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【元生徒会組】俺の先輩達はめんどくさい。(ちあふゆ+聖)

聖と亮の関係性中心の話ですが亮はほとんど出てきません。
聖の高等部進学のきっかけについて公式で若干言及があった所に捏造に捏造を重ねています。
ちあふゆ要素は数行程度あります。

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 次期華桜会に指名された時、感慨は特になく。むしろ驚きの方が先に立った。
 あの人達は──いや訂正、千秋さんならともかく冬沢さんは、俺を次期華桜会に指名なんて絶対しないだろうと思っていたから。
 実際俺は割ととんでもない事したし、冬沢さんに菓子折り持って謝りに行った時も冬沢さんは表向き涼しい顔してたけど、内心腸煮えくり返っててもおかしくないくらいの温度感だったし。
 俺に心を許してないって面と向かって明言する割に離席する時パソコンにロック掛け忘れるのはどうかと思いますよ……なんて言ったら冷気で殺されそうだなあと思ったし、これ以上の波風は立てたくなかったので余計な事は言わずにおくことにした。お咎め無しで済んだのは何かの奇跡だったんじゃないかと思う。
 でもどことなく、綾薙祭が終わって、生徒達の前に出る時のあの人の顔つきが少し穏やかになってきたのは感じるようになった。伊達に中二の貴重な時間をあの人の右腕としてのポジションに費やしたわけじゃないし、それくらいは顔見れば何となく分かる。
 何かいい事でもあったんだろうなあとは思ったけど、今の俺には関係の無い事。あのめんどくさい先輩に費やせる時間は特にないし、気にする義理も特に無い。
 そして、冬沢さんがどんなに穏やかになっても、それと俺に対する評価は別の話。俺の素行に対する評価はあの事件でマイナスまで落ちててもおかしくはないし、そもそもあの人は俺の事可愛いからと華桜会選考で俺を贔屓するような事は無い。あの人はその辺しっかりしている。千秋さんならともかく。
 だから、まあ、ちょっと固まっちゃうくらいには一頻り驚いて。その後にようやく、まあほどほどしっかり頑張りますか、なんて思った。
 そしたらその日の昼頃に千秋さんから、奢るから一緒に飯食わねえか、なんて連絡。まあ夜ならいいですけど、と適当に返信したら綾薙の近くのアジア系料理の店でご飯を食べることになって。
 店に入って、まあタイミング的にそういう話なんだろうな、と思いながらグァバジュースを飲んで千秋さんが本題に入るのを待っていると。
 千秋さんは、こう言ったのだった。

「オレ今亮と付き合ってんだけどさ、」
「……はい?」

 ジュースを噴き出さなかったのは、我ながらよく頑張ったものだと思う。
 どうしてこう、俺の周りにいる人は揃いも揃って予想の斜め上にぶっ飛んで行くのか。
「ええ、今する話ですかそれ。俺的にはてっきり華桜会選考の話かと思ったんですけど」
「え?ああ、そういや今日が掲示発表だったな。おめでとうコウちゃん」
 あ、頭から抜けてたやつだなこれ。
 千秋さんは馬鹿ではないし言われた仕事はしっかりやるけど、こういう重要な筈の事に妙に興味が薄い。会社の役員とか任せちゃいけないタイプだ。まあそれでも華桜会を一年やってたんだから何とかなってたんだろう。
「……おめでとうって、選んだの千秋さんでしょ」
「別にオレだけが選んだんじゃねえよ、新華桜会五人の決定は現華桜会五人全員の同意によるものだ。第一コウちゃんの事一番押してたの亮だぜ?」
「はあ?」
 思いがけずに大きな声が出た。こちらを振り向いた店員に謝るジェスチャーを返しながらも、困惑が頭の中に広がっていく。
 冬沢さんが。俺を。
「え……何でですか」
「何でって……まあ亮が言う分には、実技・座学共に常に上位、華桜会で必要になる事務仕事もそつ無くこなせる、物の考え方もシビア。一人くらいこういう人間が必要……って事だったな」
「俺あの人のパソコンから勝手にデータ抜きましたよ?」
「一応それはオレから確認したけどよ、その件はあいつもう気にしてねえよ?」
「本当ですかねえ……」
 それでも、千秋さんがそう言うからには本当にその通りなのかもしれないのが俺的には困った所だ。良くも悪くも、千秋さんは冬沢さんの事を、誇張抜きで恐らく世界で一番良く理解している。
 ……というか、何で俺は困ってるんだろう。それが自分でも不可解で。
「……コウちゃんもしかして気付いてねえの?亮の奴、コウちゃんの入科オーディションのステージも卒業セレモニーのステージも、全部見てるぜ」
「それは、まあ」
 気付いてなかったのかって。客席にいるのくらい、見えてましたけど。というか冬沢さんだけじゃなくて千秋さんもいたでしょうが。
「あいつずっと気にしてたぜ、コウちゃんのこと。入学してから一回も挨拶に来なかったのもな。嫌われたんじゃないかって思ってたんじゃねーの?それくらいあいつはコウちゃんの事可愛い後輩だと思ってるし、それは別に今でも変わってねーよ?」
「もう生徒会の上下関係もないのに挨拶する義理も無いじゃないですか」
「そういう所だぜコウちゃん……」
 千秋さんが深深と溜息をついたところで、料理がいくつか運ばれてきた。千秋さんは俺が何かする間もなく大皿から料理を取り分けていく。
「何かもうオレの話はいいわ、多分コウちゃんの話聞く方が大事な気がするし」
「ええー、俺的には詳しく聞きたいんですけど。千秋さんが何を思って後輩捕まえて犬猿の仲だった相手同士で付き合ってる宣言をして来たのか聞きたいんですけど」
 千秋さんが差し出してきた青パパイヤのサラダとパッタイの盛られた皿を受け取る。
「分かったよ後でしてやるから……。で、コウちゃんは亮が例の件怒ってない事そんなに不思議なわけ?」
「まあ、それは」
「つっても本当にもう怒ってねーってあいつ……。まあでも……」
「でも、なんです」
「あいつ、言ってたぜ。『南條に高等部進学を勧めて良かった』って」
「…………」
 パッタイを口に運ぶ。美味しいのに、その実感がやけに遠く思えた。
 確かに、高等部進学の意思がなかった俺に高等部進学を勧めてきたのはあの人だけど。
 綾薙の中等部は、普通科と音楽コースに大きく分かれる。俺は普通科出身で、冬沢さんと千秋さんは音楽コース。綾薙は普通科でも芸能活動をしている生徒──それこそ廉みたいな──は多く、その大部分は高等部に進学する。逆に芸能活動をしていない生徒や、将来芸能活動をするつもりのない生徒は、高等部には進まずに別の高校を受験する事が多い。俺も、二年に上がった時点でもうそのつもりだった。
 ところが、これがまた芸能系の学校にありがちな事で、綾薙は中等部普通科と言えど校内の合唱コンクールやら体育祭のダンスやら文化祭やらにとにかく力を入れているのだ。まあ俺みたいな生徒からすれば消化試合みたいなものだったから、成績に響かない程度にそこそこに取り組んでいた。
 で、二年の九月頃に開催された合唱コンクールで俺は独唱パートを任された。そういう事もあるだろうと思いつつ、まあ合唱コンクール自体は恙無く終わって──その日の事だった。俺が生徒会室に入るなり冬沢さんが、こう言ったのだった。
『南條。お前、高等部に進む気は無いか』
 突然の事に呆気に取られる俺に、冬沢さんはこう続けた。
『声楽学科でも、いや、ミュージカル学科でも……お前には間違いなく才能がある。大衆の中に埋もれていい人間じゃない』
 常に涼し気な冬沢さんの目が、その時はいつになく真剣で、瞳の奥に小さな火が灯っているような気がしたのだ。
「……まあ、確かに俺が高等部上がったきっかけは冬沢さんと言えば冬沢さんですけど」
「よく覚えてるぜ、お前の歌を初めて聞いた時の亮、雷に打たれたみたいな顔してた」
 そんな大袈裟な……とは言えなかった。あの日を境に、冬沢さんは随分と熱心に俺に高等部進学を勧めるようになった。
 初めは話半分で聞いていたけど二ヶ月もすれば、まあこの人が言うならそうなのかもしれないなあ、とか思っちゃって。
『俺、そんなに歌上手いですかねえ?』
 なんて軽い気持ちで聞いてみたら、食い付かれた。それはもう、凄い勢いで。あの人にしては、って意味だけど。五分くらい淡々と、立て板に水かってくらいすらすらと、俺のどこがどう才能があるのか役者に向いてるのか、根拠だてて説明されてしまった。その場にいた千秋さんすら、その勢いに唖然としていた。
 ……そこで、もしかしたら「いける」んじゃないか、なんて思ってしまったのが今にして思えば俺が役者になろうと思った一番最初のきっかけだったのだ。そんな曖昧な理由で、とは今でも時々思う。
 立ちたいステージがあるとか、絶対に役者になりたいとか、そんな熱い物を持ってた訳じゃない。なんなら廉以上に冷めていた。生まれ付き持っている物があるのなら、それを活かさない理由はない。だから、ちょっと冬沢さんの熱意に押されてみる事にしたのだ。
「あいつ、合唱コンの後ずっとコウちゃんに言ってたろ。高等部上がった方が良いって。俺の知る限りそんなのコウちゃんが初めてだったぜ。今でこそteam冬沢の指導者として教え子達を可愛がっちゃいるが……あの時の亮には後輩に目を掛けて個人的にレッスンするなんて発想まるで無かった、オレはそう思ってた。だから結構衝撃的だったな、あん時は」
「はあ……」
 十一月頃に俺が高等部進学に興味を見せたのをきっかけに、冬沢さんはまたそれまで以上にぐいぐい来るようになった。軽くだけど、演技やダンスの基礎も教えて貰った。
 何でこの人俺に対してここまでするんだ、とは思ったけど。やればやる程、この道が俺に向いているんじゃないかと感じるようになって。結局、乗せられちゃったわけだ。
「亮が自分の時間をコウちゃんに使ってたのにも驚いたが……まあ、あれだけ目え掛けりゃあの亮でもコウちゃん可愛いとはなるだろ。あいつにとってコウちゃんは最初の一番可愛い後輩ってわけだな」
「……それはまた……」
 軽い目眩がする。
 俺の人間性はまるで信用してなかった癖に、俺の才能に一番に気付いてほとんど勢い──と言っても冬沢さんは常にとんでもなく冷静だったんだけど──のごり押しだけで俺を高等部進学まで決意させたのが冬沢さんだったのだ。今更ながらこう思う。
 期待が、重い。
 そして同時に気付く。
「だから俺冬沢さんの事避けてるんですよねえ……」
「え」
「重いんですよ。期待されるのも応えるのも慣れてますけど。あの人のは、重さと純度が尋常じゃないです。普通の人間なら早々に潰れますよ?」
 それはきっと、冬沢さん自身の「見る目」に対する絶対的な自信に裏付けられている。
 自分が見出した人間なのだから自分の期待に応えられないわけが無い、という。
 そう考えるとあの人の指導に食らい付き続けているというteam冬沢の後輩達はとんだ傑物なのでは、という気がする。
「まあ俺も潰れない程度の強度はありますし、あの人の期待には応えられてましたけど。それでも息苦しさくらいは感じますよ。ちなみに俺的には、俺が冬沢さんの手元を離れて結構経つのに、冬沢さんからの期待が当時と変わらない重さで続いてたから流石に驚いたし引くし避けます」
「……そうか……重いか……」
 千秋さんは驚き半分、納得半分と言った感じの渋い顔になった。
 とは言っても俺だってその期待の重さに乗っかって利用させてもらったし、それはちょっとあの人にも悪い事したと思わなくもないけど。
「……確かに、きっかけは冬沢さんでしたけど。俺を本気にさせたのは、冬沢さんじゃないんで」
「そりゃそうだよなあ……」
 でもさ、と千秋さんは苦笑する。
「あいつは本当に喜んでるぜ。コウちゃんがあんなに楽しそうに踊るようになった事。音楽と一つになれる演者になった事。手段はどうあれ舞台に立つ事に対して貪欲になった事。……あとついでに、本気でコウちゃんと向き合うようなダチが出来た事も」
 そこまで褒められていたと知ってしまうと、まあ悪い気はしないのだが。最後のは聞き捨てならなかった。
「何でそこで廉の話になるんですか」
「それだけインパクトでかかったんだろ」
 そう言われては返す言葉がない。
「北原のガラの悪さには何か言いたそうだったけどな」
「ははは、それこそ余計なお世話です」
「ま、北原の事はともかくとしてだ。あいつにとってはさ、コウちゃんは初めて本気で目を掛けた後輩だ。だから、自分の手元を離れていつの間にか華桜会に相応しい人間に成長していて嬉しかったんだろうし、華桜会選考でも一番に推した。オレはそう思うぜ」
「……あの人のパソコンからデータ抜いたのに、ですか」
「だからその件はあいつもう気にしてねーって」 
「随分丸くなりましたねえ、あの人……。重いのは相変わらずですけど」
「あいつにとっての特別枠の一人だからな、コウちゃんは」
「それが重いって言ってるんですよ……」
 俺が役者としての道を歩き続ける限り、あの人はどこでもどこからでも俺を見ているのだろうと思うと肩がこりそうだ。
 ……というか、立場が逆になれば冬沢さんも絶対に俺と同じ反応するタイプなのに。自分では気付かない物なのかもしれない。自分が嫌がる事を人にしないほどあっちも性格良くないけど。
 難儀な人に目を付けられてしまった物だ、と思うけど、俺はその難儀な人にうっかり乗せられたせいで高等部に進んでしまったわけで。そのお陰で廉やteam漣の奴らや漣先輩に会えたので、感謝していないことも無い。
 重い物は重いけど。
「……まあでも、千秋さんに話したらなんか割とスッキリしました。先に千秋さんと話しといて良かったかもしれないです」
「だろ?どうせあいつコウちゃんからいきなり聞かれた所で本心なんて出しゃしねえし」
「わあ、説得力ありますねえ」
 冬沢さんの絶対零度オブラート爆弾を長い事食らい続けた千秋さんの言葉には流石の含蓄があった。
「とりあえず、ありがとうございました」
 軽く頭を下げると、千秋さんは手を振った。
「別にいーって。オレだってまだコウちゃんの先輩のつもりだし」
「ははは、それはどうも」
 この人もこの人でちょっと重い。いや、普通と言えば普通なのかもしれないけど。俺や冬沢さんみたいな必要最低限以外の人間関係をなるべくドライにしたい人間には、ちょっと重く感じる。
 ……まあでも、千秋さんは結局冬沢さんの一等の特別枠に見事収まったのか。重い人同士割といい感じなんじゃないだろうか。知らないけど。
「じゃあ俺が珍しく千秋さん相手に本心さらけ出した対価に、今日千秋さんが俺を呼び出した理由と千秋さんと冬沢さんがお付き合いに至った話をお願いします。俺的にはそれくらい聞かないとちょっと割に合わないって言うか」
「はいはい、分かったよ。今日コウちゃんに相談しようとしてた件な」
「はい」
「……コウちゃんと亮が人間としてかなり近いタイプだから聞きたいんだけど」
 あ、なんか嫌な予感がする。
 俺は手に持ちかけていたグラスをテーブルに置いた。
 
「亮みたいな奴にはどうやって同棲を申し込んだらOKしてくれると思う……?」
「本人に聞いてください」

 本当に、俺の先輩達はめんどくさい。

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ちあふゆについて考えながら元生徒会組の先輩後輩関係について考えていたらこんな事になりました。

これにて2019年の書き納めになります。
皆様良いお年を。

【ちあふゆ】とある冬の朝

「……おい貴史、いい加減に起きろ」
 冬沢はベッドの前に立って、膨れた掛布団を上から軽くポンポンと叩く。掛布団はもそ……と動き「ううん」と呻き声を上げる。だがその掛布団の中にいる千秋が出てくる気配はない。
 一時間前に目を覚ましていた冬沢は、呆れながら時計を見る。朝八時を少し過ぎたところだ。この時間までこの男が起きて来ないと言うのは珍しい。
 今日は自分が朝食当番だったので、腕によりをかけた──それでも今布団にくるまっている男に料理の腕は劣るのが悔しいのだが──朝食を用意しているというのに何故起きてこないのか。
 名前を呼んでも揺すっても、千秋が起きてくる気配はなく。
 仕方がない、寒い朝ではあるが。と冬沢は一つ溜息をついてから、勢いよく掛け布団を引っ剥がした。
「……最終通告だ。起きろ、貴史」
「ッッッッ!」
 地を這うような冬沢の声に、千秋は閉じていたはずの目を見開く。そして勢い良く跳ね起きた。
「っ……!亮、」
「おはよう、貴史」
 にこり、と微笑んでやると、千秋は今にも冷や汗を掻きそうな顔をして「お、おはよう」と声を引き攣らせた。
「驚いたよ、俺がいくら呼んでも起きないだなんて」
 縮こまる千秋の姿に言いようのない愉悦が込み上げるのを覚えながら、冬沢は笑みを深める。
「俺はお前が朝食を作ってくれる時はすぐに起きる事を心掛けているのに、お前の方はどういうつもりなんだろうな?」
「わ、悪い……」
「聞くだけ聞いてやろうか、何故起きなかった?」
 千秋が気まずそうに目を逸らす。子供か。
「……寒かったから……」
「布団の中と俺の作った朝食、どっちが大事なんだ?」
「亮の作った朝飯!」
「よろしい。さっさと着替えたら来い」
 踵を返すと、後ろからバタバタと千秋が支度をする音が聞こえる。
 今日も俺には逆らえないようで何より。
 そんな事を思ってまたくすりと笑い。少しだけ弾んだ足取りで、冬沢はまたキッチンへと向かうのだった。

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貴史を尻に敷き続ける亮ちんが好きだなあと思いました。

【お知らせ】スタステ7サークル参加申込しました

2020年4月12日のスタステ7にサークル参加することと相成りました。

発行物はちあふゆのWeb再録中心短編小説集を予定しています。
書下ろしは多分あります。
また、再録分は紙媒体用に多かれ少なかれ加筆修正が入ります。
それ以外は特に未定です。

スペースや頒布物が確定しましたらこちらのサイトでも随時お知らせしていきます。

インターネット文字書きマンを10年近くやっておりますがサークル参加も本を作るのも今回が初めてです。
色々至らない点が今後出てくるかと思いますが、少しでもちあふゆの本をこの世界に遺せるよう努めてまいります。
このサイトは私が死んだら半自動的に消えます(レンタルサーバー代の支払い遅滞すると公開されなくなるので)が……紙にしてしまえばワンチャン百年は残る……。

ともかく、脱稿まで更新しばらく滞るかと思いますが、どうぞよろしくお願いします。

イベントHP

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【ちあふゆ】engage

 久し振りに、服をほとんど着ないままでパートナーを抱きしめながら眠った。
 行為自体はそう久し振りというわけでもないのだが、お互い少し疲れていたのか、それでも互いに触れ合いたいという思いが強かったから肌を重ねたものの、当然行為には体力が要るもので、事を終えて後処理も必要最低限だけ済ませた後、どちらからともなく事切れるように眠りに落ちた。
 腕の中にいるパートナーより少し早く目を覚ました千秋は、眠気でまだ僅かに靄のかかっている意識の中で直に触れる温もりに思わず頬を緩めた。
「……ん」
 もぞ、と腕の中の温もりが動く。
「たかふみ……?」
「おう。おはよ、亮」
「……おはよう……」
 普段は余裕に満ち溢れて舌鋒鋭く冷淡な印象すらあり、千秋の前ですらそれをなかなか崩さない冬沢が気の抜け切った顔をする瞬間は決して多くない。そして、そのうちの一つが、寝起きの瞬間だ。
 そしてそんな時の無防備で幼い冬沢の顔が、千秋は堪らなく好きだ。どこか昔を思い出させると同時に、今の冬沢のそんな顔を見る事が出来るのは自分だけだと言う事実に独占欲が満たされてしまう。
 冬沢がぱちぱちと瞬きする度に長い睫毛が震え、深い翠を宿した瞳が少しづつ焦点を結ぶ。やがて、千秋の肩に頭を押し付けながら呟いた。
「……服着てない……」
「ん?あー……まあ、着る前に寝ちまったしな……パンツ穿いてるだけマシだろ」
「失態だ……」
「オレらしかいないんだし気にすんなって」
 そう言いながら頭を撫でてやると満更でもなさそうに強く抱きついて来るものだから、可愛くて堪らない。
 行為の最中であっても痕を付けないよう互いに心掛けているため、掛け布団から除く白いうなじと滑らかな首筋、そして肩には疵一つなく、情事の気配は何処にもない。この無垢で清廉に見える体が淫らに開かれ暴かれて色付いていく瞬間を思い出すと兆してしまいそうになるが、今はそんな場面ではない。長い深呼吸をしてどうにかやり過ごす。
「……今何時だ」
 冬沢が目を擦りながらぼんやりと呟く。千秋は冬沢を腕の中に収めたまま声を張り上げた。
「OK Google、今何時だ」
 ぽぽ、とサイドテーブルに置いた千秋のスマートフォンから音がした後、無機質で平坦な声が二人きりの部屋に響く。
『東京都■■区、午前六時、三十七分、です』
「だとよ。あと十分くらいしたら、起きて朝飯作るか」
「……それ、俺の前で使うのはやめてくれと言っただろう……」
 冬沢はスマートスピーカーが苦手だった。なんでも、返答の無機質な声に本能的に嫌悪感を抱いてしまうのだという。
 千秋も冬沢を慮ってなるべく冬沢の前で起動しないよう心掛けていたが、今ばかりは事情が違ったので主張させてもらう。
「仕方ねーだろ、まだお前離したくないし」
「……俺は抱き枕ではないんだけどね」
 冬沢の声は小春日和の日差しのように穏やかで柔らかい。千秋はほっとしながら、冬沢の頭を撫でていた手を頬に伸ばす。
「朝飯、何がいい?」
「……スムージーは、苺とバナナで頼む」
「それだけか?」
 すると冬沢は千秋の胸から頭を離し、上目遣いに千秋を見た。そしてどこぞの女王様のような笑顔を浮かべる。
「お前なら何を作っても俺を満足させられるだろう?」
「はいはい……」
 居丈高な口調でそんな事を言われてしまうものだから、呆れるポーズをしつつどうしても照れてしまう。
 冬沢は基本的に目線は上からで偉そうだが、気が抜けている時は存外素直で可愛らしい。そして千秋は昔から冬沢のそんなところに弱い。
 今となっては惚れた弱みと、すっかり開き直ってしまっているが。
 さてリクエストのスムージー以外に今日は何を作るか、と千秋は考える。今日の朝は時間に余裕がある、少しだけ豪華な朝食にしてもいいかもしれない。
 考えながら、冬沢の額に一つ唇を落とす。すると冬沢はくすくす笑って、手を伸ばして千秋の髪に触れた。そうして場所を変えながら、指先で、唇で、労わるように慈しむように互いの体に触れていく。
 優しく触れ合う度に指先から伝わる温もりは体温に溶け合って、互いの胸を満たしていく。
 きっとこれが幸福という物の形なのだろう、と千秋は思いながらも、やがて頃合を見て、自分の頬が緩むのも気にせずにそっと冬沢の頬に手を添えて上向かせると、唇に唇を重ねた。
「……そろそろお目覚めの時間だぜ」
「起こしてくれて感謝するよ、王子様」
「お前は姫なんて柄でもねーだろ」
 目覚めはいつもおはようのキスで、なんて事は勿論無いけれど。唇を重ねる度に、愛を確かめ合う度に、二人で同じ幸福の中にいる度に。互いへの想いだけは、永遠を誓い合ったあの日から変わる事は無いのだと、心の底から信じる事が出来た。
 一頻り戯れ合って、笑って、千秋から先に体を起こしてベッドから抜け出す。冬沢も渋々ベッドから出ると、服を着るためにクローセット部屋へと向かうのだった。

 ベッド脇のサイドテーブルには、千秋のスマートフォンが放り出されたままだった。
 その隣には、リングスタンドが一つ。
 そしてそこには、決して外へ持ち出されることの無い同じデザインの指輪が二つ、重ねられていた。

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某盾のゲームを始めてしまったので向こう1ヶ月ほど更新頻度ガタ落ちすると思います……(小声)

【ちあふゆ】Nothing but YOU

 その日の夜、千秋は珍しく深酒をした。
 いつも以上に入念に準備をして挑んだオーディションに落ちたのだという。
 役者である以上オーディションに落ちるという事は悲しいかな日常茶飯事で、千秋のやけ酒に付き合う事にした冬沢も当然ながらオーディション落選は幾度も経験済みであった。
 千秋とてオーディション合格と落選を幾度となく繰り返して来たはずだ。だがどうも今回はかなり手応えを感じていたオーディションだっただけに、悔しさはひとしおらしかった。
 場所は千秋の自宅であるとあるマンションの一室、冬沢は今度の週末一緒に食事でもと連絡した所千秋の様子がおかしい事に気付いて心配になり千秋の家に半ば無理やり押し掛けた。
 案の定と言うべきか、冬沢が千秋の家に着いた時には千秋の顔は少し赤くなりローテーブルの上には空き缶が二本転がっている状態だった。
 その時の千秋はまだ酔いが回りきっていない状態だったため、何があったのか聞き出すのにそう苦労はしなかった。冬沢は同業者として、そして千秋と最も付き合いの長い友人として千秋の晩酌に付き合ってやる事に決めたのだった。……結局、晩酌というより千秋のやけ酒になってしまったのだが。
「ほら貴史、そろそろ飲むのはやめろ。明日以降に響くぞ。明日はオフでも明後日にまで支障が出たらどうする気だ」
 冬沢は酒に弱い自覚があるので、早々にただの麦茶に切り替えていた。空き缶を隅に寄せてやりながら水の入ったグラスをローテーブルに置いて突っ伏した千秋の肩をとんとんと叩くと、千秋が突っ伏したまま既に真っ赤になった顔を冬沢に向けた。
「……なあ亮、なんでオレのやけ酒に付き合ったわけ」
「どうしてそんな事を聞く?」
「だってお前こういう事したら情けないって言いそうだし」
 確かに、情けないと思わなくもないのだが。
 だが今の千秋の場合、冬沢の様子への違和感と言うよりは情けないと責めてくれた方が踏ん切りを付けられる、と言った類の物だ。こいつのこの変に自罰的な所はなんとかならないものか、と思いながら千秋の隣に座る。
「言って欲しいのか?」
「いつまで経っても言わねえから、なんでだろうなって思ってるとこ。……実際情けねえだろ、オーディション落ちてやけ酒とか」
 飲んだ量の割に、呂律は回っている。意識ははっきりしているようだし、酔いたくてもあまり酔えていないのかもしれないと冬沢は思う。実際千秋は冬沢より遥かに酒に強い。
「……俺以外の誰かがするなら止めないよ、悔しい気持ちは分かるからね。だからってやけ酒なんてされてあまりいい気分はしないが」
「じゃあなんで」
「様子のおかしいお前を黙って一人で放っておける程、短い付き合いでもないつもりだけどね?」
 また別の縁がある、また次頑張ればいい、と声を掛けるのは簡単だ。だが今の千秋に向けて軽々しくそれを言うのは違う気がした。かと言って情けないと叱るのも違う気がした。相当な覚悟で挑んだ、手応えもあった。それなのに落ちた、いらないと言われた。そこからすぐに気持ちを切り替えるには千秋は不器用すぎるし、慣れるにはまだ少し芸歴が短すぎる。
 ならば近くにいてやった方がいいだろうと、冬沢は思った。近くにいて気が済むまで話を聞いてやるくらいなら出来るし、苦しみを少しでも分かち合えば千秋も楽になるだろうと。いずれ癒えて慣れてしまうのであろう苦しみとは言え、今苦しい事に変わりは無いのだ。
 ……そして、千秋に対してそれが一番上手く出来るのは自分だろうと言う自負があったし、それをするのは自分であるべきだという独占欲もあった。だがそれは表には出さないでおく。
 だがやはり、それはそれとして、と冬沢はとんとんと、今度は背中を優しく叩く。
「とは言え、今日のお前はそろそろ飲みすぎだ。いい加減に……」
 しろ、と言いかけた唇は音を発する事はなかった。唇に柔らかい物が押し当てられている、と思った時にはすぐ眼前に千秋の顔が広がっていた。
 キスをされているのだ、と気付く。反射的に押し退けようとしたが肩と頭に素早く手が回って冬沢の動きを封じる。
「はっ……ん、ぅ?!」
 何を、と言おうとして開けた口から舌をねじ込まれ、呼吸を奪われる。
 千秋の舌は貪るように冬沢の口の中を舐め回し、冬沢の舌に絡み付いては何度も食むように粘膜を擦り合わせた。
 苦しい。上手く息が出来ない。身体中がざわめいている。力が抜ける。背筋がぞくぞくする。脳まで抜けるような酒の臭いの中に幼い頃から今までずっと変わらない千秋の匂いを感じて、頭がくらくらしてしまう。ぐちゃぐちゃと互いの唾液が咥内で混ざり合って口の中で溢れそうだ。思わず飲んでしまったそれはとても甘く感じて、体温をまた一段と高めあげた。
 同意の無いキスなど紛れも無い暴力、そんなの分かり切っている。それなのに、……ああどうすればいい。無性に胸が高鳴る。体温が上がる。気持ちいい。千秋に与えられる刺激のせいじゃない、胸の奥底から、蓋をしていた場所から溢れてくる幸福にも似ているそれは、一過性の物なんかじゃない。
 2人で居る時はずっと意識して閉じ込めていた、目の前の男を愛しているという感情が零れて、溢れて、脳を痺れさせ体に力が入らなくなっていく。
 冬沢は目を閉じた。諦念からでも観念からでもなく、自分から、目の前の男に身を委ねる為に。
 千秋の手がいつの間にか、冬沢のシャツに伸びてきた。
「んっ……!ぅ、ふっ、」
 裾の中から素肌に手を滑らされ、冬沢は身を堅くしながらもそのむず痒い刺激に声を上げた。だがその声も千秋の口の中に消えて行く。
 いつの間にか、冬沢の背中は床に付いていた。
 千秋の唇が銀色の糸と共に離れていく。覆い被さったまま、赤い舌がぺろりと糸を舐め取った。陰の中の熱に浮かされたかのような顔の中、その目だけは獣のようにぎらついていて。
 食われる。背筋を走ったその予感は、戦慄などより興奮とよく似ていた。
 冬沢は僅かに乱れたシャツの裾をつまむと、そっと胸の下までたくし上げた。腰骨から薄い腹筋全体にかけての白い肌を、千秋の眼前に晒す。ゴクリと、千秋が喉を鳴らした。
 どうしてこんな事をしているのかと、普段の自分であれば眉を顰め忌避するような行為。だが、目の前の男に食われたいという逆らい難い衝動に身を任せても悪い事にはならないだろうという予感があった。
 白い肌に千秋の唇が落ちる。腰骨から少しづつ上へ上へと口付けられるごとに、擬似的に捕食されているかのような感覚に陥っていく。このまま食べられて、飲み干されて、一つになってしまえればいいのに。
「はあっ……ん、あ、たかふ、み」
 肌に口付けられる度に、少し固い手がゆっくり肌を滑る度に、ざわざわと肌が粟立つ。息がかかるだけで気持ちいいと感じてしまう。口から勝手に漏れる鼻にかかった声は自分の物とは思えぬほど高く、甘い。
 やがて千秋の手が、冬沢の胸元をぎりぎり隠しているシャツに触れた。だがそれきり、千秋の手は止まる。
「たかふみ……?」
 千秋は項垂れたきり、何も言わない。冬沢が不安に思い名前を呼ぶと、千秋は呻くように呟いた。
「……亮、ごめんな。好きだ、好きなんだお前の事……」
 時間が、止まる。
 千秋以外に何も聞こえなくなって何も見えなくなって、今この時、世界には自分と自分を組み敷く男だけなのではないかと錯覚する。
「愛してるんだよ、ずっと……友達としてじゃなくて……好きになってごめん……」
 その声はまるで、罪人が神に向かって懺悔するかのようで。だが確かに冬沢に向けて発せられた物だった。
 そしてその声が最後まで届いた瞬間、ぷつりと。冬沢の中で何かが切れる音がした。次いで、頭全体が沸騰するかのような熱が込み上げてくる。
 好きになってごめん?
 なんだ、それは。
「こんのっ……馬鹿かお前は!」
 ほとんど勢い任せの、だがしっかりとスナップを効かせたその平手は盛大な音を立てて千秋の頬を打った。
「……え、亮……?」
 千秋の目が焦点を結ぶ。そして、シャツが胸元までたくし上げられた冬沢を組み敷いている事に気付くと跳ねるようにして起き上がり、冬沢から身を離した。その顔からみるみる血の気が引いていく。
「亮、オレお前に何、」
「俺が……俺が今までどれだけお前にっ……なのにどうしてお前は酒の勢いなんかで……」
 気が付いたらぼろぼろと涙が零れていた。だがそんなの知った事かと、冬沢は勢い良く体を起こし、千秋の胸ぐらを掴んで睨み付ける。
「俺だって酔った勢いくらいで告白出来るくらい単純ならどんなに良かったか!なのになんで酔った勢いで告白しながら謝るんだお前は、襲われて喜んで誘った俺が馬鹿みたいじゃないか、そんなに俺の方の気持ちは軽いのか?!第一告白と襲うのと謝罪の順序がおかしい、告白する前に襲うくらいならもっと誠意を持って襲って来い!」
「順序……誠意……え……?そっち……?」
 後悔と困惑がない混ぜになった千秋の顔と自分の支離滅裂な言葉で、ひと握りの理性がようやく目を覚ました。
 ……俺も酔った勢いに任せて貴史に当たり散らしてるだけじゃないか。
 そう思った瞬間。ギリギリの所で張り詰めていた糸が切れたかのように、冬沢は千秋にしがみついて声を上げて泣いた。千秋はただされるがまま、シャツが涙で濡れるのもお構い無しに冬沢に胸を貸し続けた。
 それからどれほど千秋に抱き付きながら泣いていたか。一頻り泣いてすっきりした冬沢は千秋から離れて立ち上がると、台所でグラス一杯分の水を一気に飲み干した。冷凍庫から保冷剤を二つ取り出して、洗面所の戸棚から勝手に拝借したハンドタオルでそれぞれ適当に包んで片方を千秋に放った。
「当てていろ、放っておくと腫れる」
 千秋は困惑した顔ながらも、保冷剤を大人しく頬に当てた。
 そして冬沢はソファの上に座って足を組むと、腫れているであろう瞼に保冷剤を当てながら床で正座する千秋を見下ろした。
「……さて。そろそろ、どうして絶対に合格するつもりでいたオーディションに落ちたやけ酒から俺への告白という急展開になったのか理由を教えてくれるかな。貴史」
「やっぱりそこを怒るよな、お前は……」
「顔を殴った件については謝るけどね。お前じゃなかったらもう少し酷い目に遭っていると思った方がいい。お前が明日オフじゃなかった場合は腹にしていたかもしれないし、もしお前じゃなかったら舌を噛み切るくらいはするよ、俺は。さて、そんな俺にいきなりキスして舌まで入れて押し倒した人間から何か申し開き出来る事は?」
「……うん、本当に、それは、全部俺が悪い……」
「全く……」
 お前だったから良かったとは言え。ファーストキスだって小学生の頃にお前で済ませていたとは言え。
 そう言いかけたのを、流石に恥ずかしさが勝って冬沢は喉の奥にしまい込んだ。
 幼い頃の子供の戯れの延長線上のキスと、今のキスとではまるで意味が違う。……多分。
「まあ、お前に押し倒されてから……その、わざわざ服をまくって誘ったのは俺のようなものだから……そこから先は、不問にしておいてやる」
「ようなっていうか、確かにオレは食い付いたけど……あの時お前相当酔ってたよな……?大丈夫かよ……?」
「うるさいよ」
 瞼に当てた保冷剤のタオル越しの冷たさで、少しずつ頭が冴えていく。そして、自分がなかなかとんでもない事をしてとんでもない事を言ったという事実に顔から火が出そうになってきた。そしてずきずきと頭が痛み出す。
(やはり酒なんて飲む物じゃない……)
 お互い様とは言えあんなみっともない姿を晒すだなんて。
 酒が露わにするのはその人間の本性であって、酒のせいで人が変わるだとかそんな事は無い。そんな事知っている、だから冬沢は──酒に弱いのも勿論あるが──余程気心の知れた相手の前でしか酒を飲まないようにしているのだ。
 それでも、千秋に対してずっと抱えていた友情の枠を越えた思いはどうにか押し隠してきた。まさかこんなきっかけで暴かれる羽目になるとは夢にも思っていなかったが。
「……貴史。俺は本気で心配していたんだけどね、お前のこと」
「……」
「オーディションに落ちるのなんて別に初めてじゃないだろう、俺だってそうだからね。それなのにとんでもない落ち込みようだったから、側にいてやるのがいいだろうと思った。そうしたら酔った勢いで何故かお前に襲われ押し倒され告白された。役者として上手くいかなかったその悔しさと苦しさに寄り添おうとした俺の好意をダシにしたと取られても仕方の無い行動だとは思わないか?」
「そう、だよな……最低だよな……」
 千秋は見るからに落ち込んでおり、ほとんど世界の終わりのような顔をしている。
 違う、俺はお前のそんな顔が見たいんじゃない、と冬沢は僅かに苛立つ。
「……なんで、今だったんだ。お前もずっと隠し通してきたんだろう」
「っ……」
 千秋の目が揺れ、しばらく黙り込んだ後に千秋は視線を俯かせた。
「……とにかくキツくてさ、今日」
「うん」
「別にオーディション落ちるのなんて初めてじゃねえのに、今日のは世界終わったなってそれくらいキツくて。酒に逃げたくなって。そしたら……お前から、連絡入って。何も知らねえのに、オレの事心配してわざわざここまで来てくれて」
「……それで」
「オレが変になってるのにちゃんと相手してくれて、放っとけないって言ってくれて、やっぱりお前の事好きだなって思って……そしたら、ずっと隠しておこうと思ってたお前の事好きだって思い全部、止められなくなった」
 それでも、と千秋は顔を上げた。真っ直ぐな目で、冬沢を見つめる。緋色の目はどこまでも誠実なのにひどく苦しそうに見えて、冬沢の胸が締め付けられる。
「本当に、悪かった。俺はお前に酷い事をした。縁切られても仕方ねえって思ってる」
「そこはもういい」
「え」
「……もういい。俺だから、あそこまでしたんだろ。だったらいい」
 千秋がそういう対象として見ているのは自分だけなのだと分かれば、もうそれで良かった。
 我ながら調子のいいことだ。
「いつからだ、俺の事を好きだと自覚したのは」
 そう尋ねれば、千秋は少しバツの悪そうな顔をする。
「ずっと前から。……多分、小学生の頃から」
「……そうか」
 冬沢は保冷剤を脇に置くと、ソファから立ち上がり。そのまま屈んで膝を付くと、千秋を抱き締めた。
「なっ、亮……」
「言っただろう、俺だってお前の事が今までずっと好きだったんだ、好きなんだ。そうでなければあんな……あんな恥ずかしい事喜んで出来る訳ないだろう……お前以外にあんな事しない……」
 どんどん声が尻すぼみになっていくが、この距離なら確かに聞こえているようで、千秋は首を回して恐る恐る冬沢を見た。
「酒の勢いなんかで告白されたのには怒っているし、役者として友人としてお前を支えてやろうとしたらそれを裏切られたような気がして、いい気分がしなかったのは確かだけどね、……今日の所は目を瞑ってやる。今回だけだからな。それに……俺の方も、もう少し早くお前に好きだと伝えていれば良かったのかもしれないしな」
 悔いても仕方の無いことと分かってはいるが、それもきっとお互い様。
「……お前は何も悪くねえよ」
 ほら、そうやって心の底から申し訳なさそうな声を出す。
「お前の気持ちを裏切って、本当にごめん」
「うん」
「謝りながら告白したのも、ごめん。お前の方の気持ち考えてるようで、全然何も見えてなかった」
「うん」
「でもやっぱ、お前もオレのこと好きだって言ってくれて……嬉しかった」
「そう。……良かった」
 まだ酒が抜けきっていないのか、視界がじわりと涙で滲んだ。背中に回した手に思わず力が篭もる。
「……貴史」
「なに?」
「抱き締めてくれ。お前だから特別に許してやる」
 躊躇うような沈黙の後、恐る恐る背中に手が回され、優しく抱き締められる。どこか壊れ物に触れるような手付きだったが、その重なる体温のなんと温かく、優しいことか。その内に秘められた自分だけに向けられている激情を思うとまた熱を上げそうになる。だが今はもう少しだけこの体温の心地良さに身を浸す事にして、冬沢は目を閉じた。
「貴史」
「どうした?」
 名前を呼べば、当たり前に応えてくれる。それだけの事が、なんだかとても愛おしい。
「俺達はどうやらお互いの事を恋愛対象として見ているらしいと言うことが分かったな」
「そっ……そう、だな」
 千秋の声が少しどもる。今更何を照れているのやら、と思うがそんな所もなんだか可愛くて仕方が無い。
「もしかしたら、恋人同士になれるのでは?」
「……亮がいいなら、それもいいぜ」
「なんだ、言わないと分からないのか」
「お前なあ……」
 言葉の戯れはどことなくいつもより面映ゆく、そして、適した距離を探り合っているようで。
 冬沢は少しだけ勇気を振り絞る。
「それじゃあ、今からそういう事にしようか。恋人同士、に」
「ああ、いいぜ」
「……いいのか」
「なんで驚いてるんだよ」
「お前、本当に心の底から俺と恋人になっていいと思っているんだろうな?俺への罪悪感なんてものが第一の理由だったら流石に怒るが」
「罪悪感は、確かにある。……でも、別に今以外の状況でお前から恋人になろうって言われても、多分頷くよ、オレは」
「よろしい」
「……ごめんな、勝手な人間で」
「こんな時に恋人になろうと言ってきた俺にそれを言うのか?だからもう謝るな。俺が欲しいのは謝罪じゃなくてお前なんだけどね」
「お、お前……」
 それきり千秋は黙り込んでしまった。今頃顔を真っ赤にしている事だろう、と冬沢はようやく溜飲が下がる。
 望んでやまなかった筈の関係は、いともあっさりと手の中に収まった。少し拍子抜けするが、胸にじわりと暖かいものが広がっていく。
 お互いの恋人としての距離が分かればつか、もう少し遠慮なく強く抱き締めてくれる日が来るのだろうか、と冬沢は思う。その日が来たらこちらも思い切り抱き締めさせてもらおう。焦る事は無い、時間は沢山あるのだから。
 名残惜しく思いながらも冬沢が千秋から身を離そうとすると、するりと千秋の腕は解けた。改めて正面から千秋の顔を見ると、顔を赤くしながらもしっかり見つめ返してくれる。
 冬沢が打った方の頬を撫でると、千秋は少し気まずそうな顔をした。熱いのは千秋の体温のせいか、腫れ始めているからなのか。
「ほら、ちゃんと冷やせ」
 千秋がいつの間にか落としていた保冷剤を拾ってそこに押し当ててやる。千秋はびくりと体を震わせたが、すぐにソファの上に置いたままの冬沢の分の保冷剤に手を伸ばした。
「お前もな、目赤いぞ」
 瞼の辺りにそっと保冷剤を当てられるのがなんだか無性におかしくなってくすくす笑う。すると「なんだよ!」と狼狽えた顔をする千秋がやはり可愛くて、からかってやりたくなる。
「いいや?」
 自分の瞼に当てられた保冷剤を支えている千秋の手に、冬沢は手を重ねる。
「お前可愛いなと思って」
「はあ?!」
 思ったままを伝えれば更に顔が赤くなる。これはまずい。
「ほら、あまり顔を赤くしていたら腫れの引きが遅くなるぞ」
 千秋の手から保冷剤をするりと抜き取りながら言うと、千秋は慌てて表情を引き締めた。
 あまり腫れが長引くのは役者としていただけないので、これ以上からかうのはやめておこうと冬沢は自分にそっとブレーキを掛ける。この顔に張り手をかましてしまったのは自分なのだし。その代わり今度何でもない時にまたからかわせてもらおう。
 時計を見ると、終電まで残り三十分ほどだった。
 いつもであれば、わざわざ帰るのも面倒で千秋の家に泊まっていくことを決めるような時間だ。泊めてくれないか、と今日もいつものように軽く言おうとしたところで開きかけた口は動かなくなった。
 千秋の家に泊まる。泊まるのか?たった今、急転直下の展開の下にとは言え恋人になった男の家に?
「……なあ亮」
「な、なんだ」
「お前も顔赤いぞ」
「うるさい。……もうすぐ終電だから帰るよ」
「は?!お前今までそんな事一回も……」
 心臓が早鐘のようだった。きっと今日泊まっていったからと言って今までと何かが変わる訳では無い。いつものように冬沢はソファの上でタオルケットを被って眠るのだろうし、朝起きたら千秋が朝ご飯を用意してくれる。
 だが。それでも。
 それに気づいた瞬間に、それを想像した瞬間に、愛していると今までただそれだけを伝えたかった男と一晩同じ屋根の下で過ごすと考えただけで……熱暴走を起こすのではと思う程に全身が熱くなったのだ。
「今日は、帰る。……心の準備が出来ていない」
「何の心の準……え、お前、あー……えっと、だな、それはオレの方がまだ無理……」
「待て、違う、そうじゃない、お前が何を考えているかはともかく、絶対に、お前が考えているような事じゃない」
 慌ててコートを羽織り、バッグを手に逃げるように玄関に向かって走る。
「待った亮!」
「なんだよ?!」
「マフラー!ほら!」
 玄関に立って靴を履いた所で千秋に引き止められて振り向くと、忘れていったマフラーを首に掛けられる。少し寒かった首元がふわりと温もりに包まれた。冬沢がいつもやっているようにして丁寧にマフラーを巻いた千秋は、満足気に微笑んだ。
「ったく、こんなに時間に……車出すから送って行こうか?」
「必要ないよ。お前こそ明日はオフなんだからしっかり休め」
「ああ。ありがとな、亮」
 その言葉と共に、千秋の手がそっと冬沢の頬を撫でた。その感触が心地よくて、冬沢は思わず相好を崩す。本当は下のエントランスまで送って行きたい、とその目と手が何よりも雄弁に物語っている。
 だがお互い世間に顔を晒して商売している身だ、本当にプライベートな時間はなるべく外で見せない、と以前からお互い決めていた。こんな時でも律儀にそれを守る千秋の事が、やはり愛おしい。
「……その、貴史」
「ん?」
「……恋人になったなら、いつでも何でもない時に会いに来ても大丈夫か?」
「……ああ」
 そして千秋は、特別な事をなんでもない事のように笑いながら言う。
「何かあってもなくても、好きな時に会いたいって言ってくれよ。オレもそうするから」
 その言葉だけで、胸がいっぱいになる。
「だからもうオレに会いに来るのに雑な言い訳しなくていいからな」
「お前に言われたくないよ……」
 やれ育ててるミニトマトが豊作だの野菜を買いすぎただのいつもの店の新しいメニューだの可愛い後輩のドラマ主演が決まっただの、お互いあれやこれやと理由を付けて会っていたこれまでを思い出して2人で笑う。
 何でもいいから会いたい、一緒にいたいという思いは同じだったのだ。これからはもう一緒にいるのに特別な理由は必要ない。
 その代わり、次に泊まり前提で会う時は心の準備をしよう、と冬沢は密かに心に決めた。自分の頬に触れる千秋の手を取ってそっと下ろし、手を離して今度こそ踵を返す。
「ああ、そうだ貴史。一つ言い忘れていた」
「ん?」
 ドアノブに手を掛けて、振り返る。
 そして、すっかり先を越されてしまって自分から言い損ねていた言葉を放つ。
「俺も愛してるよ。お前に負けないくらいにはね」
 言われた瞬間の千秋の顔を、冬沢はきっと一生忘れる事は無い。
 次は優しいキスでもしながら言えれば完璧だろう、と、楽しみは次に取っておく事にして。
 恐らく人生で一番の笑顔を目の前でただ一人だけに向けながら、冬沢は外に繋がるドアを開けた。

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イメージ曲:『Nothing but You』(アイドルマスターシンデレラガールズより)

【ちあふゆ】手は口程に

「ほら、お粥出来たぞ」
 お粥の入った小さな土鍋の乗ったお盆をサイドテーブルに上げると、冬沢はベッドに横になったまま緩慢に首を回してサイドテーブルを、そして運んできた千秋を見た。
「……さっき聞くのを忘れた。なんでお前がいるんだ?」
「もう忘れちまったか?お前を連れて帰ってきたのはオレだぞ」
「……そうだったかな」
 普段の氷のように冷たい筈だが今は全く険の無い目でどこかぼんやりと呟く冬沢の頬は赤く、額には冷却シートが貼ってある。
 そう、冬沢亮は少し重めの風邪をひいていた。
 急激に冷え込んだ所に綾薙祭の膨大な事後業務が重なって疲れが溜まっていたのか、事後作業も終わり今日は特に業務も無いから早めの下校となった夕方に帰ろうとした所気が付けば足取りはおぼつかず、体は妙に熱く、なんだか指先足先ばかり冷たく、それでも学園にいる間は華桜会のメンバーとして無様な姿は見せられないと気丈に振舞っていれば見るに見かねた千秋に連れられて何とかタクシーに乗って帰宅したものの、玄関を跨いだ瞬間にふらふらと倒れ込んでしまった。
 そこから先の記憶は眠っていた為に冬沢にはほとんど無く、千秋はというと、せめて寝るに相応しい格好にはしてやらねばと眠りこけてしまった冬沢からどうにかして燕尾を脱がし制服を脱がしパジャマを着せて、ベッドに寝かせ冷却シートや氷枕を用意してやったのだった。
「……じゃあこれも貴史が?」
 額の冷却シートに冬沢が触れるのを見て千秋は申し訳なさそうな顔をする。
「ああ……シートとかパジャマとか探すのにお前の家の中色々見ちまった。悪い」
「……別に構わないよ。変な物も置いていないし、俺の為にした事だろう」
 冬沢がゆっくり体を起こしたので、千秋はその背中をそっと支える。
「食えそうか?」
「……食べる」
 冬沢の姿勢が安定したのを確認すると千秋は背中から手を離し、ベッドサイドまで持ってきた椅子に腰掛けた。れんげで土鍋の中のお粥をよくかき混ぜてから1口分掬う。そしてれんげを冬沢の前に差し出す。
「はい、あーん」
 子供相手にするようなその仕草に冬沢は若干不服そうな顔をしたが、素直に口を開ける。千秋がその中にれんげをそっと差し入れ、冬沢が口の中にお粥を全て入れた事を確認してからそっとれんげを引き戻す。冬沢は口元を手で隠しながらゆっくり咀嚼し、こくりと頷いた。
「……相変わらず料理だけは上手いな」
「『だけ』は余計だ」
「ネギと……生姜か」
「風邪にはネギと生姜だからな。ほら、次いくぜ」
「自分で食べられる……」
 そうは言いながらも結局お粥は全て千秋の手によって冬沢の口元に運ばれ、冬沢は大人しく完食したのだった。
 風邪薬を飲ませて一息つき、眠っている間に測れなかった体温を測る。38.7℃と、熱が下がる気配はまだない。
 歯を磨かせてからもう一度ベッドに寝かせて部屋の灯りをサイトテーブルのランプだけにしたところで、千秋は時計を見る。時計は19時半を指していた。普段であれば帰宅を意識する頃合の時間なのだが。
 ベッドの上の冬沢は眠れないのか、所在なさげに天井を見ていた。普段雪のように白いその両頬は赤く染まり上がっており、全力疾走の後のような苦しげな呼吸が唇から漏れている。
 その様子を見て、彼を一晩ここに一人で残していっていいものか。いや、オレは亮をここに残して帰れるのか、と、千秋は自身に問い。しばらく考え込んだ挙句、 
「……なあ亮」
「ん……?」
「泊まって行っていいか?今から急いで家から着替えとか取ってくるからさ……」
 その言葉に、冬沢の熱で潤んだ目が僅かに見開かれる。
「……なんで」
「今のお前をほっとけるかよ」
「っ……」
 冬沢は僅かに目を泳がせた後、掛け布団を両手で引きあげ、目から下を隠したかと思うとくぐもった声を出す。
「……好きにしろ」
 その仕草が妙に可愛らしく見えて、千秋は思わずクスリと笑う。
「ありがとな。すぐ戻るからさ」
 千秋は冬沢の食事に使った食器や調理器具を全て洗って水切りに片付け、冬沢から預けてもらった合鍵を手に外へと駆け出した。
 冬沢が一人暮らしをしている家と千秋の家は大して遠くない。電車に乗っている時間を含めても20分程あれば千秋は自宅に到着する。
 事情を説明すると両親は「傍にいてあげなさい」とすぐに冬沢の家に泊まるのを承諾してくれた。そんな訳で千秋は外泊に必要な一式をバックパックに適当に放り込んで制服のまま冬沢の家へととんぼ返りしたのだった。
 一度冬沢の家を出てから合鍵でまたドアを開けるまで、およそ1時間。なんと言えば良い物か少し迷ってから「ただいま」と言えば、なんか一緒に住んでるみたいだな、と思ってしまう。
 そのまま静かに寝室に足を踏み入れると、ベッドから半身を起こした冬沢が呆れたような目を向けてきた。
「本気だったのか……暇なのか……?」
「ノーセンス、暇なわけがあるか。第一本気じゃないって思われてた方が心外だぜ。オレだってお前がまだ寝てなくて驚いてるけどな」
 そう言ってやれば冬沢は顔をしかめた。
「……眠れないんだよ」
「んー……じゃあ体拭いてやろうか?お前だいぶ汗かいてるだろ。汗拭いてパジャマ着替えるだけでも、だいぶ寝やすくなるんじゃね?」
 弟妹達が風邪をひいた時の事を思い出しながら言うと、冬沢は「それくらい自分で出来る」と僅かにむくれた。風邪を引いた同い年の幼なじみをいつの間にか子供扱いしている自分に千秋も思わず苦笑し、「悪い」と謝る。
「それじゃ、ちょっと待ってろ」
 言い残して部屋を出ると、背負ったままだったバックパックを適当な場所に置かせてもらってから、電子レンジで手早く蒸しタオルを作る。
 出来上がった蒸しタオルを乾いたタオルで包んで冬沢の部屋に持っていくと、冬沢はタオルを受け取り、部屋から出て行こうとしない千秋をじっとりとした目で睨んだ。
「一人で出来ると言っただろう。出て行ってくれないか」
「背中は?」
「届く」
「はいはい」
 今更何を気にするのやら、と思いながら千秋は冬沢の部屋を出てドアを閉めた。病人なんだからもう少し甘えてくれてもいいだろう、とも。
 病人?……そう言えば、と千秋はハッと気付く。
(おじさんとおばさんに連絡してねえ……!)
 高校に進学してからしばらく会ってない冬沢の両親の顔を思い出す。冬沢は一人暮らしとは言え実家からそう遠い場所に住んでいる訳でもない。学生なのだし、まずそちらへ連絡するべきだったと千秋は慌ててスマホを出す。
 とは言え冬沢の両親の連絡先は知らない。まず自宅の母親に掛けてみる。すると既に冬沢家には連絡しておいたと返ってきたので一安心して電話を切ったものの、その数秒後に冬沢の部屋のドアがゆっくりと開いた。立っているのもやっとだろうに、冬沢がドアの隙間から若干恨めしそうな顔を覗かせる。
「……お前、母さんに連絡しただろ」
「オレの親がな」
 すると冬沢はたちまち渋い顔になり、部屋の中へ引っ込んでいく。千秋が慌てて部屋の中へついて行くと、新しいパジャマに着替えた冬沢が使い終わった蒸しタオルと先まで着ていたパジャマを畳んでまとめている所だった。
「いいからお前は寝とけ、洗濯カゴの中だろ?」
 手を伸ばそうとするが冬沢は首を横に振る。
「これくらいは自分でやる」
 そのまま覚束無い足取りで洗濯機の所へ向かおうとするので、倒れてはいけないと千秋は一応追い掛ける。冬沢が洗濯カゴの中に洗濯物を入れるのを見届けて、また部屋まで戻るのを見届ける。 
 冬沢が布団の中に潜り込む前に氷枕を新しい物に取り替えて、冷却シートも張り替えてやる。横になったところに掛け布団を肩までかけてやると、冬沢は固い氷枕に頭を置きながら呟いた。
「……少し過保護すぎないか、お前」
「ガキ共が風邪ひいたらこんなもんだぜ、うちは」
「俺はお前の弟になった覚えは微塵もないよ」
「はいはい、文句なら治ってからたっぷり聞いてやる。お前の仕事はまず寝て風邪を治す事。そうだろ?これで一晩寝て良くならなかったら明日病院連れてってやるから」
 冬沢は悔しそうに口を引き結ぶ。千秋はランプのスイッチに手を伸ばした。
「それじゃ、オレは隣のリビングで寝かせて貰うから。なんかあったら呼べよ」
「っ……」
 千秋の手首を、冬沢の手が掴む。弱い力だったが、千秋は手を止めて「どうした?」と冬沢を見る。
 冬沢は俯いてしばらく何も言わなかったが、やがて小さく口を開いた。
「……もう少し……」
 蚊の鳴くような声だったが、千秋の耳には確かに届いた。千秋の心臓が一度痛いほど強く脈打った。千秋は冬沢の手をそっと解くと、掛布団の中に戻してやる。
「分かった、じゃあお前が寝るまでここにいるから。明かりはどうする?」
「……付けていてくれ。寝た後も」
「了解」
 椅子に腰掛けて冬沢の顔を見下ろすと、ついと目を反らされる。顔が赤いのは熱のせいなのか照れなのか。
 可愛いところあるじゃねえの、と直接的にからかいたくなるのをぐっと堪える。
「そうだ、手でも握っててやろうか?風邪ひいた時に手握られると落ち着くぜ」
「……知ってる。昔1回お前に言われた」
「ん……?そんなこと言ったか?」
 そんな事を言った記憶が無く思わず首を傾げる千秋に、冬沢は先程千秋の手首を掴んでいた手を恐る恐る差し出す。
 千秋は少し意外に思いながら、その手を両手で包み込んだ。普段の幼馴染より遥かに熱いその手に少し胸が痛くなる。だがそれは表に出さずに冬沢の様子を伺うと、穏やかな表情で目を細めているので、内心で胸を撫で下ろした。
 やがて冬沢の瞼が重くなるのにそう時間は掛からなかった。うつらうつらとし始めたので、そろそろ寝るだろうな、と千秋が思うのと同時に、
「……たかふみ」
 冬沢が今にも寝入りそうなふわふわした声音で千秋の名を呼んだ。
「どうした?」
「……お風呂、勝手に入っていいしシャンプーとかも使ってくれて構わない……」
「わかった、ありがとな」
「それとお前、何も食べてないだろ……ある物何でも勝手に食べていい。全く本当にどうしてわざわざ泊まるなんて言い出したんだ……」
 弱々しく責めるような口調ながらも、幼馴染とは言え、家族以外の人間に自分が眠っている間に自分の家を任せる事への負い目があるのか、冬沢は申し訳無さそうに眉を下げている。
「こんな時にほんと律儀だなお前は……ああ、ありがとな。だからもうオレの事は気にするな」
 そう言って笑って見せると、冬沢は安心したようにふわりと淡雪のような笑みを浮かべ、唇を動かす。
「……おやすみ」
 その笑顔に胸がささやかな力で締め付けられるような心地を覚えながら、千秋は微笑みと共に言葉を返す。
「ああ。……おやすみ」
 やがて冬沢の瞼がゆっくり閉じたかと思うと千秋が握った手からはゆっくりと力が抜けていき、形のいい唇からすうすうと規則正しい寝息が聞こえ始めた。
 千秋はその寝顔を眺める。夕方に連れて帰って来た時よりは少しだけ苦しさの抜けたその寝顔はどこかあどけなく、幼い頃の面影を思い出させる。
 お前が寝るまで、と言ったはずなのにそこから離れ難く、両手に包み込んだ掌は離し難く。
(ごめんな、もう少しだけ……)
 届かなければ無意味と理解しながらも、心の内で謝りながら冬沢と繋いだ手に少しだけ力を込めた。
 意地張りで強がりで口を開けば減らず口ばかりのこの幼馴染が手と一緒に差し出して来た信頼と小さな甘えをしっかりと受信してそれに応えられている筈なのに、それを受け取っている自分の思いは冬沢の思う所から近いようできっと遥か遠い。
 お前を放っておけない、冬沢に向けて言ったそれは間違いなく本音。だがそれだけではない事はきっと冬沢にはそれとなくバレていて。それでも、もっと大きな本音があるからだと、弱り切った幼馴染を前に伝える事など出来る筈もない。
「……なんでわざわざって。好きだからだよ、お前の事」
 それでも声に出してしまうのは、そうでもしないとどうにかなりそうな程に心臓と血潮がうるさいからなのか、目を閉じて寝息を立てている幼馴染の耳に偶然を装って届いてしまえばいいというささやかな強欲からなのか。千秋にも分からない。
 もう触れられる事は無いと思い、それでも触れたいと願い続けて、ようやく僅かに触れた指先に向けて恐る恐る伸ばされた手が熱の中に抱えた温もりはあの頃とよく似ていた。その温もりを自分だけの物にしたいと、温もり以上のものが欲しいと、そう願ってしまう己の欲深さを自覚して笑いながら抱えていられる程の性分を千秋は持っておらず、またそれが出来る程に歳を重ねてもいなかった。
 今はただ、目の前の温もりに縋るようにその手を握る事しか出来ず。それでも手を握る時間の長さだけ、病気の幼馴染の看病にかこつけてただ欲を満たす為に傍にいたいだけのように思えて、自分が嫌になるばかりで。
「……ん……」
 眠りの中の冬沢が小さく呻く。千秋はいつの間にか俯いていた顔を上げ、
「ごめんな、強く握ってたか」
 と呟いて冬沢の手をそっと解いた。掛け布団の中にその手を入れてやり、椅子から静かに立ち上がる。
 もう一度寝顔を眺める。未だに熱で顔は赤いがそれ以外に特におかしな様子は無い。見ていて痛々しくはあるが、一晩ゆっくり休めば落ち着く事を祈るしかない。
 いっそ一晩ずっとここにいようか、と考えるが、リビングで寝てると言ったのは自分な手前、そんな事をしたら朝になってから確実に呆れられる。
「……おやすみ」
 千秋はもう一度だけ呟くと、今度こそ冬沢の部屋を後にしたのだった。

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実はこの話と繋がってます。

【ちあふゆ】マイ・ディア・カーミラ(吸血鬼パロ)

※吸血鬼パロ

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「ご馳走様」
 “食事”を心いくまで堪能した冬沢は千秋の首筋から牙を抜くと、はあ……と熱い吐息をこぼしながら噛み跡をぺろりと舐めた。
 豪奢なベッドの上に横たわった千秋の上に乗りかかった状態のまま、長い牙が覗く口元を歪め妖艶に笑う。
「やはり貴史の血は美味しいね」
「……ハッ、オレの血しか飲まねえ、偏食のくせに、よく言うぜ……」
 ベッドに弛緩した体を投げ出す千秋の呼吸は荒く瞳は潤み目尻はうっすら赤く色付いていた。そして悪態をつくその口からは、冬沢の物とよく似た牙が覗いている。
「お前の血さえ飲んでいれば俺は生きられるんだ、別にいいだろう?」
「あーそーかよ……」
 冬沢が千秋の上から降りようと体を起こすと、緩やかに腰に両手を回された。力の入っていない手だが、冬沢は振り払う事もなく千秋の次のアクションを待つ。
 片方の手が腰からゆっくりと背中を辿り、首筋から頬へと辿り着いた。指の腹でそっと頬を撫でられると、その感触が心地好くて冬沢は目を細めた。
「……少し返せ、お前がオレから持って行った分」
「自分で外から取って来ればいいだろう」
「ノーセンス、毎回オレが動けなくなるまで吸って行くのはどこのどいつだ?」
「あの程度で動けなくなるだなんて、お前も随分惰弱になったものだね……ッん!……」
 頭を引き寄せられ、シャツの襟ぐりをずらされて首筋に牙を立てられる。
 一瞬、全身を痺れるような痛みが貫く。後を引く痺れがさざ波のように体を撫で上げるそれは快感にも似ていて、冬沢は無意識に目の前の男にしがみ付いた。
 吸血鬼の吸血行為には、3種類ある。
 1つは、完全な捕食の為の吸血。獲物から血を吸い付くし、己の糧とする。
 2つ目は、同族を増やすための吸血。血を吸いながら己の吸血鬼の血を獲物の体内に送り込むことで、吸血鬼とする。
 そしてもう1つが、2人の間で頻繁に行われる、比較的少量の血と共に相手の精気を吸い上げる事で足りない栄養を補う……「不殺の吸血」であった。獲物を殺すこと無く、少し体がだるい位の状態まで血と精気を吸ってその獲物が回復さえすれば、またその獲物を栄養源とする事が可能となる。無論程度を間違えればただの捕食と何ら変わりは無くなってしまうため、加減は必要だ。絶滅の危機に瀕した吸血鬼が生み出した、餌を殺すことなく食事をし続ける為の吸血方法であった。
 ……とは言え、彼らのように吸血鬼同士でその行為を行う者は当然のごとく少数派であった。
「……ん、ご馳走様。もう良いぜ」
「ッ……!はっ……」
 体から牙が抜ける。牙が肉を擦るその感覚でびりびりとした痺れがまた首筋から背筋に伝い、冬沢はびくりと体を震わせた。更に噛み跡に──自分が千秋にしたように──舌を這わされ、「んぅ」と声が漏れる。
 千秋はそんな冬沢を見て僅かに満足気な笑みを浮かべると、抱き締めながらごろりと横になる。冬沢の体もベッドに投げ出されかけるが千秋の腕の中に受け止められた。
 冬沢は快楽に酔った自分の顔を見られないように、千秋の胸板に顔を埋める。千秋は呆れたように笑いながら、冬沢の頭を撫でた。
「お前なあ、オレから吸い返されるの嫌なら馬鹿みたいに吸うのもうやめろよ」
 血と精気を吸われたとはいえ、冬沢の方に虚脱感のような物はほとんど無い。千秋が動けなくなるまで冬沢がたっぷりと吸い、千秋が少しだけ冬沢から吸い返して最低限の動く力を取り戻す。無駄に見えるその一連の流れが、彼らの日常であった。
「馬鹿みたいにとはなんだ、第一嫌だとは一度も言っていない」
「はいはい」
 立ち直りの早い腕の中の伴侶に苦笑しながらも、千秋は冬沢を抱き締めるのをやめないし、冬沢はその腕の中から逃げ出そうとしない。
 互いの酷く冷たい体温が触れ合うのが心地好くて、冬沢は目を閉じた。
 それからどれ程の時間抱き合っていたか。千秋が口を開いた。
「なあ亮、オレそろそろ外で栄養補給して来たいんだけど」
「……もう少しだけ」
「モタモタしてると夜が明けるだろ……」
 そう言いながらも千秋の声はどことなく嬉しそうで、冬沢が上目遣いで千秋の顔を伺うと穏やかな微笑みが降ってくる。
 分かりやすい奴。
 内心で独り言ちる。だがそんな分かりやすい奴がいなければ生きられないのはどこの誰だ。自分だ。冬沢は千秋の腕の中からするりと抜け出して体を起こした。
「もういいのか?」
「ああ」
 ベッドから下りて乱れたシャツを整えながら頷くと、千秋もベッドから出てきた。てきぱきと人間らしい服に着替えるのを、冬沢はどことなく面白くない気持ちで眺める。
 ……貴史は人間の粗野な服より吸血鬼の伝統に則った燕尾とマントの方が似合う。
 本人に向かって幾度と無くそう言っているが、外に出る時の千秋は服装に関しては取り付く島もなかった。
「すぐ帰ってくる」
 着替えを終えた千秋に肩を抱かれ、目尻に1つキスを落とされた。冬沢はそれを逃げることも押し退けることもなく甘受した。
「なるべく早く帰ってこい」 
「当たり前だろ。それじゃ、行ってくる」
 肩に感じていた手の重みは一瞬で消え去り、貴史のいた場所からは夥しい数の黒い蝙蝠が開け放たれた窓から満月の浮かぶ空へと飛び去って行った。
 冬沢は窓枠に膝をついて月を見上げた。月光に照らされた肌がまるで蝋人形のように白く光る。だがそのターコイズの瞳に月は映ること無く、ただ伴侶の帰りを待ち侘びる熱だけが点っていた。

(次ページにちょっとした設定)

【20191025】本当のプレゼントはきっと

 ずっと、言えなかった言葉がある。
 毎年同じ日に言おうとして、結局言えなくてしまい込んでいた言葉。言いたかったのに言うのをやめていた言葉。
 だってお前は、俺の事が嫌いだろうから。言われたところで大して嬉しくもないだろうし、撥ね付けられて終わりだろうから。
 言わなかったのは結局俺の決断なのにとりあえずまとめてお前のせいにした。早く言っておけば良かった。そうすれば、何かが今とは変わっていたかもしれない。もう少し早くにお前の温かさに触れられていたかもしれない。あいつの思いを知った今となってはそれら全てが後悔になる。
 だが、今更過去の出来事を思い出して後悔して考えてもそんなのは無駄中の無駄で。
 現に、今年のその日はもう来ているのだから。
 だから、今年こそは。

 ──そう、今日のために用意したリボンの掛けられたプレゼントの箱を手に自分の部屋で強く意気込んでいたのが朝7時頃の話で。
「悪いな、騒がしい家で」
 現在夜9時半。
 俺はどういう訳か、貴史の実家で開催された貴史の誕生日パーティに呼ばれ。そのまま貴史の部屋に泊まっていくことになっていた。
 もう下の子達は就寝しており、朝が早いおじさんおばさんも眠っている。部屋には来客用の布団が置いてある。この家で起きているのは俺達だけだ。
「いや、あの子達に会って一緒に遊ぶのは久しぶりだったから、楽しかったよ」
 口ではそう言うし本心ではあるのだが、それにしたって何故俺は祝おうとした相手からもてなされているのだろう。
 ……とは言え、うちに来てそのまま泊まって行かないかと言われたのはそもそもここに来る前、プレゼントを渡した時。つまり朝だ。俺はそれを承諾して、放課後一度自分の家で宿泊用の一式を揃えてから貴史の家に来ている。
 家族ぐるみの付き合いだから千秋家の人達とは顔馴染みであるし、泊まるというのも……貴史の家だし、明日は土曜日だから良いだろうと思った。その時点で俺は貴史にもてなされるという意識はまるで無かった。少し考えれば分かる事だというのに。
 こいつは根本的にもてなしたがりで、世話したがりなのだ。自分の誕生日パーティでもそれは変わらず、今日の為の豪勢な料理から俺の為に肉を除いて取り分けてくれたし、食後のケーキのクッキーのプレートは割って弟達に分けていた。
 本当に、自分の誕生日だって言うのにどこまでも利他的で献身的な奴。それをまざまざと見せつけられるようで、胸が少しざわつく。
 だからこそ、貴史から俺にわざわざ泊まって欲しいと言ってきたその誘いを断らなくて良かったという思いは強くなった。
「お前、ココア飲めたっけ?」
「?ああ……お湯で作るなら」
「まだ寝ないだろ。9時回ってるけど、飲むか?」
「……お前も飲むならね」
「それじゃ入れてくる」
 貴史が部屋から出るので、慌てて追い掛けた。
「いいから部屋で座ってろって」
「自分で飲む分は自分で入れる」
 貴史の部屋がある2階から1階への階段を下りながら、小さな声で言葉を交わす。
 キッチンに入ると貴史は戸棚からココアの缶を出し、ヤカンで湯を沸かし始めた。
「これお前の分な」
 マグカップを渡されたので、ココアの粉を分量より少し少なめにマグカップの中に入れる。
 ヤカンがシュンシュン音を立て始めた頃、貴史がぼそりと呟いた。
「……マシュマロあるけど入れるか?」
「……入れない」
 それは流石に。夜9時半、動物性タンパク質、糖分。ただでさえココアを飲もうとしているのにマシュマロなんて入れたら。……横でそんなに悩まれても俺は絶対に入れないからな。
 ヤカンが汽笛を鳴らした。
 結局貴史もココアにマシュマロは入れる事なく、ココアの粉にお湯を注いだだけのシンプルなココアが入ったマグカップをそれぞれに持って貴史の部屋へ戻った。
 折り畳み式の小さなテーブルを挟んで向かい合い、ひと口ふた口と熱いココアを飲む。冬に向けて気温が下がり始めた季節だが暖房を付けるほどでもなく、それでも部屋の中は少し肌寒い。喉元を過ぎていく熱いココアが芯から体を温めてくれるようだった。普段であればこんな時間にココアなんて飲まないが、今日は飲む事にして正解だった。少しだけ空気に流されているのかもしれないが。
 落ち着いた所で、本題に切り込む。
「それで、どうして俺に泊まって欲しいなんて言ったんだ?」
「……やっぱ気になるか」
「当たり前だろう」
 だよなあ、と貴史は深々と溜息を吐き出してから口元に手を当てる。それからしばし沈黙が続いた後。
「……嬉しかったんだよな、多分。それで舞い上がっちまった」
「嬉しかった、とは」
「……お前が朝イチで誕生日おめでとうって言いに来た事。何年ぶりとかだろ」
 手で顔を隠している貴史の耳が赤い。
 釣られてこちらの頬まで熱くなってきそうだ。どうしてくれる。
 いや、こちらも顔を赤くしている場合ではないのだ、言って良かったとか喜んでくれて良かったとか押し寄せてくる感情はあの朝の時間から俺の方にも確かにあるしそれで胸がいっぱいになりかけているのだが、その前に聞いておかないといけない事があるような気がする。
「それで、嬉しかったから『泊まって行かないか』になるのかお前は……?」
「うるせえ自分でも飛躍しすぎてノーセンスだって思ってるよ!言っとくけどお前相手じゃねえとそこまでは飛ばねえからな!」
 なるほど。……なるほど。
 困った事にどんどん体温が上がっていく。これはココアのせいなのか、目の前で勝手に顔を赤くしているやつのせいなのか。
 いや、本当はきっとそう恥ずかしがる事もおかしな事もない。昔は貴史の家に泊まった事もある。また少しずつ昔のように、ただの友達のようにと思っていたしあの誕生日プレゼントもそういう事だ。そしてそれを、舞い上がるほど嬉しかったと言われて、……俺の方まで、舞い上がるほど嬉しくなってしまっている。
 それにどう整理を付けるべきか分からず、ただただ頷く。
「そう、か。分かった、そうか……」
「……お前顔真っ赤だぞ」
「うるさい」
 先に顔を真っ赤にしていたのはそっちだろう。 
「……貴史」
「……なんだよ」
「それならお前は、あの時俺と誕生日を過ごしたいと、そんなに思ってくれたのか」
「……まあ、昔みたいに互いの家泊まって遅くまでくだらないお喋りとかしてえなとは、前からちょっと。今更そんな、ガキみてえだけどな。……誕生日は、丁度いい口実っつーか……舞い上がって勢いついたっつーか……」
 どんどんしどろもどろになっていく貴史が随分可愛く見えてきた。歳を重ねると共に随分押強くなっていくものだと思っていたが、こういう所は変わっていない。大人しくて少し引っ込み思案な小さい貴史がまだそこにいた。
 少しだけ、からかってやりたくなってきた。
「なら俺の方から誕生日おめでとうを言わなかったら一生泊まりに誘えなかっただろうな、貴史。感謝しろ」
「決めつけんな?!……まあ、そうかもしれねえけど!」
 それでもお前が俺に気持ちを伝えてくれたから、俺はお前にようやく言えたんだよ。「誕生日おめでとう」と、たったそれだけの、でも年に1度しか言えない、ずっと言えなかった言葉を。
 そんな素直な言葉を告げればこちらも更に顔を赤くする羽目になるのが目に見えているから奥にしまう。貴史の顔を見れば、手で隠しきれていない目尻が少ししまりなく緩んでいた。だがふと、その目が細くなる。
「……なあ亮」
「どうした、貴史」
「お前のせいで勢いついちまったからまだ言いたいことあんだけど」
「俺のせいにするな」
「……だよな」
 貴史は手で顔を隠すのをやめると、表情を引き締めた。
 その精悍な顔付きに、心臓がどくんと鳴った。
 心の距離は遠くともずっと近くにいたと思っていた貴史の初めて見る表情に、身体中の筋肉が強ばっている。痛い程鳴り始めた心臓が締め付けられるような心地がする。背中を汗が伝い、唾を飲み込む。板の上に立つ時だってこんなに緊張しない。
 ただ、貴史からの言葉を待つ。
 そしてしばしの沈黙の後、貴史は口を開く。
「……嫌だったら嫌って言えよ」
「ああ」
 貴史の緋を帯びた目が真っ直ぐに俺を見た。
「お前の事が好きだ」
 脳の機能が強い衝撃で無理矢理に停止させられたような心地がして、言葉を失う。その言葉を呑み込むのには少し時間がかかった。
 それだのに体温はまた上昇していくばかりで。
「……というと」
 どの好きなんだ、それは。自分がどんな答えを求めているのかも分からずに尋ねると、貴史は俺から目をそらさずに、だが苦しそうに、絞り出すような声で言った。
「……恋愛対象として、好きだ」
 心臓の音がうるさい。
 恋愛対象として?友達としてではなく?
 喉が震える。動揺を悟られまいと、テーブルの下で拳を握る。
「いつからだ、それは」
「……朝、気付いた。けど……多分、本当はすげえ前から。自覚したのが、朝」
 朝。……朝?!
「自覚したその日に告白してくる奴があるか……?!」
 思った時には言葉に出ていた。
「普通、もう少し置くだろう……時間を」
 中等部の頃、幾度となく女子生徒から告白された事がある。『ずっと前から好きでした』、『どこどこでお見かけした時から好きでした』、それらが主な定型文。全て角が立たないように断ったが、俺に思いを寄せている女子生徒の多くが、俺を好きになってから告白するまでに長かれ短かれ時間を置いていた。
 当時は酷くうんざりしていたものだが、ついさっき恋愛対象として自覚したと目の前の幼馴染に言われてはどうしてもあの頃の事を思い出してしまう。思いを自覚してから告白するまでは少しは時間を置くものだろうと。そう思ってしまう。だがそれを1番理解しているのは貴史の方らしく、頭を抱えていた。
「だから言っただろ勢いついちまったせいだって!」
「っ……勢いで告白するな!もう少し考えてから言ってくれ!」
 貴史は今朝、俺を好きだと自覚した。だから今、告白した。どういうスピード感なんだそれは、とどうでもいいような事を気にする事でどうにか平静を保つ。
 だってこんなにも体温が熱い。心臓が鳴って、身体中にざわめきのような波が広がっている。こんな感覚知らない。
 貴史は自分でもやってしまったと思っているのかなんなのか、頭を抱えたまま唸っている。俺を置いて1人で混乱するんじゃない。
「……悪かったほんと……驚いたよな……」
 だが苦しそうなその言葉を聞いた瞬間、すっと身体中の熱が引いた。
「……謝るな」
 次いで、別の熱が奥底から湧き上がってくる。
 その熱は先までのような思考を奪うような物ではない。思考が澄んでいくのを感じながら、俺は真っ直ぐ貴史を見た。
「俺の気持ちを勝手に推し量って勝手に落ち込むな、嫌だとは一言も言っていない」
 驚いたのは事実とは言え。
 そう、俺は貴史の告白を聞いて嫌だとは思わなかった。友達として以上の対象として見られていた事に困惑しながらも、そこに嫌悪だとかは全く存在しなかった。それだけは誓って嘘ではないと言えた。
 ……それなのに、嫌なのだろうと一方的に思われていた事に、少しだけ怒りを覚えた。
 貴史がそろそろと顔を上げる。
 その瞳の中には困惑と僅かな恐怖がない混ぜになっている。それでようやく得心がいった。
「……結局怖いんだろう、告白して俺に拒絶されるのが」
「……」
 貴史は目を見開いてしばし黙り込んだ後、深々と息を吐き出した。
「お見通しかよ」
「随分浅く見られた物だね、俺も」
 もう少し俺を信じてくれても良かっただろう、と身勝手な事を思って胸が火で炙られるようにじりじり痛む。貴史の事を信じる事も見る事も無かった俺が今更何を考えているのやら。
 貴史が俺をずっと見ている事に気付いたら気付いたで、信じて欲しいだなんて。虫が良すぎるだろう。
 それなのに貴史は、悪い、ともう1度謝る。
「……ようやくただのダチに戻れそうだってのに、お前が好きだって思いの方がデカい事に気付いちまったからな。そしたらすげえ怖くなったよ、オレから全部ぶち壊すみたいでさ」
「それでも、俺が好きだから勢いでその恐怖を全部飛び越えてしまったんだろ。……たった1日足らずで」
 俺が好きだと気付いて、その事に恐怖を抱いて、でもそれを一度に飛び越えて告白までして、我に返ってまた怖くなって。
 日頃の飄々とした振る舞いからはまるで想像も付かないであろう滅茶苦茶な感情の起伏だが、昔から貴史はこうだったな、と少し懐かしさを覚える。
 大人しいようで時々思いがけない大胆な事をして、後になってそれを悩み始める。とても強いように見えて実の所繊細で、それでも折れないだけの強さがあって。
 ……そんな貴史を、俺は長い事傷付けてきた。その分、今の貴史の強さとも脆さとも正面から向き合いたかった。
「お前が俺を見ているように俺がお前を見るようになるかどうかは分からない。それでも、嫌ではないから……いつか、俺のお前に対する思いも変わるかもしれない」
 貴史は狐につままれたような顔になっている。だが俺も他に答えようがない。
 だから今は、取り繕わずに想いを伝える事しか出来ない。
「お前の想いを拒絶はしない。したくない。でも、受け入れる準備が俺はまだ出来ていない。……だから、少し準備をさせて欲しい。もしくは、本気で受け入れて欲しいなら受け入れる手伝いをしろ」
「受け入れる準備……手伝い、ってのは」
 貴史は怪訝な顔で聞き返してきた。やはり直接的に言わないと伝わらないだろうか。……流石に恥ずかしいのであまり言いたくはないのだが。
 それでも腹を括る。なんなら、わざととびきり高圧的に挑発的に笑って、貴史を正面から煽って。
「どんな手を使ってでも俺を落とす、くらいの気概は見せて欲しいのだけどね」
「なっ……」
 絶句しながらも、貴史の顔はカッと赤くなる。
 やっぱりまだ可愛いところがあるじゃないか。
 すっかりぬるくなったココアをひと口飲み、貴史の様子をうかがう。
 貴史は何やら考え込んでいる。さて、何を言ってくれるのか。やがて貴史は重々しく口を開いた。
「……お前、明後日の日曜日空いてるか?」
「ああ」
 どこかへ出掛けよう、などとでも言うつもりだろうか。あるいは日曜また家に来い、か。
「じゃあ日曜日お前の家までメシ作りに行ってやる。それで一緒に食おうぜ」
「……な」
 予想外の言葉に虚を突かれていると、貴史はニヤリと笑った。
「生憎、オレは不器用なもんだから恋愛事の駆け引きとか口説くのとかそういうのは多分てんでダメだし、お前相手にやっても意味無いだろうからな。まず胃袋掴ませて貰うぜ」 
「……お前、土日は家族と過ごすだろ」
「そりゃ家族サービスも大事だぜ?その大事な時間の半分あげられるくらいには亮と過ごしたいんだよなオレ。なんか食いたいもんあったら言えよ、レシピ調べて作ってやるから。ああ、オレの家族サービスに付き合いたいんだったらそっちも歓迎だぜ?あいつらもお前の事好きだし?オレとしてはガキ共の面倒見れるしお前と過ごせるしで願ったり叶ったりだしな」
「待った。待って、くれ……」
 堰を切ったように口が回り始めた貴史の言葉を上手く呑み込めない。ただとてつもない熱量がその言葉にこもっている事だけは分かる。
 やっぱり煽らなければ良かった、開き直った途端にぐいぐい来るじゃないか。口説くのは多分てんでダメだとかどの口が言うんだ。
「また顔赤くなってるぜ、亮」
「うるさい」
 そんな事、言われずとも頬の熱で分かる。
「で、なんか食いたいもんあるか?」
 にっこり笑って、貴史がテーブルに手を付いて身を乗り出してきた。顔が近い。目が据わっている。そしてそんな貴史に心臓を高鳴らせている俺がいる。
 これは。時間の問題かもしれない。
 そう脳の片隅が警告を発しているのを悟られまいと目を逸らしながら、わざと貴史が知らなさそうなリクエストを伝えてみる。
「……ファラフェル」
「なんだそれ」
「イスラエル料理の……ひよこ豆のコロッケだよ」
 貴史は元の体勢に戻るとスマホを手に取る。貴史の意識がスマホの画面に行っている間に小さく深呼吸して呼吸を整えた。
「ひよこ豆……スパイス……まあ材料さえあれば作れるな……お前の家フードプロセッサーあるよな?」
「ある。……スパイスもフードプロセッサーもある。ひよこ豆は、買わないと無い」
 1度ネットに載っているレシピで自分で作ろうと試みた事はあるので味付けのスパイスだけは揃っているのだが、揚げる時に指先を火傷しかけて以降作っていない。
「それじゃ日曜の昼のメインは決まりだな。ひよこ豆を一晩水に浸けとくのだけお前にやって貰うぜ。夜は何がいい?」
「夜までいるつもりか……」
「3食作ってやってもいいけどな?まあどっちにしろ材料買わないと行けねえし?朝は買い物付き合ってもらう事になると思うけどな?」
 そんな嬉しそうな楽しそうな顔をしないでくれ、もうお前の手の中に落ちそうになっている。落としてみろと言った手前それはいくらなんでも格好がつかない……そして悔しい。こんなにあっさり軽々しく陥落する男なのだと思われるのは少し癪だと、どうしても思ってしまって、膝を抱え貴史から視線を逸らす。
「……夜はお前が作りたい物でいいよ」
「それじゃあ最高に美味いもん作って卒倒させてやる、覚悟してろよ」
 それは少し楽しみだな、などと思ってしまう。言わないけれど。どうせ実際食べたら美味しいと言わざるを得なくなる。
 目を閉じて、貴史と2人でテーブルを挟んで食べる食事風景を想像してみた。今日の食事よりはずっと静かだろうが、嫌な感じはしない。
「……もう寝るか?」
 眠いと勘違いしたのか、貴史の声が優しい。
「……いや、もう少しだけ」
「なんだよ、まだ寝なくていいのか?」
「遅くまでくだらないお喋りをしていたい、なんて言っていたのはどこの誰だったかな?」
 本当は少し長く起きていたいのは俺もだったのだが、少しだけ貴史の本音のせいにさせてもらう。貴史は降参という風に両手を上げた。
「はいはい、オレだよ。じゃあ付き合ってもらおうか、お喋りだけで不満ならオセロもトランプもあるぜ」
「ではオセロでもするかい?負ける気がしないけどね」
「上等じゃねえか、受けて立つぜ」
 貴史は立ち上がると、クローゼットを開けてオセロを探し始める。 
 どこか楽しげなその背中を見ながら、考える。
 さて、いつ答えを出すべきか。いつまでなら、貴史は待ってくれるのだろうか。
 いつまでも黙ったままというのは、きっと貴史の思いに対して酷く不誠実だから。答えを、いつか告げねばならないのだ。
 迷った挙句、1つの区切りを決める。オセロ盤を見付けた貴史が俺の向かいに座った所で、口を開く。
「……貴史」
「ん?」
「来年の、1月。俺の誕生日、空けておいてくれないか」
 貴史の表情がふっと引き締まる。
 俺も、その目を真っ直ぐに見る。
「その時までに、返事をする。俺がお前の事を、お前が俺を見ているように見れるようになったかどうか」
「……分かった。待ってるよ、お前の事」
 そう言って笑った貴史の顔はとても穏やかで、それなのにどこか挑戦的な目をしていた。少しだけ肉食獣じみた輝きを帯びたその目に、また思わず心臓が跳ねる。
 まだそう簡単に陥落したくないと小さな意地で足掻きながらも、いつの間にか、目の前の男に落とされるのを本気で楽しみにし始めている俺がいた。

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あの日の続きを(ちあふゆ/幼少期捏造)

『秘め事』(リンク)の続きとなりますが、こちらも単独で読めるようにしています。

≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡

 ──どうやって見つけたの、ここ!
 その公園は、通学路から少し外れた、住宅地の片隅にひっそりと佇んでいた。そこには道路との境界に放置された植木が生い茂っていて、いつも一緒にいながらなかなか2人きりになることは無かった俺達にとって格好の秘密基地となった。
 背の低い小学生2人がしゃがめば、植木に邪魔されて外からその姿は見えなくなる。そんな死角を見つけて、下校時度々2人きりのお喋りや秘密の遊びに興じた。他の誰にも邪魔される事無く、小さな世界の中で俺達だけが知っている秘密は数知れない。生まれて初めて学校にこっそりお菓子を持ち込んだり、生まれて初めてくだらない漫画を読んで笑ったり。あいつが提案した秘密の遊びを、やれるだけやった。
 俺を見ては目を輝かせて凄い凄いと言いながら、俺の見つけた場所へ必ずついて来ながら、それでも必ず俺の知らない事を、見えない物を教えてくれるあいつが、多分あの頃の俺は誰よりも好きだった。痛みも苦さもない、ただときめきと甘さと優しさだけがある、そんな……初恋だった。恋だと、あの時は思っていた。
 だから、初めてのキスをあいつとあの小さな世界の中でした。
 セミの鳴き声にかき消される程小さな声で交わした言葉も、触れた唇の柔らかい感触も、夏の日のうだるような暑気も、それに負けぬ程熱くなってしまった頬も、それを見て笑い出したあいつの笑顔も、釣られて笑いだしたことも、触れ合っていた瞬間のこの世の物と思えぬ程の多幸感も……何もかも、覚えている。
 幼い子供の稚拙な衝動と言ってしまえばそれまでなのに、それを何時までも忘れられなくて、無理矢理蓋をして閉じ込めねばならない程に。その記憶は今でも鮮明な色を持っていた。

 もうすぐ師走を迎えようかという頃の夕暮れ近い頃、久し振りに訪れたその公園は、今ではすっかり様変わりしていた。
 伸び放題だった植木はすっかり背の低いツツジに植え変えられ、古い遊具も新しい物に入れ替わっている。どことなく寒々しく見えてしまうのは、冬の気配を帯びた空気のせいか。
 子供の頃好きだった場所が無くなっているというのは流石に一抹の寂しさを覚える物で、俺は一つ白い息を吐き出した。
 あいつに教えるべきか、と思うがすぐに首を振ってその考えを打ち消す。あいつはきっとこんな場所の事覚えていない、覚えていて欲しいと思ってもそれはただの俺の願望でしかない。綾薙の中等部に進学してから全く通らなくなった小学校の通学路から更に少し外れた所にある公園の場所なんて、そうそう覚えているわけがない。
 ……それでも、少しは覚えていて欲しいと、場所は覚えていなくてもいいから、あの頃の思い出は僅かでもあいつの中に残っていて欲しいと願うのは。それも身勝手な我儘だろうか。
 腕時計を見ると、盤面は16時を少し過ぎた頃を示していた。空は茜色に染まり始め、そろそろ日が沈む頃合だ。
 呼べば来るだろうか。そう思っただけで、心臓がどくんと鳴った。
 無性に会って確認したかった。ここを覚えているかと、ここでの時間を覚えていているかと、……一度だけしたキスの事を、覚えていているかと。
 いいや、確認した所でどうする気だというんだ。まさかあの時の恋と言えるかどうかも怪しい幼い衝動はまだ残っているかとでも聞くつもりか?そんな話どんな顔をしてあいつに聞けと。
 ……そう理性では思っていても、あの幼い衝動によく似た物は自分の底から溢れ出てくる。心臓の鼓動は早まり、体中を熱を帯びた血が巡る。熱はやがて脳も体の芯も冒して思考が上手く回らなくなっていく。それはまるで、蓋をして閉じ込めた筈の記憶と衝動が、蓋も理性も丸ごと呑み込んで押し流そうとしているかのようで。
 やがて衝動に手を引かれるかのように、コートの中のスマートフォンに手が伸びていた。

「いきなりどうしたんだよ」
 呼び出した駅の改札口に現れた貴史は、俺の姿を認めるなり改札を抜けて真っ直ぐこちらへ歩いてきた。
 通っていた小学校の最寄り駅にいきなり呼び出されて疑問に思うのも当然だろう。会おうと思えばもっと他に場所はあるのだから。駅前の時計はすでに6時を指していた。
「すまない。……家の方は良いのか」
「呼び出しといてなんで謝るんだよ……まあ、今日はお袋いるしな。で、何の用だ?」
「……一緒に来てくれ」
 踵を返すと、貴史は付いてきた。
「小学校に用でもあんのかよ」
「そういう訳じゃない」
 それきり貴史は何も言わなかった。しばし無言で並んで歩く。最寄り駅から通っていた小学校までは子供の足なら徒歩で10分ほど。今の歩く速度なら5分あれば着く。だが目的地はそこじゃない。
 駅から2つ目の交差点で、通学路を反れる。貴史を横目で見ると、街灯の明かりの下で少し目を細めていた。
 通学路から離れれば離れるほど街灯は少なくなっていき、やがてあの公園に着く頃には1本の街灯だけが辺りを照らしていた。街灯の光も届かないような死角くらいありそうだ。
「なあ、亮」
 公園の中へ一歩足を踏み入れた所で、貴史が俺の手首を掴んだ。振り返ると、暗さに慣れてきた目はその少し気まずそうな顔を捉えてくれる。
 ああ、やっぱり覚えているんだな。
「覚えているだろ、ここがどこか」
「……まあな」
「今日、偶然近くに来たものだから寄ってみたら。すっかり綺麗になっていたよ」
「……悪い、知ってた。言えなかった」
「そう」
 あの気まずそうな顔は、言い出せなかった事を思い出したからなのか。公園跡地がマンションになったとかではないのだし、俺は別に気にしないのだが。
 そうか、ここの事はちゃんと覚えているのか。
 それなら。
 貴史に掴まれた手首を回して貴史の手首を掴み返すと、ぐいと公園の中へ引っ張り込む。
「おい……!」
 焦ったような貴史の声に、思わず唇の端を歪めてしまう。一際暗い所を見つけ、そこまで貴史を引き摺り込んでから貴史に向き直る。
「この場所を覚えているなら」
 貴史の手を振りほどいて、1歩距離を詰める。
「覚えているか。夏の日に、誰にも内緒で、2人で何をしたか」
 息を呑む音が聞こえた。貴史は俺から目を逸らすように地面を見る。
「……ああ」
 呻くようなその返答に、かちりと頭の中でスイッチが切り替わるような音がした。途端に、まだその時ではないと抑えていた筈の衝動が止まらなくなる。
 聞きたい。まだあの時の気持ちを覚えているのかと。ずっと俺の事を見ていると、そう確かに示してくれた筈のお前のその気持ちの中に、俺の幼い衝動に応えてくれた時のお前は残っているのか。
 だが、それはなかなか言葉にならない。言葉が胸につかえて、吐き出せば楽になれる筈なのにそれが出来ない。
 舞台の上であればいくらでも饒舌に、役者として役として語る事が出来る。指導者としてであれば、語るべき言葉を教え子たちにいくらでも伝える事が出来る。それなのに、ただの1人の人間としては、いつも肝心な時に言うべき言葉を見付けられない自分がひどく恨めしかった。衝動だけが体の内で渦巻いて、息をするのも苦しい。
「亮」
 ずっと黙り込んでいる俺を不審に思ったのか、貴史が俺の名前を呼んだ。だがそれは気遣うような優しい声音。たったそれだけで、ふっと思考の靄が晴れたような心地がして胸の痛みがほどけていく。
 いつの間にか俯いていた視線を上げると、ひどく真剣な顔をした貴史と視線が交差した。貴史が口を開く。
「覚えてるよ、思い出すだけで苦しくなってここから逃げ出したくらいには、しっかりな」
「……」
「だからお前にも、ここの事知ってても言えなかった」
 貴史は1つ溜息を吐き出してから急に相好を崩したかと思うと、公園を見回した。
「様変わりしてたら寂しいもんだよな、やっぱさ。ファーストキスの場所だぞ」
 その言い方がなんだかおかしくて、俺も釣られて笑みがこぼれる。貴史の言葉はどこか清々しく、かつてを懐かしむように聞こえた。
「今は、苦しくないのか」
 気まずそうな顔をしていたとは言え、今目の前にいる貴史は何ともなさそうな顔をしている。
 思い出すだけで苦しくなったのは何故なのだろう。……俺と同じような理由であればいい、と思ってしまうのは俺の勝手なエゴだ。
「ん……まあな。割と平気だ。お前に先にそんなにきつそうな顔されちゃあな」
「む……」
 そんなに苦しそうな顔をしていたか、俺は。
 思わず自分の顔に触れると、それを見た貴史はくつくつと笑った。
「……なあ、亮。オレからも聞かせてくれ。お互いガキだったとは言え……あの時のお前は、好きだったのか。オレの事が」
「……生憎、どうでもいい奴にキスをしたがるような人間ではないよ、今も昔もね」
 いつの間にやら普段の余裕を取り戻し始めている貴史の表情がなんだか気に食わなくて、思わずつっけんどんに返してしまう。だが、紛うことなき本音であった。
 何故キスという手段に出る事にしたのか今となっては思い出せないが、それでも貴史の事が好きなのだという気持ちは間違いなく本物だったのだ。
 その「好き」がどういう「好き」で、あれは本当に恋だったのか。成長するにつれだんだん自信が無くなってきてしまったが。
「……そう、か」
 つっけんどんな言葉を投げられた割に、貴史の声は嬉しそうな震えを帯びていて。
 気が付いたら肩を引き寄せられて、鼻先が触れる程近くに貴史の顔があった。互いの呼吸が掛かる程の距離に、思わず息を詰める。
「……嫌なら殴れよ」
 手に篭もる力で、その目で、その言葉で。何をするつもりか分かってしまったから。
「……ん」
「っ……?!」
 俺の方から、その唇を塞いでやった。寒空の下にいたせいか、互いの唇は冷たい。だが触れた所から互いの体温でじんわりと熱が生まれていく。
 目を見開いて固まるその顔を一頻り堪能してから、唇を離す。僅かな光しか届かない場所でも分かるくらいにその顔を赤くしているものだから、つい胸がスっとする。
 ほら、悔しかったらやり返してみろ。いつもみたいに、俺の行い全てに明確な意思と熱を返して来い。
 ぐいと肩を引き寄せられる。唇にまた熱が触れた。貴史の手は肩から背中、腰へと回されて俺に巻きついて逃げ場を奪う。強引な筈のその手つきはあまりにも優しく、触れている部分から優しい熱が全身に伝わっていく。
 今度は目を閉じて、その熱に体を委ねることにした。

 公園の片隅、街灯の光もほとんど届かないような小さな暗がりで交わしたキスは、あの日のキスより少しだけ苦くて、呼吸もままならない程苦しかったけれど。
 あの衝動は今は確かに恋なのだと思い知らせるには充分で、全身を包む多幸感はあの日とよく似ていて……けれど確かに、あの日と違う新しい何かが、俺達の間にはあった。

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亮視点でなんとか「秘め事」の続きを書けないかと思ったので書きました。

ちなみにこの話と「秘め事」の元ネタのKalafinaの夏の林檎は全幼馴染CP推しに聞いて欲しいです

大概お前のこと言えない(ちあふゆ)

「貴史、明日空いているか」
「ん?なんだよ急に」
 授業もホームルームも終え、オレがいつも通りに華桜館に向かおうとした時、同じくこれから華桜館に向かうところであろう亮がわざわざ席までやって来た。
 やや気難しそうに腕を組んではいるがこれは個人的な恥から言い出し辛い事を言おうとしている時によくやる仕草だ。
 明日……は土曜だから授業はない。
 なんかオレでなきゃ駄目な用事でもあんのか、と面倒事への忌避感より少しの胸の高鳴りが勝るのを感じながらオレは肩を竦めた。
「別に空いてるけど、どうした」
「ホラー映画を見たいんだが、俺の家まで来て一緒に見てくれないか」
「ホラー映画……?」
 ホラー映画。こいつが、ホラー映画を。
 あまりに突拍子もない用事だったので思わず聞き返す。亮は神妙な顔で頷いた。
「辰己から、ホラー映画を何本か勧められた」
「はあ」
「少し興味を持ったので、見てみようとは思ったのだが」
「見ればいいじゃねえか」
「俺はホラー映画を見た事がない」
「……あー」
 ホラーは、その気になればいくらでも映画という娯楽芸術に触れられるこの時代この国でも、見ようと思わなければなかなか見る機会のないジャンルである。映画館ではPG12やR15指定、配信やレンタルもホラー映画をわざわざ選ばなければ見る機会もない、週末にテレビ放送される映画でもそうそうやらない。
 おまけに亮は温室育ちと言えば温室育ちで人生の半分以上を舞台芸術に費やしている。ホラー映画を見た事がないと言われても、納得するしかなかった。
 つまり未知の物に一人で触るのにどうしても怖気付いてしまうから、幼馴染のオレを道連れにしようと。なるほど。四季や辰己の前でカッコ悪いとこ見せたくないもんなあお前、と意地悪な思考が脳裏を掠めるが言わないでおく。
「まあ、教養として有名所のホラー映画が必要になる事もあるしな。お前も通っていいジャンルだと思うぜ、付き合う」
「……そうか。助かる」
 助かるって。
 もしかしてそんなに一人で見たくないのかお前。
「お前はあるのか、ホラー映画を見た事が」
「まあな」
「……そうか……」
 なんでそこで若干むくれるんだよ。
 とは言えオレもそんなに沢山見ているわけじゃない。
「辰己から勧められたホラー映画って何本くらいだ?一日かけるつもりなら二本は見れるんじゃね」
「いや。五本ほど勧めてもらったんだが、最初は巨匠の撮ったものを、と言われた。まずそれを一本見ようと思う」
「分かった。じゃあ午後からお前ん家でいいな?」
「ああ。待っているよ」
 そう言って薄い笑みを浮かべた時の亮の顔は少し安心しているようにも見えて、こいつ可愛いとこあるよなとか不覚にも思ってしまった。
 ……で、それが約二十四時間前の話。
 今、映画一本見終えた亮はソファにうつ伏せになってクッションに突っ伏していた。
「おーい亮、大丈夫か」
「…………」
 答えはない。相当に弱っている。
 淹れてやった温かいジャスミン茶を注いだ湯のみをソファの前のローテーブルに置いてやると、亮がのろのろと首を回して俺を見た。
「聞いていない……血があんな大量に……」
「ああうん、そうだな、俺もちょっと驚いたけどな……」
 こいつが肉を食べないのはまず健康上の理由だ。そしてそれに合わせて、生の血と肉が、生理的に駄目だ。中学の生物の授業で教科書のカエルの解剖写真を見る時に目の焦点が合っていなかった程度には、駄目だ。
 まあホラー映画見る気を起こしたって事はいつの間にか克服したんじゃねえかなとか多少我慢出来るくらいにはなったんじゃねえかなとか気楽に捉えていたが、エンドロールが終わった瞬間にバタンとクッションに突っ伏してソファに倒れ込む程度にはまだ駄目だったという事だ。
 ……まあこいつの事だから自分が血が駄目なのは一応理解した上でそれでも大丈夫だろうと思っていたとかだろう。その辺割と見切り発車でやるからなこいつ。
 亮はのろのろと体を起こすと、湯呑みをそっと手にしてひと口啜る。ほうと息を吐き出して、湯呑みをテーブルに戻して口元に手をやった。
「演出、役者の演技、脚本はどれも素晴らしかった……名作として挙げられるのも頷ける……だが血が」
「そうだな、巨匠が撮っただけの事はあるって思ったが……お前血が駄目でホラー映画見れるのかよ。辰己に勧められたのまだあるんだろ」
 今見た映画は確かに一度に出てくる血の量は凄いのだが、オレが見た事のあるホラー映画もこれくらいの血は出ていた、気がする。それに演出としての血の雨だとか血の海だとかを使うホラー映画は割とざらだろう、多分。
 とにかく、この映画の血の量でこのザマじゃ他の映画を見るのは到底無理なのではないか。
 オレが勝手にそう考えていると、亮は「いいや」と首を横に振った。
「辰己の選んだ映画に恐らく間違いはないからなるべく見ておきたい。この映画も血以外はとても良かった」
「その血が駄目なんだろお前……」
「……そこで思ったんだが」
 亮が目を細め、鋭い目で俺を射抜いた。
 嫌な予感がする。と同時に、少し良い予感もする。どっちだよ。
「お前、二週間に一回程度でいい。一緒に見てくれ」
「……え、ええー……」
 お前それ、自分がぶっ倒れても俺がいれば面倒見てもらえるからとか、どんなに怖いのに当たってもオレを道連れに出来るからとか、そういう事だろ。お前。ちょっと横暴すぎないかそれ。
 それでも向こうから付けてくれやがった雑な口実で週末一緒にいられる事への嬉しさだとか、それならこいつのために飯を作ってやるのも悪くないななんて楽しみだとか、他の誰にも見せない弱った顔がオレだけに向けられている事へのほんの少し──いや結構あるかもしれない愉悦だとか、そういう諸々がどうしようもないくらい俺の中では大きくて。
 でもそれはどうしようもないくらい悔しいのだ。ようやく少し歩み寄れるようになったとは言えまだこいつが嫌いという思いは消えてない。それでもその嫌いより大きくなり始めている、俺はどうやらこいつの事を相当に好きらしいという自覚が。
 だから、オレはわざと深深と溜息をつく。
「……分かったよ」
 亮の顔色がぱっと明るくなる。
 ああうん、ほんと分かりやすいなお前は。
 そしてその顔を見て簡単に絆されてしまうんだから、オレも大概分かりやすい奴なのだ。

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ちなみに辰己が最初に勧めた映画は「シャイニング」です。

とある個室居酒屋にて(ちあふゆ/未来捏造)

※成人後の亮がめちゃめちゃ酒に弱いという捏造の元にお送りしております

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「お〜!千秋ちゃん久しぶりー!……と、来てくれた所悪いんだけどもう亮ちんが限界なんだよね」
「はあ?!うわマジだ寝てる……もうそんな飲んだのかよこいつ……」
「ううん、お酒はそこのウーロンハイグラス一杯。飲んだ所で『眠い』って言って寝ちゃった。一応見たけど急性アル中じゃあないと思う、ほんとに寝てるだけ」
「半分以上残ってるじゃねえか……なんかどんどん酒に弱くなってないか亮のやつ」
「千秋ちゃんの方が亮ちんとよく会ってるでしょ、千秋ちゃんと一緒の時は飲まないの?」
「出先で会う時はオレが車の事が多いからな、こいつもそれに合わせて飲まねえ」
「うーん、オレに合わせて気ぃ使わせちゃったかな」
「こいつが飲めない癖に強がってるだけだ。もう酒飲むのやめろって言うしかないかもな……おい亮、起きれるか」
「……んー……う、たかふみ……?」
「はいおはようさん。ここどこだか分かるか?」
「……いりなつと飲んでた」
「よーし覚えてるならいい」
「……すう……」
「また寝やがった……おいオレの足は枕じゃねえぞ」
「亮ちんてほんと、千秋ちゃんの前だとすごい酔い方するよねー」
「こいつがオレに甘えてるだけだ」
「甘えられてるだけ凄いんじゃん?だって亮ちん自分が酒に弱い自覚あるよ、四季ちゃんが一緒の時はグラスワイン一杯くらいしか飲まないし。今日だって千秋ちゃんが後から来るって知ってからお酒頼んでた」
「その結果がこれだけどな……はあ、来たばっかで悪いけどこいつ連れて帰るわ。亮の分も立て替えとく、いくら頼んだ?」
「ああいーよいーよ、気にしないで。オレはしばらく楽しく晩酌してるから。ここのお店残ったご飯持って帰れるし」
「金立て替えないでそれやると後から亮が気にすんだよ」
「んー、それじゃ700円だけちょーだい。そこのウーロンハイと、亮ちんがちょっとだけ手を付けたご飯代ね」
「はいよ」
「ちょうどいただきましたー。それじゃごゆっくり〜」
「ごゆっくりじゃねえ!!ほら行くぞ亮」
「む……どこに……」
「オレの家だよ!」
「大丈夫ー?駐車場まで一緒に支えてこっかー?」
「いい、一人で何とかなる。……じゃあな入夏、飲みはまた今度な」
「うん。それじゃね〜」

枯れない花を(ちあふゆ)

 昔の恩師に会いに行く予定が明日の午前に急に入ったので、手土産を買おうと学園近くにあるデパートに足を踏み入れると、最初に目に止まったのは入口近くのイベントスペース、アクセサリー売り場の卓上に並べられている桔梗の花を象ったアクセサリーの数々だった。
 近寄って見てみれば、樹脂だかプラスチックだかで作られた桔梗の花がペンダントトップやピアスに配されている。ハンドメイド作家の期間限定出店、と説明書きが卓の隅に置かれていた。
 桔梗。秋を代表する花だ。思えばもう暦は十一月も半ば。クリスマス商品が気の早い店に並び始めている頃合だが、まだ秋の気配の方が濃厚だ。そう言えば今年はなんだかんだであいつには毎年言っていた誕生日おめでとうの言葉すら言う機会も逃してしまっていた……などといった考えが脳裏をよぎり。
「……いや、待て。そうじゃない」
 冬沢は慌てて首を横に振ると、地下の専門店街へと足を向けた。
 そして三十分後。
 高級焼き菓子店の手提げバックを手に、冬沢はまたイベントスペースのアクセサリー売り場を前に佇んでいた。
 ──何をしているんだ、俺は。
 内心で自分自身に呆れ果てながらも、何気なく手近にあったヘアゴムを手に取る。
 ──そう言えば、あいつ髪を結ぶ時はいつも似たようなゴムだな……。
 当然、売り場の卓上に並べられているのはピアスやペンダント、ヘアゴムと言ったレディースのアクセサリー類である。だが桔梗の花を見るうちに思い出されるのは幼馴染の顔であり。そして今年は特にあいつに苦労をかけてしまったという後ろめたさがどうしてもあり。こういうのはあいつの柄じゃないだろう、と思いながらも、桔梗の花から目を離せなかった。
 やがて、この桔梗の花を髪に飾った幼馴染を見てみたいという欲求が頭をもたげ始める。ノーセンスと一蹴されてしまいそうだが、華やかだが気品ある桔梗の花はきっとあいつに良く似合う。
 俺はいよいよどうかしてしまったのか、と思いながらも冬沢は手に取ったヘアゴムを一度卓に戻して踵を返し、店の外に出ると上着のポケットからスマホを取り出した。
 電話帳から連絡先を呼び出し、発信。七コール。今日は出るまで少し長い。出た。
「冬沢だ」
『……南條ですけど。なんですか、急に。今日は土曜日ですよ』
 案の定、面倒臭いという南條の内心が既に言葉の端から滲んでいる。
「少し貴史の事で聞きたい事がある。聞けそうな人間が手近にお前くらいしかいないのでね」
『ええー……俺的にはもっと誰かいるだろって思いますけどね……?』
「そうかもしれないな、だがお前に聞きたい」
『冬沢さんが俺と話したがってるのはまあ別にいいんですけど、それで千秋さんダシに使うのそろそろやめません?』
 南條の言葉は何から何まで図星なのだが、冬沢は気にせず本題に切り込む事にした。
「貴史に贈りたい物があるんだが。男が男にヘアアクセサリーを贈るのは、どうだと思う」
 返って来たのは僅かな沈黙。そして、苦笑混じりの言葉。
『別にいいんじゃないですか、冬沢さんが選んでくれた物を無下にできるほど千秋さんは冷たくないし。それに冬沢さんなら変な物も選ばないでしょ……あ、もしかして自分のセンスに自信が無いとかですか』
「いや、今俺が見ている物はそう悪趣味な物ではないよ。レディース用だから男が使うには尻込みするかもしれないが純粋に作りがいい。それに貴史の顔と体型ならばワンポイントとしてレディースのアクセサリーを取り入れてもアクセントとして上手くはまるだろうと思っている。俺が気にしているのはそれを貰った時の貴史の心境の話だ」
『……あー、なるほど。はい。ご馳走様でした。つまり、冬沢さんが自信満々で選んだ物をあげてもそれで千秋さんが喜ぶとは限らないから不安だと。そういう事ですか』
 冬の気配を帯びた冷たい風が急に強く吹き付ける。屋内にいた方が良かったか、と僅かに後悔しながら冬沢は頷いた。
「そうだ」
『……冬沢さん、俺が人にプレゼントなんてほとんどあげない人間なの知ってますよね?』
「……そう言えばそうだな」
『本当になんで俺に聞いたんですか。……ま、プレゼントは気持ちが大事とは言いますけどね。冬沢さんが千秋さんの為に選んだんなら千秋さんはそれを無下にしない人だし、何をあげようと驚きはすると思いますけど……余程変な物でもなければ嬉しいんじゃないですか。さっきも言いましたけど』
 ちなみに俺的には、と南條は、あの食えない笑顔が目に浮かぶような声で続ける。
『そもそも服飾品を人にあげること自体ハードル高いって思いますけど。冬沢さんが千秋さんのために選ぶんなら別に平気でしょう』
「……そうか」
 この後輩の目にそう見えているのであれば、少しは自信を持ってもいい気がしてきた。南條の人を見る目は確かだ。
「ありがとう。今度何か奢ろう」
『ははは。余計な貸しを押し付けられそうなので遠慮しておきます』
 後輩の態度は相変わらずつれないが、相談にそれなりに真剣に乗ってくれただけ、今日は機嫌が良かったのだろう。
「では切るよ、土曜日だというのにすまなかった」
『全くですよ』
「それではまた」
 電話を切る。
 気が付けば体温は冷たい風にすっかり奪われていた。冬沢は少し早足で、また店の中へと足を踏み入れた。

***

「邪魔するよ」
「おう……どうした急に」
 月曜日の朝、執務室のドアを叩いたのは仏頂面をした幼馴染だった。いつも体温の低そうな顔が今日はいつにも増して顔色が悪く見える。
「少し話をしたい」
「別にいいけどよ」
 部屋に招き入れる。ドアを閉めると手首を掴まれた。ぐい、と強い勢いで引っ張られて驚きの声を上げる間もなく執務室のチェアに座らされる。
「お前急になに、」
「座ってろ動くな。この部屋にブラシと櫛はあるか」
 抗議の声を上げるも無視される。こうなると話聞かねえよなあ、まあ俺だけだからいいか、と千秋は諦めてデスクに備え付けのキャビネットを指さした。
「……そこの抽斗の中だ。上から二段目」
「借りるよ」
 冬沢は抽斗からブラシと櫛を取り出すと、デスクの上に綺麗に並べた。
「……何する気だ」
「すぐに分かる」
 長い指が千秋の髪に触れる。おい、と声を上げかけた時にはもうその指はするすると結んだ髪を解いていた。パサリ、と髪が無造作に肩や背中に落ちる。
 いよいよなんなんだこの状況は、と千秋が困惑するのも意に介せずに冬沢は解いた髪を手ぐしで整える。指が髪を梳く感覚がやけに心地良い。
「髪のメンテナンスは随分きちんとしているようだな」
「……そりゃな」
 手ぐしをやめて冬沢は手にブラシを持つと、丁寧に髪にブラシを掛けていく。
「……お前随分髪の手入れ上手いな」
「身嗜みを整えるためだ、役者として当然だろう」
 それはそうなのだが、自分になるのと他人にやるのとでは随分勝手が違うのではないだろうか。
 しばし、ブラシと髪の擦れる音だけが静かな執務室に響く。その静かな音に意識がゆっくり上昇していくような眠気を誘われながら、千秋はどうにか意識を保つ。いつの間にか、冬沢の手はブラシから櫛に持ち替えられていた。
「……こんなものか」
 やがて冬沢は小さく呟くと、櫛をデスクに置いた。
「貴史、少し目を閉じていてくれないか」
「なんで」
「いいから」
 まあ悪いようにはしないだろうと千秋は目を閉じた。
 冬沢の手が髪をすくい上げて一つに纏めて行く。いつもの位置に髪が集められ、結ばれる。目を閉じていても分かる冬沢の行為にますます困惑する。
「……よし、これでいいだろう。目を開けろ」
 目を開けると、髪が少しだけいつもより重い事に気付いた。それが何なのか確認する前に冬沢に手を引かれ、姿見の前に立たされる。
 自分の全身が姿見に映し出され、真っ先に目に入ったのは。
「……もしかしてこれか?お前がわざわざ来たの」
「……そうだ」
 いつもと同じ髪型のいつもと同じ結び目に、桔梗の花が二輪咲いていた。本物の桔梗の花より小ぶりだが、いつものシンプルな髪ゴムと比べれば確かな存在感がある。
「お前に似合うと思ったから買ってきたんだが。……ああ、やっぱりよく似合うな」
 冬沢は姿見と千秋本人を交互に見た後、淡い笑みを浮かべて頷いた。
「……今年は何かとお前に迷惑を掛けたからな。詫びの印と、遅い誕生日祝いだと思って受け取って欲しい」
「別に迷惑なんて思ってねーよ。……ま、詫びの印が誕生日祝いの花飾りってのは流石に驚いたけどな」
 明らかに女物の髪飾りなので驚きはしたが、ああ心底嬉しそうな顔をされては悪い気はしない。
 冬沢が気にしているのであろう事も、千秋にとっては後悔のない選択だ。それを迷惑と思う筈もない。
 ……そして千秋としては、冬沢が自分の為に選んだというそれだけで、この花飾りにひどく得難い価値があった。
「俺はこういうの自分じゃ着けないからな。こういうのもいいな」
「せっかく髪が長いんだ、少しくらい飾り気を出してもいいんじゃないか。あまり華美になられては華桜会メンバーとして自覚に欠けるようで困るが」
「はいはい。……ま、せっかくだし今日これで過ごしてみるわ。ありがとな」
 千秋が姿見の前から離れて櫛とブラシを片付けながら言うと、冬沢は渋い顔を浮かべた。
「……今日一日。ああ、いや、いいんだが」
「どうしたんだよ歯切れ悪いな」
「……。……もしかして授業も」
「別に先生もなんも言わねーだろ、これくらい。その辺の校則自体は緩いし」
 しばし、冬沢は沈思黙考した後。
「……やっぱり外せ、それ」
「はあ?!今更めんどくせぇ……!」
「矢鱈に詮索されたり勝手に変な噂が流れる方が面倒だ」
「俺がお前から貰ったって言わなければ済むだろそれくらい」
「どうせそのうち広まるんだ……南條あたりから……!」
「お前いい加減コウちゃんと仲直りしろ!!」
 ……などと言った押し問答の末、「当分の間平日はいつもの髪ゴム、桔梗を飾るのは一般生徒の少ない土日」という着地点を二人が見出すまでにおよそ十分掛かったのであった。

 冬沢が出て行った千秋の執務室。
 千秋は窓の光に桔梗を翳した。僅かに光が透けた桔梗は淡く発光しているように見えた。
 翳す角度を何度も変えながら、千秋は呟いた。
「冬の花……なんか調べとくか」

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ちあふゆにはなんやかんやでなんとかなって欲しいなあと思いながら書きました