「彦星の野郎牛車持ってんなら七夕にかこつけず自力で天の川渡ってみやがれってんだ、お前もそう思うだろ聖」
「は?」
土曜日だからと北原の期末テストの勉強の面倒を見てやっていたら急に意味不明な事を言い出した。
正直北原が何を言いたいのか特に理解する気もない南條は、適当に首肯する。
「うん、まあ、廉がそう思うならそれでもいいんじゃない?」
「なんだその適当な返事は、有罪だ」
「廉が勉強途中で急に意味不明な事言い出すのが悪いんですけど?」
「今日は七夕だからな、昔から思ってた事を言っただけだ」
わし座のアルタイル。彦星──牽牛星。牛車の図案で表されるそれを見てそう思ったのだろうか、と南條は何となく当たりを付ける。しかし牛車があるなら川を自力で渡れ、というのはどんないちゃもんの付け方だろう。そもそも牛車で渡れる程度の川なら大した恋の障害にはならないのでは、とも思う。
「……ま、昔から想像力豊かなのはよろしいし、牛車なんて廉が知ってたのも驚きだけど。今は勉強しようか?廉、今度のテストの範囲やばいって言ってたよね?」
「いちいち一言多いぞ聖」
北原は不服そうな顔をして、シャーペンを手の上でくるくると回す。そしてすぐにニヤリと笑った。
「まあ安心しろ、オレが彦星だったら天の川くらい泳いで渡ってやる。出不精なお前の分まで頑張ってお前に会いに行ってやるよ」
「……なんでこの流れで俺のこと口説こうとしてるわけ?」
「は?今のどこが口説きだ」
「うっわ……」
無自覚とか、よっぽど有罪だと思うんですけど。
南條は勝手に熱くなってきた顔を天井に向けた。
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北原が雑にイメージしているのは沖縄の離島などで観光資源として行われている水牛の牛車のやつです。
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「ああ廉、おはよう。分かってると思うけど、バレンタインのチョコなんてそんな殊勝なこと俺はしないからね」
やたら人気の少ない……というか人陰が一人分しかない第三寮の食堂に足を踏み入れると、ソファに座って新聞を読んでいた聖が顔を上げて急にそんなことを言ってきた。
「…………は?」
いや聞いてねえし。
そもそもお前から貰えるとは最初から思ってねえし。
唖然とする俺をよそに聖は読んでいた新聞に視線を落とした。
ちょっと顔出してに来てみたらなんで出会い頭にこんなこと言われるんだ俺は。
そう、今日はバレンタインだ。いや、だからと言ってなんなんだこいつ。
「おい聖」
「んー?」
「なんで急にそんな意味分かんねえこと言うんだ、有罪」
「……ええー、意味分かんないとか言う?」
聖は呆れたような溜め息をつきながら、新聞を畳んで脇に置いて脚を組む。
「なんだ、てっきり廉は期待してたのかと思った」
「ハッ、バレンタインで浮かれるほどオレはガキじゃねえしそもそもてめーはバレンタインチョコなんざくれるタマじゃねえだろうが」
「それもそうだねえ。……とか言いつつ、本当は用意してた、とか言ったら驚く?」
「は?」
聖が座ったまま上目遣いでオレを見る。その唇は薄い笑みを浮かべていて、微かに濡れているように見えた。
思わずごくりと生唾を呑み込むと、聖はにたりとその笑みを深めた。
「まあ本当に何も用意してないんだけどね」
「紛らわしい!」
「え~、まさか期待してた~? 廉ってほんとガキだねえ」
けらけら笑いながら聖はまた新聞を広げた。
「ま、そんなところも可愛いよ」
「おい聖」
「んー?」
一息に聖が座るソファに近付くと聖に顔を近付ける。聖が目を丸くしているのは気にせず、手の内に隠し持っていた小さな包みをぐいとその胸に押し付けた。
「ほらよ」
「……は?」
「今日が何の日か、忘れたとは言わせねえぞ」
「……」
聖はきょとんとしてから、新聞を置くとオレの手からその包みを受け取る。手触りで半透明のビニールの包みの中にある物を何となく察したのか、聖は深々と溜め息をついた。
「……うーん……廉ってほんとさあ……」
小さく唸る聖の耳が僅かに赤くなった。
「バレンタインで浮かれるほどガキじゃないってさっき言ってなかった?」
「浮かれてはいねえからな」
「うっわあ……」
「おい、なんでそこでちょっと引きやがる」
「よく恥ずかしげも無くそんなこと言えるよねえ……」
聖の長い指が包みを剥がす。中から出て来たのは、手の内に収まる程の小箱。聖は躊躇い無くその箱も開ける。
「……惑星型のチョコ、ねえ」
中に一つ収まっているのは、聖の目の色によく似た色をした大粒のツヤツヤしたチョコレート。オレは店員に聞くまで分からなかったのだが、聖は一目見ただけでそのチョコレートのモチーフに気付いたようだった。
「また廉らしいベッタベタなセレクトで。大方、綺麗だからこれにしたんだろ?」
「うっせえ」
悔しいが正解だった。
聖はチョコをつまむとひょいと口に入れる。
味見はしてないが味にもこだわりがあるメーカーらしいし多分こいつの口にも合うだろう、などと考えていると急に聖が顔を寄せてきた。
「は、」
バサリ、と乾いた紙の音と共に視界が影に覆われたかと思うとするりと腰に手が回され、口いっぱいに甘酸っぱい味が広がった。
引き倒された体の下に聖の体温を感じてようやく何をされているのか理解する。キスをしたまま聖の目を見ると、とろけ始めた目が細められてくつくつと喉の奥で笑い出した。
──バレンタインのチョコなんて殊勝なことしない、ってお前さっき言っただろうが。
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