明らかに何かに憑かれているが全く気付かない眉見鋭心

 ネット配信されていない映画を見たいので持っているなら貸してほしい、と秀に頼まれたので、その日の鋭心は事務所に向かう際にその映画のディスクパッケージを鞄の中に入れていた。
「鋭心先輩って映画なら結構なんでも見てますよね」
 その映画のディスクを手渡し終えた時、秀がパッケージを鞄に入れながらぽつりとそう呟いた。
「む、そう思うか」
「確かにマユミくん、いろんなジャンルを見てるよね」
 百々人が秀に同意するように頷く。
「昔の名作だけじゃなくて、サメが空を飛ぶ映画とかも見てるし」
「傾向があるようでないというか……今日貸してくれたみたいな、ネトフリとかで配信されてないような映画も見てたりしますし」
「まあ、あれは単に制作会社が倒産して権利の所在が行方不明、というところが大きいようだが……しかしネット配信や知名度の有無に関わらず、面白い映画・いい映画は数多いぞ……まあ、見境がないとも言えるか」
「良いんじゃないですか、俺は先輩から面白い映画教えてもらえて楽しいし」
「うん、マユミくんのおすすめ映画ってどれも面白いよね」
「そうか、それは良かった」
 面白いものだけを薦めているからな……とは口に出さず。
「また何か見たくなったら言ってくれ。薦めたい映画なら沢山ある」
「だったらまた先輩の家で鑑賞会やりましょうよ」
「さんせーい。そうだ、僕あれが見たいな。この前の雑誌の撮影のモチーフになったフランス映画。まだ見れてなくて」
「俺もその映画見たいです。あとは先輩のおすすめなら何でも」
「ああ、いいぞ。あの映画も家にあった筈だ。後はそうだな……せっかくだ、俺が見たい映画を一緒に見ないか? 日本では劇場公開がされていなかったんだが……」
 三人の予定を合わせて、鑑賞会の予定を決める。予定をカレンダーアプリに入れながら、わくわくしている自分にふと気が付く。アイドルになる前は映画鑑賞は一人で行うことがほとんどであったが、こうして同じユニットの仲間達と共に映画を見るのもなかなか楽しいものである……そう、内心感じ入ったその時。
「む……」
 ずし、と肩に張りのような違和感を覚えた。思わず手を肩にやると、百々人が心配そうに首を傾げた。
「マユミくん、どうしたの?」
「ああいや、最近肩が凝っているようでな……」
「大丈夫? そうだ、肩揉んであげる」
 鋭心が何か言う前に、百々人はひょいと鋭心の背中側に回って肩に手を添えた。そのままぐっぐっと鋭心の肩を揉む百々人。「可愛い」「甘め」などと形容される百々人の印象に反して力強いマッサージに、肩の凝りがほぐれていくような感覚を覚える。
「力加減、どう?」
「ああ、気持ちいいな」
「あっそうだ、アマミネくんもやる?」
「な、なんでですか。俺は別に肩凝ってないですよ」
「いや、やってもらえ秀。これはなかなか……」
「えへへ、ありがとうマユミくん。でも一応整体とかで見てもらった方がいいと思うな、凝ってる感じするよ」
「それは……ああ、そうだな……」
 忙しさにかまけて整体に行くのをすっかり忘れていた、と鋭心は己の体たらくを反省する。
「プロデューサーに聞けばこの辺りのいい整体とか知ってるんじゃないですか?」
「そうだな、今度聞いてみよう……ありがとう百々人、もういいぞ」
「どういたしまして」
 百々人が肩から手を放したので、軽く自分の肩を回してみた。だいぶ楽になったような気がする。いや、楽になったと言うより……
「……百々人、お前凄いな……」
「? ありがとう……?」
 百々人に揉みほぐされたためか、ここ数日感じていた肩の違和感がほとんどなくなっていた。肩に何かがのしかかっているかのようなずっしりとした重さも感じられない。
 これはもう整体に行かなくとも良いのでは、いや一過的なものかもしれないので一応整体には足を運ぶことにした方がよいか……などと考えながら、鋭心は鞄から財布を取り出す。
「百々人、秀……コンビニでアイスでも奢ろう……」
「マユミくんどうしたの……?」
「凝りがほぐれたのそんなに嬉しかったんですか……?」
 秀と百々人は僅かに呆れながら顔を見合わせるが、鋭心は意に介せず事務所の玄関に爪先を向ける。
「さあ行くぞ二人とも」
「俺たまに鋭心先輩の奢りたがりが怖いです」
「でもアマミネくん、いつも楽しそうに悩んでるよね」
「な、なんですか。俺だって奢ってもらうってなったら気は使ってるんですよ」
 三人で連れ立って事務所を出る。雑居ビルの一室を出た途端に、廊下に充満していたむわりとした生温い湿気混じりの空気が全身を覆う。
「もうすっかり夏の空気だな」
「まだ六月ですよ先輩」
「ああいや、もしかしたらここのところの急激な気圧や気温の変化が肩凝りとして俺に影響を与えていたのでは……と」
「そういうこともあるかもね。僕も雨が降り続いてた時は調子悪かったし。アマミネくんはずっと元気だったよね」
「まあ……天気で調子が悪くなったりとかは、ないですね」
「若いなあ」「若いな……」
「なんなんですか先輩達二人して!」
 三人でわいわいと階段を降る。ビルを出ると雲の隙間からこぼれる夏の気配を帯びた日差しがじりじりと肌を焼いた。
 日焼け止めはきちんと塗っているか、そろそろ日傘の用意を、なんて話をしながら最寄りのコンビニへ向かう。いつの間にか鋭心はつい先ほどまで肩が不調であったことなどすっかり忘れていた。
 そうして事務所から二分ほど歩いたところにあるコンビニに入店しようとした時、ちょうど店内から出てきた背の高い男がこちらにひょいと手を挙げた。
「よう」
「あ、葛之葉さん」「こんにちは」「お疲れ様です」
 店の前ということもあり、立ち話はせずに軽い挨拶だけしてすれ違う。
 すれ違いざまに、どこか愉快そうな囁き声が頭上から聞こえてきた。
 ──掃除の必要はなかったか。

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