「……なんだ、これ」
イオマグヌッソ周辺宙域で発生した「イオマグヌッソの暴走に端を発したザビ家の内乱」からニ週間が経過していた。
入院とごく短い拘束期間を経たエグザべがしばらくぶりにグラナダの宿舎へ帰ってみると、郵便受けが分厚い封筒でみっちり埋まっていた。
苦労しつつ封筒が破けぬよう慎重に全てを取り出すと、紙の重みがずっしり腕に伸し掛かる。月の重力下でも分かるそれにエグザべは思わず眉をひそめた。
「書類? 今時紙の書類って……」
封書に差出人は書かれていないが、宛先として自分の名が書かれている。自分に直接宛てた物であることは間違いないらしい。
エグザべは封筒を抱えて自分の部屋へ戻り、荷物を放り出してからペーパーナイフで慎重に開封する。
封筒の中には更に別の封筒が入っていた。
そしてその封筒をまた開けて一番最初に目に飛び込んで来た書類には、同封の書類がリストで記されている。長い長いそのリストの先頭にはこう書かれていた。
『贈与財産目録』、と。
「──は、」
身に覚えのないそれに、目が点になる。目を通していくとその目録に記載されていたのは、文字通りに資産の目録であった。株式、土地を中心とした不動産、車やインゴットといった動産……いずれも難民出身の下士官でしかないエグザベには縁のない価格が付いている。
そして、一番下に書かれているそれを見て、エグザべはこの書類の送り主を悟った。
──「美術品 壺 一点」
◆◆◆
「で、それをなぜ私に相談するのですか」
基地の外に立つ軍事病院。偽名を用いて秘密裏に個室に入れられているシャリア・ブルは、エグザベに見せられたその目録のコピーを目を細めながら読んでから呆れたようにそう尋ねた。
エグザべは心底申し訳なさそうに、小さくなりながら答える。
「申し訳ありません……こういうこと相談出来るの、貴方くらいしか思い付かなくて……」
その返答にシャリアは小さく言葉を詰まらせた後、ふっと表情を緩めた。
「質問を変えましょう。君はなぜ、受け入れを迷っているのですか」
柔らかな口調でのその質問に、エグザべは「ええと」と逡巡しながら答える。
「まず資産の総額があまりに大きくて戸惑っています。税金とかも、大変でしょうし」
「うん。それで?」
どこまでも地に足のついたその言葉に、シャリアは頷きながら続きを促した。エグザべは恐る恐ると言ったふうに二つ目の理由を語る。
「マ・クベ中将には、凄く良くしてもらいました。ジオンに来たばかりの頃は、スクール入学前の教育と衣食住の面倒を見てくれて……僕のギャンのカラーリングも、マ・クベ中将が選んでくれたものです。ですが……」
エグザべの言葉が詰まる。しかしそれは僅かな時間だけのことで。ぐっ、と拳を握りながらも言葉を吐き出した。
「……僕は、近衛部隊の隊長でありながらキシリア様をお守り出来なかった。部下も全員死なせてしまった。それなのに何故、と」
「ふむ……」
では尚の事何故私に相談するのだ……と口をついて出そうになるのを堪えた。今問題にするべきはそこではない。
キシリア・ザビ殺害の実行犯は赤いガンダム──に搭乗していたシャア・アズナブルであるが、あの混乱の最中でそれを知るのはシャリアを含めあの場にいたごく僅かな人間のみ。公には「キシリア閣下は内乱の最中でチベごとイオマグヌッソの暴走に巻き込まれて死亡」という扱いになっている。
そしてエグザべの部下達を撃墜したのは、他の誰でもなくシャリア・ブル自身である。
それはもう仕方のないことです、とエグザべは以前シャリアに向けて告げた。僕らはああする他無かった。あの時点での僕らには、キシリア様のためにこの身を捧げる以外に生きる術は無かった、彼らはただ軍人としての役割に殉じたのだ、と。
軍人としては百点満点の回答であるが、そう言えるようにならなければ自分の心を守ることもままならなかったのであろうこの青年を、シャリアは少しだけ哀しく思う。
「この書類を貰ってから、マ・クベ中将と連絡は?」
「取ろうとしているんですが、繋がらなくて。代理人弁護士の方とは、少しだけ話せました。返事はなるべく早くして欲しいと」
「まあ、そうでしょうねぇ……」
ジオンの新たなる「女王」としてアルテイシア・ソム・ダイクンが即位することは既に決定しているものの、旧キシリア派や旧ギレン派の処遇は現在各所の政治的調整や交渉の真っ只中だ。
中でもマ・クベはキシリア派の中枢にいた人間であり、先のザビ家の内乱に関わっている疑惑も浮上している。マ・クベの身柄が拘束されれば財産の譲渡もままならないであろう。
それにしても、とシャリアはエグザべに渡された目録のコピーを眺める。
手切れ金、と言うにはあまりに莫大な額。これがマ・クベの総資産とは思えないが、それでも庶民が向こう三十年は働かずに暮らすと考えれば十分すぎる額である。
「私個人としては、受け取っておいた方が良いと思います。贈与税なんかは面倒でしょうが、それも真っ当な税理士を雇えば解決は可能です。あのマ・クベ中将がコレクションの一つを君に譲渡する意味はそう軽い物では無い筈でしょう」
「……」
シャリアの言葉に、エグザべは俯いた。
「顔を上げなさい。マ・クベ中将はきっと君を人として好ましく思っていましたよ、エグザべ少尉」
自分自身はマ・クベに嫌われていることを思い出しながら、シャリアは目の前の青年に目録のコピーを返す。
「私からは、受け取ることをお勧めします。……私にはこれは、マ・クベ中将が人として君に対して示せる責任と誠意であるように見えます」
エグザべは恐る恐る顔を上げ、困惑したような上目遣いと共にシャリアからコピーを受け取る。
「……本当に、いいんでしょうか」
「大丈夫、自信を持って」
(まあ、私がこんなアドバイスをしたと知れば怒りそうですがね)
シャリアから背中を押してはみるものの、結局決断するのはエグザべ自身だ。シャリアがそっと見やると、少しだけ力を込めて握られた紙の端がくしゃりと歪んでいた。
◆◆◆
結局、エグザべはマ・クベから贈与された資産を全て受け取った。
資産目録の中にはサイド3のみならず地球の土地も含まれており、エグザべはしばらく諸々の手続きに追われることとなった。
アルテイシア新女王の取り計らいにより、キシリア親衛隊隊長であったエグザべは想定され得るあらゆる罪状を不問とされた。その代わりにひと月の謹慎──を建前にした休暇──を与えられ、その期間で贈与された財産周りの手続きをどうにか終わらせたのだ。その中にはマ・クベの代理人弁護士を伴っての地球行きも含まれていた。目的は、マ・クベが地球に保有していた土地の確認である。
「まさかこんな形で地球に降りることになるとは思いませんでした」
地球から帰ってきたばかりのエグザべは、するすると地球土産の林檎の皮を剥きながら腕のギプスが取れたばかりのシャリアに土産話を語る。
「背の低い高級マンションで、マンションの前には公園もありました。正直、地球は虫がいるし天気も分からないからあんまり得意じゃないなと思ったんですが……そのマンションは山間にあって。空の色と空気が綺麗なのは、良いなって思いました。こんなことがなかったら、地球に降りる機会なんて無かったと思います」
「良い経験ができたようですね。マ・クベ氏とは?」
「……弁護士の人に、手紙だけは」
「そうですか」
そうだろうな、とシャリアは大人として思う。
マ・クベが何を考えているのか、シャリアには推し量ることしか出来ない。
ただ時折この病室を訪れるランバ・ラルの言によると、マ・クベはイオマグヌッソ建設の詳細にはほとんど関与していなかった線が濃厚であるという。キシリア派中枢にいながら主の真の目的を知らされることなく、グラナダでキシリアの地盤を守ることに専念していた男だ。イオマグヌッソでの「事故」の報を聞かされた心境たるや。
どの道マ・クベは既に職を辞しており、私邸に籠もってしまったという。今のマ・クベは軍人ですらない。政治家として欲しい人間はであるのだが、とランバ・ラルはため息混じりに語っていた。
「林檎、どうぞ」
綺麗に皮が剥かれた林檎が半個分、ピックを刺され紙皿の上に並べられ、シャリアに向けて差し出される。
「ありがとうございます」
シャリアは皿を受け取ると、ピックを摘み林檎を一切れ口に運んで齧る。コロニー産のものより甘味が強く瑞々しいことに僅かに驚いた。コロニー産と地球産で大した違いはないと思っていたが、そうでもないようだ。
もう半個分の林檎はエグザべが自分の紙皿に取って食べていた。やっぱりこの林檎美味しいなあ、品種なのかなあ、とこんな話題の後でも考えているのが筒抜けなのが少しおかしい。
「手続きはもう終わったのですか?」
二切れ林檎を食べ終えてからそう尋ねると、エグザべは笑顔を見せた。どこか無理やりに見える。
「はい。明後日には謹慎解除なので、それまでに終わって良かった……です」
「正直に言うと?」
「……少しくらいは、マ・クベ中将と話したかったです。せめて、お礼位は……もう僕とは顔も合わせたくないと思っておられるかもしれないので、これは僕のエゴですが」
やはりエグザべは、マ・クベから一切のコンタクトがないことに落ち込んでいるようだった。とは言えシャリアも自分がマ・クベの立場であればエグザベとの連絡を絶とうとする位は容易に考えられてしまう。
こちらにあの方のフォローをする義理は無いのだが、と思いつつ、それでもつい同情的になってしまうのは、大人のなけなしのプライドを容赦なく貫いてしまうこの青年の底抜けの善性を知っているせいか。
「しばらくは、マ・クベ氏の思いを汲んであげてください。君が健やかに過ごすことを、恐らくあの方は願っています。それにもしかしたら、落ち着いた頃に連絡して来るかも」
「……そうですね。今はまだお忙しいのかも」
どこか自分に言い聞かせるように、エグザべは笑う。もう彼がこの話を自分からしてくることはそうそうないだろうなと思いながら、シャリアは皿の上に残った林檎に手を伸ばした。
◆◆◆
退院したシャリア・ブルと「謹慎」の解けたエグザべが配属されたのは、女王直属の特務部隊であった。
二人は本国に呼び出され、アルテイシアから直々に任を受けることとなった。
「既にコモリ中尉を含めたソドンのクルー達は同部隊に配属済み、実動担当の貴方がたの配属を以てようやく正式始動となります」
白いパンツスーツに身を包んだアルテイシア女王は執務室のデスク前に立ち、ボブカットの美しい金髪を採光ミラー越しの太陽光に煌めかせながら薄く微笑んだ。
「異論があるならば聞きましょう、一分くらいは時間をあげます」
「……あ、ありません……」
歳がそう変わらないはずのはずの女王に気圧されてエグザべが随分小さくなっている。それが面白くてシャリアは笑い出したくなるのを堪えた。
アルテイシアはそんなシャリアをすかさず見咎める。
「そもそもエグザべ少尉を不問に処すのは私やランバ・ラルの力でもそれなりに骨が折れたのよ。貴方を救出したのは少尉だと聞いています、上官としてしっかり面倒を見なさいな、『グレイ大尉』」
「ええ、謹んで拝命いたします」
世を忍ぶ仮の名で呼ばれたシャリアが優雅に一礼するとアルテイシアは「この男……」と呟いてから、エグザべの方へ向き直った。
「貴方のモビルスーツは既にソドンに格納してあります。後で確認をよろしくね」
「え、僕のモビルスーツ……ですか?」
エグザべの反応に、呆れた、とアルテイシアは薄く笑いながらこれ見よがしにため息を吐いた。
「モビルスーツ無しでパイロットとして着任するおつもりだったのかしら」
「い、いえ! そんなことは! 謹んで受領致します!」
「コワル中尉とシムス大尉が気合を入れて修復したと聞いています、現状では部隊唯一のモビルスーツとその正パイロットなのですから、働いてもらいますよ」
「修復……?」
エグザベが小首を傾げる。シャリアはアルテイシアの言わんとするところを察して「よろしかったのですか」と尋ねる。
「あのモビルスーツは元々……それに、目立ちすぎるのでは」
「あら、連邦軍でやたらと目立つ軽キャノンに乗せられていた私にそれを言うのかしら」
アルテイシアはどこ吹く風と肩を竦めた。
「そもそもあのモビルスーツの最終的な所有権は国にあります。それを誰にどのように使わせるのか私が決めたところで、何も問題がないのではなくって?」
「……ふふ、そうですね。確かに少尉が使うのが一番良いでしょう」
「え、えっ」
アルテイシアとシャリアの会話の意図が掴めず、エグザベは二人の顔を交互に見る。そんなエグザベの反応が面白いらしく、アルテイシアはくすくすと笑った。
「下がりなさいな。少尉は早くモビルスーツと対面するように」
「そうさせていただきましょう、行きますよ少尉」
シャリアは懐から仮面を取り出して顔に当てる。アルテイシアはその仮面を見て露骨に顔を顰め、エグザベもアルテイシアほどではないが口をへの字に結んだ。
「その仮面、趣味が悪いですよ」
「ええ、私もそう思います」
アルテイシアの言葉にそうシャリアは飄々とそう返したが、その口ぶりがやけに楽しげであったので、これは何を言っても無駄だとアルテイシアもエグザベも悟ったのだった。
◆◆◆
「やっぱり目立ちすぎじゃないですかあ?」
監視スポットに到着したコモリが、ビルの影の中に隠れるように立つギャンを見て呆れたように言った。
「こんな町中でこんなに真っ白なモビルスーツ……しかもギャンって、ここに誰がいるか喧伝してるようなものじゃないですか」
しかしシャリアは「大丈夫」と仮面越しに公王庁の方を見ながらひらひら手を振った。
「いいんですよ、目立って。不届き者各位に向けての見ているぞという示威行為には、ジオン現役最強パイロットのモビルスーツがあれば十分です」
「現役最強って……女王とのシミュレーター勝負でまだ勝率五割ですよ」
二人のやり取りを聞き留め、スコープから目を離さないままエグザベが困ったように言う。
女王相手に五割は勝ってるんかい、というコモリの内心での突っ込みに、シャリアは何も言わず口もとに笑みを浮かべた。
アルテイシアがエグザベに専用モビルスーツとして与えたのは、彼がキシリア親衛隊時代に愛機としていた純白のギャンであった。先の内乱の最中で左腕と専用装備であるハクジを失ったものの、既に左腕は修復されている。市街地での使用に不向きとの理由で今日は携行していないが、ハクジも新型が設えられている。
ギャンは元々、ジオン独立戦争中にマ・クベが個人的にツィマッド社に作らせていた機体を戦後に入ってから量産した機体である。しかしその大多数は先の戦いの中で失われ、純白のエグザベ機は残存する数少ないギャンであった。故にギャンは旧キシリア派の象徴のような機体であり、シャリアもアルテイシアがこの機体をそのまま修復してエグザベに渡すと知った時に驚きはした。当然一番驚いたのはエグザベであり、かつての愛機にまた乗れるという喜び以上に困惑していたようにシャリアには見えた。
しかし、旧体制の中にいた者達と共に新たな未来を創るという象徴としてこの機体を使えるのならば遠慮なく使わせて貰います、というアルテイシアの言い分にエグザベも折れ、この美しいギャンは現在もエグザベと共にある。
エグザベの覗くスコープの向こうでは、公王庁前で新女王の就任式典を待ちわびる民衆がひしめいていた。
「式典開始二時間前、今のところ周辺でおかしな動きは見えません」
「ん、平和ならばそれで結構。式典はこれからです、警戒を怠らぬよう。……そう言えばエグザべ少尉、ギャンと言えばマ・クベ氏からいただいた壺はどうしていますか」
「なんですか急に……花瓶として使わせていただいてます」
「……………………成程」「マ・クベ中将のコレクションだった壺を花瓶かぁ……」
シャリアとしては何気ない世間話のつもりだったのだが、その回答にコモリと共に思わず渋面を浮かべてしまった。エグザべは律儀にもスコープから視線を外さぬまま焦り声を上げている。
「な、なんですか!? 壺の使い道としては普通では!? 壺単体で飾るより花を活けたほうが綺麗に見えるんですよ!」
「……まあ、生涯大事にするという意味では間違った使い道でないかもしれませんね」
「むしろ壺の本懐だったりするかもね……」
「花を生けた写真をマ・クベ氏に送って差し上げては」
「二人の反応聞いてたら送るの怖いんですが!?」
マ・クベからの資産贈与を経てエグザべの総資産額は現在、ジオン国内の尉官の平均を大きく上回っている。無論その資産の内に壺も含まれているわけだが、貰った物をあくまでモノとして大切に使おうとするのはこの青年らしい……とシャリアはどこか胸がすくような思いがした。
大人達が古い物をどう託そうと、若者達はそれを好き勝手に受け取りながらこれからの世界を生きていくのだ。
「今は何の花を活けているのですか?」
エグザベとスコープ役を交代しながらシャリアが尋ねると、エグザベは腰を降ろして水のボトルを開けながら答えた。
「今は、ガーベラを。花屋で良いなと思った花を月に一度買っています」
スペースノイドにとって生花はそれなりの高級品である。壺に活けるための花を買うのが、エグザベにとっては心の潤いとなるささやかな贅沢なのだろう……シャリアがそう考えた時、コモリがしみじみと呟いた。
「エグザベ君って変わったようで変わらないよねえ……いい意味で」
「なんですかそれ……」
「大きい資産が手に入ったら素人は投資に手を出したりするのに、エグザベ君は花屋でガーベラを買ってるんだもん……」
「そういう人物だからあのマ・クベ氏にも好かれていたのですねえ……」
「もう、二人して僕を揶揄わないでください!」
「揶揄ってないって」
「素直に褒めているのですが伝わりませんねえ」
「日頃の自分の言動を客観的に顧みてから言ってくれます!?」
まだそんなに胡散臭いですか私。胡散臭くはあります。頭上で交わされる二人のやり取りを後ろに顔を真っ赤にしつつ、エグザベはボトルの水を一気に呷った。
◆◆◆
地球、極東の島国のとある山間部。
陶芸で有名なその地域の片隅に建つ小さな屋敷の前に、小さな白いバンが停まった。中から赤い髪の少女と黒い髪の少女が降りてくる。
赤い髪の少女──アマテ・ユズリハは、背中に隠れる黒い髪の少女──ニャアンにちらりと目をやってから、門に付いたインターホンの呼び鈴を躊躇なく押す。
『どちら様ですか』とインターホン越しに男の声がする。
「マ・クベさんにお手紙でーす」
アマテは手にした封筒をひらりとインターホンのカメラに向かってかざす。
『……郵便でしたら、ポストへお願いします』
「使用人の人でもいいから直接手渡せって言われちゃってるんですよねえ、こっちも仕事なんで。ご希望なら金属探知機でもなんでもどーぞ、中身はただの紙っていうか……写真って聞いてますケド」
『……ご依頼主は?』
向こうの声がやや剣呑になるが、少女は気にせず答える。
「『エグザベ・オリベ』、だそうでーす」
『……少々お待ちを』
プツリ、とインターホンの通話が切れる。
アマテは仰け反るようにして後ろのニャアンを見た。
「ヒゲマンの言う通り、効果あったねえ」
「そうだね」
「ニャアンはこのマ・クベって人会ったことないの?」
「名前を聞いたことあるだけ」
「ふーん」
それから数分ほど待っていると、門の向こうにある屋敷のドアが開く。
建物から出て来たのは、ポロシャツにジーンズというごく普通の服装にエプロンを着たふくよかな女性だった。
「ごめんなさいねえ、あなた達若い女の子だから私が出ろって言われちゃって。マ・クベさんへお届け物ですって?」
女が門を開けると、「はい」とアマテは封筒を差し出す。
「こちらお届け物でーす」
「一応金属探知だけさせてねえ」
女はエプロンのポケットから小型の金属探知機を取り出すと、アマテの差し出した封筒にかざす。金属探知機は何も反応を示さないので、女は「大丈夫そうね」とほほ笑んでから封筒を受け取った。
「それじゃあ確かに受け取りましたとお伝えしてくださいな、ありがとう」
「はい、確かにお渡ししました」「失礼しまーす……」
片やひらりと手を振り、片やぺこりと頭を下げ、二人の少女は屋敷に背を向けてバンに乗り込んだ。アマテは運転席へ、ニャアンは助手席へ。
女は手を振り、少女達を見送った。ハンドルを握るアマテの代わりに、ニャアンが控えめに手を振り返した。
山道をしばらく走って平らな道に出た頃、ニャアンがぽつりと呟いた。
「……エグザベ少尉、マ・クベ中将に何の写真あげたんだろう」
「へえ、マ・クベさんってジオンの将校さんだったんだ。なんだろうね」
まっ私らには関係ないけどねー、と、すぐにアマテは呟き。ニャアンはそうだね、とすぐに興味を無くしてスマートフォンを開いた。それからダッシュボードにしまっている軍用機器を引っ張り出してスマートフォンと有線で繋ぐ。
「後で良くない? この辺まだあんま電波良くないよ?」
「うん……」
ニャアンはアマテの言葉に頷きながらもエグザベ宛のメッセージをぽつぽつと打ち込んでいる。
「……キシリア様の親衛隊にいた時に聞いたんだけど、マ・クベ中将って、昔エグザベ少尉の面倒見てた人らしくて」
たっぷり時間をかけてメッセージを送信し終えてから、ニャアンは窓の外を見ながら呟いた。車は既にかつて県道と呼ばれた広い道に出ている。
「ふうん?」
「だけどキシリア様死んじゃって、マ・クベ中将も軍を辞めちゃったから、少尉から連絡取れないんだって」
「……じゃあヒゲマン、どうやってあそこの住所突き止めたんだろ」
アマテはこわー、とわざとらしく呟いてから、数十メートル先にハンバーガーショップの大きな看板があるのを目敏く見つけた。そしてにまりと笑って横目でニャアンを見る。
「寄り道してこっか。ロッカー男のお陰で臨時収入入ったし」
「うんっ」
アマテの提案を聞いたニャアンは、先までの話も忘れたかのようにパッと目を輝かせたのだった。
◆◆◆
それからしばらく、宇宙航行中のソドン艦内。休憩時間にスマートフォンを開いたエグザベは、ニャアンから受け取ったメッセージにほっと胸を撫でおろしていた。
「写真受け取ってもらえたんだ。良かったあ……」
「おや、マチュ君達のミッションは無事成功したようで」
向かいに座るシャリアがどこか嬉しそうに尋ねると、エグザベは「はいっ」と元気よく頷いた。
「無事受け取っていただけたみたいです」
「それは良かった」
「返事は来ないと思いますが……喜んでくれるといいなあ」
「……私からは、コメントしかねますね」
何しろエグザベが送った何枚かの写真のうち一枚は、マ・クベから贈られた壺に花が活けてある写真である。シャリアもその写真は見たが、花と壺が引き立て合う美しさ以上にこの壺の価値を知ってなお水を張り花を活けているエグザベの胆力に改めて感嘆してしまった。
しかし自分が目に掛けた若者から顧みられるのが嬉しいものであるということは、シャリアもこの青年のお陰でよくよく実感してしまっている。大人として情けない話だとは思うが、これはもうどうしようもない。
マ・クベがどのような反応をするのかを想像するとつい愉快になり、シャリアは小さく肩を揺らして笑った。
◆◆◆
それからひと月後。
サイド3にあるエグザベの宿舎に宛てて、差出人の書かれていない薄い封筒が届いた。
エグザベが部屋でその封筒を開けると、中には写真が一枚。
ころんと丸い、しかしどこか不格好な小さい一輪挿しにカスミソウが活けてあるその写真にエグザベは思わず破顔し、それから涙を一粒だけ零した。