉と裏腹にエグザベの表情は明るくなり始めている。そんなエグザベの様子に、シャリアはくすりと笑った。
「夜更かしなんて出来るうちにしておきなさい、私はそろそろゲーム大会での二時越えが辛いので」
「むう……」
 エグザベはどこか子供が拗ねるような声を上げてから、すぐに「あ、そっか」と破顔した。
「じゃあシャリアさん、僕のために夜更かし付き合ってくれるくらいには僕のこと好きなんですね。申し訳ないですが、正直凄く嬉しいです」
「……」
 エグザベの言葉に虚を突かれてシャリアは目を丸くする。しかしすぐに、この子はこういう子だったと釣られて破顔する。故郷と家族を失い、いつしかひどく歪んでしまった内面と抱えたトラウマに苦しみ続けながらも、生来の正直さと優しさだけは失っていない。
「そうですね、眠れなくてもまあいいかと思うくらいには愛してます」
 若きニュータイプ達の生きる世界のために身を尽くすシャリアがただ一人、情と恋をもって愛する男は、ほっと顔を赤くしながら、それでも心の底から嬉しそうに微笑んだのだった。

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my only wish

シャリ受ワンドロワンライお題「離別」
※クライマックス妄想死ネタ
※エグシャリ以外の登場人物→ニャアン、マチュ(台詞だけ)、コモリ

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『……い、エグザベ少尉!』
 必死で僕を呼ぶ声がする。
 誰だ。女の子の声。聞き覚えのある、そう、僕が守らなきゃいけない女の子の……そう気付いた瞬間、意識が表層に引き上げられる。
 水から引き揚げられたかのように、必死で酸素を取り込もうと息をした。視界の右半分が赤い。意識を失う前の強い衝撃でヘルメットがひび割れ、頭部が出血しているようだった。
 と同時に、自分が今置かれている状況と、意識を失う直前までの記憶がどっと脳内に押し寄せる。そのあまりに莫大な「情報」量で吐き気が込み上げるのを必死で堪えながら操縦桿を握り接触回線越しに呼びかける。
「ニャア、ン、大丈夫か?」
『私は大丈夫、です』
 回線越しのニャアンの声は落ち着いていた。良かった、とひとまず安堵する。
 全天モニターは死んでいたが、幸いメインカメラと正面モニターは生きているようだった。モニター越しのジフレドもジークアクスも損傷は軽微。先の大爆発の直接の被害は免れたようだ……僕のギャンと違って。
『ねえ、このおっさん大丈夫なの⁉』
 ジークアクスのパイロットの声がする。おっさんて、ひどいな。まだ二十三なんだけど……と苦笑する余裕が自分にあることが不思議だった。
「聞くんだ、ニャアン、そしてジークアクスのパイロット」
 声の震えを努めて殺しながら、二人に指示を出す。
「ジークアクスは至急ソドンに帰艦。ジフレド……ニャアン、君もソドンに向かって、保護してもらうんだ。艦長のラシット中佐は、君を守ってくれる人だ。僕のギャンも、連れて行って……」
 時折視界が暗くなり、意識が深層に引きずり込まれそうになる。まだだ、まだ落ちるな。
「僕は、爆発直前にシャリア・ブル中佐から渡された情報を持っている。その情報の中から至急性の高いものを可能な限り、今からギャン内部に音声データとして格納する。君達がソドンに到着したら、それをソドンの尉官以上のクルーに、必ず渡してくれ」
 がくん、とコックピットが揺れた。ギャンがジフレドとジークアクスによって両脇から支えられ、そのまま真っ直ぐとソドンに向かって運ばれて行く。
 僕は一つ深呼吸して、コックピットから酸素漏れが起きていないことを確認してからヘルメットを脱いだ。赤い血が玉となってコックピットの中を点々と舞う。それを目で追う暇もなく、僕は非常操作用のタッチパネルを開くと、ギャンのOS内部にディレクトリを一つ作成した。
 これからレコーダーに録音されるコックピット内部の音声データをすべてこのディレクトリ内部に格納、と設定を書き換えてから、僕は口を開いた。
「『以下は、ジオン公国突撃機動軍所属シャリア・ブル中佐による声明である』──」
 僕が今から語るのは、あの人がこの世界に対して残した遺言だ。誰よりもこの世界の行く末を憂いた人が、この世界に対して残せた最後の置き土産。きっとニャアンにもジークアクスのパイロットにも接触回線を通して聞こえている。だが彼女たちは何も言わない。それを有難く思いながら、僕は沈みそうになる意識と必死で戦いながらあの人の言葉を僕の声で遺す。
 一言一句すべて覚えている。忘れられるわけがなかった。
 キケロガが目の前で爆炎に吞まれる直前に見た、極彩色のハレーション。その中で確かに僕を見て笑っていたあの人が、人間の脳の秘された領域をすべて使って僕に流し込んだ言葉。文字通り、脳に刻み付けるようにして渡された膨大な情報達。
 その中から、世界に向けて公開して欲しい、と託された思いを声にした。体の方が耐えられなくなって、途中何回か吐いた。血と吐瀉物がコックピットの中に舞おうと構わなかった。ただ、あの人の生きた意味をこの世界に刻み付けられるなら、もう自分がどうなってもいいとさえ思えた。
 時間にして三十分は運ばれていただろうか。僕がどうにか最後の言葉を吐き出し終えた頃、ニャアンの声がした。
『少尉、ソドンに着きました!』
 ありがとう、と言いたいのに声が出ない。視界が暗くて、もう目の前すら見えなかった。
「エグザベ少尉! しっかりしなさい! メディックはまだか!」
 この声は……コワル中尉だ。久しぶりに聞いた。ソドンにいた時はジークアクスの件で散々沢山迷惑をかけてしまったから、一度ちゃんと謝りたかったのに、その暇もなかったなあ。
「エグザベ少尉……!」
 ニャアンの声がした。泣きそうな声。いつも飄々としている彼女のこんなに感情が昂っている声を聴いたのは初めてだ。
「エグザベ少尉、大丈夫ですか!」
 一年戦争時から従軍しているベテランのメディックの声。軍警に殴られて出来た青あざを見て湿布を渡してくれた。中佐も絆創膏以外も用意してあげてください、とその場にいた中佐に小言のように言っていたことを思い出した。
(ああ、中佐──)
 確かにここにいたあの人の記憶に、涙が溢れた。
 メディックに小脇に抱えられ、担架に縛り付けられ、医療区画に運ばれながら、僕はただ、何も見えないのに天井を見ながら泣いていた。

 ◆◆◆
 
 目が覚めると、ソドンに置かれている医療用ポッドの中だった。
 覚醒直後は一人だったが、脳波モニターを見たのかあのメディックが僕の様子を見に来た。
 どうやら僕はポッドの中で三日眠っていたらしい。
 意識がはっきりしていることを確認されてから、一度メディックは処置室を出て行った。それから少し経ってポッド室に入ってきたのは、タブレットを手にしたコモリ少尉だった。目の下には隈が出来て、僕がソドンを降りた時と比べて、少しやつれているように見える。
 コモリ少尉はポッドの傍の椅子に座ると、どこか無理矢理に見える笑顔を作った。
「久しぶり、エグザベ君」
 ポッドのアクリル越しで、その声は少しくぐもって聞こえた。
「……お久しぶりです」
 僕の声も少し掠れている。
「最初に聞いてきそうだから、言っておくね。あのニャアンって子はうちで保護してる。キシリア様の侍女として雇われた民間人がジフレドで逃げ出した……ってことにしてね。ちょっと無理はあるけど、今は本国もグラナダも大混乱でそれが通せちゃう状況だから。で、今ソドンはグラナダに向かってる」
 コモリ少尉の言葉に安堵する。良かった、彼女は無事なんだ。
「……ギャンのデータも、無事回収した。だけどギャン自体はもう損傷規模が不可逆で、修理するより乗り換えた方が早いだろうってコワル中尉が」
「そっか……マ・クベ中将に怒られるな……」
 あの爆発の最中、あの人を守ろうとしたことでハクジも無くしてしまった。僕にギャンを託してくださった人の期待を全て裏切って生き延びてしまった、ひどい騎士だ。
 コモリ少尉はどこか痛ましげに目を伏せてから、顔を上げた。その表情は引き締まり、軍人の顔をしていた。
「……少尉はまだ、絶対安静の身です。よって最低限の情勢だけ、説明します」
「よろしくお願いします」
 僕が頷くと、コモリ少尉は現在の状況を話してくれた。
 ギレン総帥・キシリア閣下を同時に失ったが、本国・グラナダ共にそれぞれ臨時のトップが就いて情報統制を敷いているためどうにか酷い混乱は抑えられていること。総帥とキシリア様が巻き込まれたのはゼクノヴァなどではない、イオマグヌッソをも巻き込んだ完全に不可逆な物理現象としての爆発。両名とも乗艦ごと巻き込まれたため、生存は絶望的。
 そしてその爆発の中に、シャリア・ブル中佐が、搭乗していたキケロガと共に巻き込まれたこと。
「エグザベ少尉がギャン内部に残したシャリア・ブル中佐の遺言は、ラシット中佐の考えで本国・グラナダ各政府への公開はまだされていません。ですがソドン内部においては、尉官以上のクルー全員が確認済みとなります」
 コモリの言葉に、仕方ないか、と頷く。
 中佐の遺言は、きっと恐ろしく政治的インパクトが強い。ザビ家を滅ぼしたところでまたジオン国内で戦争の火種になりかねない。そうならないように可能な限り手は回した、とあの時に伝えられはしたけれど。
「……私からは、以上となります」
 コモリ少尉に礼を言うと、コモリは少しだけ泣きそうな顔で笑った。
「本当は面会も駄目らしいんだけど。でも、無理言っちゃった」
(だってエグザベ君は、中佐が遺言を託した人だから)
 コモリ少尉の、音にならない声がはっきりと聞こえた。僕にはずっと聞こえなかった筈の、人の心の声。
「グラナダに就いたら、もっといい治療を受けられる筈だから。それまでゆっくり休んでね、それじゃあ」
(ほんっと、なんでエグザベ君を一人にするかなあのおっさん)
 コモリ少尉がポッド室を出て行く。彼女は僕の前でずっと、怒りながら泣いていた。
 ──これが貴方の置き土産なら、あまりに残酷じゃないですか、中佐。
 そう思うと、また涙が溢れて来た。
 涙を止めることも出来ず、ポッドの中で一人しゃくりあげる。
 あの人が僕に遺していった全てが、まだ脳に明確に刻まれている。あの人は文字通りに全てを僕に遺して僕の目の前からいなくなった。そこにないのは、あの人の魂と肉体だけ。だけどそんなの、どこにもいないのと同じだ。
 ――君には、生きていて欲しいんです。
 接触回線越しにそう言ったあの人は、確かに笑っていた。キケロガのあの細い腕で僕のギャンを爆風から押し退けながら。
 ――大丈夫。君も、ニュータイプでしょ?
 何がニュータイプだ、人の革新だ。それを信じて僕やニャアンのような若者の未来を誰よりも願った貴方が、どうして死ななければならないんだ。
 心だけ明け渡されても、僕はあなたにもう何も返せない。そんなのコミュニケーションでもなんでもない、一方的な暴力と同じだ。それも分かった上でいなくなったのだから、本当に酷い人だ。
 なんであなたの願いのために僕の願いを蔑ろにしたんだ。
 あなたには、全部、見えていた筈なのに。
 
「……僕はただ、貴方ともっと話したかったのに」
 
 終ぞ伝えられなかったその願いを初めて口にした時、僕はあの人に恋をしていたのだ、と、ようやく気が付いた。

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your/my soothing place

※最終回後if
※シャリが割と限界中年気味
 
 ===============

「シャリアさん、着きましたよ」
「……ん」
 運転席から身を乗り出して後席に座るシャリアの肩を軽く揺すると、小さなうなり声の後に目を閉じていたシャリアが目を開いた。それから緩慢な動きでシートベルトを外し始めたので、エグザベはエレカから降りて後部座席のドアを開けた。
 車から一歩足を踏み出すと、シャリアの背筋がピンと伸び表情も張り詰める。
 エグザベは四方を警戒しながらシャリアの傍を歩いた。近くには他の守衛も複数控えている。そうして公邸の玄関ドアを開け、その中を一歩潜り、ドアが閉じた瞬間。
「っあ゛~~~~…………」
 地の底を這うような声と共に、シャリアが床にしゃがみこんだ。エグザベもしゃがみ込むと、シャリアの背を摩る。
「シャリアさんシャリアさん、キーパーさんそこにいます」
「いいです別に……疲れました……」
 公邸の掃除や家事を引き受けているハウスキーパーの一人が、すっかり慣れっこですと言わんばかりの顔で玄関ホールとリビングを繋ぐドアの前に立っていた。エグザベは彼に小さく頭を下げてから、間もなく日付の変わる現在時刻を考えつつこの後のことを提案する。
「何か軽くお腹に入れてから寝ましょうか。それともお風呂が先が良いですか?」
「お酒と君が良いです……」
「そっ……そういうこと聞いてるんじゃありません!」
 顔を真っ赤にしながら、エグザベはシャリアの脇に下に体を潜り込ませた。
「お酒飲みたいならまずお夜食食べますよ、ほら!」
 エグザベの言葉にキーパーは了解したと頷くと、リビングへ消える。エグザベは主に精神的疲労でぐったりしているシャリアを抱えて半ば引きずるようにしてリビングへ連れて行く。
 臨時政権の発足から半年も経っていない『ジオン共和国大統領』のこのような姿など、報道自由化が為されたばかりのマスコミに見せれば格好の的となる。一分たりとも隙を見せまいとシャリアがいかに常時気を張っているかを思い、エグザベはやや気が重くなった。
 リビングテーブルには籠に盛られたバゲットと二人分の野菜スープが用意されていた。今日はもう下がっていい旨をキーパーに伝え、エグザベはシャリアをソファーに座らせる。シャリアはぐったりとソファに背中を預け、深々と溜息を吐き出した。
 これは相当だな、とエグザベはシャリアのジャケットの前を開けネクタイとシャツの首元も少し緩めてやる。
「食べられますか?」
「……一枚分だけ、食べさせてください」
「はいはい」
 バゲットでスープを掬ってシャリアの口元に運ぶと、シャリアはあぐと口を開けてエグザベの指先を齧らないようにしながらバゲットにかぶりついた。バゲット半分を口内に入れて咀嚼し、喉を上下させ嚥下する。誤嚥を起こさないかとエグザベがはらはらしながら見守っていると、「流石に大丈夫ですよ」と赤面しながら顔を顰めた。
 バゲット一枚分をエグザベの手ずから食べ終えたシャリアは先より少しだけ血色のいい顔でソファの背もたれから体を起こすと、自分のスプーンとスープ皿に手を伸ばした。
 二人並んで夜食を食べ、食後にエグザベが入れた温かいハーブティを飲みながらシャリアは呟く。
「明日の予定は」
「通常公務の他、まず十時からツィマッド社代表との会談予定が。それから」
「ああ、待って」
 スケジュールを暗唱し始めたエグザベの唇にシャリアは人差し指を当てた。
「私は、明日の何時まで眠れる予定ですか」
「……いつも通りに午前六時半、です」
「ん……ですよね」
 シャリアはカップを置くと、エグザベの肩に凭れ掛かった。
「お風呂入りますか? 準備は出来ているそうですが」
「うん……」
 軽い食事をして血糖値が上がったせいか、シャリアの返事がふわふわと曖昧なものになっている。
 食器を流しに片付けたエグザベは先のようにシャリアを抱えると、シャリアの私室に備え付けられているバスルームへと運んだ。
 エグザベはシャリアの秘書でありSPであり、そしてシャリアの私室の鍵を持つことを許された唯一の人間である。それはエグザベがシャリアから公人として誰よりも個人的な信頼を得ていることの証左であり、同時に彼がシャリアのプライベート上でのパートナーであるが故であった。
「ほらシャリアさん、服脱がしますよ」
 エグザベは色気のない手つきでシャリアの服を全て脱がせて風呂場の椅子に座らせると、自分も服を脱ぎ捨てた。そして全裸で風呂場に足を踏み入れ、シャワーヘッドを手に取った。
 いつからか、シャリアが疲れ果てている時はこうして二人で入浴するのが当たり前となっていた。第一の理由としてはシャリアが入浴中に意識を落とすことがないように。そして、どうせ裸を見られても問題ない関係なのですから君も一緒に入浴すればいいでしょうというシャリアの一言。
 こうなっている時は大概深夜であり二人とも疲れ切っているため、色ごとには何も発展しない二人での入浴。しかしこれはこれで長年寄り添った夫婦みたいな距離感で良い……とエグザベは密かに思っていた。
 シャリアの体を洗って湯に浸からせている間にエグザべはシャワーを浴びる。
「……君もこっちに入ればいいのに。疲れてるでしょ」
 エグザべが体を洗っているのを見ながらシャリアが呟くと、エグザべはシャリアの部屋にのみ置いてある高級石鹸を泡立てながら答える。
「あなたの疲れを癒すほうが優先です。僕はシャワー浴びて寝れば何とかなるんですよ」
「む……」
 シャリアが唇を曲げる。エグザべはそんなシャリアを見て目尻を緩めた。
「大事にさせてください」
「……君、年上の男を甘やかすのばかり上手くなってどうする気なんですか」
「あなたが僕にしてくれたことをお返ししているだけです」
「……全く……」
 呆れたようにそう呟いたシャリアの頬が赤い理由はきっと、体温が上がっているからというだけではない……そう『勘』付き、エグザベは思わず笑みを深めたのだった。
 風呂から上がって互いにナイトウェアに着替えた頃には、時刻は間もなく深夜の一時になろうとしていた。
「お酒、飲みますか?」
 冷たい水の入ったグラスを差し出しながら尋ねると、シャリアはグラスを受け取りながら首を横に振った。
「ん……もういいです……」
「じゃ、それ飲んだら歯磨いてもう寝ましょうか」
 エグザべは寝る前の支度も手伝ってから、ベッドへとシャリアの手を引く。
 ダブルサイズのベッドにシャリアを横たえると、エグザべは部屋の照明を落として回った。ベッドサイドの間接照明のぼんやりとしたオレンジだけを光源としてエグザべもベッドに潜り込むと、オレンジの光をその翡翠の瞳に宿したシャリアと目が合う。シャリアがエグザべに手を伸ばしてきたので、エグザべは大人しくシャリアに抱き締められながら、シャリアを抱き締め返す。
「……やっぱり、君がいてくれて良かった」
 エグザべの首元に額を埋めながら、シャリアが呟いた。吐息が少しくすぐったいが、それ以上にシャリアから溢れる安息や信頼の感情の方がエグザべの胸を包み込んでいた。
「ありがとうございます。僕もあなたのそばにいることができて幸せです」
「君がいないと私、どんどん情けなくなるばっかりで」
「だとしてもあなたは世界一カッコいいですよ、僕が保証します」
「私に文句も言わず付いてきてくれた君の方が、格好いいですよ。最初は可愛いだけかと思ってたのに……」
「今は可愛くないってことですか?」
「そうやって拗ねるポーズをするところは可愛いです」
 シャリアは吐息をこぼすように笑ってから、一つ深く息を吐いた。もう眠気が限界に近いようだ。エグザべはシャリアの後頭部をそっと撫でた。
「……おやすみなさい、シャリアさん」
「ん……おやすみ、エグザべ君……」
 やがて規則正しい寝息がシャリアから聞こえてきた。エグザべはその額に一つ唇を落とし、自分もまた誰よりも愛しい人の傍で目を閉じるのだった。

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唐揚げ、豚カツ、野菜の豚肉巻き

「サイド6と言えば、ここのチェーンは安定して美味しいんですよ」
「はあ……」
 シャリアが指差した店舗の看板を見てもいまいちピンと来ず、エグザべは首を傾げた。
「イズマコロニーの文化のベースでもある日本の定食屋ですね。今日のランチはここにしましよう。もちろん私の奢りです」
 そうしてシャリアに連れられて、エグザべは初めての定食チェーンへ足を踏み入れた。
(こうやっていつもご飯を奢ってくれるのは嬉しいけど、この人は僕を懐柔しようとしている可能性だってあるんだ)
 エグザべは緊張感を抱きながらも、シャリアと共にタブレットでメニューを眺める。椀に盛られた米、味噌のスープ、日本風ピクルス、一種か二種のおかずを一つのセットとしているようだ。
(わ、何だこの揚げた肉? 美味そっ)
 最初にエグザべの目を引いたのは、茶色い衣の付いた肉が皿に盛られた写真であった。カラアゲというらしい。それからすぐ隣にある写真にも目がいく。
(でもこのトンカツとかいうやつも美味そうだ……迷うなあ、どっちも食べられるか……いやそれは流石に食べ過ぎか? あっ単品もある)
「決まりましたか? ……少尉くらい食べる人には、定食だけだと足りないかもしれませんねえ」
 メニューを眺めていたシャリアがぼそりと呟いた。その言葉に背中を押されたかのように、エグザべは真剣な眼差しでメニューから顔を上げた。 
「……唐揚げ定食に、豚カツ単品でお願いします。定食のご飯は大盛りで」
 エグザべの注文に、シャリアはニコリと微笑んでタブレットに注文を打ち込んだ。
 さて、エグザべの心の声はジオン最強のニュータイプであるシャリアには丸聞こえであった。
 この青年がキシリア派から自分の監視のために派遣されたスパイであることは薄々察していたので特に驚きも無かったのだが、一つ予想外だったのが、
(エグザべ少尉を見ていると癒されますねえ……)
 エグザべはその人柄にとにかく裏表が無さ過ぎた。思っていることと顔に出ていることが大体イコールなのである。
 人間誰しも少なからず本音と建前というものがある。意識せずとも人の心が見えてしまうシャリアにとってはそれが当たり前の世界であったので、このエグザべ青年が過酷な経験をしながらもその驚くほどの善性と素直さを失わずここまで生きてきたというのはあまりにも眩くかけがえの無いものに見えた。
 そんなエグザべを見て癒やされる感覚は、犬や猫を眺めている時のものと近い。人間に対して抱く感想として失礼なものであることは百も承知であるが。
 店がそう混んでいないこともあり、定食はすぐに運ばれてきた。
 エグザべの前には唐揚げ定食と皿に乗った豚カツ、シャリアの前には野菜の豚肉巻き定食。
「こちら一つ差し上げます。野菜も食べましょうね」
 口を付ける前に、自分の皿から野菜の肉巻きを一つエグザべの皿に乗せるとエグザベは見るからに狼狽した。
「ええっ、よろしいんですか!」
(大事なおかずを一つくれるなんて……四つしか乗ってないのに! いい人だ!)
「構いません、私には少し多いくらいなので」
「あ、ありがとうございます!」
(後でお腹減らないのかなあ……)
(やっぱりこの子は面白いな……)
 キシリア閣下の騎士でさえなければ、とシャリアはしみじみ思う。シャリアはこういう素直な人間が好きであった。
(なんだこの肉柔らかいっ。衣だけじゃなくてお肉にもちゃんと味が付いてるじゃないか! これだけのものをチェーン店で出しているなんてどれだけの企業努力を重ねてきたんだ……わ、こっちの豚カツは衣がサックサクだ!)
 シャリアの考えることなど露知らず、エグザべはどこまでも大真面目に唐揚げや豚カツに感動していた。
 これはおかずを一つあげて正解だったな、と思いながらシャリアは味噌汁を飲む。
 ソドン乗艦時に共に食事をしていてもそうだが、エグザべの食事中の脳内実況を聞いているとそれだけで腹が満たされる心地になるのだ。きっとこの青年が食事という行為の有り難さを知っているからなのだろう。
(そろそろ肉巻きをいただこう……ん、思ったより甘い味付けだ、こういうのもありなのか……あっ思ったより色んな種類の野菜が入ってて色んな歯応えがする! それに肉の脂が旨味になってておいしい!)
 野菜の肉巻きも気に入ってもらえたようで何よりである。
「ご馳走様でした!」
 綺麗に完食したエグザべが手を合わせたのを見て、シャリアは「気に入ってもらえたようで何よりです」と頷いた。
「美味しかったでしょう?」
「はい! とっても……全部美味しかったです! 中佐の連れて行ってくれるご飯、どこも美味しいです!」
(すっごく美味しかった! 中佐は美味しい店を沢山知ってるんだなあ!)
 キラキラ輝く瞳と食後で血色の良い頬。可愛い子だな、と考えていることは悟られぬよう、シャリアは麦茶のコップを傾けながら微笑んだ。
「もう少しだけ休んだら出ましょうか」
「はい!」
 この後はまた二人で捜査に出て、外泊申請も出しているので夜も外食となる。
 さて今夜はこの子に何を食べさせようか。寿司、しゃぶしゃぶ、焼肉も良いな……と、今から業後のささやかな楽しみに思いを馳せるシャリアであった。
 

 

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flashback

※ザべ君が難民時代モブから性的暴行を受けていた設定
※ハッピーエンドです!!!!!!!!
※時系列は多分全部終わったあと
 
 ================

(怖い)
 パチリ、と。静電気のささやかな痛みに似たその言葉がシャリアの脳裏をひらめいた。
 それが目の前の……今まさに自分がベッドの上で伸し掛かろうとしていた青年から聞こえてきたので、シャリアは動きを止める。
 そのまま、エグザべの美しいバイカラーの瞳を覗き込んだ。
「……あの、シャリアさん?」
 怖怖と尋ねるエグザべの両頬に手を添えて、目を合わせる。
「……君、もしかして気が進まない?」
「そっ、そんなことはありません!」
(どうしよう、やだ、ばれた)
 エグザべがどれほど表情を取り繕おうと、聞こえる心はあまりにも雄弁だ。
 シャリアは真っ直ぐにエグザべを見詰めた。
「君は、私がこの行為を望んでいるという理由で同意してくれている。ですが私は君が望まぬ行為を強要したいわけではありません。理由は言わなくていい、君の本心を聞かせてください。聞かせてくれるまで、そして聞かせてくれた言葉によっては私は君に手を出しません。約束します」
「っ、あ……」
 エグザべは小さく口を開き、それからその瞳にはみるみる涙がたまり始めた。
 そして涙が決壊して頬を伝った時、エグザべはしゃくり上げながらシャリアにしがみついた。シャリアはゆっくりとエグザべの背に手を回し、触れてもエグザべが恐怖を感じていないことを確認してからその背中を擦った。
「ごめんなさい、ごめんなさい、怖いです」
 読もうとせずとも流れて来たのは恐怖、怯え、痛み……シャリアはエグザベから自分の顔が見えないのをいいことにそっと顔をしかめた。恋人とは言え他者がおいそれと覗き込んで良いものではない。この青年であればそれを見たことを許すであろうから、尚のこと。
「あなたは僕に酷いことしないって、分かってるのに、なのに、体が、勝手に、」
「……ありがとう、教えてくれて」
 それを伝えることすらどれほど勇気がいることか。シャリアはわんわん泣くエグザべの背中を幼子にするように抱き続けた。
「何があったかは私からは聞きません。君から無理に話す必要もありません。ただ相談窓口の番号は君に伝えさせてもらいます。……私に出来ることがあれば協力しますから、ね」
(みすてないで)
「大丈夫、見捨てません」
 エグザべの肩に手を回し、体をそっと離してから手を取る。冷たくなってしまっているその手を揉み込むように握るうちに、少しずつその手に血の温もりが通い始めた。
(あったかい)
 エグザべが落ち着き始めたので、どうやら自分はこの子を温めることが出来るようだと安堵しながらシャリアはエグザべの手を離してベッドから立ち上がった。
「温かいココアでも入れてきます。それを飲んだら今夜はもう寝ましょう」
「……あの」
 エグザべがハッとしたようにシャリアの手を握った。エグザべが口を開く前に彼の思念がシャリアに届く。
(一緒に)
「いいですよ、一緒に行きましょう。寝る時も、ね」
「……!」
 エグザべの顔が少し明るくなった。
 不便も多いが、こうした時に心が読めるのは幸いであると思う。
 シャリアはエグザべの手を引いたまま立ち上がった。
 背中にしがみついたまま動かない恋人の体温を感じながら二人分のココアを入れ、ソファに並んで腰を下ろす。
「……ごめんなさい。初めてなのに、準備もしてくださってたのに」
 ココアを半分ほど飲み終えた頃にエグザべがぽつりと呟いたので、シャリアはエグザべの肩を抱いた。
「君が謝ることではありせん。人の心が読めるなどと自惚れておいて、直前まで君の本心に気付けなかった私にも非はありますから。確かに準備は面倒ですが、君のためなら幾らでも」
「…………」
 シャリアが何気なく付け加えた言葉を聞いたエグザべの頬がボッと赤くなる。と同時に自分の痴態の妄想がどっと流れ込んできたものだから、シャリアは噴き出すのを必死で堪えたのだった。

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おりのなかで

※最終回後エグザベ精神崩壊if

 ===============

「こんにちはエグザべ君、食事を持ってきましたよ。今日も何も食べていないそうですね」
 シャリアが食事の載ったカートを押しながらその部屋に入ると、部屋の中心に置かれたベッドの上に横たわる痩せた青年が首だけを動かしてシャリアを見た。
 緑の光を宿した紫の瞳を覆うまつ毛が震え、目尻が緩む。
 ベッドサイドに置かれた椅子に腰を下ろしたシャリアがエグザべの頭を撫でると、エグザべは目を細めた。
 エグゼべの唇が小さく開かれ、どこか辿々しく言葉を紡ぐ。
「ちゅうさ」
「なんですか?」
「すき、です」
 その幼い言葉から伝わる温かな好意。それがこの青年が『壊れて』しまう前と同じであることにシャリアは奥歯を噛み締めながらも笑顔を作る。
「ありがとうございます、私も好きですよ。ご飯は食べられそうですか?」
「たべ、ます」
「それじゃ、ゆっくり体を起こして」
 シャリアに背中を支えられ、エグザべは上体を起こす。その肉体は病院着越しでも分かるほどに痩せ細り、かつての優秀なパイロットとしての肉体はほとんど衰えていた。
 シャリアが液体状の病院食をスプーンで掬って口元に運ぶと、エグザべは大人しく口を開いてスプーンの先を口に含んだ。
 ほんの数ヶ月前、ジオン国内で大きな動乱があった。ザビ家独裁政権の打倒およびジオン共和国の成立をもって終結したその動乱の首謀者の一人であるシャリア・ブルは、臨時政権のトップとして多忙を極める身であった。
 その中で彼は週の半分以上、夜になると郊外の小さな病院を訪れていた。そこに入院しているエグザべを見舞うためである。
 エグザべ・オリベは一時期シャリアの部隊に身を置いてはいたものの、実際は旧公国におけるキシリア一派の優秀な騎士であった。しかし動乱の最中で受けた強化手術と限界を越えたサイコミュの多用により最終的に精神が破壊され、この病院へと収容された。
 一時期はぼんやりと宙空を見つめるのみであったが、今では少しずつ喋ることも出来るようになりつつある。しかしその精神は幼い子供のそれに変容しており、心を開くのはシャリアを含めたごく一部の人間に対してのみ。回復にはまだ時間がかかるというのが主治医の見解であった。
 たっぷり時間を掛けて病院食を食べ終えたエグザベに、シャリアは「よく出来ました」と微笑みながらその頭を撫でた。エグザべは嬉しそうに目を細め、緩慢な動きで点滴の跡が目立つその細長い腕をシャリアに伸ばした。
 シャリアは身を寄せると、エグザべの抱擁を甘受する。自身もエグザべを抱き締めながら、温かな体温がかつてと変わらないことに心臓がひどく締め付けられる心地がした。
 ──私にこの無垢な愛情を受け取る資格など、無いはずなのに。
「ちゅうさ」
「何ですか?」
「ちゅーしたい、です」
「ふふ、少しだけですよ」
 シャリアはエグザべの唇にほんの軽く触れるだけのキスをした。それだけでエグザべの頬は薔薇のように色付き、もっともっとと言わんばかりにシャリアにその顔を近付ける。シャリアは「仕方のない子ですね」と笑い、その頬や首筋に唇を落とした。エグザべもまたくすぐったそうにしながらお返しのようにシャリアの顔中にキスをした。
 求められるものを与え、与えられるものを甘受する。
 それだけが、シャリアがエグザべに対して出来る贖罪だった。
 彼のような若きニュータイプが搾取されることのない世界を作ろうとしている男が、かつて想いを交わした青年のために出来るのは、ただそれだけだった。

 ◆◆◆ 

 エグザべを寝かし付けたシャリアが病室を出ると、最低限の照明だけが灯されたロビーでサングラスを掛けた金髪の男がソファに腰掛けていた。
「どうだった、彼は」
 立ち上がりながら尋ねる男に、シャリアは微笑みながら答える。
「顔色が随分良くなっていました」
「……前回も同じ言葉を聞いた気がするが、まあいい」
 連れ立って病院を出ると、建物の傍に停めていたエレカへと身を滑り込ませる。男は運転席へ、シャリアは助手席へ。
 男の操作で、エレカは静かに都市部へと進み始めた。
 しばらく車内は無言であったが、赤信号でエレカが停まった時に男から口を開いた。
「いつまでこうする気だ」
「彼が回復するまでは」
「このままでは君が壊れるぞ」
「彼の居場所になってやりたいという私の傲慢でやっていることです。あと三ヶ月で私は今の肩書を失いますから、そうなったら彼をもっと環境の良い場所へ移そうかと」
 信号が青に切り替わる。男はエレカを発進させながら形のいい眉をひそめたが、それ以上何も言わなかった。
 あの青年についてかつてルウム戦役で戦果を挙げた自分が何かを言う権利はない……彼がそう考えていることをシャリアは知っていたので、シャリアはハンドルを握る男の代わりに呟く。
「彼は天涯孤独の身です。気に掛けてやってください」
「気に掛けるなという方が無理な話だろう……妬けてしまうな」
「彼と貴方では座っている席が違いますので」
「……彼の幸福は君の望みだ、私はこれ以上何も言うまい」
 都市部の明かりが近付き、眠らないビジネス街を抜け、やがて公邸の外観が見えた頃にシャリアはポツリと言葉を溢した。
「……私は、本当に彼のために正しいことをしているのでしょうか」 
「私はそれに対する回答は持たないが……少なくとも、彼がまだ君を呼んでくれるのは嬉しいのだろう、シャリア・ブル大佐?」
 男のどこか悪戯っぽい返答にシャリアが思わず顔をしかめたのと同時に、公邸前でエレカにブレーキが掛かった。

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「そこ、随分気に入ったようですね」

 航行中のソドン船体下部に取り付けられた有視界索敵窓。平時は艦橋と船尾のそれのみが使用されるため、掃除や巡検以外でクルーが立ち入ることは滅多にない。
 巡検の最中に発見したそこが自身の気に入りの場所となったのが新たな上官であるシャリア・ブルにバレて、窓辺に腰掛けていたエグザべは薄暗い中でも分かるほど顔を真っ赤にしながら立ち上がった。
「何か御用でしょうか、シャリア・ブル中佐!」
「ああ、楽にしてください。咎めるつもりはありませんから」
 シャリアは苦笑しながら、窓の外に目をやった。そこに広がるのは、何の代わり映えもしない宇宙空間である。
「よく飽きませんねえ。宇宙の景色なんて、若い子は大抵すぐ飽きるものですが」
「いえ、その……自分は、配属前はグラナダにいたもので」
「窓から外が見えることが珍しい?」
「……はい」
 エグザべは気恥ずかしそうであったが、シャリアは「そうですか」と微笑んだ。
「好きなだけ過ごしてくれて構いませんよ。そこを平時でも立ち入り可能にしたのは私なので」
 シャリアの言葉にエグザベは目を瞬かせた。
「本来は立ち入り禁止区域、なのですか?」
「禁止と言うほどでもないですが、ほとんど使わない場所ですからねえ。開放しておく理由もありません」
「何故、立ち入り可能に?」
「私が今より少し若かった頃にこういった場所を好んでいたからです」
「そうなんですね」
 エグザべの声が弾んだ。上官との間に思いがけず共通点を発見して喜ぶ無邪気な表情に、シャリアは顔に出さず苦笑する。
 ──君、私の監視役なのでは?
 間諜としてどうなのかとは思うが、シャリア個人としては彼のような心優しく素直な青年は嫌いではないのでつい口数も増える。
「木星船団にいた頃は、こうして窓辺で読書をするのが数少ない安息の時間でした。軍艦暮らしをしていれば一人になりたい瞬間は誰しもあるだろうと、ラシット艦長も同意してくれたのでここを開放しているのです。君のように窓が珍しくて来ている子は少数派ですが。今のクルーの子たちもここにはほとんど来ませんからねえ」
「そ、そうなんですね?」
 変わり者、と暗に言われたと感じたのかエグザべが小首を傾げた。
「さっきも言いましたが、初めは物珍しくても飽きてくるんでしょう。軍艦の上では非日常がすぐ日常になってしまいますから」
「……自分もいつか飽きるのでしょうか。ここは居心地が良いなと思うのですが……」
「さて、どうでしょう。ですが一瞬でもそこを気に入ってくれたなら、私としてもここを開放した甲斐があります」
 そう締めくくったシャリアは腕時計を見ると、「おや」と呟いた。
「それでは私は定時通信の時間なのでこれで。消灯まであと一時間もありませんが、ごゆっくり」
「はい、お気遣いありがとうございました」
 エグザベが一礼し、シャリアは踵を返して立ち去った。
 残されたエグザベは、その背中が廊下の突き当りで見えなくなるまで見送ってからまた窓の外に目をやる。
 窓が珍しい、というのは本当だ。この場所は居心地がよくて気に入っている、というのも嘘ではない。ただ、景色を見ているわけではなかった。何を見たいのかも、エグザベには分からなかった。
 ただ、いつも艦橋に立って遠い宇宙を見ているあの人が見ているものを、自分も見てみたいと思ったのだ。何を見ているのか、見えるかどうかも分からないのに。
 人類最強のニュータイプと目される彼に憧れる思いは確かにある。ただあくまでスクールでカリキュラムに従ってその能力を伸ばした自分と、本来軍人ですらなかったというのに木星の中でその才能を開花させ戦線に参加した僅か二ヶ月でエース級の戦果を挙げたというあの人とでは、やはり天と地ほどの隔たりがあるとエグザベはほとんど直感していた。
 監視役という任務から逃げるつもりはない。ただ、果たせるかどうかも分からない任務は酷い重荷だった。
 だからせめて、彼が何を考えているのか知りたくて同じものを見たいと思った……とだけ言い切ることが出来れば良かったのだが。
(結局僕は逃げてるだけだ)
 常に遠くを見ているあの人がふいにこちらを見る時の全てを透過するような視線から、そしてその目で見られることに正体も分からぬ胸のざわめきを覚えてしまう自分から。
 どれほど目を凝らしてみても窓の向こうには静寂と、闇と、何も教えてくれない星があるだけ。
「……やっぱり、僕には何も見えないな」
 その声がどこか泣くのを堪える子供のようであるとエグザベに教えてくれる者は、ここには誰もいない。

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温泉のやつ

※エグシャリがマチュニャアシュウの引率で温泉に来ている謎時空

 ◆◆◆

(やっぱり、綺麗な人だな)

 と、隣で髪を乾かしているシャリアを横目で見ながらエグザベは思う。
 シャリアの浴衣の袷から除く胸元は湯上りでうっすら湿り気を帯びて、胸元から頬にかけての肌は上気してほんのり赤い。衿から覗くうなじなどひどく煽情的だ、うなじなど軍服でいつも見えているはずなのに。着ているものとシチュエーションの違いというやつだろうか……と、つい先ほどまで浴場で互いの全裸を見ていたこともつい忘れ、エグザベは心臓がばくばくと高鳴り頬に熱が集まるのを感じた。
「エグザベ君、早く乾かさないと風邪をひいてしまいますよ」
 そんなエグザベの様子に気付いてかあるいは気付かぬふりをしてか、髪を乾かし終えたシャリアがドライヤーを置いてエグザベの方を見た。
「あっはい、中……シャリアさん」
 エグザベが慌てて自分の台のドライヤーを手に取ろうとすると、ひょいと掠め取られた。立ち上がったシャリアがエグザベの台のドライヤーを手にしたのだ。シャリアはエグザベの背後に回ると、エグザベの髪に触れた。
「乾かしてあげます」
「ぴゃ!?」
 ぶおお、とエグザベの髪に温かい風が触れる。続いてエグザベの髪を梳くようにしてシャリアの固い指が。
「おや、驚かせてしまい申し訳ない」
「いっいえ、お気になさらずっ」
 意中の相手にそのように触れられて平静を装うなど難しい話なのだが、それでもエグザベは必死で表情を引き締めながらシャリアにされるがままとなった。まるで頭を撫でるような指先は、大切なものに触れるような丁寧で優しい手つきで。目を閉じると、脳内がふわふわと幸福感で満たされていく。
(あったかいなあ、幸せだなあ、ずっとこうしててほしいなあ)
 無意識のそんな願いにも気付くことなく、エグザベはこの状況を大いに甘受していた。
 一方で髪を乾かしている当のシャリアはと言えば、そんなエグザベにピンと立った耳とぶんぶん振られる尻尾を幻視していた。
 エグザベがこちらを見て何を考えているのか、読もうと思わなくともシャリアには筒抜けであった。十一も年上の男の上官しかも監視対象に片思いなど、戦中でもないのに物好きと言うべきか主の未来の政敵に対してお気楽と言うべきか。それでいつ手を出してくるのかと思っても一向にその気配がないのは立派を通り越して奥手すぎるとすら思う。ハニートラップという発想が無いのかもしれない。
 今のように時々それとなくからかってやることもあるが、その度に顔を真っ赤にしながら子犬のように尻尾を振って受け入れているのだから可愛らしいものだ。彼のようなひた向きで心優しい青年であれば絆されてやるのも悪くないかもしれない。
 エグザベの髪から水気が無くなった頃を見計らってドライヤーを止めて声を掛ける。
「ほら、終わりましたよ」
 シャリアが声を掛けると、エグザベはぴんと姿勢を正して勢いよく振り向いた。
「お手を煩わせてしまい申し訳ありません!」
 そう言いつつ必死で表情を引き締めてはいるが、(もう終わりかあ)と残念がる声が聞こえてしまったものだからシャリアはどうにか笑いを堪えた。
「気にしないでください、私が勝手にやったことです。ああほら、髪はちゃんとブラシ掛けた方がいいですよ。癖になってしまう」
「はっはい!」
 エグザベはシャリアの言う通りアメニティのブラシで慌てて髪を梳かす。シャリアはそんなエグザベの様子に目を細めて笑い、エグザベが髪を梳かし終わったのを見届けてから口を開いた。
「若い子達はもう遊ぶか食事にでも行ってしまいました、食事代は渡してありますし、少しだけゆっくりしていきますか」
 シャリアの言葉にエグザベは目を瞬かせた。エグザベはこうした大衆浴場の類に来たことがない。出身地であるルウムにそのような文化は伝わっていなかったし、グラナダは言わずもがな。なのでゆっくり、と言われてもイメージが湧かない。
「ゆっくり……と言うのは?」
「休憩所があるようです。そこで冷たい飲み物でも飲みながら、ゆっくりお話しでもしましょう」
 とん、とシャリアに肩を叩かれてエグザベは跳ねるように立ち上がり、脱衣所を出るシャリアの後を付いて行く。
 そんな様子がシャリアには尻尾をぶんぶん振る小犬のように見えていることなど、エグザベには知る由もないのであった。

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コラボのやつ一回煎じておかねばと思ったんですが浴衣要素も温泉要素も薄いな……

全てを持っていた頃の君

※前半はザべ君幼児化
※最終回後if、エグシャリは同棲してる
※8話毒ケーキの件でザべ君が甘いもの全般苦手という設定

◆◆◆

 全くもって奇妙な話であるが、シャリア・ブルが目を覚ますと、隣で眠っていた筈の二十代半ばに差し掛かり始めている恋人が五歳前後の幼い子供になっていた。
 おじさん、だれですか? と。ぱっちり開いた大きな瞳で見上げながら尋ねるその顔を見た時、シャリアの脳裏を稲光がぶち抜いた。
 それほどまでに、幼い恋人は可愛らしかった。
 
「さて、エグザべくんは何が食べたいですか?」
「ん〜……」
 シャリア・ブルがエグザべ・オリベと二人で暮らしているとあるコロニーの中でも有数の繁華街。その入口近くのファミリーレストランの更に隅のボックス席に、明るい茶髪の幼い子供を連れたシャリア・ブルの姿があった。
 エグザべくん、と呼ばれたシャリアの隣に座る幼い子供は、キッズメニューとグランドメニューをぱたぱたと開いたり閉じたりしている。それからキッズメニューの「キッズカレーセット(おもちゃ付き)」を指さした。
「これがいいです!」
「なるほど、カレーですか」
 エグザベが指さしたメニューの写真を見ると、仕切り付きのスペースグライダー型プレートにご飯が山の形に盛られたカレーライスとエビフライ、ミニトマトと小さなカップゼリーが盛り付けられている。おまけにカレーライスに入っているニンジンは星の形、とわざわざ写真付きでアピールしている。
 子供が食べるメニューとして見た目に楽しく、野菜も食べられる。良いメニューだ、と親のような目線でシャリアは頷いた。
「いいですね」
「あとケーキ!」
「……ケーキ、ですか」
 エグザベがグランドメニューのデザートページを開くのを見て、シャリアは僅かに瞼を伏せた。
「これがいい!」
 エグザべが指差したのは、何の変哲もないチョコレートケーキ。
 しかしシャリアは、胸が小さく締め付けられるような心地を覚えながらエグザべの頭にそっと手を乗せた。
 シャリアの知るエグザべ・オリベという青年は、ケーキが苦手である。
 食べ物としての好き嫌いではなく、何かアレルギーがあったり食事制限をしているわけでもない。ただ二人が軍人だった頃、しばらく離れていた時期にエグザべが関わっていた事件をきっかけに、エグザべはケーキを食べられなくなった。ケーキほどではないにせよ、他の甘味類も難しい。
 食べられないわけじゃないですよ、と本人は笑いながら言うが、ケーキを前にして深い悲しみを抱きながらその笑顔を曇らせるような恋人に無理にケーキを食べさせようともシャリアは思わない。
 つまり今チョコレートケーキの写真を指差しているこの子は、ケーキを前に素直にはしゃぐ、何も知らない無垢な子供であった頃のエグザべなのだ。そう思うと、なんとも遣る瀬無かった。
 シャリアはエグザべの丸い頭を撫でる。
「……そうですね、そのチョコレートケーキ一つならいいですよ。先にカレーを食べてからね」
「はい!」
 エグザべはその目をキラキラ輝かせながら頷いた。
 この目の輝きは幼い頃から変わらないのだな、とシャリアは小さく安堵した。
 そして、およそ三十分後。
「エグザべ君、もしやもうおねむですか?」
「う〜……」
 チョコレートケーキを前に子供用のフォークを持ったエグザべが、うつらうつらと船を漕いでいる。あんなに楽しみにしていた筈のケーキは、初めこそ目を輝かせて食べていたのだがそのフォークを運ぶペースは少しずつ遅くなり、まだ半分以上残っている。
 食後のコーヒーを飲みながら、そんなエグザベの様子にシャリアは苦笑した。
 どうやらカレーセットでほとんどお腹いっぱいになってしまっていたらしい。
「ほら、フォークを置いて。口の周りも拭きましょうね」
 エグザベの手から優しくフォークを取り上げると、エグザベはその小さな手を大人しく開いた。チョコレートクリームの付いたその小さな口の周りを紙ナプキンで優しく拭ってから、シャリアは自分の太ももを軽く叩いた。
「本当は食後すぐ横になるのは良くないのですが、今日はもう仕方がありません。ほら、おいで」
 エグザベはシャリアの膝を枕にすると目を閉じて、すやすや眠ってしまった。
 あんなにケーキを食べたがっていたのに子供は自由だ……とその無垢な寝顔を一頻り眺めたシャリアはその頭をまた優しく撫でてから、店員を呼び止めた。膝の上で眠るエグザべを見せてドリンクバーからホットコーヒーを新しく一杯持ってきてもらい、それから食べ掛けのチョコレートケーキに手を付けた。
 一口含むと、チョコレートクリームの強い甘さとハイカカオの微かなほろ苦さが口の中に広がった。
 エグザべと共に住み始めてから菓子やケーキは久しく食べていないが、ファミリー向けのレストランで出るにしてはなかなか美味なケーキだろうと思う。(今は)幼い子供であるエグザベも美味しそうに食べていたし、三十路半ばの自分もコーヒー片手に食べるには十分だ。
 最後のひと欠片を口に入れ、エグザベという青年が戦争の中で奪われてきたものに思いを馳せる。
 ルウム戦役で家族と故郷を奪われ、軍人となり安定を得た筈が先の動乱の中で友人を失い、甘味を食べるという些細な幸福も失った。
 この幼い子供は、失う前のエグザベだ。きっとこの可愛らしい子供は平凡で幸福な子供時代を過ごし、時々こうして家族と共に食事に出かけたりしたのだろう。
 この無垢な子から何も奪わない世界であって欲しい、とどうしても願ってしまう。
 だがその優しさを裏切られ傷付きながらも立ち続けることを選んだエグザベだからこそ彼はシャリアの手を握り、シャリアは彼の手を握り返したのだ。ならばせめて、エグザベがこれ以上何も奪われないよう彼を守りながら、幼い彼のような子供が何も奪われない世界を作っていくことが自分がこれから生きていく理由になるのだろうとシャリアは思う。
 それでも今だけは、この幼い子供は奪われることを知らず幸福であって欲しいと願うことしかシャリアには出来ないのだった。
 コーヒーを飲み干したシャリアは店員に座席での会計を頼み、会計を済ませてから眠るエグザベを抱き抱えて店を出た。
 二人が暮らす小さな一軒家へと続く道を歩きながら、シャリアは時折エグザベの背を優しく叩く。その姿は傍から見れば親子にしか見えなかった。

 ◆◆◆

 さて、エグザベが突然に幼い子供になるという摩訶不思議な現象は僅か一日で終わりを告げた。
 定時のアラームが鳴る一時間前にシャリアが目を覚ますと、すぐ隣にはすっかり見慣れた大人の男の姿がある。
 精悍な寝顔につい見とれていると、固く閉じられていた瞼が震え、やがてゆっくりと開かれた。瞼の下からどこかぼやけていても美しいバイカラーの瞳が覗く。
「……あれ、シャリアさん?」
 ぽやぽやと意識の定まらない声に名を呼ばれ、思わず肩を震わせて笑ってしまう。
「ふふ、おはようエグザべ君」
「え……なんで笑ってるんですか」
「いえ、君は今日も可愛いなと思って」
「な、なんですか急に」
 エグザべが頬を膨らませる。そんな姿が可愛らしいのだと、シャリアはエグザべを胸元に抱き寄せながらその頭を撫でた。エグザべもシャリアの背に腕を回して抱き返してくる。
 この丸い頭は幼い頃と変わらないのだな、と髪を梳きながら思いに耽っていると、エグザべがぽつりと呟いた。
「……夢を見たんです」
「夢ですか?」
「はい。子供になった僕が、シャリアさんと遊んだり出掛けたりする夢でした」
「……ふふ、偶然ですね。私も君が子供になった夢を見たんですよ」
「え、ほんとですか」
 不思議なこともあるんですねえ、と呑気に呟くエグザべに噴き出しそうになってしまう。
 今の彼なら心を覗いてこの話が夢ではないこともこの場で看破できるだろうに、彼は滅多なことではこちらの心を覗こうとしない。その律儀さがまた愛おしく、シャリアはエグザべのつむじに一つ唇を落とした。
「……子供の君は可愛らしかったですよ、今の君と変わらず劣らず」
「だから可愛いって言うのやめてください……」
 拗ねた声色に、シャリアはまた小さく肩を震わせて笑った。言葉と裏腹に、彼から伝わる思念は幸福そのものであった。私は彼に幸福を与える事が出来ているようだ、と安堵する。
「……その、夢の話なんですけど」
「ん?」
「ケーキ、食べてたんです。僕。すぐ眠くなっちゃって、全部は食べてないと思うんですけど」
「……」
「あなたと一緒なら、いつかまた食べられるようになるのかなぁって……思って……」
 エグザべの声が小さく震える。シャリアは何も言わずにエグザべの頭を撫で続けた。
「これでも良くなってきてると思うんです、職場で同僚がお菓子食べてるの見ても、吐き気とかしなくなってきましたし……」
 声に震えが混じるのを誤魔化すかのように、エグザべの声が明るくなった。しかしシャリアはその震えを見逃してやれなかった。
「無理をする必要はありません。カウンセラーにも言われているでしょう、君のペースで良いのだと」
「……」
 エグザべが小さく鼻を啜る音がした。シャリアはゆっくりと、睦言のように囁く。
「大丈夫、君ならちゃんと乗り越えられるし取り戻せます。君自身がそれを望んでいるんだから」
「それは、あなたの勘ですか」
「いいえ、信頼です」
「……ずるいなあ……」
 ぽつりとそう呟いて、エグザべはシャリアをぎゅうと強く抱き締めてからその腕の中から抜け出した。そしてまだ僅かに潤んでいる真っ直ぐな目でシャリアを正面から見詰める。
「……僕がケーキ食べられるようになったら、ケーキカットしてください」
 その突拍子もない提案に、シャリアは目を瞬かせた。
「ケーキカット………ああ、結婚式の?」
「目標が欲しくて」
「式は?」
「呼ぶにしても身内だけで、でも式挙げなくてもケーキカットはしたいです」
「凄いこと言いますね君」
 シャリアはくすりと笑い、エグザべの頬を撫でた。エグザべは目を細めて笑い、けれど少しだけ不安げな上目遣いでシャリアを見た。
「……待ってて、くれますか」
 シャリアは返事の代わりに、まだ赤い恋人の目頭と鼻の頭にそっとキスをした。

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約束は裏表

深夜のシャリ受ワンドロワンライお題「約束」

 ◆◆◆

 エグザベのソドンからの離任はキシリア閣下がサイド6を離れると同時に慌ただしく行われた。
 エグザベはソドンのクルー達に別れを告げる間もなく、大急ぎで荷物を纏めてキシリアのチベ[パープル・ウィドウ]へと異動してしまった。
 艦を降りるあの純朴な青年を見送ったのが直属の上官であった自分とコモリ少尉の二人だけというのはどうにも可哀想な気がしたが、彼がキシリア派閥からソドンを監視するために送り込まれた存在なのは公然の秘密であったゆえどうにも艦内の空気として彼の扱いは良くなかった。まあそれをさせていたのは自分なので、彼を可哀想に思う権利もないのだろう……と。シャリアはエグザベのためだけに割くことが出来る僅かな思考時間をそうして費やしながら、かつてエグザベに与えられていた個室へ足を運んだ。
 エグザベのソドンへの赴任期間は短いものだったが、彼はパイロットゆえ個室を与えられていた。
 私物は全て片付けました、と艦を降りる時に、身のあまり詰まっていないボストンバッグ一つという少ない荷物と共に言っていた。だがあのどこか抜けているところのある青年のことだ、何か忘れ物をしている可能性はある。そうでなくとも明け渡された部屋は管理者として確認しておく必要があるのだ。
 しかし部屋に足を踏み入れてみればものの見事もぬけの殻である。部屋に備え付けの収納の扉は全て開け放たれ、その中身が空であることを主張していた。
 ──驚いたな。本当にあれだけの荷物で軍艦に乗っていたのか。
 軍艦である以上荷物量に制限はある。しかしソドンのクルー達は、あれよりもう少し大きなバッグを持ち込んでいることが多い。コモリの荷物などエグザベの倍はある筈で、それで規定上限ぎりぎりだ。
 すぐに艦を降りることを想定していたか、あるいは本当に私物の数が少ないか……どこか遣る瀬無さを覚えながらシャリアが部屋を出ようとしたとき、私用端末が震えた。
 端末の画面を見ると、音声通話の着信であった。そしてその着信元を見てシャリアは唖然とした。
『From : エグザベ・オリベ』
 確かにこの番号を教えた覚えはあるが、離任直後にこうして掛けて来るとは。
 呆れながらも着信を受ける。
「……こちらシャリア・ブル」
『シャリア・ブル中佐! 突然の連絡失礼致します!』
 聞こえてきたのは、威勢の良い挨拶。私の下にいた頃より元気でよろしい、と大人げなく拗ねてしまいそうになるが無論顔には出さない。
『その……一つ、お伝えし忘れていたことがあるので、連絡させていただきました! ただ今お時間よろしいでしょうか!』
「……構いませんが、君もう私の部下ではないでしょ。大丈夫なんですか」
『? 部下ではなかったら連絡してはいけないのでしょうか?』
「……もういいです。要件をどうぞ」
『ありがとうございます!』
 そうだった、彼はこういうところがあるのだった……と、その嬉しそうな返事に、小犬が尻尾を振っているさまを思い出した。
 キシリア閣下の騎士でありながら、ジオン公国の転覆を企んでいる人間を相手になんと能天気な……呆れながら思わず笑ってしまいそうになるシャリアだったが、
『その、次にソドンがグラナダへ帰港なさる時で構いませんので、食事をご一緒しても構いませんか?』
「……は」
 あまりに突拍子もないその申し出に、思わず言葉を失ってしまった。
『……ダメ、ですか?』
「…………」
 駄目では無かった。
 エグザベという青年の根の純粋さ、そして心優しさにシャリアはあの短い期間で心を癒されていた。いち個人として好意を抱いているだけではない。その優秀さを鑑みれば、間違いなく自身の配下として欲しい人材である。
 だが、彼はキシリアの騎士なのだ。
 難民であるところを掬い上げられ、衣食住を与えられ、そうあれかしと洗脳に近い教育を施された結果が今現在のエグザベ・オリベなのだ。
 彼がどれほど心優しい人間であろうと、その純粋さゆえ監視対象に恋をしてしまうような愚かさを持っていようと、そしてそれを自分がどれほど好ましく思っていようと……それを、忘れてはならない。常に、一線を引いていなければならない。エグザベも気付かないような、薄い線を。
『……中佐?』
 エグザベの心配そうな声に、シャリアは深くに潜りかけた意識を表層へ引き上げた。そして『優しい上官』としての仮面を被る。
「ええ、構いませんよ。いい店を知っているので、そこに行きましょう」
『あ、ありがとうございます!』
 プレゼントを貰った子供がはしゃぐような声。
『それでは、ソドンの帰港のタイミングで僕から連絡致します!』
「はいはい。君が忘れていても怒りませんから大丈夫ですよ」
『わ、忘れたりしませんよ! ……あ、すみません、そろそろ休憩が終わります。それでは、失礼致します!』
「はいはい、……そちらでも、頑張ってくださいね」
『はい、頑張ります!』
 通話が切れると同時に、エグザベの声が聞こえたような気がした。
 ──あいたい。
 ──はやくあいたいな。
 宇宙の距離や時間の制約も一越えした、ニュータイプの感応、あるいは自分の気のせい。きっと後者だろう、彼はこの能力はそれほど得意ではなかった。
 思いの外あの青年に絆されている自分に、シャリアは苦笑した。同時に、通話履歴だけが表示されている端末の画面を見つめながらエグザベの身の上を思う。
 キシリア派にいる限り、エグザベが真の意味で自由になることはない。自分とあのお方が目指すニュータイプが真の意味で自由になれる世界において最も自由になるべきは、彼のようなニュータイプ能力を戦争に利用される存在だ。ニュータイプ能力の戦場での有用性を証明してしまった自分には、彼を自由にする責任がある。
 履歴の『エグザベ・オリベ』の名前を見つめながら、シャリアは呟く。
「……ええ、きっと自由にしてあげますよ」
 例え、君の好意を踏み躙ることになろうとも。それが私から君に出来るただ一つの約束。
 そうなったら君は、私を食事に誘ってくれるだろうか。

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試合開始【転生現パロ】

※7話のエグザべ専用ギャン見て受信した「エグザべくん育てた顔してるマ・クベ」の幻覚を煎じたものです
※転生現パロでマ・クベがエグザべくんの養父やってる

 ◆◆◆

「実は、紹介したい人がいるんです。今、付き合っている人なんですけど」
 久方ぶりに同じテーブルについての食事。
 運ばれてきた食後のコーヒーを傾けながら、まるで何でもないことのようにマ・クベの養子──エグザベは言った。
「そうか」
 努めて動揺は見せず、マ・クベは頷いた。しかし実際のところ、いよいよこの時が来たかと心臓がバクバク鳴るのを抑えられなかった。
 マ・クベという男は、とある美術品保険会社の重役であった。多忙に見合った十分な収入があり、養子のエグザベを間もなく大学卒業という年齢まで養育してなお、この青年に十分なものを遺せるほどの資産を蓄えていた。
 そしてマ・クベには、前世の記憶と呼ばれるようなものがあった。主に地球とスペースコロニー間の戦争、そして戦後の国家運営に携わった記憶である。
 その記憶について何か大きく思い悩んだことはない。前世の彼が仕えた相手は恐らくこの世界にいない──少なくとも出会ったことはない──のであるし、何より彼が今生きている世界は、その記憶の中にある文明より大きく時代を遡るものである。その前世に拘泥したところで恐らく何も良いことはない──それが、頭脳を頼みに生き続けてきたマ・クベの結論であった。
 だが彼の前世での得難い出会いや出来事は強く記憶に残り、いつしか彼は前世の主に捧げた騎士道を一つの生き方の指針とするようになっていたのだった。
 そうして生きて来た中で偶然出会ったのが、前世で出会った恐ろしく優秀な青年──によく似た、当時小学二年生のエグザベであった。
 エグザベはマ・クベの遠い遠い親戚の子供であった。両親を亡くし、唯一頼れる親戚がそれまで一度も対面したことのないマ・クベであり、それからマ・クベはエグザベの保護者となった。
 彼がいるのならばあのお方も……と、前世で忠誠を誓った主人を探すことも考えてはみたが。何はともあれ自分はこの幼い命に責任を持ってしまったのだからまず彼を立派な騎士に育てねば……! と、当時課長に就任したばかりのマ・クベは奮起した。
 マ・クベの記憶の中のエグザベ青年は騎士であり、また自分が託された幼い命に責任を持つことは彼にとっての騎士道であった。例えマ・クベ個人は子供が苦手であろうとも。
 そして時は流れ、エグザべは心優しい立派な青年に成長した。エグザべが大学入学と同時に家を出た後も、月に一度は共に良い店で食事をする。親子仲が良好なのは、マ・クベの密かな誇りである。
 よくあなたみたいな人のもとでこんなに明るい優しい子が育ちますね、とデリカシーのない部下に昔から言われていたほど、エグザべはよく出来た青年であった。
 こんなにも良く出来た子なのだ、それは周りが放っておかないのも当然だろうとマ・クベは思う。
「それで……どのような人だ?」
「……とても、優しい人です」
 はにかみながらそう言った時、エグザべの頬に微かな朱が走る。
 ああ、この子は良い伴侶を見つけられそうだ……そう、マ・クベはしみじみと思った。
 この時は、そう思っていた。

 ◆◆◆
 
「はじめまして、エグザべ君のお父様。私、シャリア・ブルと申します」
「……………………」
 待ち合わせ場所の、少し値段の張るカフェテラス。エグザべが連れてきたのは、エグザべより十一も歳上だという男であった。マ・クベは思わず言葉を失う。
 綺麗に整えられた口髭と顎髭、そして年齢不相応にすら見える穏やかで老成した笑み。そんな男がまだ大学卒業もしていない我が子の交際相手として出てくれば人の親として面食らいもする。
 だが何より。
 マ・クベはその顔に覚えがあった。
 ただし、前世の中で。
 よりによって!!!! 貴様か!!!!!!!!
 そう叫び出したいのを堪え、マ・クベはどうにかよそ行きの笑みを浮かべた。
「……よろしく、シャリア君」
「ええ、よろしくお願い致します」
 シャリアと握手を交わす。シャリアの隣に座るエグザべがほっと安心したような顔をしているが、マ・クベの内心は決して穏やかなものではない。
 な〜〜〜〜〜〜〜にがシャリア君だ。
 このシャリア・ブルという男、マ・クベには「とんでもない危険人物」として記憶されている。と同時に、エグザべがこの男に見事に誑かされて頭を抱える羽目になったことも覚えている。
 ここでか。ここでもか。
「……どのようなお仕事を?」
 父さんは認めんぞ、という古典的な台詞を吐きたい衝動を堪えながらそう尋ねると、シャリアは懐から名刺を取り出した。
「アパレル業界に身を置いています。エグザべ君とは、2年ほど前に大学のサークルのOB会で出会いまして」
 名刺に書かれていた社名は有名アパレルメーカーのものであった。おまけに役職持ちと来た。
 だがその会社がエグザべの就職内定先だったものだから、マ・クベはまた頭を抱えたくなった。
「就活のこととか、色々親身にアドバイスしてくれたんです」
 そう話すエグザべの目はキラキラと輝いていた。この男に騙されてないか? と聞きたい。
 しかしエグザべとてもう数カ月すれば社会人である。相手に誰を選ぶかという問題に親がそう過剰に口を出すべきではないだろう……と、荒ぶる感情を理性で必死で押し込める。ましてや今はあの前世とは違うのだ。
「……それで、君はエグザべのことをどこまで知っているのかね?」
 感情と理性がドッグファイトした結果厭味な姑になってしまった。
 しかしシャリアはどこ吹く風と言った様子で、
「交際を始めてからはまだ半年と経っていませんので、まだ知らないことの方が多いですよ」
 ふん、まだ半年か。……半年は続いているのか。
「エグザべ君が大学を卒業したら同棲を始めて、そこから改めて追々知っていけたらと」
 今同棲と言ったか????
「ちょ、シャリアさん……! 同棲の話は……!」
「おや、失礼。しかしこの話は早いうちにしておいたほうがよいでしょう」
「そ、それは……そうなんですけど……!」
 さてはもう結婚を前提で考えている????????
「出会ってからは2年ほどしか経っていませんが、彼がとても心優しい青年であることはよく存じています。私と出掛けている時など必ず車道側を歩くんですよ、彼」
 知っとるわ、そんなこと。そう教育したのは私だぞ。
 知っているかと聞いたのが自分であることを棚に上げてマ・クベは内心毒づく。  
「……君は、エグザベとの結婚を視野に入れているのかね?」
 聞いてしまえ、これくらい。血の繋がりはうっすらとしか無いとは言え私の育てた子だぞ、親として聞く権利くらいあろう。
 当事者のエグザべはといえば可哀想なほど顔を真っ赤にしている。そんなに初心でよくこんな男と付き合えるな、と我が子ながら心配になる。
 そしてその隣でシャリアは食えない笑顔を浮かべて続けている。
「エグザべ君がそう望むなら、そうしたいと考えております。今後長い付き合いになるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします」
 ……やはりこの男は好かん……!
 カップの持ち手を強く握る。
 そういえば前世で出会ったこの子は、男の趣味だけは壊滅的に悪かった。
 それをここでも再現しなくとも良いではないか……!
 どれほどマ・クベがそう心で叫ぼうとも、エグザベは恐ろしく鈍感なので気付かないのであろう。何しろ先からエグザべがシャリアを見る目は何よりも愛しいものを見つめる目であった。恋は盲目とかそういう段階を明らかにすっ飛ばしている。
 何があったのだ、何が。
 ここでもこの青年を誑かすか、おのれシャリア・ブル……!

 ◆◆◆

 そうしてこの日、マ・クベとシャリア・ブルによる水面下の婿姑バトルの火蓋が落とされた。
 基本的にエグザべの見ていない場所で展開されるそれがこの後思ったより長く続くことになるとは、この時マ・クベもシャリアも予想だにしていなかったという。

愉快な登場人物

マ・クベ

 前世の記憶がある。相変わらず性格が悪いが生まれた世が世なのとエグザべの養父になったことでそれは抑え気味。付き合い長い部下(ウラガン)には性格悪いのバレてる。こっちでも壺が好き。

シャリア

 前世の記憶がある。相変わらず悪い大人と善い大人の反復横跳びをしている。

エグザべ

 マ・クベには黙っているが前世の記憶がある。相変わらず性格と顔が良い。

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(バーニア音)を煎じた【CP要素薄め】

 その日、ソドンへの配属が決まって間もないエグザベ・オリベ少尉は、「極秘でマンツーマンの訓練がある」とシャリア・ブル中佐から公国軍基地の屋外訓練場に呼び出された。
 シャリア・ブルを監視しろ──そんな密命を帯びているエグザベは、緊張と共にその招集に応じた。そんな彼を待ち受けていたのは、ランドムーバーを背負ったシャリアであった。

「……とまあ、今教えてみせた通りにすれば簡単です」
「いや、あの」
 事も無げに言いながらランドムーバーのバーニアを吹かして着地したシャリアに、エグザべは思わず突っ込んでいた。これは正規の訓練ではないので楽にしてください、と事前に言われてはいたものの、上官への無礼だとかそんなことも頭から吹っ飛ぶほどに衝撃的な光景であった。
「なんで擬似重力下でそんな簡単に飛べるんですか」
「おや、まずそこですか。そういえば重力下でのランドムーバー操縦ってパイロットコースのカリキュラムからは削除されたんですっけ」
「それはそうなんですが」
「まあこれ背負ってるので。大丈夫です」
「止まったら落ちますよね?」
「そうですね」
「重力下の人間って生身で高所から落下したら打ち所によっては死ぬんですよ?!」
「…………」
 にこり、と。そう聞こえてきそうなほどに完璧な笑みをシャリアは浮かべた。その笑顔が空恐ろしく、エグザベは思わず言葉を失う。するとシャリアは「おや」と少しばかり表情を引き締めた。そして教師が生徒に教え諭すようにこう続けた。
「まあ、実際問題重力下での生身の飛行はリスクが大きい。慣れればそう怖くありませんが、そのリスクを頭に入れておくことは重要です。リスクを理解した上での運用、それはMSとそう変わりありません。まあMSは壊れてもコックピットから脱出できればなんとかなりますが、このタイプのランドムーバーはパラシュートもないのである意味MSよりも危険性が高い。そんなリスクにすぐ気が付ける人間こそが、こうした飛行機械を扱うべきなのです」
 なるほど、と傾聴していたエグザベだったが最後の一文で思考が止まった。
 ──つまりこの人は、僕はこれを使うべきであると。
「というわけでエグザベ少尉」
 シャリアはまたにこやかに笑いながら、持ってきた大きな荷物から折り畳まれたランドムーバーを引っ張り出した。
「早速実践訓練と行きましょう」
「あの、これが正規の訓練でないのであれば、拒否する権利もあるはずでは」
「大丈夫、君を見込んでのことです。ニュータイプなのでなんとかなります」
「それ関係ありますか?!」
「怖ければ、補助輪になってあげましょうか?」
「ッ……!」
 
 そして一時間後、そこにはランドムーバーを背負って猛然と訓練場上空を飛び回るエグザベの姿があり。
 シャリアは、基地最高司令の少将(キシリア派)から「貴重なパイロットを使って何をやっとるんだ貴様は」とお叱りを受けたのをにこやかに受け流したとかなんとか。

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