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それは平穏で平凡で特別な(ダンシュン)

 風邪を引いたから今日明日いっぱい連絡して来るな、とメールが来たので堪らず片道三時間掛けて母に持たされた果物籠を手に幼馴染の自宅を訪れると、布団から体を起こした幼馴染に思い切り睨まれた。マスクをしている為に顔の半分が隠れているがダンには分かる、これは絶対に怒っている。
「……来るな、と言った筈だが?」
「お見舞いに来るな、とは言ってないだろ、ほら」
 蜜柑に苺に葡萄と、洗えばすぐ食べられる果物の詰まった籠をぐいと見せると、シュンは大きな溜息を吐きながら氷嚢を手に布団に横たわった。
「……起こさないでくれ」
「分かってるって」
 目を閉じたシュンはすぐに寝入ったらしく、呼気は少し荒いながら眠れない程体調が悪い訳でも無いようだった。シュンが風邪なんて珍しい、と思いながらダンは果物籠以外に母から持たされた荷物を静かに解いた。
 全て味の違うレトルト粥5食分、パウチのゼリー5食分、そして母直筆のメモ。
(やっぱこういう時は母さんが一番頼りになるよなあ)
 シュン君のお祖父さんもお歳なんだしあんた料理なんて出来ないんだからこれ持って行きなさい、と出発間際の自分にこれらを持たせた母の顔をしみじみと思い出す。ついでに、シュンの祖父宛の手土産も持たされた。
 シュンの部屋に入る前に挨拶したシュンの祖父は、ダン君が傍にいればすぐ治るじゃろうから、と見舞いを快諾してくれた。
 けほけほ、と乾いた咳と共にシュンが寝返りを打ってダンに背を向けた。
「だいじょぶか?」
 背中をさすってやると、ひとしきり咳込んでから大きく深呼吸した後また寝息が聞こえてきた。自分に向けたままの背が何故だか小さく見えて、胸がきゅうと締め付けられた。
 それこそ何時から一緒なのか分からないくらいに長い付き合いだが、ダンの記憶の限りシュンが風邪を引いた事はほとんど無い。だから、飛び出して家まで来てしまったのかもしれない。風邪とは全くイメージが結び付かない程度には健康そのもので野山を駆け回っているような幼馴染が風邪を引いたと聞いて、いても経っても居られなかった。
 それに、来るな、ではなく連絡して来るな、とわざわざこちらにメールを寄越す時点で自分が弱っている所を見せたくない強がりが見え見えである。
 世話のかかる奴だ、とダンは常日頃の自分を棚に上げて一人頷いた。
 眠っているシュンを見守る内、持って来た果物を冷蔵庫に入れて来ようと思い出す。みかんは常温でも大丈夫だろうが、苺と葡萄は冷えていた方が美味しい。
 果物籠を手に立ち上がろうとすると、ぐっ、と右足に抵抗を感じた。足元を見ると、布団から伸びた指先がズボンの裾を摘んでいた。
 頭から布団を被っているせいでシュンの表情は見えない。ダンは驚いて立ち止まるが、すぐににやりと笑った。
「しょーがねえなあ」
 また畳の上に腰を下ろすと、指の力が緩くなった。自分に向かって伸びる手をぐいぐいと布団の中に戻してやると、布団の上からぽんぽんと軽く叩く。
「ほら、手冷えるだろ……氷変える時くらいは立たせろよな」
 返答はないが、丸まった布団が少しだけ動いた。
 一泊分の荷物持って来て正解だったな、オレが昔遊びに来た時使ってた布団まだあるかな、と、シュンが聞けばまた怒り出すであろう事を考えながら、ダンは暫しその寝姿を見守るのであった。

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となり(再録)(ダンシュン)

 自室の畳の上に布団を敷いていると、後頭部に自分をじろじろ見る視線を感じた。視線が来る方向に目を向けてみれば、座ってこちらを見上げているダンと目が合った。出された布団を敷きもせず畳の上に直に座っている。シュンは思わず小さく溜息を吐く。
「……布団も敷かずに何をやっている?」
「えっ、ああ、シュンの髪伸びたよなって思って」
「……そうか。いいからさっさと布団を敷け」
「おう」
 ダンはそそくさと立ち上がり、布団を敷き始めた。
「髪長いお前って何か懐かしいな。昔ばっさり切ってさ……」
 シュンがダンから視線を外してまた布団を敷き始めると、ダンは楽しそうに昔のことを話し始める。
「あの時オレ達がすっげえびっくりしたの覚えてるか?」
「ああ……」
 何故急に昔の話を始めるのか。何も考えていないようで何か考えているのか、それとも何か考えているようで本当は何も考えていないのか。このところシュンには、幼馴染の行動がさっぱり読めない。
「でもさ、今回は切らねーの?」
「切る必要を感じない」
「暑くねえの……って聞いても無駄か」
「忍びたるもの、」
「常に忍耐、だろ」
「……まあな」
 布団を敷き終わったのでダンを見れば、楽しそうに笑っている。まるで、話すことが楽しくて堪らないとでも言うように。その表情を見ていると、昔の――幼い頃のダンを思い出さずにはいられない。
「シュン、昔よくからかわれてたよな。女みたいだって」
「そんなこともあったな」
「でもさ、喧嘩吹っかけられてもお前全部かわしちゃうんだもんな!」
 ダンはいつの間にか布団を敷く手が止まっている。昔から相も変わらず喋りながら何かをすることが苦手のようだ。
「全く……もういい、俺がやる」
 見るに見かねてダンの手から布団を取り上げれば、
「えっ、いいのか?サンキュー!」
 と悪びれずに礼を言われる。
「いいからそこを退け。普段なら俺はもう寝てる時間なんだ……」
「……オレが泊まりに来てるから『普段』じゃねえだろ、今」
「どこでそんな屁理屈を覚えたんだ……」
 ダンが横に退いたので、ダンの布団を敷く。シーツをぴんと張ると、「すげえ」と感嘆の声を上げられた。
「何でそんな綺麗にシーツ張れるんだよお前……」
「お前とは家事をやる頻度が違う」
「くっ……なんか悔しいぜ……」
「ほら、出来たぞ」
自分の布団から少し間隔を空けた場所にダンの分の敷布団を敷いてシーツを張り、掛布団をその上に乗せ枕を配置すれば、二人分の寝床の完成である。
「サンキュっ」
「俺はもう寝たいんだが……」
「俺はまだ眠くないんだけどなあー」
「ごちゃごちゃ言うな、うるさい」
「むう……」
 ダンが口を尖らせるのもお構いなしにシュンは部屋の隅にある電気のスイッチを切ろうと立ち上がる。ダンはまだ眠くない様だが、シュンはそろそろ眠気を覚え始めていた。壁にかかった時計を見れば夜の十時を過ぎている。普段ならもう部屋の電気を消して眠りにつく時間なのだが、ダンが泊まりに来るとそうもいかない。
「なあシュン」
「何だ」
「髪触っていいか?」
「……」
 何を言い出すんだこいつは。
 そう思いながらダンを見ると、急に慌てたように「ばっ、そんな変な意味じゃねーよ!」と顔を赤くしながら手を振った。
「ただお前の髪って昔からさらさらだしさ……ほら、好奇心っていうか?!」
「男の髪を触りたいと」
「そういうわけじゃなくてー!いやそうなんだけどさー!」
「全く……」
 あまりに唐突過ぎたが、特に断る理由も無いと判断する。
 シュンはダンの目の前に腰を下ろしてあぐらをかく。
「ほら、好きにしろ」
「お、おう……いいのか?」
 ダンは何故か顔が赤い。そのことに何故か苛立ちを覚える。
「触るなら早くしろ」
 早く寝たい、そう言外に込める。
「そ、それじゃあ……」
 ダンが身を乗り出し、おずおずと手を伸ばしてきた。耳にかかる髪に触れたその手は以外にも優しい。
「うわ、ほんとにサラッサラだな……ルノたちが羨ましがるわけだぜ……」
「そうなのか?」
「気付いてなかったのかよお前……」
 髪を一房取ってはさらさらと手の内から逃がし、それを何度も繰り返すダン。その手が耳を掠めて少しこそばゆい。
「聞いて来いってルノに頼まれたんだけどさ、シャンプーとリンス何使ってんだ?」
「お前が風呂場で使ったものだ」
「あっそ……」
 ルノに何て言えばいいんだよ、と言いつつもダンはシュンの髪を撫でる手を止めない。ふと、シュンは気付いた。半袖のTシャツから伸びるダンの腕が、自分の記憶の中のそれと比べて筋肉質になりつつある。
「お前、随分鍛えたな」
「ん、そう見えるか?てか今それを言うのかよ」
「気付かなかった」
 もしかしたら俺の腕より太いんじゃないか、とシュンは自分の腕をそっと上げてダンのそれと見比べる。
「あんまムキムキになりたいってわけじゃないんだけどさ……ま、鍛えとくに越したことはないしな?」
「そうか……」
 昔からシュンの方が痩せていたものの、身長では常に優っていた。これでは並んで立った時に自分の方が小さく見えるのではないか、とシュンは密かに危機感を募らせた。
 それからどれくらいそのままでいたことか。
 ダンは何かに魅入られたようにシュンの髪を撫で続け、シュンはしばらくされるがままにされていた。髪を触らせてほしいと言われた時は流石に驚いたが、幼い頃からの仲なので、特に不快感も無い。気の済むまで触らせてやろうと、シュンは途中から体の力を抜いた。
「なあシュン」
「何だ」
「……やっぱ、お前の髪、綺麗だな」
 いつになく真面目な口調のダンに面食らう。
「……どうした急に」
「……別に、何となく思っただけ」
 そんなやりとりをしている間にもダンはシュンの髪を撫で続ける。
「……なあダン」
 どうしたんだ、少し変だぞ。
 その言葉が口から出る前に、ダンがすっと手を上げた。髪からダンの手が離れる。
「ありがとなっ」
 そう言って笑うダンはいつものダンだ。
「じゃ、もう寝ようぜ。お前どうせ明日の朝も4時には起きるんだろ?」
「あ、ああ……」
 戸惑いは消えぬまま、シュンは部屋の明かりを消すために立ち上がった。壁のスイッチの前に立って首だけダンの方に向けると、ダンはもう布団に包まっている。
 パチン、と電気を消すと、部屋は暗闇に閉ざされる。光源は縁側に接した障子から僅かに透ける月の光だけだ。
 自分も布団に潜り込み、横目で見るともうダンは動かない。眠っているようだ。
 結局あれは何だったのかと思わず考え込みそうになるが、いつまでも気にしていても埒が明かない。シュンは目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整えて眠りについた。

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2015年に書いたもの。
二人の距離感も成長したら変わるようで案外変わらないんだと思います。
四期……四期……

サニープレイス(再録)(マルレン)

「レンさーん、一緒に寝ませんか?」
「ああ、構わな……は?」
 寝る支度をしていたレンは、突然部屋を訪れたマルチョの言葉に凍りついた。
「え、何……一緒に寝るって?」
「駄目……でございますか?」
 そう言って上目遣いで聞いて来るマルチョは、パジャマにナイトキャップ+枕持参と、寝る気満々の装備である。
(……どうしよう、すごく可愛い。ものすごく可愛い!! 初めて見るわけじゃないが久しぶりに見るとなおのこと可愛い)
 叫びそうになるところを理性で無理矢理抑えつけ、レンは努めて冷静に言葉を搾り出す。
「いや、駄目という訳じゃないんだが……その、ほら、俺のベッド一人用だしな」
「ボクは小さいですし、大丈夫ですよ」
 そういう問題ではないような気がする。
 レンは自分が何を言うべきか考えに考えた。
(いやそもそも何故俺はマルチョと一緒に寝るのを回避しようとしているんだ同性同士だし同じベッドで寝たって何が起きるという訳でもいやしかしこの異常な可愛さ俺の理性が保つという保障はどこにもない訳でそんなことになったら多分俺は一生罪悪感に苛まれて死ぬ羽目になるんじゃないか駄目だとりあえず手を出すのだけは絶対駄目だじゃあどうすりゃいいんだこんな上目遣いされたらはいと答えるしかないだろ何なんだこいつは狙ってるのかああもうどっちでもいいや可愛いしっていやいや駄目だ駄目だろ可愛いからってその場の空気に流されたら駄目だ俺達の為にも……)
「……分かった。一緒に寝よう」
 あれ?

 という訳で、同衾である。
 この場合同衾というのは「同じ夜具で一緒に寝ること」を指す。別にいやらしい意味は一切含まれていないのである。
 しかしレンとしては、マルチョの真意が知りたいところであった。
(何故いきなり……)
 またバトルブローラーズの一員として認めてもらったはいいものの、そんなの昨日今日の事だ。いくら何でも信用しすぎではないのか。
(まあ、人を疑うことを知らないような奴みたいだしな、マルチョは……)
 そのマルチョはと言うと、「では、ホッパーさんを連れて参ります」と一旦自分の部屋に戻ってしまった。
「……どうしよう、ラインハルト」
「どうしようと言われてもな……」
 パートナーに助けを求めても、返ってくるのは困惑したような言葉。
(……仕方ない。これは俺自身に降りかかった問題。俺が何とかするしかない)
 しかし、我ながら身構えすぎな気がしないでもない。同性相手に何を考えているんだか、と思わないでもない。
 意識してしまうのは、
(やっぱり、そういうことなんだろうか……)
 自分が生まれ育った場所には、同世代の者なんて一人もいなかった。ラインハルトがたった一人の友達。
 だから、誰かを好きになる、だとか。それがどういうことなのか教えてくれる者は、どこにもいなくて。そんな感情は、外界の物語の中の遠い存在で。知的生物が成長するにつれて知っていく感情だと理屈では知っていても、やっぱり理屈止まりで。
 つまるところ、よく分からない。だが、自分がマルチョに対し抱いている感情が、ダンなんかに対して抱くそれとは明らかに違うのも確かだったりするのだ。
「……恋?」
 口に出しても、しっくり来ない。
(まあ、いいか)
 あまり考えても栓無きこと。レンは一旦思考を放棄することにした。
 と、バクメーターに通信が入ったことを知らせる電子音がした。
(メール? こんな時間に誰が……)
 見ると、ダンからだった。

『マルチョに手出したら 殺す』

「?!」
 シンプルかつストレートな文面で、非常に現在の状況に適したメールと言えた。
(ちょ、ちょっと待て! どんなタイミングでこんな物騒なメール送り付けて来てるんだあいつは?!)
 こちらの行動を完全に読んでいるかのようなタイミングに、レンの背筋が一気に冷え、心臓がバクバクと鳴り始める。
(まさかマルチョのやつ、ダンにこの事を……どうしよう、マルチョなら有り得る)
 レンは呼吸を整えようと何度か深呼吸した。
(いや大丈夫……落ち着け、きっとただの偶然だ……確かにダンには若干親バカの気があるが、多分ただの偶然だ……大丈夫だ、問題ない)
 ダンはマルチョの親でも何でもないのに”親バカ”という言葉を使用している時点でレンは、自分がかなり混乱しているということに気づくべきなのかもしれない。
 とは言え、ダン――更に言うならシュンも――が若干マルチョに対し過保護な気があるのはレンも薄々察していたところだ。あながち間違っちゃいないのだが。
 閑話休題。
 レンの呼吸が整いきっていないうちに、マルチョが戻って来てしまった。
「お待たせしましたー」
 その肩にはホッパーが乗っている。
「明日も早いですし、早く寝てしまいましょう」
「あ、ああ……そう、だな」
「? レンさん、どうなさったのですか?」
 マルチョが、下からぐいと背伸びしてレンを覗き込んだ。
「なっ……」
 マルチョの顔との距離が急に縮まり、レンの呼吸が止まりかける。
「顔色が悪いですよ? 具合が悪いようでしたらお薬か何か……」
「な、何でもない! 本当に、何でもない!」「ですが……」
 顔を背けて何でもないと主張するレンに、マルチョが訝しげな表情になる。それを見たレンは内心で一人ごちる。
(……本当に)
(何でこんなに優しいんだろうな、こいつは)
 そう思うと、何か熱いものが込み上げてきたような気がして。
「……大丈夫だ、本当に」
 それを隠そうと、顔を背けてそう誤魔化す。
「そうでございますか?」
 なら良いのですが、とマルチョは微笑んだ。
「あ、そうだ。壁際で寝ても良いでしょうか?」
「? 別に構わないが……」
「ありがとうございます。では、ホッパーさんはどちらに……」
「サイドテーブルで寝るといい。ラインハルトもそこだしな」
「ほな、おおきに~」
 ホッパーはひょいとサイドテーブルに飛び移り、マルチョは枕を持って、レンのベッドにゴソゴソと潜り込んだ。
「……レンさん? 寝ないのですか?」
「……寝る、けど」
「では、何故そこに立ち尽くしておられるのでしょうか」
 マルチョがベッドから半身を起こしてそう聞いてくる。
(何なんだこの背徳感……)
 外の世界に出てから得た知識は多岐に渡る。それ故、自分の中の「常識」が少しずつ外界のそれに近付いている、とレンは自覚していた。そしてその「常識」に照らし合わせると、
(いや、アウトだろう……この絵面はやっぱりアウトだろう……!)
 繰り返しになるが、レンが外界に出てから吸収した知識は多岐に渡る。それこそ、あらゆる有象無象の知識を見境なく吸収してしまっている状態だ。それはレンの元来の知識欲の高さと外界に関する知識の乏しさが原因なのだが、そんな彼の常識に照らし合わせると、この絵面は……これからマルチョと同じベッドで寝るという状況は、アウトだった。人によってはセーフ(恐らくジェイクくらいに単細胞なら深く考えずにセーフ)かもしれないが、レンとしてはアウトだった。セウトと言った方がいいかもしれない。
「……やっぱり、俺は床で寝ようと思う」
「いきなり何をおっしゃいますか……」
「すまないマルチョ……これは、俺とお前のためでもあるんだ」
「わけが分からないのですが?」
「……レンはん」
「?」
 いきなりホッパーが口を開いた。
「一つ言わせてもらいましょか……」
 ホッパーは一息分溜めると、
「諦めなはれ」
「……………………」
「ただしマルチョはんに何かあったら容赦せーへんで☆」
「……………………はい」
 つまるところ、ホッパーも親バカなのだった。[newpage] 「あのー……レンさん?」
「何だ、マルチョ」
「何故、そんなに離れていらっしゃるのでしょうか……?」
「気のせいじゃないか?」
「いえ、ボクが察するにレンさん、ひょっとしてベッドのかなり端っこにいるのでは……」
「気のせいだ気の……?!」
 グイ、と腕を引っ張られ、ベッドの中心付近に引き寄せられた。思った以上に強いマルチョの力に、レンは驚いた。
「以外と力が強いな……」
「キャッスルナイツの訓練で、少しばかり鍛えましたもので。重心移動の応用でございます」
「はは……そうか」
 レンは諦めて、その場に留まることにした。
「そりゃ、逃げられないな……」
「……レンさん、ボクと一緒に寝るの、お嫌ですか?」
「そんなことは全くない」
「そ、即答でございますか……」
 マルチョの呆れたような声に、レンは少しばかり恥ずかしくなった。
「……別にいいだろう」
 寝返りをうち、マルチョに背を向ける。
「悪いとは言ってないですよー」
 マルチョはくすくす笑ってから、少し声のトーンを落とした。
「……まあ、我が儘を言ってしまったのはボクの方なのですが」
「別に構わないよ、このくらい……こんなものじゃ済まないくらいのことを俺はしたんだから」
「もう、そのことは言いっこなしでございますよ」
 頬を膨らませたようなその口調に、レンの心が和らぐ。レンはもう一度寝返りを打ち、マルチョの方を向く。すると二人の目が合い、
「……っ、くく」
「あはは……」
 自然、笑い声が漏れる。しばらく笑った後、マルチョが呟く。
「でも、嬉しいでございます。またこうして、レンさんと一緒に笑ったり出来るのが……」
「……俺もだよ」
「……もう、どこにも行かないで下さいね?」
「マルチョ……」
 きっと本人は気付いていないだろうが、マルチョの目には涙が溜まっていた。洞窟暮らしが長く、暗闇で目が利くレンには、はっきりと見えた。
「ボク、すごく悲しくて、寂しくて……レンさんが敵になってしまわれた後、いっぱい泣いたのです。ダンさんやシュンさんにもいっぱい心配かけて……」
 ぼろぼろと、マルチョの目から涙が零れる。
「その後も、辛くて……本当は、レンさんと戦いたくなんかなかったのに……」
「……すまない」
 一つ一つの言葉が、レンの胸に刺さる。自分が今まで、どれほど彼を苦しめたかを思うと、胸が張り裂けそうだった。これからひたすら、償っていかねばならない罪。
(きっといくら謝っても、こいつらは「気にするな」としか言わないんだろう……)
「だからレンさん、約束です」
「?」
 マルチョは左手で涙を拭って、鼻声で言う。
「どこにも行かないで下さい……ボクの前から、いなくならないで下さい」
「……」
「もう……こんな思い、したくないです。大好きな人と敵対なんて、したくない……だから、」
 一息。
「だから……もう、どこにも、行かないで下さい」
「……ああ。もう、どこにも行かない」
 レンは頷く。
「お前達と、一緒にいる」
「……約束ですよ」
「ああ、約束だ」
 それでは、と、マルチョは先程涙を拭った方と逆の手――右手を差し出し、小指をピンと立てた。
「指切りを致しましょう」
「指切り?」
「はい。ボク達の世界……というより、ボク達の国では、何かを約束するときに、小指と小指を絡ませるのでございます。二人で『指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます』と言いながら」
「約束を破ったら、針を千本飲むのか?」
「いや、そうではなく」
 マルチョはくすりと笑い、
「決まりきった言い回し、というやつでございますよ。そんなことしたら、死んでしまいます」
「それもそうだな」
「それじゃレンさん、小指を」
 レンは、右手の小指を立て、マルチョに差し出した。マルチョはそこに小指を絡ませ、
「それじゃ行きますよ……ゆーびきーりげーんまん、」
「嘘ついたら、」
「はーり千本飲ーます。ゆーび切った!」
 小指と小指が離れる。レンは、自分の小指が少し熱くなっているのを感じた。
「それじゃ、約束ですからね!」
「ああ」
 マルチョは嬉しそうににこりと笑った。
「じゃあ、早く寝ましょう。明日も……早……」
 そこでマルチョの言葉が途切れる。マルチョの瞼が下がり、完全に閉じられる。
「……お休み」
 レンは呟く。小さい体に似合わず博識なマルチョだが、体力的に遅くまで起きていられない……あの時も、そうだった。
 レンも目を閉じた。横向きのままだと体勢が少し辛いので、仰向けになろうとすると、
 ギュッ。
「?」
 引き止められたような感触がした。目を開けてそちらを見ると、すやすやと眠っているマルチョが自分の寝巻の胸の辺りをしっかりと掴んでいた。
(そうまでして離れてほしくないのか……分かったよ)
 レンは苦笑しつつも、元の体勢に戻る。
(多少の寝苦しさは我慢しよう)
 自分の寝巻を掴むマルチョの手に、自分の手を重ね合わせる。
 その手の温かさに、今度こそレンの目頭が熱くなる。
(良かった……戻って来て)
 こんなに優しくて温かい場所があるなんて、知らなかった。あの冷えた暗い洞窟の中にいたら絶対に見つからなかった光。
「……多分、お前がいなかったら俺はずっと闇の中だった。本当の光の温かさも、明るさも眩しさも……何も、知らなかった」
 マルチョに聞こえていなくとも、レンは独り言のように言葉を紡ぐ。
「……ありがとう、俺なんかと友達になってくれて」
(どうしようもない俺だけど。側にいさせて貰えるなら)
 遠慮なく側にいさせて貰おう。
優しい温もりを手の内に感じながら、レンは目を閉じた。
(……きっと、ここが俺の居場所)
(陽の光が、当たる場所……)
 レンも眠りに落ちるのに、そう長い時間はかからなかった。

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三期放送時に書いたもの。
気がついたらめっちゃ絆されてたレンさんほんと好き

雨色(再録、タイトル変更)(インシュン)

 トツ、トツ、トツ、トトト……サー――――――――…………

 生命の気配が絶えたかのように見える森にも、恵みの雨は降り注ぐ。
 雨が降る中、シュンは外套を頭から被って森の中を疾走していた。一歩を前に出すたびに足元の土が跳ねてズボンが汚れるが、気にも留めない。
 やがて、一本の木の根元に直径2mほどの大きなうろが開いているのを見つけ、シュンは迷わずそこに駆け込んだ。
 うろの中はじっとりと湿っており、纏わり付くような湿気が不快だが、雨に濡れない分まだいい。
「イングラム、もういいぞ」
 若干乱れた呼吸を整えてから、シュンは外套の前を開けてパートナーの名前を呼ぶ。すると、碧色の爆丸がひょいと出てきた。
「突然の雨とは……災難でござったな」
 イングラムがシュンを労わるように言うと、シュンは首を横に振る。
「仕方がないさ……雨がやむのを待とう」
 そして地面に腰掛け、雑嚢から水筒を取り出した。中の水を一口飲んでから、呟く。
「それに、少し疲れた……」
「無理をしすぎでござる。いくらヴェスターの様子を探るとは言え、」
 イングラムが呆れたように言う。
「このところ殆ど寝ておらぬし……それだと、仲間と合流する前に身体を壊すでござるよ」
「……すまない」
 シュンはうろの奥にもたれ掛かり、足を地面に投げ出していた。ここ数日の動き通しに加え、突然の雨。外套を頭から被っていたとは言え、疲労がかなり色濃く滲んでいる。
「少し、眠ったらどうでござるか」
「そうしたいのは山々だが、」
 シュンは雨で額に張り付いた前髪を払いながら、首を横に振った。
「ダン達がこちらに来ている。俺もぐずぐずしてはいられないだろう」
「ならせめて雨がやむまで……」
「やんだらすぐに出発する」
 強情なシュンに、イングラムはムッとして言い募る。
「身体を壊したら元も子もないでござる」
「分かっている。……分かっている、それくらい」
 イングラムは、自分の胸が少し痛くなるのを感じた。
(頑なに仲間を思うことは、悪いことではないのでござるが……)
 このままでは、仲間のために自分の身を犠牲にしかねない。そんな危うさが、今のシュンにはあった。
「シュン、拙者は……」
「?」
「初めてのパートナーに、倒れてまで頑張ってほしくないでござる」
 イングラムの突然の言葉に、シュンは驚いたような顔をしてから、
「……どういう意味だ?」
 と、聞き返す。
「少しばかり、拙者の身の上話のようなものを聞いて欲しいでござる」
「ああ……」
 イングラムは、静かに話し始めた。
「拙者は、かつて次元の境界が割れた折に地球に来た爆丸の一体にござる。尤も、誰かの爆丸となることはなく、誰も知らぬ場所で……人間達が暮らす空間の狭間で、ずっと誰かに出会うのを待っていた。狭いカードの中で、ずっと」
「……そうだったのか」
「ここに帰って来てからも、拙者はずっと憧れていたでござるよ……人の手の温かさ、というものに」
 だから、とイングラムは話し続ける。
「シュンに出会えたとき、パートナーになることが出来たとき、嬉しかったでござる。そして、助けて貰った恩義もある。力及ばぬところ多々あるだろうが、拙者なりにシュンを守ろうと誓ったのでござるよ」
 そこまで言ってから、イングラムは照れくさそうに身体を揺らした。
「……まあ、そういうことにござる」
「……そうか」
 シュンは、息をついて、小さく微笑んだ。
「お前がそこまで言うなら、少し眠るとしよう」
「む、それで良いでござる」
 イングラムが満足そうに頷くと、シュンはうろの壁にもたれ掛かったまま目を閉じ、身体の力を抜いた。そして、そのまま呟くようにこう言う。
「……ああそうだ、お前も寝ろイングラム」
「ぬ?」
「お前もほとんど寝ていないだろう……俺が一切寝ていないのに眠れるような性格ではあるまい」
 イングラムは「図星でござる……」と驚いたように言って、
「やはり、シュンには敵わぬでござるな……」
 と苦笑した。シュンは目を開けると、イングラムに手を差し出した。イングラムは大人しく、その上に飛び乗った。シュンは手を足の上に降ろし、今度こそ目を閉じた。数秒後には、俯いて肩を浅く上下させるのがイングラムには見えた。どうやら、完全に眠ったようだ。
(よほど疲れていたのでござるな……)
(今度からは、なるべく適度に休憩をとらせねば)
 そう心中で呟き、イングラムはかしゃりと自分の身を閉じた。シュンの手のひらは温かい。イングラムには、本人の人となりが体温に現れているように感じた。
 その温もりの中、イングラムもまた、深い眠りに落ちていった。

 二人は、木のうろに差し込む日の光で目を覚ました。
 眩しいので、シュンは手を目の上に翳しながら外の様子を伺う。
 木々の間から覗く空は、雲一つなく青い。しばらく雨が降ることもなさそうだ。
「……よし、行くぞイングラム!」
「御意!」
 二人で一人分の影が、あっという間に森の奥へ消えていく。
 一瞬の疾風が、地面に落ちた葉を巻き上げた。

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リクエストをいただいて書いたもの。
この二人そういうとこあるよな、と再録用に読み返していて思いました。

友愛と罪悪感(再録、タイトル変更)(マルチョとレンとちょっとシド)

「レンさんは背が高いですねえ」
 視線をディスプレイに向けたまま、僅かな憧れを含めてマルチョが呟いた。
「? 背が……どうしたんだい?」
「いえ、レンさんは背が高くて羨ましいな、と」
「そう……かな」
「はい」
 マルチョは視線はそのままに、指をキーボードの上に走らせながら、独り言のように呟く。
「ボクは、身長がこの年の平均よりずっと低いものですから……」
「マルチョと僕は同い年じゃないだろう」
「それはそうでございますが」
 でも、とマルチョが苦笑気味に続ける。
「背が高い人への憧れは、少なからず存在するのでございます」
「成る程」
 レンは心得たように頷く。しかし、その視線はマルチョとは違うディスプレイに向けられたままだ。
 マルチョと背中合わせになる状態で、レンも指をキーボードに走らせる。
(周りの大人……というよりは、自分とは規格が違うサイズのラインハルトに無条件で憧れていたか)
 そして、そんなことを思い出す。
「全く……ダンさんやシュンさんとは一つしか違わないというのに。どうしてボクはこんなに小さいのでしょう……」
 マルチョはそう嘆息すると一度手を止め、椅子ごとくるりと、レンの方に振り向いた。
「レンさんは、お友達の間だと背の高い方だったりしたのですか?」
「え?」
「ほら、以前お話していたではありませんか。爆丸バトルは、よくご友人と一緒にやっていたと」
(……そんなこと、言ったか?)
 レンは少し考え込んでから、そういえば三日ほど前に、マルチョにそんなことを言ったような気がする、と思い至った。そして、
(これからマルチョに言ったことは全て覚えておくようにしよう……ボロが出ないように)
 と堅く決意する。まだ、自分の正体を知られるわけにはいかなかった。
「……ああ、そうだよ」
「……レンさん、ひょっとして疲れてます?」
「え?」
 マルチョにいきなりそう言われ、レンは若干声が裏返った。
「どうしてそう思うんだい?」
「いえ、いつもより反応が遅いので」
「そ、そうかな」
「そうですよ……少し待っていてください。今、紅茶を淹れて参ります。それとも、コーヒーの方がよろしいでしょうか?」
 マルチョがそう言って立ち上がるので、レンは慌てて止めようとした。
「いいよ別に。大した疲れじゃないし……」
 マルチョの気遣いは嬉しいのだが、ただボーっとしていただけなのだ。作業を滞らせるわけにはいかない。
「何を言っているでございますか。ちょっとの疲れが大きなミスに繋がることもあるのでございますよ」
 その有無を言わせぬ口調に気圧され、レンは「……分かりました」と、思わず敬語で頷いてしまった。
「では、紅茶とコーヒーの、どちらがよろしいですか?」
「じゃあ、紅茶で」
「はい! でございます」
 マルチョが、トトトとコントロールルームを出て行く。
 レンは思わず椅子に深くもたれかかり、ふうと息を吐き出し、内心で一人ごちる。
(やれやれ、マルチョと一緒にいると調子が狂うな)
 こちらはマルチョに対し嘘をつき続けているのだ。それなのにマルチョは、まるで誰かを疑うことを知らないかのようにこちらに接してくる。ごく自然に、素直に。
 しかしそれは、決して嫌なものではない。むしろ心地良いとさえ感じる。
(ダンとシュンがマルチョに甘い理由が分かったような気がするな)
(……彼といると、心が温かくなる)
 バトルの時のような、胸を焼くような熱い高揚感ではない。少しずつじんわりと温められる、そんな気持ち。一緒にいるだけで心安らぎ、優しい時間が流れているような気がする。
(家族やラインハルト以外には、そんな気持ちになったこともなかったのにな)
 それだけ、自分がマルチョに情が移っているということなのか。実際のところ、シドやエイザンといったエージェントの部下達といる時より遥かに自分の心が安らいでいるという自覚はある。
(ただ単に、あいつらが事ある毎に俺で遊んでいたからかもしれないが)
 何かにつけて難癖を付けられ、弄られ、どっちの上の立場なのか分からなくなることも度々あった。彼らといる時は片時も落ち着ける時間が存在せず、胃痛が絶えなかった。気づいたら、胃薬が毎日の友になっていた。
(……まあ、そんな時間も嫌いではなかったか。あいつらと離れているからそう思えるだけかもしれないが)
 そう思い、クスリと笑う。
「レンさーん、お茶が入りましたよー」
 とそこへ、マルチョが戻ってきた。紅茶のポットとソーサーに乗ったカップ、何種類かのクッキーが盛られた皿を載せたワゴンを押している。
「カトーさんが焼いたクッキーもあるので、お茶請けにどうぞ」
「ありがとう。いただくよ」
 マルチョが上手に淹れた紅茶を飲みながら、レンは思う。
(マルチョはお茶を淹れるのが本当に上手いな……)
 自分はといえば、お茶を淹れる度に(主にシドから)不味い不味い言われ続けていたというのに。今度秘訣を教えてもらおう、と密かに決意する。
「で、レンさん」
「なんだい?」
「レンさんのお友達は、どんな方だったのですか?」
「そうだな……」
 レンはシド達のことを何となく思い出し、嘘に信憑性を持たせるため、少しだけ実体験をまじえる。
「何かにつけては、僕で遊んでいるような奴らだったよ」
「そ、そうなのですか……」
「メンバーで一番年下だから、とか淹れる茶が不味い、とか。一緒にいるのにやたらと体力を使ったよ」
「大変だったのでございますね……でもレンさん、きっとその方達と一緒にいるの、嫌ではなかったのでしょう?」
「え?」
「だって今お話していた時のレンさん、なんだか楽しそうでしたから」
 レンは驚きでしばしポカンとした後、
「……そう、かな?」
 と、首を傾げた。
 とりあえずシド達のことを「友人」と仮託して話しているが、まさか「楽しそう」と言われるとは思わなかった。
(いや、だって……今、俺はシド達のことを話しているんだぞ?)
「嫌いではない」と「楽しい」は決してイコールではない。マルチョには、自分がそんなに楽しそうに見えたのだろうか。
「そうでございますよ。ほら、『好きな子ほどいじめたい』と言うではありませんか」
「ごめん。その例えは若干気持ち悪い」
「すみません」
 マルチョは悪びれずに笑って、クッキーを一つつまんだ。
「……いつか会ってみたいでございます。レンさんのお友達」
「会えるよ。爆丸インタースペースが開設したら、ね」
「楽しみでございます」
 ほらレンさんも、と薦められて、レンは小さなクッキーを一つつまむ。
(……ん、美味しい)
「休憩が終わったら、残ったアクセスポイントとの回線の接続をやってしまいましょう。あと四時間ほど頑張れば終わります」
「そうだな」
「それも終わったら、レンさんのお友達の話、もっと聞かせてください!」
「……まあ、気が向いたらね」

 マルチョを騙している、ということに対する罪悪感が、なかったわけではない。
 彼と一緒にいた全ての時間が楽しかったのも、彼を友人だと思っていたことも、全て本当の気持ちなのだから。
 ……それでも、俺は。

「おいリーダー、次の作戦どうする気だよ」
「本当に嫌味ったらしいなお前の『リーダー』は……」
「嫌ならさっさと何とかしやがれ。バトルブローラーズに正体がバレたんだ、それが筋ってもんだろ」
「……分かっている」
 薄暗い部屋の中、シドの言葉を適当に受け流しながら、レンはテーブルに向かって次の計画の草案をまとめていた。
(この計画が成功すれば、戦況は大きく変わる……)
 そんなレンの様子に、シドは舌打ちしてから、
「ま、せいぜい頑張ることだ。あんま根つめすぎんなよ」
 ポンと、レンの頭を叩いて部屋を出て行った。
(……ん?)
 その感触に、レンは首を傾げた。
(今のはひょっとして慰められた……のか?)
 叩き方がいつもより少し優しかったからだろうか。何故だか、そんな気がした。
(……まあ、きっと気のせいだな)

 何気ない時間も、優しい時間も、長く続くことはない。
 その全てを、戦火が包み込む。
 後悔はしない。振り向かない。ただ自分の為に、全てを利用してやる。
「いつか日の当たる場所へ」――それが俺と、そしてラインハルトの、ただ一つの道しるべ。その為には、友を裏切ることすら厭わない。何を斬り捨てても構わない。

 それなのに……どうして、こんなにも胸が痛むのだろう?

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三期放送時にリクエストをいただいて書いたもの。
リクエストいただいた時に、好き、わかる、その取り合わせめっちゃ好き……となりながら書いた記憶があります。

気付くのが遅すぎて(再録)(リンク→アリス)

 ちょっとは変われるかな、って思ったんだけど。
あーあ。
慣れないことはするもんじゃないね。
……まあ、後悔なんてしてないけど。出来るはずもないけど。
結局のところ、僕はずっと独りぼっちでいろってことなのかも知れない。
こんなだだっ広い空間……いや、人間の感覚で測ることなんて到底出来そうのない底のない闇の中のような空間で、独りぼっち。 ああでも、ウ゛ォルトもこの空間に放り込まれたんだっけ。じゃあここにいるのは僕だけじゃないってことだ。
……こんなところで見つけられるかどうか、って問題もあるけど。
「ま、出会うまでのお楽しみ、ってことで」
何となく呟いてみたけど、声は空間に吸い込まれてあっという間に消える。
……はは。
これじゃ僕、完全に独りぼっちだ。
「今まで散々何かから逃げて、色んな人を傷つけてきた罰、なのかな」
誰かに聞いてもらえる訳でもないけど、呟いてみる。
罰を受けるよりは償いをしたい。そう思うのは我が儘なのかな。その償いと罰がもしイコールで結ばれるっていうなら、罰も喜んで受けるけど。
でも、多分これは違う。
アイツは優しいから、僕がこうなったと知ったらきっと悲しむ。それって、償いって言わないんじゃないかな。
……やだなあ、そんなの。
これじゃまるで、僕が償いのためにアレをアイツに託して死んだみたいじゃないか。
そんなんじゃないのに。
心臓は動いてる。僕という存在は、僕の意識は確かにここにあるのに――僕はデス次元の中で確かに生きてるのに。
もう会えないってだけで向こうに死んだって思われるなんて。
どうすりゃいいんだよ。
罪を償うことすら出来ないっていうのかよ。
僕は二度とアイツに会えないのか? 会って、一言謝ることも許されないっていうのか?
アイツはこの先一生、僕がこうなったことを背負って生きていくっていうのか?
そんなのってないよ。
僕一人が罰を受けるならまだしも、アイツは何も悪いことしてないじゃないか。
……そんなことを思っても、どうにかなるわけじゃないけど。
でも、ここから出たい。
出て、一言でもいい。アイツに会って、話したい。もしもそれが許されるっていうなら。
どちらにしろ、ずっとここにいたらいずれ僕は死ぬ。この空間の時間じゃない……僕の身体の時間にがたが来る。
きっとその瞬間まで、僕はアンタのことを考えているんだろうね。
喧嘩したその後に、「何で喧嘩したんだろう」って後悔するそこら辺の子供みたいに。
  ……ホント。
何で僕はこう、気付くのが遅いんだろう。
いつも自分の為だけに生きてきたくせにいつの間にか、こんなにも別の誰かのことが大切になっていた、ってことに今更気付くなんて。
馬鹿だよな、ホントに。
もっと早く気付いていればよかった。

 ――僕のことを、ああやって真正面から見て真剣に叱ってくれたのはアイツだけだった。

 僕はそれが、ホントは嬉しかったのに。

「……ごめん」
ごめんなさいもありがとうも、アンタに言えそうにないや。
勝手に騙して勝手に反省したくせに謝ることも出来ないこんな大馬鹿で、ホントにごめん。

出来ることならもう一度、アンタのシチューが食べたいな。

……アリス。

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リアルタイム放送時に書きました。
リンク……おまえ……リンク……

朝陽の色(再録)(シュンフェニ)

 拙者とシュンが、ブローラーズと合流してからから2、3日経った頃であろうか。
「イングラムはん、ダンはんに嫉妬しとるやろ」
 エルフィンにいきなりそう言われた。
「……嫉妬?」
「そ、嫉妬」
 シュンはその時、トレーラーに付いているシャワー室で水浴びをしていた。なので拙者はトレーラーの居間とも言える部屋で一人待っていたのだが、そこにエルフィンが絡んできたのだ。
「ウチには判るで……イングラムはん。シュンはんとダンはん、幼なじみやってマルチョはん言うとったしなあ。仲良しやしなあ」
「話が読めないのでござるが……」
「そこにいきなり新しいパートナーが割り込むのは難しい話やん。せやから、嫉妬。やきもち、ってゆーてもええけどな」
「嫉妬、でござるか」
「そ」
 それは、今になって思えば拙者の当時の感情を見事に言い当てていた、と言っていい。
 だが、あの時の拙者は今以上に未熟者で。 それ故、こう答えた。
「何を言っているでござるか。拙者はシュンの影、嫉妬などおこがましいにも程があるでござるよ」
 エルフィンは何か言いたそうだったが、やがて肩をすくめた。
「イングラムはんがそれでええんやったら、別にええけど」
 いやはや何とも、こういった点では女子の方が成長が早い。
 拙者がその意味に気が付いたのは、つい昨日だというのに。
 より正確に言うと……嫉妬、という言葉の意味を実感したと言うべきか。
 拙者は完全に失念していたのだ。
 シュンがずっと、”誰を”助けるために戦っていたのかを。
 そして、思い出したのだった。あの時エルフィンとした会話を。

 フェニックスが去った後、しばしシュンは放心状態に陥っていた。
 ダンが察して声をあげてくれなければどうなっていたことか。
 この時拙者はどうすればいいのか判らなかった。何を言ってもおそらくシュンにとって気休めにすらならなかっただろうと気付いてしまったが故に。誰にも立ち入ることは許されないと、そう思ってしまったが故に。
 そして実感した。
 エルフィンが言っていた、嫉妬、という言葉の意味を。
 初めて出会った時よりはずっと、シュンにとっていいパートナーになれたつもりだった。……だが、フェニックスには勝てる気がしなかった。
 あの絆には誰も割って入ることは出来ない……おそらく、あれほどシュンと仲のいいダンでさえも。
 だからこその嫉妬。
 勝てない相手だからこそ相手に羨望の念を抱き、そして嫉妬するという、感情を持つ知的生物のどうしようもない側面。
 シュンから時折、彼女の話は聞いていた。シュンが彼女を助けるために戦っていたということも頭では理解していたはずなのに、心がそれを認めたがらない。
 しかし、解らないことがあった。

 ――拙者は何故、フェニックスやダンに嫉妬しているのだろう?

 解らないままに、朝になる。
 そしてシュンの朝は早い。
 その日は、夜が明ける直前に鍛練を開始した。
「近所の山に鍛練しに行く」
「山、でござるか?」
 自宅から近所の山へひとっ走りし、そこでしばらく運動してから帰宅して朝餉、というのはシュンの毎朝の習慣なのだそうだ。
 今まではただ、ワンダーレボリューションにいたからそれができなかっただけで。
「一緒に来るか?」
「当然でござる」
 シュンの肩に乗ると、豪!と全身を風が叩く。シュンと同じ風を全身に受ける。恥ずかしい話だが、拙者はこの感覚が好きで堪らなかった(シュンにはたまに落下することを心配されるが)。
 パートナーと同じ感覚を共有することの喜び、とでも言えばいいのだろうか。
 無論、身体の大きさが違うのでそんなことは有り得ない。それでも、シュンと同じ風を受けるのは楽しかったし、嬉しかった。
 夜明け前の山中をシュンが疾走する。振り落とされないようしがみついていると、森の木々の隙間から覗く空がいつしか明るくなり始めているのに気付いた。
 そして、さっと目の前が明るくなった。何かと思えば、森を抜けて視界が開けた所に出ていた。
 眼下に広がる、目覚める直前の町。それを黄金色の光で淡く照らし始める、昇りかけの太陽。
「……綺麗でござるな」
 思わずそう呟くと、シュンは「そうだろう」と小さく頷いた。
「小さい頃……今の家に引き取られる前からここは好きな場所だった」
 その横顔を伺うと、シュンは何だか寂し気な顔をしていた。
 恐らく、フェニックスのことを思い出しているのだろう。拙者がここにいるということは、フェニックスもシュンと一緒にここに来たことがあるに違いないだろうから。
「……シュン」
「何だ?」
 一瞬迷ってから、拙者はシュンにこう問い掛けた。
「フェニックスのことを、思い出したのでござるか?」
「…………」
 返ってきたのは、沈黙。そして、その沈黙が答えだった。
「シュン。おこがましいやもしれぬが、聞かせてほしい。本当は……」
 本当はあの時、何が何でもフェニックスを呼び止めて、一緒に地球に帰りたかったのではないのか?
 そう聞くと、シュンは昇りゆく朝日を見つめながら、小さく頷いた。
「では何故あの時、フェニックスを呼び止めなかったのでござるか?」
 大切な相手なら、一緒にいたいだろうに。そう思いつつ更に聞くと、シュンは
「そのことは、俺も一晩中考えていた」
 と前置きしてから、
「多分、それが俺達のためだったからだ」
「……?」
 どういう意味なのか解らず首を傾げると、シュンは苦笑して、
「俺は、誰かに依存しないと生きていけない人間らしいからな」
「依存……?」
「そうだ」
 シュンはどこか遠くを見るような目で続ける。
「誰かが傍にいないと、誰かが心の支えになってくれないと駄目なんだ。それは母さんや、ダンや、フェニックス……それに勿論イングラム。独りになるのが、正直言って怖い。小さい頃からずっと……」
「しかしそれは…… 誰だって抱きうる思いなのでは?」
「ああ、そうだろうな」
 シュンはそう肯定してから、更にこう続けた。
「でも、相手がフェニックスだったからいけなかったとしたら?」
「……どういう意味でござるか」
「そのままの意味だ」
「もしや、違う種族同士だから……と?それはどういう……」
頭では理解していても、拙者の中の何かがその答えを良しとしていない。それが何だというのだと。
少し、身体が震えるのを感じた。
シュンは何を言おうとしている?
「……つまり、俺は本気でフェニックスが好きになってしまった、ということだ。分かるか?それがどういうことか」
「…………」
シュンの表情が、少しだけ歪む。そしてその口から次々と言葉がこぼれる。
「……家族や友人、仲間に対して抱くのとは全く違う感情を、俺はいつしかフェニックスに対し抱いていた。全く違う種族の彼女に対して。それは、本来ならおかしいことのはずなんだ……生物として。決して結ばれることのない相手にそんな感情を抱くのは」
「そして、住む世界の違う人間と爆丸はいつかは別れなければならない、それをフェニックスは分かっていた……だから、フェニックスは、別れざるをえなかったあの時も、少なくとも俺よりは冷静だった……自惚れるつもりはないが、俺と別れるのは辛かったはずなのに」
「あの時俺の世界にはダン達だけじゃない、フェニックスが大きな比重を占めていた。そうやって自分の世界を小さくしていたところがあるからな……それでは駄目だと、フェニックスは俺に教えようとしてくれていた」
「きっとそれが何より俺のためだと、フェニックスは分かっていたんだろうな……だから再会しても、ほんの一瞬。別れを惜しみでもしたら、ますます俺が彼女から離れられなくなるだけだから。……もしくは、俺にこれ以上離別の苦しさを味わってほしくなかったのか」
最後は、消え入るように小さな声だった。「……羨ましいでござるな」
「?」
「フェニックスが、羨ましいでござる」
それ程までにシュンのことを思い思われ、しかし種族の違いという壁に阻まれ、それでもなお互いのことを思う……フェニックスのそんな強さが。二人の強固な絆が、羨ましい。羨ましくも、妬ましい。
「イングラム……」
「っ! す、すまぬ、こんなことを言って……」
こんなことを言ってはシュンを困らせるだけだというのに。拙者が己の迂闊さを呪っていると、「いや」とシュンが首を横に振った。
「すまない、俺もこんな話をして」
そしてシュンは肩の上の拙者を見た。
「それと、」
「?」
「ありがとう。こんな俺の話を聴いてくれて」 そう言って微笑むシュンの顔。それは朝陽を浴びて、いつになく穏やかで晴々としていて。
「お陰で、だいぶ楽になった」
「…………」
拙者は、何も言うことが出来なかった。
こんなにも澄んだ笑顔のシュンを見るのは初めてなのと――無論、自惚れるつもりは微塵もないが――それは恐らくシュンが「大切な者」にしか見せない顔なのだろうと直感的に解ってしまったから、そして何より、

ああ、そうか。

拙者は、シュンのことがこんなにも好きだから、フェニックスやダンに嫉妬しているのか。

 答えに気付いたから……気付いてしまったから、と言うべきかもしれぬが。なぜならそれは、違う種族の相手を好きになってしまった、ということなのだから。
 だとしても、だ。
「シュン」
「何だ?」
「傍にいるでござるよ。拙者に出来る限り」
「……?」
唐突にそう言われてシュンは少し面食らったようだったが、やがて嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう」

いずれは別れることになると解っていたとしても、せめて今は寄り添っていたい。
そんな分不相応なことを願わずにはいられないほど、その朝陽色の笑顔は眩しかった。

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三期が始まる前に書いたものだったような気がします。
イングラムをシュンさんがそっと支えてるような支え合ってるような関係性が好きです

小さきものへ(再録)(シュンフェニ)

 それは、フェニックスがシュンのパートナーになってから一週間ほど経ったある日のこと。

その日もシュンはなかなか寝付けない様子だった。
月明かりでぼんやりと白く光る障子を見るに、時間は恐らく彼が寝床についてから二時間以上経っている。ひょっとしたら日付も変わっているかもしれない。
「大丈夫?」
シュンが31回目の寝返りをうったのを見て、フェニックスはシュンにそう声をかけた。
しかしシュンはといえば、
「…………」
フェニックスに背を向けて黙ったまま。
それを見て、フェニックスは心中で嘆息した。
(まだ私と出会って日が浅いんだもの、心を開いてくれないのは仕方ないわよね……)
彼が心を開いてくれるにはまだまだ時間がかかりそうだということを、彼女はここ一週間で実感していた。
彼が現在住んでいる祖父の家にこもりきりだということ。
その原因は、彼の母親な死にあるのだということ。
彼がどれだけ母親を大切に思っていたかということ、それ故の喪失感に彼がひどく苦しんでいるということ……それらが積もり積もって、シュンは今、祖父以外とのコミュニケーションをほとんど受け付けない状態だった。
だとしても、とフェニックスは思う。
(やっぱり、この子の心の支えになりたい)
その思いは、フェニックスがシュンの母親……栞の死のまさにその瞬間まで彼女の傍にいて、母子の絆の強さをよく知っていたから、どうにかしなくてはという義務感から来ているのかもしれない。それはフェニックスも重々承知だった。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
なぜなら、自分がシュンを大切に思う気持ちは本物だという実感が、フェニックスにははっきりとあったから。
今はただ、どうすれば彼と心を通わせるかが課題だった。
(まあ、あまり考えすぎても仕方のないこと)
そう無理に思考を中断させると、フェニックスは小さい体をフワリと浮かび上がらせた。そしてパタパタと翼を動かし、シュンの枕元を回り込むようにして反対側……要するに、今シュンが向いている方向へ移動する。
(この姿にはまだ慣れないわね……)
体の大きさが本来の姿のときよりずっと小さくなっている為、感覚がまるで違う。こうして飛ぶのも実は精一杯で、
ガクン。
「キャッ!?」
空中で、フェニックスは思い切りバランスを崩した。
重心を持ってくる位置を間違えたのか翼の動かし方に問題があったのか、と考えている暇など勿論なく気が付けば床に敷かれた畳が目の前まで迫っていて、
ポトリ、と。
「…………?」
畳の上よりずっと柔らかい感触。
それがシュンの手の上なのだということに気付くのに少しかかった。
(私今、この子の手の上にいる……?)
「助けて……くれたの?」
他に理由なんてないだろうけど、思わずそう聞いていた。
シュンは布団に俯せになり、顔だけ上げた状態でこちらに手を差し延べている。彼は何も言わなかったが、フェニックスは構わず言葉を続ける。
「ありがとう」
するとシュンは目を逸らし、小さくこう言った。
「…………別に」
(会話が成立した……!)
喜びのあまり、無意識のうちにフェニックスは呟いていた。
「……本当に優しい子なのね。栞の言っていた通り」
シュンが驚いた顔をし、フェニックスを手に乗せたままごそごそと体を起こした。
「……母さんの?」
「ええ。あなたのこと、色々話していたわ」
病に侵された体で生前の栞が語ったのは、一貫して息子のこと。どんな食べ物が好きで、どんな遊びが好きで、どんな歌が好きで、どんな友達がいて……そこからは、母が息子に向けるひたすらな愛情が感じられた。
「そう……か」
シュンはそう小さく呟いて俯いてしまった。その瞳は――月明かりのせいかもしれないが――うっすらと濡れているように見えた。
チクリ、とフェニックスの胸が痛む。
こんなとき、自分は何も出来ないのか、と。
(……ああ、そうだ)
いいことを思い付いた。
「シュン、もう夜も遅いわ。そろそろ眠りましょう」
「……ああ……」
シュンはそう言って、フェニックスを畳の上にそっと降ろして布団に入るものの、やはり眠ることはまだ難しそうだ。
フェニックスはそれを見て一度呼吸を整える。そして、
「――――」
小さな小さな声で、しかしシュンには聞こえるように歌い始めた。
「?」
シュンが怪訝そうな顔をする。 それは、大切な者への思いを歌う歌。大切な者が怖い夢を見ることなく、安らかに眠ることを願う、とても優しい歌だった。
やがて、シュンの表情が驚愕に彩られていく。
「――! その歌、」
「あなたが眠れるまで歌っていてあげる」
フェニックスは歌うことを中断し、シュンに語りかけた。
その優しい声で、寂しそうな目をした一人の少年を温かく抱きしめるかのように。
「だからせめて今夜は、安らかに眠ってちょうだい……」
そしてまた、歌い始める。
この歌は、生前に栞が、シュンが幼い頃に子守唄としてよく歌っていたという。「もう忘れているかもしれないけど」、と彼女は言っていたが、そんなことはなかった。
そして彼女は、こうも言っていた。
『もしあの子が眠れないようなら、歌ってあげてみて』と。
(今はこれくらいしか出来ないけれど)
フェニックスは、歌に小さな誓いを込める。
(傍にいよう……シュンが寂しい思いをすることのないよう、ずっと傍に)
それは小さいけれど、とても大きな誓い。そして、とても優しい誓いだった。

歌が終わったとき、部屋には静寂が訪れた。
わずかに開いた襖からは、白い月明かりが漏れている。
その白い光は、月が西に傾くまで、寄り添って眠る二人を照らしていた。

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支部からの再録。
2011年に書いたものです。シュンフェニを感じて当時何度も聞いていた曲がタイトルで分かる……